prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ジ・オファー ゴッドファーザーに賭けた男」

2022年07月31日 | 映画
「ゴッドファーザー」のプロデューサーのアルバート・S・ラディの自伝「The Offer」が原作だが、もう一人のプロデューサー、ロバート・エヴァンスの自伝「くたばれ!ハリウッド」ではコッポラによるファースト・カットが2時間しかなくて、これでは予告編だとエヴァンスが言い出し、コッポラが最初に提示した家族の物語にして3時間にしたと書いてある。だものだから映画館主たちが「映画を長くしろと言うなんて、エヴァンスという奴はLSDでもやっているに違いない」と言われたと。

しかしここでは普通に会社上層部が3時間では回転が悪いから2時間にしろと圧力をかけてきたのをしのぎきったという描き方になる。
どっちの言い分が正しいのか知らないが、あれだけ映画が成功すれば手柄は奪い合いになるということだろう。

映画会社のパラマウント自体が売却の対象になりそうになったり、イタリア系移民を侮辱するものだととい抗議がきたり、フランク・シナトラがマフィアに結び付けられるのを嫌ってと手を携えて圧力をかけてきたり、絶えずマフィアとの折衝に神経をすり減らしたり、今でこそ奇跡のキャスティングに見えるけれど、当時は不入り続きだったマーロン・ブランドに無名に等しかったアル・パチーノとそこに至るまでの大混乱ぶりに笑いながらよく完成したものだと思う。

ラディの秘書ジュノ・テンプルが縁の下の力持ち的な役割で有能なのに女性でしかもブロンドなものだから軽く見られている感じは今の視点。

マフィア関係はわからないが映画界の登場人物がわかる限りすべて実名というのが凄い。
ダン・フォグラーのコッポラがまだ大監督になる前の髭を生やした若造に見える。
マシュー・グードのエヴァンスがハンサムで調子がよい一方ですぐ激昂するキャラクターをよく出した。

シチリアロケにコッポラがこだわってついに勝ち取るまでの大騒ぎ、シチリアのレストランでここを使いたいと言い出してオーナーに借り賃50000リラと吹っ掛けられたと思ったら35ドルでしたという笑い。

アル・パチーノ役のアンソニー・イッポリトが、パチーノの上目遣いをそっくりに再現したのには笑った。パチーノが撮影の合間でも役から出ようとしないのは他の映画でもそうらしいが、そういうメソッド演技を他の俳優がまた再現するあたり、なんだかポップアートみたい。

完成した映画が大きな成功を収める場面、マフィアたちに見せる試写でニーノ・ロータの音楽だけ流してスクリーンは見せず、それぞれの泣いたり笑ったりする顔がずうっと続くシーン、そしてアカデミー賞授賞式でも壇上は見せずどきどきしている関係者一同の顔だけ映すあたりが含みを持たせて良い。

クリエーター・脚本はマイケル・トルキン。ロバート・アルトマンのハリウッドの皮肉な内幕もの「ザ・プレイヤー」の原作者で脚本家。
あれで成功したせいか、今回はドタバタぶりは残すが、ストレートな映画賛歌に近い。



「マロナの幻想的な物語り」

2022年07月30日 | 映画
いきなり「死」から、しかも犬の死から始まるところからして、かなり異様。
色彩もあえてパースが混乱した作画も幻想的というか絵画でいうと野獣派みたいな印象を受ける。
長編でこれだけアーティスティックなアニメ作るとなると大変だろうと勝手に心配した。

日本版吹替をのん(能年玲奈)さんがやっているのだが、多分オリジナルとはかなりニュアンスが違うのではないか。





「ソー ラブ&サンダー」

2022年07月29日 | 映画
クリス・プラットやクリスチャン・ベールといったれっきとした人気スターたちがなんでもないように特にフォローなしだったり、顔がまるでわからないで出てきたりするというのは、贅沢なんだか浪費なんだか、なんだか妙な気分になる。
ブラッドリー・クーパーやヴィン・ディーゼルは声だけの出演。

世界観の設定がかなりわかりにくく、なんで癌のステージ4の人が別の世界?で神様でヒーローになるのだろう、というあたり、正直呑み込みずらい。

神が冒頭であっさり殺されてしまったり、神の集会のすごいキンキラ趣味など、一神教の神ではなくギリシャ神話の神さまみたいな存在らしいなと思った。

少し泥臭い喜劇味は監督(出演もしている)のタイカ・ワイティティの趣味か。





「海上48hours 悪夢のバカンス」

2022年07月28日 | 映画
サメ映画、といってもピンは「ジョーズ」から色々あるが、キリのアサイラム製みたいに小学生の空想をまんまCG技術である程度もっともらしく見せられるのを映画館に持ってくるのはさすがにはばかられたみたいで、系統とすると「ロング·バケーション」式の海の中でサメが寄ってきて動きがとれなくなるワン・シチュエーション·スリラー。

