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prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ゴーストキラー」

2025年04月21日 | 映画
格闘を得意とする殺し屋の幽霊がとりついたもので女子大生がものすごい身のこなしのアクションができるようになる、というセントラルアイデアがいい。

高石あかりが単独主演し「ベイビーわるきゅーれ」シリーズで磨いてきたアクションスキルで女だと思ってナメてくるゲス男どもをぶっ倒すのが痛快。
就活生という設定だけどあまりそれっぽくないが、現在実年齢22歳。

殺し屋の幽霊の三元雅芸と手を握れば高石にとりつけたり、成仏するには誰が三元を殺したのか知る必要があるという約束ごとをきっちり押さえている。
アクションを演じる間に高石と三元の姿が入れ替わっても混乱しない。

ときどきやや不自然なフラッシュバックがはさまったり、ワルが成敗されるのが殺すところまで行ったのかどうか曖昧だったりややひっかかるところはあるが、まずは快作。











「HERE 時を越えて」

2025年04月20日 | 映画
定点観測という点でいったらこれくらい徹底して定点観測で通した映画もない。市川準監督の「病院で死ぬということ」をちょっと思い出した。忍耐を要求する作りかと思うとラストでどっと泣かせるのも共通している。

家の特定の部屋にカメラを固定して撮っているのかと予告編から推測していたのだが、空間だけではない。ネタバレは避けるが「時をこえて」と邦題のサブタイトルで明かしてしまっている。
マルチスクリーン風に一部切り取った画像で徐々に内容を変えていく技法はなんでもないようにやっているが相当に手がかかっただろう。タイミング合わせるのを想像しただけで気が遠くなる。
エンドタイトルでAIと頭についたスタッフが何十人も並ぶ。

ロバート・ゼメキスという監督は「抱きしめたい」の昔からこういうハード先行の発想の画面作りをする人だったなと思う。「フォレスト・ガンプ」の手足がなくなったように見せる合成や実写のケネディにフィクションのガンプが共演する発想など、今では当然のように応用されている。







「サイレントナイト」

2025年04月19日 | 映画
ギャングの抗争の巻き添えで幼い息子を殺された父親(ジョエル・キナマン)が復讐する、という単純な話なのだけれど、ちょっとづつひっかかる。

すごい勢いで父親がギャングを走って追いかけているシーンから始まるのだが、息子が目の前で撃たれたらギャングを追うより先にまず病院に連れて行かないか。喉を撃たれて声を失うにせよ、その場でついでにキナマンが撃たれた方が手数が省略できたと思う。走るところをつかみにしたかったにせよ、あまり上手くいっていない。 
ギャングに撃たれて入院している夫を妻が見舞うのだが、なんだか妻は息子より夫に気を取られているようにすら見える。

終盤、妻の出番がどういうわけかあまりなくなった頃、ギャングのヤク中の情婦がラスボスの前くらいに銃を持って出てくるのだが、この情婦が長い黒髪など妻にちょっと似ているものでヤクを打たれて夫を裏切ったのかと一瞬思ってしまった。
それというのも繰り返すが妻の出番がどういうわけかしばらくなかったからで、息子に対する感情の表現などひどく手薄、どうもジョン・ウーは女性キャラクターにあまり関心ないのではないのかな。前からそういうきらいがある。

主役のセリフがまったくないというのは映画とするとけっこう当たり前で、得意のスローモーションも特に目立つほどではない。鳥は飛ぶけど、インコです。両手に拳銃を構えて連射するスタイルも主役だけがやるわけではないので中途半端。
あとらせん階段を渦巻き状に移動しながら長回しで撮るカメラワークは、先日Netflix「Demon City 鬼ゴロシ」で似たようなのを観ていたもので新鮮にはうつらなかった。

刑事が途中からバディ式につるんでくるというウー作品の定番もタイミングが遅すぎて冴えない。







「プロフェッショナル」

2025年04月18日 | 映画
原題はIn the Land of Saints and Sinners(聖者と罪人の国にて)。
監督はクリント・イーストウッド主演の「人生の特等席」でデビューし、リーアム・ニーソンとは「マークスマン」でも組んだロバート・ロレンツ。

