我が愛器の写真。いつも、酷使してごめんなさい。感謝しています。あなたがいない人生など考えられません。
初めて手にした楽器は、高校の時アルバイトの稼ぎと、お小遣いをかき集めて買いました。プリマの頭部管銀製。高校のクラブの日管製のフルートに比べて高音が楽にでるのにびっくりしました。うれしくてうれしくて、ずっと枕元において、それでも足りず、ケースにほおずりしながら寝ました。
それから、MURAMATSU、パウエルと買い換えましたが、楽器を買いかえるのはわくわくする体験です。
ヴァイオリンは使い込めばいい音がしますが、金属の楽器は、ヴァイオリンほどではないですが、共鳴して、分子配列が変るのか?やっぱり吹き込んでいくと響くようになります。
残念ながら、金属は消耗するので、100年もいい音がするヴァイオリンとは違って買い換えなければなりませんが。
モイーズさんはルイ・ロットを吹いていましたが、音程を正確に吹くために、鑢で削ったり、ちょこっと改造したり、私が吹奏楽を始めた頃も先輩は少しマウスピースを自分で削ったりしていました。そういうことは今ではあまり行う必要がないです。それだけ技術が進歩して、楽器としての完成度が高まったのだと思います。
私が87年ニースの音楽院をつかったサマースクールに参加している最中に、クリスチャン・ラルデ先生の下に大きな荷物が届きました。ラルデ先生はマスターコースを中断して、マクサンス・ラリュー先生を呼び、「すごい楽器がとどいたよ。見てご覧。」と荷物をあけて見せていました。それは、日本のメーカーYAMAHAのクーパーカットの楽器でした。マウスピースを少し台形にしたものでした。
二人で興奮して楽器を検分していたのを思い出します。
私は、YAMAHAの楽器の製作とは関係ないですが、日本人としてなんだか、鼻が高いようなこそばゆい気分になったものです。
それからもいろんな会社が自社製品の特徴を出そうと、しのぎを削っています。
それでも、フルートの音程や音質は幅があり、自分自身の耳と、肉体を使って作り上げていくものであることにかわりありません。
不安定で、不正確であるからこそ、生まれてくる。微妙な音の世界こそがフルートの魅力だと思います。シューベルトのFと、ドビュッシーのFが同じ音質、音程で演奏されることはないところがおもしろい。
音を作り上げる。それこそが、フルートと言う楽器の持つ音楽のよろこび、創造の喜びの一つであると私はおもいます。