prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「サユリ」

2024年08月31日 | 映画
新しく買った家に移り住んだ一家が、そこに出没する怨霊に祟られて次々と死んでいくという展開はありがちだが、中盤からのぶっとんだ展開には度肝を抜かれて笑ってしまった。
「ロッキー」が入ってくるとは思わなかったぞ。

中央が吹き抜けになった三階建てという七人家族が住むにせよムダの多い作りの家なのを、吹き抜けを活かして二階三階を見通せるようにした装置の工夫がいい。

原作マンガとはかなり違っていて、マンガだと絵柄そのものが禍々しいのに対して映画では生身の人間の生命力自体が写っているのに合わせて調整している。
サユリのキャラクターも原作にかなり書き加えてある。









「ポライト・ソサエティ」

2024年08月30日 | 映画
新宿ピカデリーは「バーフバリ」「RRR」などインド映画の封切が多いのでインド映画かと思ったら、ロンドンが舞台で、監督脚本のニダ・マンズール はパキスタン系のイギリス人、主演の姉妹役はインド系イギリス人、ほかニュージーランド出身など、イギリス中心で組み合わせができた感じのスタッフキャスト。

姉妹という設定のふたりだけでなく、仲間の女の子たちの人種も黒人白人インド系と取り揃えてあり、狭義でも広義でもシスターフッドものということになる。

マザコンの息子と猛女の母親が仇役で、彼らの目的が明かされるところでインドが代理母大国で、実際に産む女性には報酬はほとんど払われず夫があらかた持って行ってしまうという内容のドキュメンタリーを思い出した。
後味すっきりに仕上げてはあるが。





「箱男」

2024年08月29日 | 映画
この映画にスマートフォンって出てきたかな。
自分の箱に閉じこもる性向のアナロジーとしては、現にスマホが登場しているのだから超えられてしまっているのではないか。
いったん撮影中止になって27年ぶりに再開するまでの間に追い抜かれた感もある。
冒頭で70年代の匂いをちょっと出してはいたが。

段ボールハウス=浮浪者という連想に続いてか、段ボール箱自体がすごく汚い。
「天地無用」と正しく読める方向にラベルが貼られているのがなんとなく可笑しい。
覗き窓から眺める四角く切り取られた外界はかなりの程度映画館のスクリーンの暗喩だろう。

段ボールのキャラクターがちょこちょこ歩きまわる格好が昔のロボットみたいで可愛い。

原作がすでにそうなのだが、お話あるいは構成が、どうにもとりとめない。





「エア・ロック 海底緊急避難所」

2024年08月28日 | 映画
バードストライクで飛行機が海に墜落し、機体全体が浅瀬に沈み海底の崖で辛うじてバランスをとっているところにサメが襲ってくるという、「エアポート'77」にサメ映画を足したようなてんこ盛り設定の割にマジメな作り。

もっと安くてぶっとんでるのかと思ったが、いい意味でそうでもなかった。
70年代のパニック映画みたいに乗客のキャラクターが描き分けられていて、ノースター映画だから死ぬこともあって、けっこうシリアスな調子。

死んだのかとなと思うと実はというあたりの趣向そのものはいいが演出の手際が今ひとつ。
見終わってからはいろいろ言いたくなるが、時間が短い(93分)ので飽きずにみられる。





「デッド・エンド」

2024年08月27日 | 映画
戦前のニューヨークのイースト・リバー沿いの下町(Dead End=どん詰まり)を舞台にしたシドニー・キングスリー原作、リリアン・ヘルマン脚色、ウィリアム・ワイラー監督、サミュエル・ゴールドウイン製作、グレッグ・トーランド撮影と一流スタッフが揃った1937年作。

金持ちと貧乏人とが生活空間を接しているというのは、今では考えにくい。
第二次世界大戦前とあって銃や麻薬があまり出てこない。
ハンフリー・ボガートがギャング役で善良な頃の尻尾を残しているという過度期的役柄。

大セットに下町全体を作るという、いかにもクラシックな映画作り。どこから撮ってもコンパクトに画になる代わりに箱庭がかって見える。
グレッグ・トーランドの撮影はところどころスクリーンプロセスが目立つが、パンフォーカス的な効果を「市民ケーン」以前に狙ったともとれる。

