prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ワイルド・スピード ジェットブレイク」

2021年08月30日 | 映画

そんなバカなと言う他ないけれど、言う方がヤボという文字通りぶっとんだシーンだらけ。
ただそれを本当に映像として実現してしまう金と技術には毎度ながら恐れ入る。

キャラクターがシリーズを通して消えたり現れたり悪役が善玉にひっくり返ったりとシリーズとしての一貫性がかなりいい加減なもので、このキャラクターどういう位置付けでしたっけと忘れていることがかなり多い。
いちいちシリーズを遡って見直すわけにもいきませんしね。
DCとかMCUにも言えること。
続けて見せようとする計算がちと目立つ。

なんか日本の描写があからさまに手抜き。
東京の空からの全景は明らかにストックショットだし、あとは居酒屋が並ぶ街のセットだけ。
看板の日本語も中途半端にいい加減で、笑えるほどおかしくもない。





「太陽の子」

2021年08月29日 | 映画
三浦春馬が結核なのでいったん軍隊から帰郷を許される、ということは結核患者を召集していたのか、さらに人が密集している軍隊宿舎に住まわせていたのかと呆れてしまう。
キャラクターの運命と演者とがかぶってしまうのは避けられず、なおさらやりきれない。

イッセー尾形の陶器屋がさまざまな色を出す釉薬用の鉱物を集めているのだが、実際に焼いているのは色のついていない白地の陶器、つまり骨壺ばかりというアイロニー。
この鉱物の中にウラン鉱石から作られる黄色のイエローケーキが混ざっている。

何度もイメージカットで銀色の玉が落ちるところを見せる。
それは核分裂をもたらす中性子でもあるだろうし、弟が帰ってきたところで玉が二つになるように、人の命でもあり、それが原爆で飛び散るイメージともかぶる。
ウランケーキの瓶が割れるところ、真空管が割れるところなどモノが落ちてバラバラになるシーンがいくつもあって、それらも分裂のイメージを増幅する役割を果たす。

しきりと英語で誰かと話すやりとりが入ってくるのだが、見ている間は誰だかよくわからなかった。公式ホームページを見るとアインシュタインらしい。声はピーター·ストーメアがあてている。
そうなるとアインシュタインって後半生はアメリカで過ごしたにせよ英語のネイティブだったっけとか、ストーメアにしても今はアメリカで活動しているにせよスウェーデン人だ(夫人が日本人だからこの役がまわってきたというわけでもなかろうが)

今の目で見ると、ウランもまともに供給できず、遠心分離機もまともに動かない状態では原爆開発競争のスタートラインにつくのがやっとで、経済力の裏打ちを持たないお寒い日本の実験物理学の水準の一方で理論物理は後にノーベル賞受賞者を何人も出すように高水準にあって、しかし物理学には理論と実験のどちらが欠けてもいけないわけで、跛行状態のまま実験型が逆に観念性にのめり込んでいくのがひとつの日本的思考パターンにも見える。
柳楽優弥の狂気がかった持ち味が文字通りの山場で出た。

NHKドラマの劇場公開版で、「スパイの妻」もそうだったがむしろ時代考証
含めて画面の厚みはいわゆる劇場用映画の大方を凌駕している。




「獣の棲む家」

2021年08月28日 | 映画
スーダンからイギリスに渡ってきたが、まだ正規の移民とも判定されず、古ぼけた公営住宅に押し込められた夫婦。
地元に住んでいるアフリカ系の若者たちに野蛮人呼ばわりされる、白人ではなく黒人に差別されるあたりから異様な感じが出る。

ホラーの構造と文体で社会問題を描く「ゲット⋅アウト」「アス」「返校」などと軌を一にしている。
ぺろりと古い壁紙が剥がれるあたり「バートン⋅フィンク」ばり。
シュールな表現に色々と工夫を凝らしている。

