「木曽路はすべて山の中である」という有名な文句のナレーションから始まるわけだが、徳川から明治にかけての歴史の大きな動きは山の中まで入ってこなくて、ちらちらとその片鱗が通り過ぎるだけの、一種舞台劇的な構成をとっていて、宮島義勇のカメラもあって重量感たっぷりだが、ちょっとかったるくもある。隣の若い男の客は、途中すやすやと寝息をたてていた。滝沢修が初め折り目正しい立ち居振る舞いだったのが、歴史と権力に翻弄されていくうちラストでは発狂状態になるのだが、これが初めからファナティックになると、同じ吉村公三郎監督「襤褸の旗」の三國連太郎になる。
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