メインになるちゃらんぽらんな遊び人だが魅力的な男と、真面目で優しいが魅力に欠ける男の対立って、考えてみると寅さんとマドンナの結婚相手との関係にかぶる。
ただし結婚する相手が遊び人の方という逆の展開になっている。
そういう相手と結婚して幸せになれるかどうかという問いの立て方ではなく、結婚相手も幸せになれるかどうかも決めるのも男ではなく女の方というのは、保守的に同じことを繰り返しているようで意外とちょっとずつ進んでいく山田洋次らしい。
リリー⋅フランキーが扮する監督は名前は出水宏と明らかに清水宏のもじり、シナリオを助監督に口述筆記(意外にもこれが後で効いてくる)させるのは木下惠介、撮影時のローアングルは小津安二郎という具合に松竹の大監督たちをカクテルした格好。
ラストに出てくる「東京物語」のもじり(わざわざエンドタイトルで断ってある)の撮影現場に、小津のトレードマークである白いピケ帽の監督がまた別に出てくるのが混乱する。
記念映画だから当然でもあるけれど、舞台の映画会社の名前がはっきり松竹になっている。
組合活動のビラがあちこちに貼ってあることから、昔は大勢正社員がいたのがわかる。
主人公のゴウは1942年生まれの設定だから1963年に亡くなった小津の撮影現場にはまず間に合わないのだが、まあ50年過ぎたら大昔ということでごっちゃになるのでしょうね。
作中に出てくる「キネマの神様」のスクリーンからスターが抜け出てくる話って明らかにウディ⋅アレンの「カイロの紫のバラ」なのだが、ちゃんとさらにその元ネタの(タイトルは全部言わなかったが)「キートンの探偵学入門」(
1924)に触れている。アレが結局一番面白くて天才的なのだけれど。
どうでもいいけど、作中の木戸賞の入選作の賞金は100万円だが、現実の城戸賞のは50万円。これだとストーリーを締めるにはちと足りない。
北川景子が昔の美人女優(原節子にあたるわけだが、こだわってはいない)の顔立ちと雰囲気を出していて、さらに人の恋路を応援するさばさばしたキャラクターで、女優というのはおしなべて男っぽい性格だというが、往年の大女優も案外そうだったのではないかと思わせた。
最近出た岸恵子の自伝などからも、男社会で伍するには自ずとそうなるのが伺える。
山田洋次の前作「お帰り、寅さん」があまりにもすっとこどっこいな出来だったのと、映画愛もの(というのか)「虹をつかむ男」がまた上滑りもいいところだった(映画館のドアが内開きだったりしていた、火事にでもなったらドアが開かなくなるので消防法で禁じられている)ので、かなりおそるおそる見に行ったのだが、予想より上でした。
撮影所は不良のたまり場といったセリフはあるが、そういう具体的な描写はない。山田組では競馬新聞を広げていた役者は出入り禁止になるというくらいだから、素行が悪い人間を肌では知る気もないだろう。
小林稔侍が経営するテアトル銀幕という映画館、古い日本映画をかけているのはいいとして、トイレが汚いのはいただけない。名画座なのかミニシアターなのか、鵺的な印象。
事務所の封筒に東宝の文字が見える。
フィルム上映しているのはわかるのだけれど、ワンリールがずいぶん大きいのはフィルムチェンジの省力化なのか?
どんな上映の仕方をしているのかよくわからなかった。
この映画のエンドタイトルでコダックのフィルムを使っていることが出る。富士フイルムではもうフィルムは作っていないものね。
一方で白組のVFXも取り入れている。スタジオは東宝撮影所を使った模様。
東京のコロナ感染者が連日5000人を越えている中、作中のダイヤモンドプリンセス号の感染のニュースを見て、エンドタイトルに志村けんの名前を見る、しかもこれを見る直前に千葉真一の訃報が入ってきた状態となると、なんだか眩暈がする。