テアトルエコーで上演された舞台版は見ている。川に飛び込む場面で本水を使っていた。




「フォールガイ」

2024年08月26日 | 映画
オープニングを除くと、スタントマンのライアン・レイノルズが芝居としての危険ではなく本当に陰謀に巻き込まれて危険な目にあうようになるまで(時計=スマホは見ないので)エンジンがなかなかかからない。

写真↑のスタントシーンにエミリー・ブラントがカラオケを唄うシーンが割り込んでくるあたり、危機また危機で押し通せないものかと思った。

劇中のプロデューサーがVFXで済まそうするのを生のスタントでやりきるよう強引に押し切るなど小ネタを散りばめてあるけど、撮影後の合成その他の処理についてはスルー気味。キャスト交替などおおごとでしょうに。

ブラントが撮影助手だったのが18か月後には監督に昇進したというあたり、プロデューサーが便利に使うためという理由はついてるにせよ、どの程度そういうことがありうるのかと首をひねった。
ちょっとづつだが辻褄合わせが目立つのです。





「ニューノーマル」

2024年08月25日 | 映画
ホラー系オムニバスなのだが対象は幽霊など超現実的な存在ではなく、クレーマーとかSNSとか不吉な予感がする相手が案の定不吉な正体を全開にしてくる繰り返し。日本だと「トリハダ」系ですかね。

話が進むにつれて日付が遡るのに何か意味があるのかと思ったら全然ないといった具合に思わせぶりに過ぎるところはある。

第二話に出てくるものすごく古い集合住宅など、どこから探してきたのだろう。エレベーターなど作ったのかもしれない。





「インサイド・ヘッド2」

2024年08月24日 | 映画
大人になるのに子供の時の感情に加えて新しい感情が上書きされる、というところまではいいのだけれど、その新しい感情が半分以上仇役みたいになるのはどんなものだろうか。
新旧の感情は葛藤はしても敵対はしないと思う。
旧感情の方もポジティブかネガティブかで優越をつける風になっているのが、どうもひっかかる。一応フォローはしているのだが。

思春期になったライリーが歯に歯列矯正器をはめているという画は考えてみると珍しいのではないか。実写でやったら画にならない公算が高いし、どこまで矯正器を見せるかをコントロールできるのはアニメの強みだろう。

脱線するが、「エクソシスト」のリーガンに矯正器をつけさせるという案があったという。つまり矯正器をつけているのを見せることで、どれほど外観が変わっても同じリーガンだということがわかるという仕掛け。
「カサブランカ」のセリフでイングリッド・バーグマンとハンフリー・ボカートが初めて会った時何をしていたかというのに、バーグマンが「歯にBraceをしていた」というのに対してボガートが「職を探してた」というのがあるが、バーグマンは歯列矯正するだけ若かった、おそらく十代前半の、裕福な家庭の出で、対するボカートは無職というまるっきりミスマッチというのが短いセリフのやりとりでわかる。





「ブルーピリオド」

2024年08月23日 | 映画
素朴な疑問として、主人公は藝大に入った後、どうするのだろうと思った。
「ビリギャル」もそうだったが、大学に入ること自体が自己目的化するというのはわかりやすいし、後で行き詰まるとは限らないのだから、一定の猶予期間が設けられるのは違いないけれど、遅かれ早かれ結論は出る。

原作だともう少し画を学ぶプロセスが描き込まれているし、参考作品の実物の引用をしたりして説得力を増しているのだが、どうも映画の尺に押し込むと簡単に済んでしまう感じ。





「ポトフ 美食家と料理人」

2024年08月22日 | 映画
まあ、綺麗な映画。
出てくる料理をずいぶんと丁寧に撮っていて、撮影そのものがまた美しい。
美意識そのものを見るといった性格の映画。贅沢を言うと綺麗過ぎしなかと思うくらい。

トラン・アン・ユン監督は初期の「青いパパイヤの香り」や「シクロ」で出身地ベトナムのローカルなモチーフを扱っていたが、ベトナム戦争を逃れて十二からフランスに移り住んでいて、最近では氏より育ちといった本音を出している感。





