prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「こんにちは、母さん」

2023年09月30日 | 映画
吉永小百合がふられ役をやるとは思わなかった。寅さんみたい。

大泉洋が人事部長として社員の首を切らなくてはいけない苦しさから始まって、娘は家に寄りつかない、妻は別居中で姿を現さないのが足先だけの芝居で男がいると暗示するのが優れている。

スカイツリーが遠くにだが随所に現れて、名所というわけではないが、絶えず目に入る。

フラッシュバックで大泉洋の父親(写真でしか出てこない)が作る足袋や、妻のハイヒールが出てくるが、それ以上の姿は出てこない。
吉永小百合と寺尾聰とがおそらく屋形船に乗って隅田川を見て回るのも、二人の姿は見てまわったあとロングショットでしか出てこない。あとは隅田川しか映らない。

短いフラッシュバックは本来長い期間にわたる記憶や体験の代替として使われていて、その延長上に田中泯の語る東京大空襲がある。
こういう演出はあまり山田洋次はしてこなかったから興味深かった。






「MONOS 猿と呼ばれし者たち」

2023年09月25日 | 映画
激流に流されるシーンは本当に俳優にやらせていると思しい。
音楽というより音響がすごい。

外部と遮断されて生きている一団の特異な生態をあえて外の目を入れないで描く。
南米の高地で格闘や銃にかまけて過ごしているのだが、圧倒的なスケールの自然とそれと裏腹に人工的に遮断されたコミューンのコントラスト。






「ゼロ地帯」

2023年09月23日 | 映画
ピアノの教師に通っている女の子(スーザン・ストラスバーグ)が戯れに柵にさわったりして、家が近づくと調子が一転して近所の人たちが遠巻きに囲んでおり、何かと思ったらナチスが家族を連れだしており、思わず近所の人が止めるのも聞かずにトラックに乗って(乗せられて)しまう、このオープニングの転調が怖い。

ユダヤ人であることを隠して(隠れ蓑に犯罪者だと名乗る)ナチスの代わりにKapoカポ(ナチスの代わりに収容者の管理をする裏切り者)として、何重にもねじれた、しかも絶対に明かしてはならない秘密を抱えた存在になる。
いるだけでドラマチックな役で、現に一見すると何もせず、周囲が電気が通じた柵に触れて死んでもこれといって何もしない、というかできない。

スーザン・ストラスバーグにしてみると「女優志願」の二年後、22歳の時の出演作。
父親=アクターズ・スタジオの創設者リー・ストラスバーグがなまじ偉かったとか、悪い男にひっかかったとか変な夫と結婚したとか、子供が障碍者だったとか諸事情があってB級作(「マニトゥ」とか)に出るようになる前。




「ドント・ウォーリー・ダーリン」

2023年09月21日 | 映画
「トゥルーマン・ショー」みたいにいかにも人工的・機械的に造成されたサバービアを舞台にし、フローレンス・ピューが専業主婦を演じて、そこで男たちの女に対する真綿で首を絞めるような態度を置くのが不気味。

クリス・パインがホモソーシャルな世界のリーダー的な役で、

監督のオリビア・ワイルドは脇役で顔を出す。







「ほつれる」

2023年09月20日 | 映画
セリフがどうにも聞き取りにくくて困った。
特に門脇麦にぼそぼそした喋り方を要求しているだろうことは染谷将太のセリフが聞き取りやすい比較からもわかるのだが、字幕が欲しくなったくらい。
おそらくセリフが大事なのだろうから、もったいない。

染谷の細君が出てくるところでずうっと後ろ姿で通していることからも、何を描かないか、空白の部分を重視しているのはわかる。

室内装飾がちょっとウディ・アレンの「インテリア」みたいに生活感があまりない(キャンプ場も)モノトーンに統一されている。





「あるじ」

2023年09月19日 | 映画
冒頭から夫の暴君ぶりがかなり徹底して描かれ、ドライヤーらしい陰惨なドラマになるのかと思ったら義母が登場してからかなりコメディ寄りになる。
夫の悪口を並べ立てるくだりなど相当に可笑しい。

セットが本格的に作られていて、階段もあったりする。




「禁じられた遊び」

2023年09月19日 | 映画
ヘタな子役だなあ。コワくなくてはいけない役なのにね。
呪文もエロイムエッサイムというのばかりではあまりにポピュラーというかありふれている。もうちょっと新しく工夫したら。
貞子みたいな女も裸になっても局部が見えない(見たいわけでもないが)というのは、中途半端でいけない。

橋本環奈が重岡大毅の同僚として普通のOL役で出てきたと思ったらいきなりテレビの仕事してるのには戸惑った。
時間経過の処理が変なのです。(あとで7年経っているとわかる)

変といったら日本は土葬なのかと思ったぞ。トカゲの尻尾を埋めると栽培するみたいに生えてくると父親が息子に教えたといった理屈はついてるけど、火葬にした体の方はどうなったのか。

