白髪三千丈式の中国的ホラ話体質が入った日中戦争もの。
といっても、最近よく非難されているような日本に受けた被害をボリュームアップして言い立てる作りではおよそなく、リアリズムと寓話性とが白黒画面の中でふてぶてしくせめぎあって、公式的な戦争についての言説を左右を問わず蹴飛ばすかのよう。
たとえば、剣の名人と名乗る爺さんが西太后のもとで八人の大臣の首をはねた時、飛ばされて転がった首が、まばたきしてにっこり笑ってその手並の見事さに感謝した、なんて話が出てくる。さらにその子孫が五代にわたってその剣の腕を称えてお参りしているというのだから、ンなバカなことがあるか、第一この時代からするとそんな昔のはずないだろう、と言う他ない。
しかも、このホラがちゃんと後であっと思うような形で効いてくるのだから驚く。
冒頭に日本兵たち二人が入った麻袋を持ってきたのは一体誰なのか、「銃」ひとつに抽象化した形で描いていて、その銃が「馬賊」を思わせるモーゼル、というあたり、いろいろと想像を刺激する。
日本軍の隊長が織田信長気取りなのか、「人間五十年…」などと敦盛を歌っている。
虐殺場面で威勢良く軍楽がブカブカやっている対位法的効果。
深刻な場面でロバが馬とつがおうとしだすあたりの、今村昌平をちょっと思わせたりする土俗的でエロいユーモア。
「生きて虜囚の辱めを受けず」というのが建前の日本兵が麻袋に詰められて自死できない(というか、初めからしようとはまったくしていない)のが、後半の凄惨なストーリー展開の肝にもなっているわけだが、このあたり、日本軍というのは軍隊といえるのかな、とすら思える。
軍の使命は勝つこと、少なくとも負けないことであり、捕まったからといって死ぬのはまったくのムダで、捕虜には捕虜なりに戦う方法はある、といった前提がなくて、ええカッコして死ぬことばかり考えてるのだね。
そのくせ、いざ実際に捕虜になるとおしなべて掌を返したように従順になった、というのだから、敵とどう戦うかではなくて、仲間内でどう見えるかばかり気にしていたとしか思えない。
香川照之の本作出演時の記録
中国魅録―「鬼が来た!」撮影日記は、「映画の百倍は狂っていた」製作現場を描いて秀逸。
(☆☆☆★★★)
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