今日は、S先生のレッスン日。梅田で、見ていただいています。
顔を合わすなり、「今日は、悪いけど、途中で、楽器を修理に出しに行くからね。」楽器店でのレッスンはこれが便利。予約時間があるのです。
先生の楽器は、巨匠マクサンス・ラリューさんが使用されていました。
売り出された時に、楽器店で、先生は試奏されたそうです。ところが、その時は買わずにいたのを、ラリューさんが購入され、使っておられました。それが、どういう運命か、また先生のところに戻ってきました。
マウスピースの左右に空気を集めるための、小さな三角錐の突起がついていて、本当によく鳴ります。
ラリューさんは大きな人ですが、手も大きく指も長く、私たちが習った基本の形とは違い、指をほとんど伸ばしたままバラッバラッと、すごいスピードで動きます。ちょっとスピード違反気味。
天才肌で、私が何年も前にフランスのマスタークラスの聴講に行った時には、一生懸命演奏している学生の背中で、彼女の持ってきた帽子をかぶり、魚つりの真似をしています。演奏が終わると何食わぬ顔で、彼女の楽器を取り上げ、「ここは、こんな風にふくんだよ。」とその大きい手で、すごいスピードで、演奏して、「ほら、やってごらん。」彼女は泣きそうな顔をしていました。
私もこれはたまらない。天才というのは教える適正がないのかな?とも思いました。
ところが、先生は、「ずっと昔、僕の演奏を聴いたラリューさんは、一言、『君の演奏には、音楽がないよ。』といわれたんだよ。それが、はじまりだった。フランスの音楽には、幼い時にフランスに住んでいないとわからないフランスの音楽が、イタリアにはイタリアの音楽があるという意味だと思ったよ。ちょうど、伸び悩んで壁があるときだったんだよ。どうしようもないとあきらめてしまったら、終わりだったけれど、それからが研究の始まりだった。今あるのはラリューさんのおかげだよ。」と話されました。
手厚く言葉を尽くして教える教師だけが、良い教師ではない。真実をつきつけ、闘志とやる気を引き出す。そして、学ぶ人は何からでも、意欲的に学ぶことができる。出会いというのはおもしろいものです。