prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「世界で一番しあわせな食堂」

2021年02月28日 | 映画
フィンランド・イギリス・中国の合作で、主演の一人も中国人。
北欧というと「かもめ食堂」とか癒しと食の映画の舞台という印象があるけれど、これもそう。ただ、初め食べているソーセージとポテトというローカルフードは良く言えば朴訥だけれど、食べることにあまり興味がない感じ。

この話は中華料理でないと成り立ちにくいなとは思わせる。どこででも中華鍋とお玉があればよく、そこで手に入る食材に合わせて作れる、というのと、医食同源というイメージを上手く取り込んだ。中国人観光客が詰めかければ商売にもなるというのもある。

フィンランド人と中国人が会話するのだからセリフはもっぱらたどたどしい英語というのもワールドワイド。

そう思っていたら、「ミカ・カウリスマキが贈るラップランドの美景で包むささやかなグローバリゼーション『世界で一番しあわせな食堂』」によると、順番が逆でむしろ中国人観光客がフィンランドに押し掛けている、それから現地人がやや反撥しているところから発想したらしい。

シェフ(原題はMestari Cheng=マスター・チェン)役のチュー・パック・ホングは「私のプリンス・エドワード」で金馬奨、香港電影金像奨の助演男優賞にノミネートという以外あまり映画に出ていないが、舞台では有名な人らしい。

なぜ中国人親子がフィンランドの田舎町に来たのか、母親はどうしたのか、といった設定の細かいところを伏せておいて徐々に明かしていくのだが、伏せておいた部分が特に重要なわけではなく、ゆったりしたテンポながら飽きさせない工夫と思える。

チェンがあくまで報酬を受け取らないのはありそうになさそうでありえると思う。




「地上最大の脱出作戦」

2021年02月27日 | 映画
この映画は小林信彦の「世界の喜劇人」で「脚本に関する限りこれ以上ないほど面白くできている」という記述で知って、また脚本が「エクソシスト」を書く前のウィリアム・ピーター・ブラッティであることも予備知識として持っていた。

ブラッティというとなんといっても「エクソシスト」の原作脚本製作の人という印象が今では圧倒的に強いので、こういうコメディを作っていたのは意外だった。
ホラー作家が、たとえば楳図かずおが「まことちゃん」を描いたりすることはあるが、それとも違う。
他にも同じブレイク・エドワーズ監督で「暗闇でドッキリ」も書いていて、「銃口」「暁の出撃」といったコメディでない映画でも組んでいる。

第二次大戦中のイタリアの田舎町で連合軍枢軸軍ともにまるでやる気のないまま戦争するふりだけする、というのをいかにも諷刺ですといった調子ではなくナンセンスで描いているのが画期的で、戦争とはまるで関係なく二人組の泥棒が地下トンネルを掘ってまわっていて時々穴が地面にぼこっと空くが戦争中なので誰もおかしいと思わない、という調子。

乱痴気騒ぎの描写が盛大で、大勢が町中で西部劇のサルーンの乱闘をもっと大がかりにしたような乱闘をやらかすなど、ブレイク·エドワーズは「グレートレース」でもやっていたが、相当好きみたい。

ただ「この映画が傑作になりそこねたのは脚本が画期的であるほどには演出と編集が画期的ではなかったためである」という評言を引用して終わりというのもなんだが、実際そうなっている。







「秘密への招待状」

2021年02月26日 | 映画
デンマーク映画「アフター・ウェディング」のリメイクだそうだが(リメイクの原題もAfter Wedding)、オリジナルはどんなものなのか見当がつかない。
つまり、インドで身寄りのない子供たちの世話をしている女性にアメリカの大金持ちの女性が多額の援助を申し出るのだが、その間基本的にドラマらしいドラマが立ち上がらないわけで、移し替える骨子がはっきりしない。