ロレンツはイーストウッドとは10本以上の作品で製作を担当し、当然イーストウッド組と目されるが(撮影のトム・スターンもイーストウッド組)、簡潔なタッチ、たとえば車のトランクが開いたと思うより早く男が暴れだすのを一瞬に見せたり、あるいはIRAの一味があわてて車を暴走させてぶつけた標識の破片を初めの方で見せてずっと後で車体の傷跡を見せることで説明抜きで何があったか、乗っていたのは誰かわからせるなど、語り口が経済的なことドン・シーゲルをちょっと思わせる。

ニーソンも還暦すぎてアクションスターになるとは当人も思わなかったろうが、今度は「裸の銃を持つ男」のリメイクとコメディに振り切る前にシリアスなモチーフに挑んだみたい。
ひとりで路線を造っちゃってる。

脇役でデズモンド・イーストウッドという名前の人がでているが、クリントとは関係ないみたい。生まれもアイルランドのダブリン。

ニーソンはかつて「マイケル・コリンズ」でIRAの指導者を演じたことがあったが、風景といいラストの教会といい、それ以来のアイルランド色が強いものになっている。







「風と共に散る」

2025年04月17日 | 映画
オープニングがまことに快調、石油を掘る油井がずらっと並ぶ前をロバート・スタックがウィスキーをラッパ飲みしながらカスタムカーを飛ばして乗りつけた屋敷から銃声が聞こえたところで、カレンダーがめくれていき日付が過去に戻り、そうなった経緯を語りだす。

石油で大成功しすぎた父親にスポイルされた息子スタックと娘ドロシー・マローンの幼なじみの尻拭い役をものすごく端正なマスクのロック・ハドソンがやっているのがどこか逆に歪んだ関係をうかがわせ、ハドソンが見染めたローレン・バコールにスタックが目をつけて強引にカネにあかせて結婚してしまうのもイヤな予感しかしない。

金があるのにスタックがわざわざ出入りする安酒場のバーテンをやっているのが「天国の日々」でThe Farm Foreman(農場監督)役をやっていたロバート・ウィルケ。

鏡を使って画面の奥行を作ることが多い。
ドロシーが佇む池のほとりの木に刻まれたイニシャルと子供の時の会話だけで回想を使わずどんな心情を抱えてきたか簡潔に表現している。







「デーヴァラ」

2025年04月16日 | 映画
エンドマークの代わりにDEVARA 2と出るのに目が点になった。「ウィキッド」がPART1まで公開してあとは「to be continue」のは知っていたが、これまた三時間もある長尺作にまだ続きがあるとは思わなかったぞ。

Intermissinと出るのに休憩は入らない。頭でCMと予告編がえんえんとつくのだからトイレ休憩くらい入れてほしいな。

NTR・Jr.が伝説の英雄デーヴァラと息子ヴァラを1人2役で演じるわけだが、「バーフバリ」をはじめ長尺作にこういう親子の関係を作劇に据えたパターン多いな。







「アンジェントルメン」

2025年04月15日 | 映画
第二次世界大戦の裏話ということで一応史実だというが、はみ出し者チームが危機に見舞われることがあまりなく、割とすいすい調子よくいってしまう。連合国側が勝ったのだから上手くいったには違いないのだろうが。

イアン・フレミングがかなり大きな役で、演じているのがフレディ・フォックス。なんと「ジャッカルの日」のエドワード・フォックス の息子。
この映画の主人公であるガス・マーチ=フィリップスがジェームズ・ボンドのモデルということらしい。

チャーチル役のロリー・キニアも007シリーズは「慰めの報酬」「スカイフォール」「スペクター」とMの部下ビル・タナー役で連続して出ている。
かなり流血描写が目立つけれど編集がスピーディなもので生理的不快感はあまりない。

原作とプロデューサーのひとりでもあるデミアン・ルイスってドラマの「ホームランド」の主演ではないかと思って調べたらそうらしい。ジェームズ・ボンド役の候補にもあがったこともあるとか。

