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新味は特にないけれども、オーソドックスな娯楽映画としてなかなかの出来。
北海道の産業らしい産業のない田舎町の感じがよく出ている。
実際のカーリング競技好きには、女の子がやたら真剣な顔をしてやっているところに萌えるなんていうファンがいるらしいけれど、まあわからないではない。動きが激しくないから、じっくり見られるのです。
音楽が一度聞いたら忘れないキャッチーなメロディなのも親しみやすくしている。
シムソンズというチーム名がシンプソンズから来ているとは思わなかった。それにしても「可愛いアニメ」って言われているけれど、アレ可愛いかぁ?
(☆☆☆★)
香港・タイを股にかけてホラーを作ってきたパン・ブラザース(彭氏兄弟)のアメリカ進出作。サム・ライミが噛んでいるところからも「JUON」のパターンみたい。ジョン・ウーを招いた「ハード・ターゲット」もそうだが、アジアの有望な監督を安くうまく使っていることか。
ただし、完全にアメリカの田舎町でないと成り立たない、けっこうルーズな話。家族の再生をドラマのメインにしているのもアメリカ映画的。
兄弟がタイで作った「Eyes」でゴーストの見せ方が日本のホラーに似ているなあ、と思ったが、これもそういうところあり。香港ではずっと前からホラーを作っているのだから最近になって真似したわけではなく、同じアジアということで自然に似てきたのか、あるいは意外なところで人的交流があったりしたのではないか。
ヒッチコックの「鳥」ばりにカラスが襲ってくるシーンとかもあるが、CGが使える割にあれと比べて特殊効果が特に向上したという感じなし。
(☆☆☆)
本ホームページ
ゴースト・ハウス - goo 映画
ただし、完全にアメリカの田舎町でないと成り立たない、けっこうルーズな話。家族の再生をドラマのメインにしているのもアメリカ映画的。
兄弟がタイで作った「Eyes」でゴーストの見せ方が日本のホラーに似ているなあ、と思ったが、これもそういうところあり。香港ではずっと前からホラーを作っているのだから最近になって真似したわけではなく、同じアジアということで自然に似てきたのか、あるいは意外なところで人的交流があったりしたのではないか。
ヒッチコックの「鳥」ばりにカラスが襲ってくるシーンとかもあるが、CGが使える割にあれと比べて特殊効果が特に向上したという感じなし。
(☆☆☆)
本ホームページ
ゴースト・ハウス - goo 映画
映画の文体が、終始ゆるがない。
極度にセリフが少なく、しかも間がびっちり詰まっていて緊迫感が続く。
終盤の突拍子もない展開と、主人公が「存在を消す」とともに姿を写す代わりにその一人称カメラになる発想と、小道具の体重計の使い方にびっくり。
ゴルフボールを三号アイアンクラブ(これが英語題)で打って人にぶつける拷問、というのも異様なセンス。ブルジョワ的というか。
(☆☆☆★★★)
同じ場面を少しだけ変えて繰り返されるのだけれど、特定の時間を缶詰にする実写とは違って最初から時間を「作る」アニメだと、微妙なずれと反復の組み合わせというより、似ているけれど違う場面の繰り返しという感じになり。ずれとはあまり感じない。
ヒロインと二人に男の子の組み合わせというのは、ヒロインの名前がマコトという男名前でショートヘアであまり女の子女の子していないこともあって、「冒険者たち」や「明日に向って撃て!」などの、あまりセクシュアルな匂いのない単性的な関係のバリエーションみたい。
ラストの情感が乾いてリリカルでいい。
(☆☆☆★★)
やる気があるんだかないんだかという感じでダラダラしている展開は、熱血な青春が成り立ちにくい時代を捕える狙いなのかしれないけれど、娯楽映画としてはいささかメリハリが足りず退屈。
演奏シーンになるとやっとエンジンがかかるが、二時間近くかかるのは遅すぎる。外で雨が降っているというのも、狙いが良くわからない。
(☆☆☆)
特にアメリカ人を痛めつけて殺すツアーが人気、というのがもっともらしい。