キャストはちょっと顔を出すだけの役含めてきっちり7人で、冒頭から呑んで騒いで調子こいたノリで翌朝水上バイクで海に乗り出した5人の若者たちが事故を起こして身動きできなくなったところでサメが寄ってくる。

そこからどう助けを求めるかあの手この手を尽くして見せるのは定番ながらちゃんとやっている。
初めはまるで同情を呼ばないようなキャラも展開につれて次第にある程度感情移入できるように描きこんではいる。

ただサメが本能とか習性ではなく映画の作り手の都合で動いているのが丸出しで、あれだけ人が血を流していればまずそこを襲うだろうと思っていたらそういう優先順位がいい加減で、わざわざかなり遠くまでケガしたわけでもない人間を襲いに行ったかと思うとまた戻ってきて、人間以外にもエサはありそうなのにわざわざ「ジョーズ」よろしく執拗に特定の人間たちや食べられもしない船を狙ったりする。

こうやって比較してみると、「ジョーズ」の演出がいかにサメの(ありえない)意思みたいなものを思わせて不自然に思わせない腕前というのがとんでもなく天才的なものなのかがわかる。

比較するのはヤボ、には違いないが、冒頭から海中をまさぐるようなサメの主観ショットとか、人が泳いでいるつもりで海中から見上げると不器用にじたばたしているようにしか見えないショットとかを多用しているからイヤでも思い出すし、それを利用もしている。

ただ技術の進歩というのは大したもので、海原の大俯瞰というのは昔だったらそうそう撮れなかっただろうが、ドローンを使ったであろう高度から捉えたショットが随所に使われて孤立感を自然に出したし、それがそれなりに効いている。

あまりホメる気はしないが、85分と短いせいもあって退屈はしない。
午後のロードショー向き、というのかな。

ロケ地はマルタ、生き物は傷つけてませんという定番のお断りが出たのかもしれないが確認できず。
サメはCG製か波間を機械で背びれだけ動かしたのか、フルショットに近い獲物を咥えた画はちょっとよかった。





「華氏451」(2018 HBO版)

2022年07月27日 | 映画
一度フランソワ・トリュフォー監督で映画化されたレイ・ブラッドベリ原作を
マイケル・B・ジョーダン主演、監督ラミン・バーラニで再映画化。

紙の本そのものが消費物化して今や存続するかどうか怪しい時代に、焚書だけ同じように扱ってもなんだかちぐはぐ。
電子書籍に替えるわけにもいかないし、メディアの情報管理による思考停止化はすでに酷いことになっていて、この世界どころではない。

トリュフォー版だと映画と同じくらい本が好きなトリュフォーらしい、モノとしての書物に対する愛情が出ていたけれど、中途半端にデジタル化された世界観とあってはそうもいかず。

ディストピアSFだからか、やたらと画面が暗くて見ずらい。
ラストシーンも封切り版の「ブレードランナー」かと思わせる。




「ベイビー・ブローカー」

2022年07月26日 | 映画
「万引き家族」もれっきとした犯罪者一家(といっても血はつながっていない)の話だったし、それが日本の恥を晒しているかのようなアホな批判もされたわけだが、犯罪性そのものはフィクションに許された範囲と別に見ていてひっかからなかったのだが、今回の赤ちゃんを連れての道中は微妙にひっかかるところがある。

「万引き」の子供たちも無力だけれど、赤ちゃんとなると一人では本当に何もできないわけで、ああ不安定な状態にずっといるとどうも落ち着かない。

刑事たちがなぜ泳がせておくのかも不可解。背後に大掛かりな人身売買組織でもあってそのボスを捕まえるためとかいう理由があるわけではないから、早く赤ちゃん保護しないのかと思った。

韓国では淡泊すぎるといった感想がかなり聞かれたというが、監督の監督が同じモチーフを扱ったらどれだけこってりしたものになったかと思う。

赤ちゃんが本当に大きくなっていくのにはびっくり。





「モガディシュ 脱出までの14日間」

2022年07月25日 | 映画
クライマックスのカーアクション自体も凄いが、銃撃に備えて本で脱出用の車を覆うのは、暴力に対してあくまで理性、国際法のルールによって守られる象徴という意味もあるのだろう。