エイザ・ゴンザレスがやたらセクシーかつ有能で、ナチより悪質と称されるティル・シュワイガーがまた誘惑に乗らず油断も隙もない。







「黄昏の湖」(加藤健一事務所)

2025年04月14日 | 舞台
映画版の「黄昏」1981の方を先に見ていて、主演のヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘップバーン、助演のダブニー・コールマンが亡くなっているので老いと死というモチーフのフィルターを通して見る格好になった。

前半、かなりはっきりと加藤健一扮するノーマンが認知症なのを示していて、映画化だとシリアスに感じられる箇所が役者と観客が直接リアクションを交わす芝居で見ると風通しがよくなって笑えるようになる傾向というのはあると思う。

かなり娘(加藤忍)のチェルシーの登場が遅くて、ヘンリーの実際の娘でもあるジェーン・フォンダがこの舞台を見て自らと父との関係をだぶらせたところから映画化を思い立ったと伝えられるが、そちらの方は意外にかなり引っ込んだ印象。

登場人物は六人とコンパクト。
タイトルになっている黄金の湖は実際には舞台面には現れず、背景の照明の変化で暗示される。

役の設定ではノーマンは80歳で、加藤健一は現在75歳。それほど変わらないのだが、老けづくりをしている。
40年前のイメージの老人と、今とは違うということね。一番大きく変わったところかもしれない。客席も年齢層高め。

加藤健一事務所に直接予約したのだが、チケットぴあを通すと手数料を1000円以上とられるらしい。

小津安二郎「東京物語」的なテイストを感じさせるせいか、これまでも日本でずいぶん何度も舞台化、テレビドラマ化されている。
古いところでは1980年の山村聡 京マチ子 犬塚博 夏木マリ 松田洋治 上條恒彦 主演版、それから八千草薫、村井国夫 朝海ひかる主演版、高橋惠子、石田啓介、瀬名じゅん主演版、テレビだと八千草薫、杉浦直樹、真矢みき主演版などなど。
キャスティングを見ると妻のエセルに焦点が当たっているっぽい。

■作  アーネスト・トンプソン
■訳  小田島恒志 小田島則子
■演出 西沢栄治
■出演 加藤健一 一柳みる
    加藤 忍 伊原 農 尾崎右宗 澁谷凜音


「BETTER MAN ベター・マン」

2025年04月13日 | 映画
実在の歌手であるロビー・ウィリアムズが製作総指揮チームに加わって主演したのだけれど、姿がCGでサルになっているというのを大真面目にやっているのに当惑する。

ロビーにしてみるとステージに上がった自分は主観では見世物の?サルになったような気分なのを表現したらしいのだけれど、まんま画にするっていうのはやりすぎ。
しかもやたらとリアルで皮膚にシミが浮かんでいた皺が寄ってたりするのは、正直気持ち悪い。リアルといっても全身の骨格は人間のままで、これはロビー自身が演じたからなのだろうが、ときどき人間の姿に戻ったりする方がよくなかったか。

ライブシーンや音楽処理が本格的なだけにサルの姿が現れるたびにノリにブレーキがかかる。







「ウィキッド ふたりの魔女」

2025年04月12日 | 映画
3時間かけてパート1が終わりなのであって、文字通り話半分。あとはパート2を待てというわけ。ただし歌=音楽の盛り上がりがすごくて満足感は十分。

to be continue(続く)とラストに大きく出るのに合わせたわけでもないのだろうが、2nd unitとエンドタイトルに出たあとにcontinueと出る。毎度のことながら、とにかくスタッフの数が多いのなんのって。

シンシア・エリボが顔を緑色に塗っているのだが、合成するときに困らないかな。それとも緑色そのものが後処理なのか。

アリアナ・グランデがエリボに対しほぼすべての点で恵まれていて、それでいてエリボがひねこびずグランデが優越感に浸らず身分や格差を超えて友情を結ぶのが新鮮。











「アンジーのBARで逢いましょう」

2025年04月11日 | 映画
アンジーというのはエンジェル=天使にかけているのではないかな。
実際、衣装からしてふわっとした雰囲気で、地上からちょっと浮かんでいるみたい。

