これだけ主人公の行動原理を理解できない映画も珍しい。
お話としては当然知っていても、ノアの家族以外の人たちが洪水で死んでたまるかと箱舟にわらわらと集まってくるのは当然で、彼ら全員を排除して家族だけ助かろうとするのを画で見せられるとずいぶんひどいことをしていると思うし、ノアの息子が好きになって一緒に連れて行こうとする女の子まで切り捨てるのだからずいぶん非情な話。
それだけ乱暴な真似をして家族だけはなんとしても生き延びさせるのかと思うと、これから生まれる孫が女だったら殺すとか言い出す。ここは本当に理解に苦しんだ。なんで、と首をひねるしかない。狂える船長にしか見えなかった。
さらに一緒に箱舟に積んだ動物たちが食い合いを始めるとなると、なんで箱舟に積んだのかもわからなくなる
神さまの声がありがたげに響くといった聖書もののルーティンは排除されているのだが、そうなると完全に神は沈黙して人間にはその真意はつかめないといったスタンスになる。
要するに、ノアが汲み取るのを強要される神の意思というのが、結局おそろしく理不尽で気まぐれで残虐なものだというのが根底にある。というか、生きていく上での理不尽さや残酷さを擬人化したものが神だと考えた方がいいのだろう。
しかもその理不尽さの上でなおかつ神は絶対となっているのだから、こちらが日本人で絶対神・人格神を信じていないというせいもあるのだろうがまるで納得のいかない話になる。
スペクタクルとすると、洪水の描写は意外と通り一遍で、神にさからい土くれに閉じ込められた人間という、手塚治虫の「火の鳥 復活編」に出てきそうなオリジナルキャラクターが出てくるが、それほど魅力なし。
この映画のわかりにくさというのは、出来の問題であるよりキリスト教自体が初めから抱え込んでいるムリがさらけ出された感が強い。
(☆☆★★)
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ノア 約束の舟@ぴあ映画生活
映画『ノア 約束の舟』 - シネマトゥデイ