昨夜NHKBSで、「帝国のオーケストラ」と言うドキュメンタリーを見ました。ナチス政権下のベルリンフィルを、当時のメンバーへのインタビュー、コンサート映像などから、浮き彫りにしたものです。
ナチスにより、1938年、ベルリンフィルの中のユダヤ人演奏家は追放されました。中にはコンサートマスターもいたそうです。
ヒトラーの誕生日、ナチスの記念式典、オリンピックさまざまな国威高揚の場に、ベルリンフィルの演奏と、ゲッペルスの演説がありました。
「それでも誰も立ち上がらなかった。誰一人職を手放さなかった。音楽家というものは、こと政治については子どものようなものです。当時ナチスが何を行っているのか知らなかった。」
「ベルリンフィルは当時最高のオーケストラでした。一流の指揮者には滅多に会えるものではありません。当時指揮者のフルトベングラーは一流で、他の指揮者はみんな二流でした。一流の指揮者のもとで、演奏できるチャンスを棒に振るわけにはいかなかった。」
「メンバーの中にはナチス党員が4人いて、その人の前ではうかつなことはいえなかった。」
「それまでは、自分たちがお金を出し合い、演奏を行っていましたが、国が出してくれるようになって、生活は安定しました。徴兵も免除された。」
「音楽堂のレリーフにベートーベンなど歴代の作曲家が飾られていましたが、ある日、メンデルスゾーンの像が削り取られていました。その時はぞっとしました。」
「ある日、ナチスに呼ばれていくと、たくさんのヴァイオリンが並べてあり、その中のどのヴァイオリンでもいいから、取りなさいといわれました。その時は想像もしませんでした。それがユダヤ人から取り上げたものであるとは、何人かの主だったメンバーが国からそうやって支給された楽器を弾いていました。」
「戦争の最後の方になって、傷ついた市民の前で演奏しました。その時、初めて、自分たちがどんなに恵まれていたかわかりました。中には傷病兵もいて、どんな空襲の後もやってきてみんな聞いてくれました。私は必死で演奏しなけらばならないと思いました。私は戦争に行かねばならないところを演奏している。」
見ていて、誰もが、ベルリンフィルのメンバーになる可能性があるとおもいました。会社で、嘱望した部署についたり、地域の名誉職、プライドあるグループのメンバー。そして、直接手を下すわけではない。
ユダヤ人を孤立させ、戦争を続けさせたのは、感じなくなった、見ようとしなくなった。大勢の良識ある市民だったのだと思いました。
一方で、地下で多くのドイツ市民がユダヤ人をかくまい、助けていました。死の危険を知りながら。
音楽は鉄人28号。私はその時、どう行動するのか?自分の責任で考え続けなければとおもいました。