故国に残してきた人たちに対するサバイバーズ⋅ギルト(自分が生き残ったことに対する罪悪感)が根底にあると思しい。




「KCIA 南山の部長たち」

2021年08月27日 | 映画

朴正煕たちが本気で一種の理想を持って「革命」を起こしたつもりらしいのが怖い。そしてこの暗殺がまた軍事独裁を呼ぶというのがやりきれない。


暗殺シーン、イ⋅ビョンホンが血糊で滑って派手に転ぶのがリアルだし、さりげなく身体能力の高さを見せる。

いかにもおべっかを使いまくる新顔の側近に対する男の嫉妬がリアル。権力者の世界というのがもろにホモソーシャルなのがわかる。

当然ながら、韓国の現代政治にアメリカの干渉なしにはありえないのをはっきり描き出している。告発もアメリカで行われたあたり、ロッキード事件を見てもわかるように日本だってそうなのだが、なかなかここまで描けない。

出てくる盗聴器はこの当時のことで当然のようにSONY製。






「オリバー!」

2021年08月26日 | 映画
ディケンズの「オリバー・ツイスト」のミュージカル舞台の映画化。
監督がなんと「第三の男」のキャロル・リードで、意外にもという感じだが米アカデミー賞作品賞、監督賞受賞。
ちなみに同じ1968年には「2001年宇宙の旅」がある。

ミュージカルとすると70ミリ大作とあってあまり今みたいに自由自在にカメラを動かすというわけにはいかず、それがかえって腰がすわった感じで流麗さがむしろ増した。
群舞の撮り方、画面のまとめ方などさすがに「第三の男」のシャープさとは違うが優れた構成力を見せる。
裏町や市場や住宅街など大がかりなセットも見もの。

19世紀ロンドンが舞台とあって、くすんだ色調で統一した撮影が秀逸。撮影のオズワルド・モリスはすでに「白鯨」で色を殺す実験をしていたし、のちに「屋根の上のバイオリン弾き」でシャガールの色調をフィルムで出す試みをすることになる。

オリバーには当時9歳のマーク・レスターで、スリの少年役のジャック・ワイルドとはこの後「小さな恋のメロディ」で共演することになる。当然ながらともにいくらか幼い。

ビル・サイクス役がオリバー・リード。キャロル・リードの甥で手の付けられない不良だったので映画界にいるおじに預けられたのがきっかけで俳優になったというけれど、まことに鼻息荒い感じの悪党を威勢よく演じております。

対照的に暴力には頼らないスリで孤児を集めてスリに仕立てて上前をはねるフェイギン役にはロン・ムーディ。作曲や作詞、小説など多才であまり映画には出ていない人だが、顔だちがデヴィッド・リーン監督によるストレートプレイ式の映画化「オリバー・ツイスト」のアレック・ギネスに似ている。一般にああいうイメージなのか。
ちなみに原作ではフェイギンは死刑になるが、そこまで描いておらず、全体のストーリーもハッピーエンド的にまとめているのはやはりミュージカルだからか。




 

「戦争と人間」第一部「運命の序曲」 第二部「愛と悲しみの山河」 第三部「完結篇」

2021年08月25日 | 映画
日活製作。第一部は1970年8月14日公開、第二部は1971年6月12日公開、第三部は1973年8月11日公開。
日活では1971年の11月にロマンポルノ第一弾「団地妻 昼下りの情事」「色暦大奥秘話 」が公開され、大作で活路を見出すか、低予算のロマンポルノ路線に舵を切るか迷っていた時期にあたる。

第一部はタイトルにダイニチ配給と出る。系列の映画館が弱体だった大映と日活が提携した配給網だが、これが71年6月に瓦解したものだからその後は日活の単独配給になったらしい。

