ずいぶんしばらくぶりの再見だが、東京に名画座というものが何十もあった時代にはこの「ベニスに死す」と「地獄に落ちた勇者ども」のルキノ・ヴィスコンティ二本立てがそれこそひきもきらずという感じであちこちの名画座でかかっていて、こちらも河岸をかえては再見した(最初見た時は、「砂時計」云々のセリフあたりであまりにのったりしたテンポに飽きて途中で出たのだが)。
中でも印象的なのは大塚名画座で上映されたのを見に行ったところ、あまりに人が詰めかけていて、邦画専門の姉妹館であった鈴本キネマでの上映(「ピンク・レディーの活動大写真」ほかというから時代がわかる)を急遽中止し、二館入れ替えながら入りきらない人は整理券をもらって待つ、という上映方法にしていた。劇場の人が「こんなに客が来たのは開館以来だ」と呟いていた。
それで整理券をもらって待つ間、近くの古本屋で買ったのが角川文庫版で深井国のイラストの表紙の沼正三「家畜人ヤプー」だったというのは、余談。
ちなみに「ベニスに死す」上映の破裂しそうなくらいぱんぱんの劇場(今みたいに定員入れ替え制ではないからそうなる)で、ピンク・レディー目当てだったと思しきおっさんが何を間違えたか紛れ込み、わけがわからんとしきりと文句をとばし、あのおやじ(映画のダーク・ボガート扮するアッシェンバッハ)は頭がおかしいのではないかとのたまっていた。つまみ出そうにも満員で動きが取れないのだった。
それはともかく、いくら久しぶりとはいえ何べんも見た映画だから、さほど新しく気づくところもないだろうと思えたが、なんのなんの。以下、記す。
舞台になる20世紀初めのベニスのホテルには今のような団体客はもちろん、家族客もいない。
もちろんタジオ一家はじめ家族で来ている客はいるが、父親がおらず今のような核家族ではない。当時ああいうホテルを利用するブルジョワは、子供たちの管理は家庭教師にまかせていて家長である父親は仕事と遊びに励み、他の家族は母親をリーダーとして一団となって行動していたということだろう。
父がいない、ということは穿ってみれば、アッシェンバッハが信奉する理性主義の喪失を意味するとも思える。
主人公アッシェンバッハも娘をなくすことで父ではなくなり、売春宿での娼婦の態度からして男でもなくなっていたと思しい。映画には出てこないが、原作では妻にも先立たれている。
そういういたたまれなさと芸術家としての行き詰まりからかベニスに来たのだが、冒頭で乗ってくる汽船の名がエスメラルダ。そして娼婦の名もエスメラルダ。
街に白い消毒液が撒かれるのは、冒頭の汽船の白化粧した老人、そしてラストのアッシェンバッハの化粧とも対応する。街が先に死化粧した、といったところか。
ホテルの玄関脇にもホールにも部屋にもさまざまな色の紫陽花が飾られている。日本原産の紫陽花が海外に持ち出されたのはシーボルトによるものだといわれるが、20世紀初めにはイタリアにもずいぶん普及していたことになる。
その他、あっちにもこっちにもさまざまな花が飾られているが、終盤になるとすっかり姿を消す。ひとつだけ残ったのが、死せるアッシェンバッハの胸元の薔薇だけ、という計算の見事さ。
余談だが、ヴィスコンティ家出入りの花屋は、それだけで経営が成り立ったという。
アッシェンバッハはホールでも食堂でも新聞を広げている。支配人が外国の新聞がベニスの観光客を奪おうとして嘘を書いているというあたり、疫病を知ったのもそのドイツの新聞からだろう。外国に来ても母国語の新聞を読んでいるあたり、習慣を変えようとしない頑迷さがうかがわれる。
タジオの姉妹三人はいつも大きさこそ違え、同じデザインの服を着ている。なので、個性を持って見えるのはタジオだけということになる。
海岸のタジオがよく着る水着の横縞模様と脱衣所の木を組み合わせた横の線と、柱の縦の線とのコンビネーションのファッショナブルなこと。これは美術のフェルディナンド・スカルフィオッティの好みとも思え「暗殺の森」でも「アメリカン・ジゴロ」でも縞模様を好んで使っていた。
たとえば、海岸でラストシーンに現れるカメラは、前半でコレラを媒介したと思しきイチゴを売りに来たのに客の老人が「生の果物など危険だ」と警告を発する瞬間に画面に現れており、イチゴをタジオがつまんで走り去るところにもそのカメラを担いだ技師が通りかかる。カメラと「死」とはこの時すでに対応していたらしい。
初めてアッシェンバッハがタジオを見る、というより視界の中に捉える場面で、アッシェンバッハの主観カットかと思うといつのまにか彼が画面に入ってきて客観的カットにすりかわる演出がなされている。もちろんアッシェンバッハのまなざしはヴィスコンティその人のものだ。
圧巻、というほかないのは、ビョルン・アンドレセンのアッシェンバッハのというよりはカメラの、ヴィスコンティの恋焦がれる視線を振り払うでもなく受け止めるでもない、そのなよやかな全身の動きの振り付けの芸術と、それに対してアッシェンバッハ=ヴィスコンティのまなざしそのものがじらされ苛立ち身悶えするような官能性だ。直接話しかけ触れることがあるのは幻想シーンだけで、それだけに、ただ見る見られるだけの関係であることがはっきりする。
ベニスのうねうねとした迷宮的な町並みが、また絶えず視線をさえぎるかと思えばまた通すのに奉仕する。「夏の嵐」で見られたベニスロケの町並みを主にロングに引いてがっちりとしたタブローとして捉え、舞台の装置のように扱うのとはまったく違う処理だ。
ラストにカメラが置かれたのは、その視線のドラマのしるしかもしれない。
なお、モニカ・スターリング著「ヴィスコンティ ある貴族の肖像」によると、ラストシーンで老婦人が歌っているのはムソルグスキーの子守唄。また、アッシェンバッハの末期の目に映るタジオが逆光のなか片手を腰にあて、もう片手でどこか遠くをさすポーズはヴェロッキオのダビデ像のものだというが、右手を上げているのが違う。
ニュープリントだが、ごくたまにわずかな傷が見えるところがある。デジタル・リマスターまではしていないのだろう。
10月よりテアトル銀座にて公開。
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