「ボレロ 永遠の旋律」

2024年08月21日 | 映画
タイトルバックでさまざまな演奏・振り付けの「ボレロ」が短いカットの集積で描かれる。ここでどれだけ多様な「ボレロ」か現にあるのかを見せておいて本題に入る。

ボレロというのは何もラヴェルの独創ではなくてスペインの三拍子の舞曲がもとにあったというが、そこに至るラヴェルのいくら作曲しても芽が出ない苦心と、いったん売れたら調子よく持ち上げる評論家のイヤミな豹変ぶりがいかにもありそう。
中央で踊るダンサーのエゴイズムも印象的。「愛と哀しみのボレロ」のモーリス・ベジャール振り付けによるジョルジュ・ドンのソロの印象が先にあるだけに女性であるジャンヌ・バリバールのソロがかえって目新しく見える。

早坂文雄作曲の黒澤明監督の「羅生門」でボレロのリズムを採用していて、ラヴェルの盗作あるいは剽窃呼ばわりされたものだが、なんでボレロのリズムを採用したのか、どこから着想を得たのかと思う。





「劇場版 アナウンサーたちの戦争」

2024年08月20日 | 映画
NHKのアナウンサーたちが政府の情報局の統治下で偽情報を偽と知りつつ「情報戦」の一環として流していたことをはっきり描いている。今でも似たようなことやってるだろ、とツッコミ入れたくなりますが、それをわからせるのが限界もウソもありながらもドラマの役割ではあるだろう。
天気予報も重要な機密情報だとして禁じられたことがあったとは聞いていた。

橋本愛が語り手を兼ねて出演しているのだが、終始着物姿。それも菊などの花をあしらった柄で、相当に良い着物ではないかなあ。ああいう着物を実際に着ていたのか、役作りなのか、気になった。着ていたのだとしたら、給料はどのくらいだったのか、男女で差はあったのか。

高良健吾が真珠湾攻撃の第一報を伝える館野守男役を演っているのだが、その「大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」という声の調子がそっくり。実物の声だけからは淡々とした事実を伝える以上のニュアンスしか感じ取れなかったが、高良の姿を晒した演技では声=言葉に引きずられて自分で自分を説得してしまうようなファナティックな表現になっていた。

ラストで玉音放送を録音したレコードから再生される天皇の声が良くも悪くも敗戦を決定的に告げたわけで、声は文字通り人を生かしも殺しもするのにつながるがわかる。

画のないラジオで声だけで情景をありありと想像させるというのは、今でも体験できるが、画のあるテレビではより強力になったとも想像の余地がない分制限ができたとも、どちらとも言える。
戦前にすでにテレビ受像機ができていたことが見せられる。
スクリーンに上映されたのは8Kなのか、そういう基準ではないのか。

インパール作戦はあんなものではなかったろうなと見たことはないが見当はつく。画にした分、弱くなった。

「風蕭蕭として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らず 」という「刺客列伝」のうち、荊軻伝からのくだりはちょっと格好よすぎる気がしないでもない。

ラストの字幕で南方では「あの戦争」のことを「日本戦争」と呼んでいると出る。身も蓋もないが、なるほどと思う。




「墓泥棒と失われた女神」

2024年08月19日 | 映画
貧しい生活を描く埃っぽい場面が大半を占めるのだが、監督のアリーチェ・ロルバケルの姉のアルバ・ロルバケルが仕切る豪華ヨットで開催されるオークションの場面だけ場違いにケバい。
貧富の格差を絵に描いたようだが、実のところカネがある側も尻に火がついていて意外と余裕がないのがオークション頼りの態度からうかがわれる。

ヨットの甲板で背後の海を見せているうちにこの後の展開が予感されるのがスリリング。
放り込まれた彫刻の首の主観で海の中を漂うショットが喪失感に満ちて印象的。
ラストでこの時の喪失感がやや唐突に取り戻される。
しかし首を切り落とすというのはずいぶん乱暴。バチ当たりというか。

