シリンクス(1892年)はドビュッシーの言わずと知れた名曲です。
ギリシャ神話のシリンクスは、ニンフの名前です。牧神パーンは頭に山羊の角が生え、人間の上半身、山羊の下半身をもち、ゼウスの息子ヘルメスと羊飼いの娘の間に生まれました。
シリンクスを、見たパーンは彼女を自分のものにしようと、まとわりつきます。シリンクスは走って逃げましたが、川のそばまで来て、牧神に追いつかれてしまいました。牧神が、シリンクスに抱きつくと、そこには葦の束が、川の妖精たちに愛されていたシリンクスは、パーンのものになるよりは、と頼んで、葦に姿をかえてもらったのでした。
ため息をついたパーンは、葦を折り、笛にして吹きました。
ボッティチェリのヴィーナスとマルス(1483年~84年頃)の絵には、くつろぐヴィーナスの前で眠っているマルスを4人(匹?)の子どものパンが、マルスのやりや甲冑の中で遊び、ほら貝をマルスの耳元で吹いて起そうとしています。
ドビュッシーと同時代人とならば、J.W.ウォーターハウスの描いた牧神はハマドュリアデス(1893年)の中で、植物になったニンフの足元でパンフルートを吹いています。その姿は、少年のようで、不器用な醜い男の稚拙で、乱暴な求愛の失敗のせつなさが伝わってきます。
牧神の姿を借りて、少年の日の失恋の痛み。熱望する性的なものへの、憧れと、喪失感をあらわしているのかもしれません。
フルート一本のソロでありながら、調性を変化させ、色彩感を表現したことで、当時の人たちを驚愕させ、オネゲル、イベールなど多くの作曲家に影響をあたえました。