西部劇みたいにどこからともなく現れ、どこへともなく去っていくというイメージ。
現地の人間たちを感化するが当人は変わらない触媒みたい。







「エミリア・ペレス」

2025年04月10日 | 映画
マフィアのガスコン=男とエミリア・ペレス=女とが同じ役者(カルラ・ソフィア・ガスコン)がやっているというのにびっくりすると共に、あまりに見かけが違うのでキャラクターがつながらず、釈然としない気分になった。
釈然としないといったら、マフィアが罪を逃れるために姿形を変えたのかというとそうではないらしい。

ヤボか知らないけれど、麻薬取引に関わった犯罪者のはずが痛めつけられたりする場面が多いもので犠牲者がかって見える。

ミュージカルという現実から浮遊する形式をとったのはいいけれど、ちょっと現実ばかりか倫理離れしているみたい。







「ミッキー17」

2025年04月09日 | 映画
ポン・ジュノは格差社会というモチーフは手放しませんねえ。現実にいよいよ拡大しているのだから当然ではありますが。

CGクリーチャーの造形がグロテスクにデフォルメされているようで気味の悪いリアリティが張り付いているという点で「グムエル」「オクジャ」「スノーピアサー」などと共通している。
早い話、巨大なダンゴムシが大量に発生しているのだから気持ち悪さに拍車がかかっている。

それにしてもCGのぬるっとした質感はピーター・ジャクソン版の「キング・コング」の巨大な虫もそうだったがホントに気持ち悪い。

原作が「ミッキー7」なのを「ミッキー17」にしたのは思春期の歳に合わせたからというポン・ジュノのインタビューに納得。まるで同じに見えたロバート・パティンソンに次第に違いが出てくるのは成長期にあるからか。

キャストに黒人、東洋人が適宜混じっているのはポリティカル・コレクトネスのせいか監督が東洋人だからか。







「教皇選挙」

2025年04月08日 | 映画
前教皇が亡くなる冒頭で遺体を入れる袋のチャックが閉められ、ロウで作った封印が施され、コンクラーベが絶対的に外との交流を遮断しているのを象徴的に見せる。

煙という合図で投票の結果を外に見せるのは有名だが、しかし否応なく外の空気は入ってくる。
野心家で性格に問題のある者ほど押しが強くて票を集めがちで、穏当な性格の者ほど慎重になりがちなのも他の世界と通じる。

人事というのはまったくのひとごとであっても興味をそそるものがある。表立った投票の裏の数々の工作で見せる札と伏せる札との使い分けが上手い。

肌の黒い枢機卿がかなりいるが、どういう経緯でカソリックに入り組織内を歩んできたのかと思わせる。

ずいぶんややこしい法王庁内の役職の名前が出てくるが、訳に監修とかつかなかったのだろうか。

枢機卿たちが赤の法衣をまとっていて、尼僧たちの青とのコントラストを成している。男ばかりの世界で尼僧たちの代表のイザベラ・ロッセリーニのセリフが強い印象を残す。








「レイブンズ」

2025年04月07日 | 映画
オール日本人キャストだがエンドタイトルを見ていたら、日本のほかフランス、ベルギー、スペインの合作で、他にもいくつかの国名が見えた。
ニューヨークを除いてすべて日本のシーンで、セットの考証、質感、光の感じなど申し分なくリアリティを出している。

タイトルのレイブンRaven=鴉と聞いてエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」の原題を思わないわけにはいかず、実際窓から入ってくるなど、通じるところはある。あまりあからさまに象徴的にならないように留意しているくらい。
ちなみに鴉は英語をしゃべります。

ポーの詩は死んだ恋人をうたっているのだが、実際写真家・深瀬昌久にとってモデルの洋子(瀧内公美)はミューズだったということか。その一方で鴉は昌久に刺さった棘である父親の助造(古舘寛治)の象徴でもある。

浅野忠信が父親ゆずりのアル中でタバコもふかしまくる。助造は四十までに一人前にならなかったら死ねという意味のことを息子に吹きこむ毒親で、そういうおまえは何だと代わりに言い返したくなる。






浅野忠信の絵↓