つまり、二人の女性の境遇は大きく違うものの、対立するわけでなく割と簡単に融和してしまう。それを描きたかったのかもしれないが、あまり葛藤も紆余曲折もなく三方よしみたいな終わり方をされてもあまりピンと来ない。




「狙撃者」

2021年02月25日 | 映画
オープニング、走る長距離列車の中でマイケル・ケインがレイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき女よ」を読んでいるので、ハードボイルドをやろうとしているのかと予感したらほぼ的中。
ちなみにこれはシナリオ段階で指定されている。

ハードボイルドというのはこの場合まず映画の文体で、タイトルバックで列車の先頭に取り付けたカメラがトンネルに入って画面が黒くなると文字が出る、それと列車の客室で起きていることのカットバックするのがなんともスタイリッシュでさりげなく格好いい。
ロイ・バッドの音楽がまたイギリスならではの味を出す。

兄を殺した相手を追って復讐するのが基本的なプロットではあるのだが、肉親との情愛といったものの描写は画面に現れず、「マルタの鷹」で相棒を殺されたらその犯人を始末しなくてはいけないといった法則・掟といったドライな感覚が先立つ。

マイケル・ケインのクールな佇まいと、特に女に対する酷薄な表情が他の人では出せない味わい。





「すばらしき世界」

2021年02月24日 | 映画
役所広司のヤクザ役というのはこれまでもいくつもあったが、まじめに更正しようとしているのとそれを食い破って凶暴さが噴出してきそうなのが、それもシーンによって演じ分けているのではなく同居していて絶えずせめぎ合っているのが何ともスリリング。

ヤクザというほど腹をくくっていないチンケなワルが気の弱い相手に嫌がらせや居直りやカツアゲをしているのを見るとすぐカッとなってしまうのが、見ているこちらもむかっとくるから腹が立つのはわかるし、そこでぐっとこらえなくては社会人として生きていけないのがどこかおかしいのも確かで、主人公だけでなく見ているこちらも揺れてくる。

脳にどこか障害があるのではないかという仮説をテレビマンが追う、とか、母親を探したりといった脇筋に入るが、それで全部説明したりしないでそれらを含めて丸ごと人間を捉えている。

カップラーメンを作る時にプラスチックのまな板なんてでかい物で蓋をするのがなんとなく可笑しい。




「アングスト 不安」

2021年02月23日 | 映画
オープニング・ショットからして、どうやって撮ったのだろうと思わせた。
歩いていく男を追っていくカメラが揺れているのでありがちな手持ちカメラかと思うと、男の身体の揺れとカメラの揺れが完全にシンクロしている。

身体に取り付けて撮ったみたいなのだが、どういう具合に取り付けたのかよくわからない。
その他、通常の発想から大きく隔たったカメラ位置が全編にわたって随所に見られて、シリアル・キラーの理解不能な感覚にシンクロさせようとしているみたい。

描写そのものは特にどぎつくないのだが、自然に狂ってしまったみたいな不安にさせるところがある。
主演のアーウィン・レダーがどこかで見たような顔だと思ったら、「Uボート」の“幽霊”のヨハンをやっていた人。オーストリア人で「シンドラーのリスト」や「アンダーワールド」などの英語圏の作品にも出ているらしい。





「哀愁しんでれら」

2021年02月22日 | 映画
土屋太鳳のヒロインは大金持ちの医者と結婚して玉の輿に乗ったという点ではシンデレラだが、同時に医者の連れ子のまま母を務めるという点ではシンデレラのまま母の女王でもある、というシンデレラ物語の解体と再生に工夫が見られる。

ヒロイン自身が子供の頃に母親に捨てられていて、自分がその母親と同じことをするのではないかという畏れが一つの芯になる。

大金持ちの生活を描くのにケバめの原色を多用していて、赤青黄の服を着た三人が現代美術が並んだ浜辺で踊る場面など面白い絵柄。
細かいところで省力と暗示を効かせている演出には光るものがある。