子供がオモチャ感覚で本物の小銃を振り回す怖さが凄まじい。

韓国の大使館員が(たぶん)テコンドーの型をやると、現地のソマリア人タクシー運転手が、「ブルース·リー!」とヘタなカンフーの真似をする。ありそうな話。
ハードな内容でも前半は結構ベタな笑いを入れてくるのは最近の韓国映画では普通みたい。
韓国大使役のキム・ユンソクが二枚目のチョ・インソンに対して三の線という組み合わせになっている。

ホ·ジュノの北朝鮮の大使がはじめ悪役がかった役として出てきて、圧倒的な暴力が支配する世界ではさすがにビビり、最終的に韓国の大使と信頼関係を作るまでに至るプロセスを演じる、さすがの振り幅。

北の外交官は家族を一人平壌に残すというのは、つまり人質ということだろう。

北と南とが対立しながら食卓を囲むシーン、毒など入れてないぞというのを示すために相手のを交換して食べるのが、食べ物をシェアして親交をふかめる図に自然に移行する。食べ物関連の名シーンがまたひとつ生まれた。





「ある結婚の風景」(2021年HBO版)

2022年07月24日 | 映画
1973年のイングマール・ベルイマン製作・脚本・監督、リヴ・ウルマン、エルランド・ヨセフソン主演によるスウェーデンの全六話4時間43分のテレビシリーズ(翌年、2時間49分に再編集された劇場版も公開)を、ジェシカ・チャスティン、オスカー・アイザック主演でアメリカHBOでリメイク。全五話で4時間46分だから、ほとんどフォーマットは同じ。

こういう夫婦、あるいは男女で徹底的にコトバを交わすしつっこさとスタミナは日本の風土ではほぼ見られない。
オリジナルについて、佐藤忠男は言葉を武器にしたヴァイオレンス・アクションと形容した。
また東陽一は、日本のドラマのダイアローグはえてして表面をひっかくだけか、あるいは完全に関係を切ってしまう、それを言っちゃおしまいかだが、このドラマはちょっとづつ互いに傷つけ合いながら、しかし深いところの絆は離さないでどこまで言い合えるか試しているみたいと評した。

こういうオリジナルの美点は時代や国を変えても両演技者の力量ともどもほぼ受け継がれた。
監督はイスラエル出身のハガイ・レヴィ。強いて演出タッチは真似ていない(真似できるものでもないし)。

各エピソードの最初の方で撮影風景そのものからカチンコ(ボード)が鳴ってドラマが始まるという技法を使っているけれど、意識したのかどうなのか、やはりベルイマンの「狼の時刻」でやっていること。

主役ふたりが共に製作総指揮executive producerに名を連ねている。さらにイングマールの息子ダニエル・ベルイマンDaniel Bergmanの名前もある。幼児の頃を父親が撮ったホームムービー「ダニエル」というのもあるし、タルコフスキーの「サクリファイス」では助監督、自らの監督作「日曜日のピュ」もある。

第二話で不倫したのを告白するのが夫ではなく妻になったり、有色人種の出演者がいたり、第五話でオリジナルでは夫が一方的に暴力をふるうのだが、今回は妻がやり返す、とかあからさまなセックスシーンが入ったりしたといった細かい違いはある。

オリジナルでは長いことまったく愛のない結婚生活を送ってきた老婦人が、弁護士のウルマンのところを訪れてこのまま無理に結婚生活を続けたら、生きている感覚そのものが磨滅してしまうかもしれないと言って、そこにテーブルに置かれた老婦人の手のアップが入るのがベルイマンにしかできない強烈な表現だったが、そこは強いて真似せず、夫の母親が夫を失った後の述懐に替えている。

親や子供といった周囲の人物の出番も増えた。というか、ある程度描きこむのが普通で、オリジナルのようにほとんど二人っきりの芝居で通す方が珍しい。

日本語吹き替え版は、実生活でも夫婦である山路和弘と朴璐美が演じる、 というのか一種の売りでもある



「テルマ」

2022年07月23日 | 映画
雪景色の中で鹿を追う父親の猟銃の狙いが、ふっと幼い娘に向けられる、という不穏にも程があるオープニングから、その娘が成長しても記憶がところどころすっぽ抜けているのがまたサスペンスになる。