この頃の日活は共産党系の労組が強力で、ロマンポルノ裁判(1972~80)の時には労組の御用弁護士が監督被告は独占資本の要請に従って“退廃文化”であるポルノを作らされたといった弁論を繰り広げたものだから監督たちが制約はあっても作家としての表現としてロマンポルノを作ったのだと反発したり(斎藤正治「日活ロマンポルノ裁判ルポ」より)、会社が撮影所を売却したら労組が買い戻したり、最終的に労組の委員長(根本悌二)が社長に就任したりとずいぶんと組合が経営に介入している。
結局ロマンポルノ路線をとったわけで、本来東京裁判を描く第四部まで作られる予定だったが、製作費がかかり過ぎということもあって三部までで打ち止めになった。

左翼映画なのは別に隠しもしていない、どころかこれだけ左翼もどでかい映画が作れるのだぞとアピールしている格好。しかしどこからこれだけの製作費を調達したのだろうとは思う。
当然、軍隊内部のリンチや南京事件や三光作戦を堂々と画面に出して描いている(画面のリアリティとしては、こんなものではないだろう、と思うが)。
天皇の責任において中国と宣戦布告なき戦争が始まったとも第二部の終わりのナレーションではっきり言っている。
ただ中国人や朝鮮人の役が日本人俳優というのは、この時代の限界。

山本薩夫は党員であるとともに「赤いセシル·B·デミル」と異名をとった監督で、大勢の豪華キャスト(かなりの割合が新劇=俳優座・文学座・民芸の俳優、特に滝沢修の重鎮感)を縦横に使いこなし、メロドラマ的趣向に大々的な戦闘シーン、時にはエロサービスまで入れて(このあたり、聖書を題材にした説教くさい内容の割にお色気サービスも忘れなかったデミルに喩えられるゆえん)、同じ五味川純平原作の「人間の条件」が梶ひとりと軍隊内部に話を絞ったのに対して軍部や財閥なども取り入れて戦争に向かっていく日本をパノラミックな視点で描いている。あと、案外と金持ちの描写が堂に入っていて、「華麗なる一族」あたりにもつながってくる。わかりやすいとも言えるし、図式的で平板とも言える。
良くも悪くも(悪くも、ってことはないか)客を呼べる社会派映画を作れる人ではありました。

日活がロマンポルノ路線が行き詰まりロッポニカほか迷走した挙げ句に自爆的に製作していったん倒産する(その後ナムコ資本下で再生)きっかけになったのが、やはり戦前の大陸を舞台にした底抜け超大作「落陽」だったわけだが、一か八かの大勝負に出るとなると大陸に行きたくなるらしい。

冒頭、出演者名がずらずらっと五十音順でローリングタイトルで出るのだが、大変な数。それがちょっと遅れて女優陣の名前も出るのだが、これがかなり少ない。というか、前に出た大量の出演者が男優ばかりなのに気づかなかった。
戦争⋅歴史ものだと女の出る幕は少ないのだなと改めて知らされる(本当は出番いくらもあるはずだが)。

中国が重要な舞台になるわけだが、70年に日中国交回復したばかりとあって中国ロケは香港を除いてできず、青森県や北海道でロケしている。
第三部ではソ連ロケをしているわけで、このあたりの日共と中国共産党とソ連共産党との関係がどう絡んでいるのか、バックストーリーもいろいろありそう。

このノモンハンの戦いがソ連の戦車がごちゃまんと出てきて地平線まで一望でする風景といい一気にスケールアップしていて、提携効果満点という感じ。ここで終わったのはキリがいい感じ。

敗北した司令官たちがばたばた自決するわけだが、これ端的に言って恥を晒したくないええかっこしいの無責任。生き恥晒してなぜ負けたのか明らかにするのも司令官の任務のうち。






「オー!」

2021年08月24日 | 映画
ロベール・アンリコ監督、ジョゼ・ジョヴァンニ原作でジョアンナ・シムカスも出ているとはいえ、「冒険者たち」とはずいぶん調子が違う。

一番違うのがシムカスの扱いで、あんなに身も蓋もない扱いするものかと驚くほど。
ベルモンドのノンシャランな雰囲気にも関わらず、警察やマスコミのせいで更生できない恨みつらみが前に出ていて、どうもすっきりしない。