 高値をつけるため故意に首と胴体を切り離すこともあったらしい。
「他の理由として、美術商が大金を得るためにわざと彫像の首を落としていることが指摘されています。古代ローマの彫像は高額で取引されるため、美術商は故意に彫像の首を切断し、首と体を分けて出品することで完全にパーツがそろった状態よりもより高値で取引しようとしているそうです。J・ポール・ゲッティ美術館に収蔵されている『ドレープの女性の像』はその一例で、1972年に美術館に収蔵された際には頭部が欠落した状態でしたが、その後失われた頭部が発見されました。発見された頭部には20世紀に入ってから意図的に切断された形跡が見つかっています。 」





「フレイルティー 妄執」

2024年08月18日 | 映画
1955年に生まれ2017年に亡くなった俳優ビル・パクストンが唯一監督主演した映画で、「最も過小評価されたスリラー、ホラー」というリストに載っていたので、見たら、なるほど納得。

ビルの経歴を見ると、高校時代は8ミリを作っていて、十八の時にロジャー・コーマン製作のもと「ビッグ・バッド・ママ」の美術をつとめるといった具合に俳優より先にカメラの後ろにいたのがわかる。
コーマン製作、ジョナサン・デミ監督の「クレイジー・ママ」でデミに出演を勧められ俳優デビューし、あとは俳優としてのキャリアを積むことになる。

DVDにはオーディオコメンタリーが三種類、監督、脚本家、プロデューサー+編集者+音楽がある。

・子役の出番が多いので出演時間が限られるため効率的に撮れるようセット撮影を多くした。
・手のモチーフにこだわった。
・マシュー・マコノヒーなど、ビルが出演した「U-571」の出演者の人脈を生かした。
・「サイコ」「めまい」などヒッチコック作品をいかにもと言った調子でなく引用した。
・マコノヒー、パワーズ・ブースといった 高いギャラ(!)をとる役者はそれなりの役割を引き出すよう心掛けた。具体的に言うと、アップの多用。アップに耐える役者というのは貴重と言われるとなるほどそうかと思う。
・車内のシーンは外景はまったく写さず、雨と光の効果だけで処理した。
・撮影監督のビル・バトラーの貢献はきわめて大きい。「ジョーズ」の逆ズームのカットの引用もある。
・犠牲者役にはパクストンの演技教師にお願いした。
・兄弟がベッドで見たい映画を話すシーンはパクストン自身が「エイリアン2」の出演者なのでシナリオに書かれていた「エイリアン」は却下になった。
・ジェームス・キャメロンに試写を見せて聞いた意見を容れて編集をちょっと変えたが、そのちょっとが構成を根本的に変えることになった。

脚本家と監督の解釈の違いがあるのもわかる。

同じ家が監督にはヒッチコックの「サイコ」のように写り、プロデューサーにはエドワード・ホッパーの引用に写る。

パクストンは神のお告げを受けたと思っていて、ふたりの息子に「悪魔を滅ぼす」ようリストアップした人たちを殺すのを手伝わせるという、まあ恐ろしい役。本当にいそうだし、見たところ狂っている風でない分、なお怖い。
一番悪魔っぽいのは神なのではないかと思いましたよ。

パクストンの監督としての力量は緻密にして柔軟で、一本だけで終わらせたのは惜しい。




「金子文子と朴烈(パクヨル)」

2024年08月17日 | 映画
朴烈も金子文子もアナーキストで、日本の、というより「国」を基本にした発想から自由な「外からの目」を持ち込んでいるのにいささかたじろぐ。

「天皇の」軍隊が1923年(大正12年)の大震災時の朝鮮人虐殺に加担したとはっきり言っている。
韓国映画ならではですね。「福田村事件」でもこう踏み込んではいない。

大逆事件とは皇族を狙って危害を加えようとする事件の総称で、大震災と同じ年の暮れに起きた難波大助という衆議院議員・難波作之進の息子が当時の皇太子(のちの昭和天皇)を襲撃した、いわゆる虎の門事件が起こった際、内閣でコメツキバッタのようにぺこぺこしながら報告する警察官僚は、正力松太郎のことだろう。

文子役のチェ・ヒソは日本語に訛りがまったくないので吹き替えたのかと思ったら小学二年から卒業まで大阪で育ったのだという。これが主演デビューで初めは日本語を翻訳する役割についていたのを抜擢を受けたのだそう。
法廷にドレスアップして二人が登場するシーンのすっこぬけた調子にはびっくり。