六条御息所がモチーフになっていて生霊として祟って死霊になってもまた祟るというのを、いったん死んでまた甦ったのが一番恐ろしいという具合にアレンジしているのだが、ちょっと意味がつかみづらい。
画面がどうも安くていけない。





「ドラキュラ デメテル号最期の航海」

2023年09月18日 | 映画
ブラム⋅ストーカーの古典にして決定版の「吸血鬼ドラキュラ」は書簡体、つまり手紙や日記を集めて構成されているのだが、そのドラキュラがトランシルバニアからロンドンに出てくる船旅の航海日誌を取り上げたのには盲点をつかれた。

ストーリー上ではたいてい単なるつなぎでしかなかったわけで、船の中、それも19世紀とあって外部と連絡もつかない「エイリアン」を思わせるまったくの密室になる。
吸血鬼が初めはチラ見せ程度だったのが変態を重ねて変貌していくあたりも「エイリアン」みたい。

ドラキュラというより明らかにムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」を思わせる禿頭で尖った爪の造形。

棺の中に生まれた地の土を入れているところやネズミがやたらと繁殖しているあたりは原典に忠実にやっている。

棺に入っていた女というのがどういう素性なのか、血の供給源にしていたのか、だったらなぜ吸血鬼化しないのかというあたりは曖昧なままで、若い女を出さないといけないという興行上の都合とフェミニズムへの配慮が匂う。まあ美人(輸血するとあら不思議)は出た方がいいですけどね。

ショックシーンの配分も吸血鬼の神出鬼没ぶりに頼った感はあるけど適切、船内の構造がどうなっているのかよくわからないが、撮影、美術はいい仕事をしている。

主演のコーリー・ホーキンズは「24 レガシー」や「ストレイト・アウタ・コンプトン」「イン・ザ・ハイツ」などでおなじみ。設定を黒人で医者にしたのも新味あり。





「スイート・マイホーム」

2023年09月17日 | 映画
夫婦と幼い娘(すぐ二番目の男の子が生まれる)の幸せ一家が購入した建売住宅の、生活感がないつるつるピカピカの感じが逆に不気味。

何一つ欠けるところがない幸せ家族みたいだが、そんなわけはなくて夫は実は浮気していて、妻が鱈の白子を腹を裂いて取り出すのに対して、愛人が自分の鯵の干物を一人分だけ焼いていたりする対照が感覚的に面白い。

冒頭から意味が判然としないフラッシュバックが挿入されるのだが、そのうち意味がわかるのとはっきりしないままのが併存している。
地下室で倒れるのは閉所恐怖症か何かか?

兄を紹介するカットが闇から押し入れにズームバックするのだが、闇が兄がおそらく統合失調症なのに対応しているのだろう。





「ホーンテッドマンション」

2023年09月16日 | 映画
なんだか色彩が文字通り鈍くてぱっとしない。
もっとよくも悪くも、もっとハデなのかと思った。
ディズニーランドの出し物の映画化としては「パイレーツ・オブ・カリビアン」(第一作)にだいぶ及ばない。





「Gメン」

2023年09月15日 | 映画
連載マンガが原作なのだが、人気キャラクターを投票で決めていくようなノリ、人物配置が固定しないでどんどん変わっていくドライブ感を映画化にもうまくとり込んだ。
たとえば敵役をあたまから設定するのではなく、逃げ水みたいに順々に見せていくので、先が読めない。

MTV風に短いカットをクロスしたりしながら編集する演出をしたかと思うと、乱闘シーンではしっかり何をやっているのか手順がわかるように描いている。

Gメンってガヴァメント・メンの略ではなくて成績順にABCと並べて最下層のクラスのこと。
学校全体では童貞喪失率120%なのがG組ではおよそ喪失のチャンスから見放されているという設定なのだが(見た回では半分以上女性客だった)、だからといって主人公はがっつかないでA組からやってきた金持ちで一人暮らしの同級生と分け隔てなく付き合う。
同級生の方が分け隔てしないのではなく、G組にいる方が逆差別しないのだね。

どう見ても多勢に無勢のクライマックスで仲間の応援が順次駆けつける、というより応援に駆けつけるから仲間なのを確認するのがうまくできている。





「6月0日 アイヒマンが処刑された日」

2023年09月14日 | 映画
なんで火葬用の窯をわざわざアイヒマンを処刑した刑場まで持っていくのかよくわからないので調べてみたら、イスラエルにはほとんどユダヤ人かムスリムしかおらず、どちらも土葬にするから火葬にはされず、アイヒマンを土葬にしたらアイコン化、英雄化されるのではないかとイスラエル政府が恐れた、というのだがこのあたりの事情がさっぱりわからない。
もともと窯を作る手伝いをした少年という脇役も脇役が主役なのだから大局の事情がわからないのは当たり前なのだ。

ユダヤ人をナチが集団で火葬にしてその灰を捨てたかどうかしたことが念頭にあるのだろうが、そのあたりの宗教的な習慣が火葬が当たり前の日本人としてはどうにもピンと来ない。