「イン・ザ・ハイツ」

2021年08月23日 | 映画
移民してきた祖国のドミニカらしき浜辺で主人公のが子供たちにワシントンハイツでの生活の話をしていく構成なのだが、何人ものキャラクターを並行して描いていくのが初めスケッチ集みたいだったのが、ラストできちっと組合わさる構成に感心する。
故国から移民してきたと同時に、今アメリカに住んでいる場所が故郷になっているという二重性が全体を貫いていて、それがラストで一体になる。

大学に行くにも学力だけでなく親の経済状態や人種から絡んでくるあたりや、経済発展と共に移民が住んでいる場所は再開発されて家賃がバカ高くなって住めなくなることが示唆されているのが痛切。

プールの群舞を真上からのアングルで抽象的な図形みたいに見せるのはバズビー·バークリー風、アパートの壁面で重力を無視した踊りになるのはフレッド·アステア主演の「恋愛準決勝戦」と往年のミュージカルの趣向を再生している。

ミュージカルとあって画と音のいいドルビーシアターを張り込んだのだが、スクリーンの大勢の登場人物それぞれに音が配分されているみたいなのが鮮明にわかる。




「わらびのこう 蕨野行」

2021年08月22日 | 映画
モチーフからすると「楢山節考」のような棄老の話なのだが、冒頭から「ぬいよい。おばばよい 」といった姑と嫁との方言でのかけあいが人間の口から出るセリフではなく、ナレーションのように画面外から聞こえてくるのがずうっと続くのが民話かおとぎ話のような調子(主演が市原悦子ですからね)で、死の場面でも露骨に骸骨を出してくるような描写ではなく、雪景色の中で半ば子供に戻ったような老人たちが雪合戦をするといった柔らかいタッチなのが魅力。
姑と嫁がこれだけ仲よく描かれること自体、日本のドラマとしては異色なくらい。

村田喜代子の原作のコトバそのものに恩地日出夫監督のタッチが加わった成果と思える。
市原悦子のずいぶんきつい方言でも何を言っているのかはっきりわかるセリフ術はさすが。

「日本の元風景を映像を通じて考える会」(でしたっけ)という会の製作とあって、ロケ地山形の風景美とそれを捉えた上田正治の撮影が凄い。
人工光のない世界にふさわしく明るいところと暗いところのコントラストが強くて、しかもバランスが崩れていない。





「キネマの神様」

2021年08月21日 | 映画
メインになるちゃらんぽらんな遊び人だが魅力的な男と、真面目で優しいが魅力に欠ける男の対立って、考えてみると寅さんとマドンナの結婚相手との関係にかぶる。
ただし結婚する相手が遊び人の方という逆の展開になっている。

そういう相手と結婚して幸せになれるかどうかという問いの立て方ではなく、結婚相手も幸せになれるかどうかも決めるのも男ではなく女の方というのは、保守的に同じことを繰り返しているようで意外とちょっとずつ進んでいく山田洋次らしい。

リリー⋅フランキーが扮する監督は名前は出水宏と明らかに清水宏のもじり、シナリオを助監督に口述筆記(意外にもこれが後で効いてくる)させるのは木下惠介、撮影時のローアングルは小津安二郎という具合に松竹の大監督たちをカクテルした格好。
ラストに出てくる「東京物語」のもじり(わざわざエンドタイトルで断ってある)の撮影現場に、小津のトレードマークである白いピケ帽の監督がまた別に出てくるのが混乱する。

記念映画だから当然でもあるけれど、舞台の映画会社の名前がはっきり松竹になっている。
組合活動のビラがあちこちに貼ってあることから、昔は大勢正社員がいたのがわかる。

主人公のゴウは1942年生まれの設定だから1963年に亡くなった小津の撮影現場にはまず間に合わないのだが、まあ50年過ぎたら大昔ということでごっちゃになるのでしょうね。

