シナリオライター志望の青年を描いた中島丈博脚本「祭りの準備」に、「新藤さんゆう偉いシナリオライターが言うとる。誰でもひとつはいいシナリオを書ける。それは自分の身のまわりの人たちを描いたものじゃ」といったセリフがあるけれど、ここに収録されている六つの新藤兼人作品はすべて身のまわりの人たちを描いたものだ。
これまでも肺病で亡くなった最初の夫人を描いた「愛妻物語」、実家が没落し口減らしにアメリカに渡った姉を描いた「地平線」、母親を描いた「落葉樹」など、何本も直接身近な人を描いた脚本=監督作品があるが、ここに集められたシナリオでは描きもらした人たちが改めて描かれる。
看護婦になったもうひとりの姉や警官になった兄を描いた「おねえさん」、乙羽信子が亡くなるまでとその後の生活を描く「愛妻記」、一人暮らしになってから身のまわりの世話をしてくれるお手伝いさんを描く「お手伝いさん」、初体験の相手になった娼婦を描く「手帖」、幕末に暴れまわった免許皆伝の曽祖父を描く「霧の中」、すでに亡くなった人たちも含め「8 1/2」ばりにみんな勢ぞろいする「ロングタイムさいなら」。
ただ、思い出や体験をそのまま描いているわけではまったくない。どれもそこから独特の想像力の飛躍を見せる。
「ロングタイムさいなら」は全編それこそ想像と現実が渾然となった世界だが、「愛妻記」では亡妻そっくりの人形を部屋の中に持ち込むドタバタ騒ぎになったり、「お手伝いさん」では「しとやかな獣」ばりにほとんどマンションの一室から出ない作劇をとって、通いのお手伝いさんが地下鉄の穴に降りていくことが「鬼婆」で死体を放り込んだ穴を思わせる、どこか異界につながるような象徴的な扱いをしている。
考えてみると、新藤作品には泥絵具で描いた漫画といった趣の、一種独特なデフォルメが現れることがよくある。「讃歌」(春琴抄)の血を口からたらした新藤兼人自身のアップや、佐助が自分の目を針でつぶすのを巨大な目の模型に向かって槍投げよろしく巨大な針を持って全裸で走っていく姿で表したのは典型。
ただ、それらは概ねなんだこりゃ的な反応を呼ぶのにとどまる。
「原爆の子」にはじまる社会派のリアリズム作家としての顔の方が一般的で、ふつうの(というのも変だが)感動作「午後の遺言状」で好評を博したあと、似たような感動作かと思われた「生きたい」では部屋中にカラスをうろつかせたりする。
こういう一筋縄ではいかないイマジネーションを膨らませていく作家性、あえていうならウソツキぶりを「遺言」と銘打った作品集でも貫いているのがおもしろいし、先日の4月22日に百歳に達した高齢化社会での生き方のひとつの象徴以外にも、そういういわば裏の顔にも注目していく必要があるのではないか。
あと、前から不思議に思っているのだが、乙羽信子と不倫関係にあった時の二番目の夫人のことは決して出てこないのです。エッセイにも名前すら出てこない。「新藤兼人」展の年譜に載っているのを見たのだが、メモするのを忘れてしまった。
長男の次郎氏のインタビューで見たのだが、新藤監督が仕事が忙しいのと不倫とでほとんど家にいつかなくなっていた頃、たまに帰ってきて庭の木が伸びているなとぱちりぱちりと切っていると、すごい剣幕で夫人が出てきて木をばさばさ切ってしまった、ろくに寄り付きもしないでたまに帰ってきたらあてつけがましく庭の手入れが悪いと文句言いたいのかと怒ったらしい。怖っ。
意地悪いけれど、二番目の夫人の話も読みたかった。最後に家を出て行ってから亡くなるまで会わなかったというから一種の断絶状態だったらしいので難しくはあるけれど、ただどこかで作品に出ていると思います。「鉄輪」は「いつの時代も変らない女の嫉妬の話」(作者談)だったし。
…などと勝手なことを書いていたら、新藤先生が逝去された。この駄文をアップした14分後のことになる。なんか、バチが当たりそうだ。
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