アイヒマンを火葬にした灰を船から海に撒く図など、自然に帰しているようにすら見えてしまう。

6月0日というのはイスラエル政府が死刑を行使する条件を厳しく制限している証らしいが、このあたりもわかりにくい。
説明しないことが緊張感に結びつくこともあるが、そうでもない。

ヤギ(スケープゴートからの連想か)を焼くテストでいい匂いがすると言うのはちょっとブラック。

冒頭のタイトル文字がアルファベットとヘブライ文字(多分)の併用で、エンドタイトルも同様。





「オオカミの家」

2023年09月13日 | 映画
初めにいかにコロニアが教育にいいか、これからその証拠を見せますといった調子の解説から本筋に入る。
このプロローグが実写で本筋に入ってからはアニメになる。

で、この本筋というのが混沌としていて、出てくるマリアというキャラクターがどういう位置づけなのか、くるくる変転していっこうに安定しない。どうやら洗脳されていて認知が歪んでいるらしい。悪夢感覚というのか、現実がすでに悪夢を通り越している状態で混沌としている。
途中から二匹のブタを飼って、それがアナとペドロという人間になるわけだが、これがまた、メタモルフォーゼしっぱなし。

壁に描かれた二次元の絵が動くのだが、それがオブジェクトアニメとなって三次元化される。必ずしもはっきり分けられるわけではなく二次元と三次元とを行き来する。
ときどきゴキブリがうろうろするのが生々しい。

途中からキャラクターたちの髪の毛がブルネットからブロンドになるのはどうしてだろう。
どうやらモデルになった元ナチスの性向らしい。
ちなみにモデルが邪魔者をブタ呼ばわりしたらしい。

縦横十文字にさんが入った窓から窓枠が一部消えて斜めになりかけるとハーケンクロイツにちらっとなったり、ワーグナーが随所に使われたりとナチスを暗示する断片が散見する。

とはいえ、はっきりナチスを名指ししているわけではなく、おそろしくまわりくどい。






「福田村事件」

2023年09月12日 | 映画
割と唐突に場面が千葉の福田村から東京になって、インテリっぽい男が震災にあう。村で地震にあうわけではないのは意外だったし、その後明らかに流言飛語を広めているのは官憲=亀戸警察の者だというセリフが出てきて、これが亀戸事件であることがわかる。
社会主義者が官憲に虐殺された事件だが福田村の出来事ではない。まとまりを犠牲にしてでも入れたかったのね。
このあたりは推測だけれど荒井晴彦っぽい。

多数派が作る空気、同調圧力が問題のような描き方をしているが、それ以外に官憲による情報操作があったことがはっきりとではないが示されている。

また、旅の商人たちは水平社宣言を読むところからして部落出身者で、天皇陛下万歳を福田村の村人が唱えるところで永山瑛太がむっとしたような顔で黙り込んでしまうのは天皇を頂点とした「日本人」のヒラエルキーからあらかじめ閉め出されている存在だからだろう。

商人たちが本当に「日本人」であるかどうかを証明する、要するに「お上」にお伺いを立てている間にいったん場を外した間に惨劇が起きるわけで、しかも取り返しがつかない事態になってもなお大正天皇崩御で恩赦という形に持ち込んで誰も責任をとらない。

田中麗奈の朝鮮帰りの夫婦や、東出昌大の船頭など多少ともはぐれ者がかったキャラクターがやや引いた視点と立場に来て、対照的に在郷軍人会のメンバーなど軍服を着ていることもあって完全に単一化統制下されている。いわゆるムラ社会って奴ね。ここで生きていかなくてはいけないんだ、というセリフが痛い。

このあたりの体質は今でも統一協会問題や福島原発やジャニーズなどに連綿として続いているのは言うまでもない。





「アラバマ物語」

2023年09月11日 | 映画
原作小説が「ものまね鳥を殺すのは」(原題 To Kill a Mockingbird)と改題されて新訳が出た。映画でおなじみになったタイトルも小さく添えるように出ている。

このフィンチ弁護士役アカデミー主演男優賞を獲ったグレゴリー・ペック(余談だが、この年にはピーター・オトゥールが「アラビアのロレンス」で候補になっている)は2003年には、アメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画の登場人物ヒーローベスト50」の第1位に選ばれている。 強くて謙虚で娘に伝えるべきこと、つまり正義を伝えているからか。
グレゴリー・ペックが柄にぴったりというか柄そのまんま。

黒人男にレイプされた(と称する)白人女が堂々と顔をさらしているのには今見ると違和感を覚える。案の定と言うべきか、黒人に性的魅力を覚えたのを自分から言ってしまう無防備なあたりも微妙。このあたりの「被害者」保護は今どうなっているのだろう。
アメリカ南部の公民権運動以前の時代としては珍しいものだったのかもしれないが。

ロバート・デュヴァル(若っ)が隣の地下室に住むブーという男を演じていて、子供たちが遊ぶ背景にとどまりほとんど姿を見せないあたり、ゴチックロマンの匂いがする。