対して日本人があまり警戒しないでヒドイ目にあうっていうのも。残虐場面が売り物のホラーには違いないのだけれど、けっこうリアリティの裏打ちがある。
ただ、そこまでいくのが、いかになんでもダラダラしすぎ。
日本人の女の子の顔半面が腫れ上がって目玉が飛び出しているメイクというのは、明らかにお岩さまそっくり。
(☆☆★★★)
予告編で「父帰る」ならぬ「母帰る」みたいな話かなと思っていると、ずいぶん違う。帰ってくるのではなくて、最初からずうっと近くにいて、それを娘がどう見つけていくのか、という考えてみるとずいぶん不思議な話。
「母」はいつもそばにいる、という図。
母と娘の関係が、特に男の関わり方で繰り返されるわけだけれど、ここでは男はほとんど害毒みたい。
母親が、しみじみとペネロペ・クルスの娘を見ておまえ昔からそんな胸大きかったっけというのが可笑しい。
(☆☆☆★)
私は原作の舞台劇を見ている。
劇団48blues公演で、中野のザ・ポケットだったかMONOだったか記憶はあいまいだが、スクリーンが舞台の前に降りてきて同じ出演者たちが出た短編映画を上映してから芝居を始めたり自主映画上映会とも連動していて映画志向みたいなものが割と強かったと思う。
映画でも出演者全員が喪服という設定で黒のスーツ姿だが、全員黒スーツというのはもともとこの劇団のスタイルだ。
とはいえ、見て面白い芝居だとは思ったけれど、映画になるとはまったく思いもよらなかった。登場人物は五人、舞台は一室、話は五人が集まって解散するまで、というまったく演劇的な三一致の法則に則った作りだからだ。
映画版でも基本的にほとんど一室から外に出ない。ビルの屋上にある一室というリアルだけれど抽象的な空間に設定したのはうまい。
ストーリー展開の意外性、ラストでドラマの組み立てがくっきりと示される構造美などウェルメイド・プレイとしての面白さはほとんど原作の舞台に拠っている。登場人物たちの正体をらっきょうの皮を剥くように明かしていく面白さには、さらに映画的なメイクや特殊効果が効果をあげた。
やや印象が違うのはキャスティングが全員知名度のある人たちで占められていることで、モチーフがZ級アイドルの死の真相とともにそのイメージの裏に迫っていくものだけに、演じる芸能人としてのイメージの虚実が絡んでくることになる。典型的なのがユースケ・サンタマリアの役名というかハンドルネームが「オダ・ユージ」なことで、当然「踊る大捜査線」の楽屋落ち的な可笑しさが加わってくる。
それだけにタイトルにもなっているアイドルの如月ミキが顔をほとんど出さず抽象的な処理で済ませているのは虚実のあわいを縫うのに役立っているのだが、ラストでどーんと顔を出してものすごく下手な歌と踊りを見せているのはいささかぶち壊し。
オタクたちの集まりかと思わせてだんだん違う感動的な局面に持ってきておいて、あんなにすさまじくヘタな歌聴いて喜んでるようじゃやっぱり変な連中だと思わせて引いてしまう。
ラッキー・チャッピーという架空の(もう実在するが)キャラクターグッズの作りはよくできている。
家庭用プラネタリウム(これは舞台公演当時には存在しなかった)で作られた星空でしめくくった方が良かったと思う。
突き飛ばしたり、殴ったりといった場面が結構多いのだけれど、舞台だと装置全体がぐらぐら派手に揺れていた。映画だと「ふり」をするだけだから、かえって自然に見える。
(☆☆☆★★)
まず実際に尾びれを原因不明の病気で失うが人造ヒレをつけて泳ぎ遂にはジャンプまで成功するイルカのフジをフジ自身がやっていて、これがさすがに他に代えられないリアリティと緊迫感があり、それを下手に崩さないようにがっちり役者入れ込みでドキュメンタリー調に撮っているのが大きな魅力。
役者たちも動物の添え物ではなく、それぞれしどころを押さえている。
その一方で、水族館の館長の親戚の子がフジにシンパシーを寄せているというよくありそうな設定のドラマを同じように淡々と撮っているかのようで実は高度すぎて気がつかないくらいすごいゲーム的技巧をこらしているのに、ちょっとびっくり。フジに母性的なものを見ているというモチーフは外していないから技巧が浮いていない。
