音楽の喜び フルートとともに

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依存と愛

2008-09-08 23:29:22 | Weblog

夏の間に我が家のアイビーは、庭に繁殖。何年もたつのに、東に伸びたのは初めてです。隣家に行かないように、西側を一掃した途端、東の庭側に進出しだしました。アイビーも生命の危機を感じて活路を見出したようです。

脳が活性化するのも、危機を感じた時だそうです。安心の時は、サボってしまうらしいです。
「愛は地獄への石畳」と、言ったのはロロ・メイだったかな。
両親のもとを離れて、もう長いですが、今でも時々、親の手を求めている自分に気づいてドキッとすることがあります。
たとえば、曲を演奏している途中に、真っ白になってしまったとき、思わず、会場や、空にある何かを求めて視線を動かしてしまいます。そこに何もないとわかっているのに、そして自分の中に探す以外、救いは絶対無いのに。何を探しているんでしょう?
私が子どもだった時に、気づかないようにやさしく、そっと手を貸してくれた誰かが存在したに違いないのです。

人は誰でも、誰かの愛によって生かされている部分があります。どんなに屈強の、孤独を怖れない人でも、人の作った衣服を着、人の作った食物を食べ、人が作った家や道具を使い、人が運んだものによって生きています。この愛に感謝することと、自分で決めること、自分ができることまで、誰かに依存してしまうことを、きちんと分けて、線を引けている人はまれだと思います。音楽を通して、こういうことに気づいていくことも、人としての成長といい演奏をすることに必要だと思います。

フルートは、ピアノや他の楽器と演奏する場合が多いですが、もたれあった、依存の演奏ができるのか、相手との競争、戦いの演奏ができるのか、仲間として力をあわせた演奏ができているのか。自分たちの音、演奏を聴いてみれば、すぐにわかります。空洞だとすぐばれます。

しっかりと自分の演奏をすること、そして、相手の音を聴くこと。五感を研ぎ澄ませ、自分たちの考えを言い合い、心を通わせる場を相手と作り上げる。そんなことも音楽の一部だと私は思っています。


ニイル

2008-09-08 00:56:47 | 哲学

ニイル(1883-1973)はスコットランドの教育者でフリースクールの創始者です。彼の本「問題の子ども」(黎明書房ニイル選集1)の序に、こんな文章があります。

「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は自分自身と戦っている。その結果、まわりの世界と戦うのだ。「むずかしい大人」も同じ船に乗っている。幸福な男で、他の人たちのつどいの邪魔をする者は無い。戦争を鼓舞する者もいない。黒人にリンチを加えたりもしない。しあわせな女は、夫や子どもに文句を言い続けたりはしない。幸福な経営者は使用人をおどしたりしない。しあわせな人は人殺しをしたり盗みをはたらいたりしない。
 すべての犯罪、すべての憎しみ、すべての戦争は、その原因をさぐれば不幸にたどりつく。」

不幸というのは、私は暴力と思うのですが、どうでしょう?
たとえば、障害がある子どもは、それだけでは不幸になりません。比較され、コントロールされ、健常と同じ型にはまることを常に要求され、ありのままでいることを否定されるという暴力を受ける時、不幸は生まれると思います。

生まれたばかりの子どもは、生命と反するような要求はすべて、泣いていやがります。暑すぎる、寒過ぎる、お腹がすくこと、おしめが汚いこと、放置されること。生きるために必要なことはすべて赤ちゃんは知っています。満たされないと大声で泣いて知らせ、満たされると満足してご機嫌。幸福の中にいます。

ですが、大人になるに従って、わからなくなってきます。
自分の命につながるような幸福を、気持ち悪いと思ったり、命を削るようなことを気持ちいいと思ったり。
たとえば、たばこ。睡眠時間。依存症。ダイエット。ヒール、真夏の背広にネクタイもろもろ。

フルートを吹く時の姿勢。私は気づいたら前かがみになって、首を前に出してしまいます。
「まっすぐ。」と言われて、初めてまっすぐでないことに気づきますが、極端な曲がりは直せますが、まっすぐがわかるかというと、わからなくて、どちらかによってしまったり、S字形になっていたりします。
柱にかかとをつけて、背中、頭までしっかり柱につけて、まっすぐと思いますが、ガイドがないとわかりません。
一番呼吸しやすい形、音が出やすい、健康な形が、もう「しんどい…。」これは、一種の麻薬がおいしいと言うようのと同じで、フルートのためだけでなく、長期的に見て、健康に悪く、命を削るような形の方が、気持ちいいと思っている自分がいるということです。

それは何ゆえにというと、そのことが世の中を生きていく中で、何かメリットがあったに違いないのです。
型にはまった女らしさとか、自己防衛とか、それは言葉にされない社会の空気による暴力の度合いによってきまったのではないかと思います。

音楽と言うのは、そういう言葉にならない位の、命につながる何かを支えるために昔からあるのだと思います。幸福になるには、まず不幸がわからないと、移動できないです。それは地位や名誉、金とは関係の無い世界の話です。世界中の親が幸福で、子どもを幸福の中で育てれば、世界中の戦争や、誰かが独占することによる飢餓、差別は瞬時に消えると思いませんか?もちろん、白昼夢のようなものですが。