作中に出てくる「キネマの神様」のスクリーンからスターが抜け出てくる話って明らかにウディ⋅アレンの「カイロの紫のバラ」なのだが、ちゃんとさらにその元ネタの(タイトルは全部言わなかったが)「キートンの探偵学入門」(
1924)に触れている。アレが結局一番面白くて天才的なのだけれど。

どうでもいいけど、作中の木戸賞の入選作の賞金は100万円だが、現実の城戸賞のは50万円。これだとストーリーを締めるにはちと足りない。

北川景子が昔の美人女優(原節子にあたるわけだが、こだわってはいない)の顔立ちと雰囲気を出していて、さらに人の恋路を応援するさばさばしたキャラクターで、女優というのはおしなべて男っぽい性格だというが、往年の大女優も案外そうだったのではないかと思わせた。
最近出た岸恵子の自伝などからも、男社会で伍するには自ずとそうなるのが伺える。

山田洋次の前作「お帰り、寅さん」があまりにもすっとこどっこいな出来だったのと、映画愛もの(というのか)「虹をつかむ男」がまた上滑りもいいところだった(映画館のドアが内開きだったりしていた、火事にでもなったらドアが開かなくなるので消防法で禁じられている)ので、かなりおそるおそる見に行ったのだが、予想より上でした。

撮影所は不良のたまり場といったセリフはあるが、そういう具体的な描写はない。山田組では競馬新聞を広げていた役者は出入り禁止になるというくらいだから、素行が悪い人間を肌では知る気もないだろう。

小林稔侍が経営するテアトル銀幕という映画館、古い日本映画をかけているのはいいとして、トイレが汚いのはいただけない。名画座なのかミニシアターなのか、鵺的な印象。
事務所の封筒に東宝の文字が見える。
フィルム上映しているのはわかるのだけれど、ワンリールがずいぶん大きいのはフィルムチェンジの省力化なのか?
どんな上映の仕方をしているのかよくわからなかった。

この映画のエンドタイトルでコダックのフィルムを使っていることが出る。富士フイルムではもうフィルムは作っていないものね。
一方で白組のVFXも取り入れている。スタジオは東宝撮影所を使った模様。

東京のコロナ感染者が連日5000人を越えている中、作中のダイヤモンドプリンセス号の感染のニュースを見て、エンドタイトルに志村けんの名前を見る、しかもこれを見る直前に千葉真一の訃報が入ってきた状態となると、なんだか眩暈がする。




「子供はわかってあげない」

2021年08月20日 | 映画
実の父親に会いに行くというと昔の日本映画だったらどれだけ湿っぽくなったかと思わせるが、時代が変わったのと、沖田修一監督のタッチと、ごくさっぱりした仕上がり。

豊川悦司がちゃらんぽらんな割に妙に男っぽく可笑しい父親役で好演。
なんでもないようだけれど、未成年に酒飲ませるシーンなどテレビだとやりにくいのではと思った。

並んでいる習字があまり上手くないのがリアル。
海の風景が爽やかで、いかにも夏休み映画という感じ。

上白石萌歌、細田佳央太のペアのもじもじしている感じがかわいらしい。
斉藤由貴の母親が美人と言われて相好を崩すのが笑わせる。

劇中アニメが力が入っていて、エンドタイトルでも一本の映画なみの名前が並ぶ。




「返校 言葉が消えた日」

2021年08月19日 | 映画
ジョーダン⋅ピールの「US」から目立つようになった、ホラーの器あるいは仕掛けを社会派的なテーマに生かす作りのひとつ。
もっと遡ると「パンズ⋅ラビリンス」さらには「ミツバチのささやき」にまで通じるだろう。

独裁政権下の台湾の白色テロの恐怖と、ホラーゲームのグロテスクなクリーチャーや殺しの趣向とが結び付いている。というか、もとのゲームがそういう作りらしい。
クリーチャーの口の中に鏡のようなものが見えるのがどこか暗示的。