冒頭に「この映画は強い光が点滅します」という注意書きが出るが、これが本当に強い光。映画館で見たら気分が悪くなったかもしれないレベル。

北欧の冷え冷えとした風景自体が何かを孕んでいるようなタッチ。窓ガラスに鳥がぶつかって死ぬ不自然なバードアタックは「ハッチング 孵化」にもあった。

親から離れて解放されるきっかけが同性愛というのも特別視はしていない。





「ジョー」

2022年07月22日 | 映画
1971年公開。U-NEXTにて。
てっきりタイトルロールのジョーを演じるピーター·ボイルが主役なのかと思ったら、確かに主役と思うほどに印象と存在感は強烈だけれど、あくまで脇のキャラクターでした。

というか、通常のドラマを背負うにはキャラクター自体が揺さぶられたり変容したりするものなのだが、ボイル扮するジョーは終始一ミリも変わらない。
たとえば今だったらトランプ支持者はこうでもあろうかと思わせるくらいゴリゴリのヒッピー(死語)嫌い、都会人嫌い、有色人種嫌い、進歩派リベラル嫌い、銃が大好きのブルーカラーで、当時現役だったアメリカンニューシネマの逆張りというか、むしろニューシネマの方がこういう風土に対するアンチとして発生したのだろうが、草の根保守とはこういうものかという生々しさとしぶとさを見せつけられる。
保守というか石頭というか、こういうオヤジいるいる感が凄い。

ストーリー上の主役はデニス・パトリック扮する広告業界のホワイトカラーで、服装からしてボイルとは段違いにリッチな筈なのだが、娘のスーザン·サランドンが家出して麻薬の売人と同棲したりしている恨みから見るからにブルーカラーのボイルと共感するようになる。
そうやって引きずられていった末の結末で一気にニューシネマのテイストに戻る。

若い(23か24)サランドンがゴールディ·ホーンかと思うくらい目が大きくてキュートなのにびっくり。
出てきた途端ヌードになる(風呂に入るだけだが)のもびっくり。
麻薬に対する忌避感があまりないのは時代のせいか。

監督はのちに「ロッキー」を撮るジョン·G·アヴィルドセン。
プアホワイトの生活実感が描けるから起用されたのではないかと思う。さらに自分で撮影もできる(つまり人件費削減に寄与できる)のは当時珍しかっただろう。

ピーター・ボイルというとハゲの印象が圧倒的に強いが、毛があるとこんな感じ。





「炎のデス・ポリス」

2022年07月21日 | 映画
砂漠の真ん中に孤立している警察署にわざと警官を殴ったり酔っぱらい運転で警察車に突っ込んで逮捕された男たちがぶちこまれる、のは何が目的か、というのを徐々に明かすのと、彼らを狙う相手が警察相手でもお構い無しに重武装で襲ってきて、さらには警察内部にも悪党がわさわさいるという展開はかなり面白い。

ただ、いかになんでも人をばたばた簡単に殺し過ぎ。刺激にはなるが、かえって後の展開を縛ってしまった感はある。

ジェラルド·バトラーのキャラクターがジョン·カーペンター「要塞警察」のナポレオン・ウィルソンっぽい。
あまりちょいちょい使うわけではない言葉(デジャヴとか)の使い方が凝っている。

唯一まともな警官が黒人女性というのはPC配慮か。

オープニングのタイトルバックに流れるのがラロ·シフリン作曲の「ダーティハリー2」のテーマ(エンドタイトルでちゃんと表記される)というのはなんでだかよくわからない。格好いい曲には違いないが。

エンドタイトルにケータリング担当の名前が出るのは今や当然だがdish washerつまり皿洗いまでクレジットされるのには驚いた。

B級っぽいのは嬉しいが、警察署から出てくるところですぱっと終わって欲しい気はした。





「アルピニスト」

2022年07月20日 | 映画
作中でアルピニストのマーク・アンドレ・ルクレール が取材の申し込みに対してカメラが回っていたら「単独」登頂ではなくなるからと言って断るくだりがあるのだが、これは見る側としてもいつも微妙にひっかかるところでもある。

つまり望遠レンズで遠くから撮ったり、ドローンで空中から撮っているのならまだしも、登っている姿を上から撮っていたりすると、どうやってカメラをセッティングしたのだろうと思ってしまう。
そのあたりのメイキングというのも見てみたい。

マークは一種の発達障害らしくておとなしく授業を受けたりはできないので、おそらく会社勤めなどはムリだろうと母親が言うのだが、幸いというべきかアルピニストとしての才能を思い切り開花させることになる。

氷に壁にハーケンを打ち込むとぼろぼろと簡単に崩れていく。ここを登るというのは素人にはほとんど正気の沙汰に思えない。なぜ登るのだろうというと、そこに山があるからだなんて反射的に思ってしまうのだが、元のジョージ・マロリーにとっては誰も登ったことのない山、エベレストがあるからという具体的な目標だったというが、やはり前人未到の業績というだけ以上の不思議な意思を感じてしまう。