もっとも、イルカの形状というのはかなり男性的(?)な印象の方が強い気はするが。
ブリジストンが実名で出てくるのは、企業イメージアップになるのだから不思議はないけれど新鮮。
(☆☆☆★★)
ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ
2007年/日本
総合 80点
ストーリー 80点
キャスト 80点
演出 85点
ビジュアル 80点
音楽 70点
「1」では超高層とはいえサイバー・コントロールされるのはビル一つだったが、約二十年経つと全米が相手になる。もっともスケールがでかくなった分、はなはだ大味にもなっていて、マクレーンもいささかスーパーマンになりすぎ。キャスティングも弱体。
読んではいないので又聞きになるが、「1」のロデリック・ソープによる原作では、マクレーンがLAに会いに行くのは妻ではなく娘だそう。つまり映画よりずっと年配の設定だったらしい。二十年経って娘を助ける話が実現したみたい。
(☆☆☆)
ジュディ・デンチがストーカータイプの女学生みたいな真似を御年72歳で演じてみせるのがまことにコワい。
冷静な無表情の時の抑制と集中と、猫が死ぬと身も世もなく異様に取り乱すあたりのコントラストの見事さ。
普通のドラマ作りだとケイト・ブランシェットが15歳の生徒とデキてしまうのをいかに「正当化」して描くかに腐心するのだが、デンチの眼を通してまことに冷徹に描かれていて感情移入の余地はまるでない。
原作のモデルになった事件はアメリカで起きたらしいが、イギリスに舞台を移して取り澄ました顔と裏の底意地の悪さとを生かしたのが成功。
(☆☆☆★★)
ジョン・フォードの騎兵隊もの、というとインディアン討伐=政治的に正しくない、というどうも余計な印象が割り込んできて困るのだが、なまじ各方面に気を使っていない分、割り切って見られる。
細かく見ていくと、騎兵隊の捕虜になっても巧みにわからない方法で外と連絡をとり、三部族連合を組んで、ライフルで武装し、ある部隊は砦に放火しある部隊は囲いを破壊するといった組織だった戦闘を見せる、という調子で、手強い「敵役」として強く精悍に描かれている。
ラスト近くではどうもアルコールでヨレている様子が描かれているようで、教会の外に陣取っているというあたりも、すでに白人の影響は排除できないところまで来ているのを描いているよう。
ジョン・ウェインが矢で射られるシーン、普通だったらすぐ射た「悪い」インディアンがやられるところを見せようだが、見せない。
ラスト、ちらりと騎兵隊の中にインディアンと思しき顔が混ざっている。
メサを背景にして騎兵隊が行進するさまは、一大ページェントという感じでいまさらながら壮観。白黒プリントの状態(デジタル化版)が良いのにも感心。
(☆☆☆★★)
他の部族に襲われて主人公の部族員が奴隷にされるか虐殺される、というあたりから、この「他の部族」というのは白人のアナロジーではないか、という気がしてきたが、ラストからして多分当たっているだろうと思う。
もっとも、画面に映るのは白人ではないのだから(そうだったら、あれほどのスピード感は出なかったろう)、そう思えば思えるという程度の話。
後半の追っかけはよくジャングルの中であれだけカメラを縦横無尽に動かしたと思わせる。アクション、サスペンスとしては見事な作り。
その意味では立派。だけど、あれだけ残虐描写する意味ってあるのか?
(☆☆☆★★)
本ホームページ
アポカリプト - goo 映画
もっとも、画面に映るのは白人ではないのだから(そうだったら、あれほどのスピード感は出なかったろう)、そう思えば思えるという程度の話。
後半の追っかけはよくジャングルの中であれだけカメラを縦横無尽に動かしたと思わせる。アクション、サスペンスとしては見事な作り。
その意味では立派。だけど、あれだけ残虐描写する意味ってあるのか?
(☆☆☆★★)
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