検閲によって直接的な発言ができない時にメタファーとして象徴的詩的表現に置き換えることはままあることだが、そうせざるを得ない抑圧された監視社会を潜りぬけた上で自由に発言できるようになった時に、一番勢いと力のある映画が出てくる気がする。
台湾しかり韓国しかりで。
50年代の日本映画もそうだったのかもしれない。

ホラーが流行るのは平和な世界だからという説があったけれど、世界がホラー化したものだからぐるっと回ってごっちゃになってきている感じもする。




「危険を買う男」

2021年08月18日 | 映画
ストーリーやアクションを一途に運ぶよりは細かいところでちょっとづつ遊びが入るのがフランス映画的だし、フィリップ⋅ラブロ監督のタッチでもある。
大金を入れているアタッシュケースになぜか東京オリンピック1964のマークが貼ってあるとか、特に意味なくメリーゴーランドをちょっと長めに撮るとか。

ブルーノ⋅クレメールがタカと異名をとるサイコパスの殺人狂役で、警官に化けたり本職はパーサーだったりと七変化的にコスプレ交えて凝って演じている。顔が猛禽類系なのがぴったり。
映像特典のラブロのインタビューで、ベルモンドと演劇学校が一緒で共演できたのに励みになったのと、この演技で評価と人気を得たと語られるのも納得。

タカが若者をもっぱら利用する一方なのに対してベルモンドがちゃんと面倒みているのが対照的。

エンドタイトルにベルモンドの名前が出ない。バックにどアップが出ているのだから必要ないということか。

ラブロは同じインタビューでペキンパー=マックイーンの「ゲッタウェイ」に敬意を示している。ショットガンを使っているのはその影響だろうけれど、ただ散弾がバラけるショットガンを近距離で撃ってわざと外すというのはムリがあるように思った。




「ドント⋅ブリーズ2」

2021年08月17日 | 映画
十歳くらいの女の子が出てくるので、一作目の終盤の山上たつひこばりのトンデモ展開の続きかと思ったら関係なし。

盲目の老人が案に相違してバカ強いという意外性は二度は効かないわけで、別に老人の過去にやったことを持ち出してきているのだが、どうも続編というにはとってつけたようでつながりがいささか弱い。

どうも今回の爺さま、目が見えてるんじゃないかと思うような雑な演出演技が目立つ。
暗闇の中では盲人の方が有利という設定は繰り返せないので、普通に明かりがある中の目明きと盲人との戦いとなると「座頭市」あたりを参考すればよかったのではないか。

終盤にまたトンデモ展開があるのだけれど、これまたとってつけたような印象は免れない。

犬の扱いで上手いところあり。




「夜叉」

2021年08月16日 | 映画
高倉健の東映退社以後の作品はだいたい見ていたのだが、これはすっぽ抜けていた。

どこかしら他の主演作に似てしまっている。居酒屋の女との関係は「駅 STATION」、いったん足を洗おうとしたヤクザがやはり洗いきれないのは「冬の華」、あといささかマイナーだが回想シーンで白いスーツでキメているのは「神戸国際ギャング」と。
あと雪景色がバックというのもお馴染み。
田中裕子は「あなたへ」、いしだあゆみは「駅」でも共演しているので前後関係はともかく既視感あり。

どこかで見たようなシーンが多いし、木村大作のカメラはすごいんだけど、すごすぎてワンカットごとにいちいち停滞しているみたいな感じになる。

おやと思ったのはふつう善人役者の下条正巳(三代目おいちゃんだものね)に殺られ役をふったこと。のちに北野武監督「キッズ・リターン」でやっていたキャスティングだ。

たけしは得意の暴力性を全開にしているわけだけれど、役者としての暴力性と監督としての暴力性というのがシームレスに地続きというのはメル・ギブソンもそうだけれど、不思議でもあるし、当然の気もする。