下世話な興味だが、いくら最小限の装備で登るにせよ、外国に行ったりするのだから一定の費用はかかるだろうが、それはどう手当てしているのだろう。





「地獄」

2022年07月19日 | 映画
新東宝の映画というのは当時とすると低予算らしいが、黒沢治安美術、森田守撮影の画面の質は相当高い。自前の撮影所は持っていたのは強いということか。

画面の黒い部分が本当にどす黒いという感じで、その中で吊り橋のシーンの赤い傘や白い花の色彩効果などが目をさす。
ティルトダウンしすぎて画面が上下逆さになるのも効果的。

ただ肝腎の地獄の責め苦の描写が見世物小屋みたいな単純なトリックで、グロというよりちょっと笑ってしまう。
同じ中川信夫監督の「東海道四谷怪談」の天知茂・沼田曜一の役どころが気が小さいために悪事に手に染める男とメフィスト的な怪人と現代劇と時代劇の違いこそあるがそっくり。




「ビリーバーズ」

2022年07月18日 | 映画
時あたかも統一教会への恨みが元で安倍晋三元首相が殺された直後の見参になった。

とあるカルトの信者の中年男、若い男、若い女の三人が離れ島で共同生活を送りながら、自分の信心が世界を救うと本気で考えて修行に励んでいる。
孤立した環境で信仰に凝り固まった連中が一方で腹痛や性欲といった生理的な現実と葛藤するのが不気味にしておかしくもある。

後半、現実かと思っていた状況が夢か幻想でしたという調子で落とす場面が増え、ワンカットで過去の情景が入り込んだりする。
このあたり、思い込みの世界に生きている信者の心象風景の反映でもあるだろうし、映画表現としても魅力的。

「先生」と呼ばれるカルトのトップを原作者の山本直樹が演じているのが、この世界の大元を作った人としてぴったり。
宗教カルトというばかりでなく、左翼カルトの要素も(幻想シーンの中だが)入ってくる。
山本が連合赤軍をモチーフにした大作「レッド」を描いていたのも思い出す。
クライマックスの機動隊の出動も左翼運動の弾圧のイメージっぽい。

風景がきれいなのがかえって不気味。




「エルヴィス」

2022年07月17日 | 映画
オープニングのワーナーのタイトルからして派手というかケバいこと。
エンドタイトルまでケバい。
エルヴィスのショーのイメージか、監督のバズ·ラーマンの趣味か。たぶんその両方。
とにかく映像も音もたっぷりこってりという感じ。

エルヴィスが少年時代、貧しくて黒人たちにごく近い環境にいたことから自然に黒人音楽のブルースやゴスペルの影響を受けたこと、腰を激しく振るのも女の子たちがキャーキャー言うのも白人保守層はセックスを連想したはずで(無理に押さえつけている分、逆に頭の中はそれで一杯)、黒人に白人が性的に侵略されているのではないかという恐怖が顔にもろに出ている。

アメリカ支配層はたとえば兵役につかせるという形でエルヴィスをいわば去勢しようとするが、あくまで逆らい去勢しきれないのがドラマの軸になるし、パフォーマンスのエネルギーの素にもなる。

なんでエルヴィスは来日、に限らずワールドツアーをしなかったのかというと、マネージャーのトム·パーカー大佐なる人物がオランダ出身の不法移民でパスポートを持っておらず、外国についていくことができないから、とはっきり描いている。

この世にも怪しげな大佐(でもなければ、トムでもパーカーでもない)なる人物をトム·ハンクスがおそろしく凝った肥満メイクで演じていて、もともとのハンクスのジミー·スチュワートの再来みたいな好感度の高いアメリカ人代表みたいなイメージの一方で狂気を閃かす持ち味を前面に出した。

大佐はエルヴィスの莫大な稼ぎを徹底的に搾取したわけだが、一方でエルヴィスのパフォーマンスに感動したり一体感を持ったりしているのもおそらく本気だと思わせるのもハンクスの持ち味だろう。

この大佐の語りで全編を進めていくわけだが、文字通りの信頼できない語り手であって、どこまで本当なんだかと常に疑わせる。

エルヴィスを演じたオースティン·バトラーはよくもまあと思うほど腰の回転はじめパフォーマンスを再現した。

エンドタイトルでラップ調の「監獄ロック」が流れるのは、エルヴィスの音楽が今でも影響を与えていることを示したいのだろう。