エピソードとエピソードのつなぎ方がしりとりみたいで、食映画の先輩「タンポポ」にならったとも言えるし、さらにさかのぼるとルイス・ブニュエル「自由の幻想」に行き着く(伊丹十三その人がそう言っている)。
もっとも「自由の幻想」およびその姉妹編みたいな「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」は食のモチーフの取り上げ方が「孤独のグルメ」とは真反対で、食卓の椅子がトイレの洋便器になったり、食べたくても食べられない状況がなぜか続いたり、欲望に逆らってばかりいる。
テレビドラマ版だと井之頭五郎はとにかく幾皿も幾皿もすごい量を食べるが、劇場版では特に前半は食べてもオニオンスープとビーフシチューの二皿だけで、ことによると一日に一食くらいしか食べてないのではないか。その分、こちらもおなかがすきます。空腹は最良のソース。
遭難したからとはいえ、素性の知れないキノコと貝の鍋なんて大丈夫か、毒にあたりはしないかと思ったら全然大丈夫ではなかった。
食べ方もテレビのように口まわりに食材をまったくといいくらい見せないわけではなく、パンにシチューを乗せてかぶりつく程度には見せる。
調子が出てくるのは中盤、韓国料理を幾皿も並べるようになってからで、韓国式マナーでは料理を乗せた机の脚が折れるほど大盤振る舞いすると形容されるのも納得の歓待ぶり。
遭難して気が付いたら韓国領というのがさりげなく大胆。
しりとりを逆に辿るようにして塩見三省のおじいちゃんが昔食べたスープを再現していく組み立てが緩いけれど筋が通っている。
ガラケーを使っているのがゴローちゃんらしいというか。
松重豊がこのところ地の白髪姿で出ることが増えて、井之頭五郎とは別人格だと演じ分けている感じ。
上映前のCMで商品の種類を変えて三つも出ていた。