場違いな環境に飛び込んでしまい、じわじわと心理的に締め付けられるサスペンス映画というと「レベッカ」をはじめいろいろあるが、途中からそういうジャンルムービーに回収されるのを拒否するかのようにかなり思いきって飛躍した展開に向かうが、伏線こそ張っているけれどラストなど正直かなり無理やり気味で匠気がかって見える。残念。




「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」

2021年02月21日 | 映画
旧ソ連から亡命した不世出の名バレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレエフの伝記映画。監督がレイフ・ファインズというのが意外でもあるが、ヌレエフの世話係として出演もしている。

エンドタイトルで本物のヌレエフの踊りの実写が出て来るわけだが、再現不可能なだけに本物を出さないわけにはいかないのだが、その分本物が出ていなかったのが改めてわかってしまうのは痛し痒し。

やはり不世出と言われるダンサーで現役のセルゲイ・ポルーニンが出ていて、踊りの技量だったらもっと再現度が高くなったかもしれないが(持ち味は全然違うだろうが)のだが、容貌が全然似ていないからパスされたらしい。
ヌレエフに韃靼人の血が入っているのは、少数民族としてソ連社会での処遇にも結びついているということだろう。

ヌレエフの異常なまでのプライドの高さと、なんでも社会主義の手柄にしたがるソ連の上層部との衝突はよくあるモチーフではあるけれど、やはり引き込まれる。

科学者に比べるとダンサーはやや監視が弱かったというあたり描き込みが細かい。亡命しようとした時の引き止め方の強引さなどぞっとさせられる。

タルコフスキーの当局との確執がドラマになると聞いたことがあるけれど、実現したのだろうか。





 

「マーメイド・イン・パリ」

2021年02月20日 | 映画
原題はUne Sirene de Paris、パリのセイレーンつまり歌で人を惑わし死に招く怪物あるいは妖怪で、古代では「デビルマン」のシレーヌのように半分人で半分鳥だったのが、中世から半分魚になったという。

映画では姿は完全にマーメイドにしているが、歌で死に導くという設定も入っていて、そこが珍しくもあるけれど、「スプラッシュ」調のラブロマンス仕立てとしては人が死ぬとなるとどうも座りが悪い。

ストーリー展開とすると人魚を川のほとりで拾った男が恋に落ちて結局海に戻さないといけないという人魚ものロマンスのパターンは守っていて、その分ストーリー上の綾とか枷が機能していないのが目立つ。

人魚をバスタブに入れっぱなしにしていては動きがとれないし、火事を起こして消防隊が来る騒ぎになっても見つかってどうにかなるといった展開を見せるわけではないのでダレる。

男の部屋にあるテレビは日本製なのだが、同時に置かれているのがLPレコードだったりVHSプレーヤーだったりするのだから中韓製家電が席巻している昨今ではもはやレトロ扱いということか。

エンドタイトルを見ていると-skiとか-kovといったロシア系か東欧系みたいな名前が目立つ。
フランス映画で特にスラブっぽさというのもないのだが、どういうわけだろう。

人魚役のマリリン・リマのコケティッシュな美しさが一番の魅力。

「アメリカの鱒釣り」という名のカクテルが出てくる。
リチャード・ブローティガンがどう関係あるのかわからないが、単に作り手が好きなのだろうか。




「風をつかまえた少年」

2021年02月19日 | 映画

「それでも夜は明ける」などの主演で知られる俳優キウェテル・エジョフォーの初監督作品で、主人公の少年の父親役で出演もしている。

舞台はアフリカでも最貧国のマラウイで、干魃や洪水など不安定な水事情に悩まされている農地に安定的に水を導くべく風車を独学で作った少年の実話に基づく感動作。

オープニングの葬儀の風景から衣装や踊りなどが過剰なエキゾチズムや物珍しさを排して美的に描かれていて引き付ける。
ロケ効果が秀逸で、乾いた大地も風車が回る風景も魅力的。

エジョフォー自身黒人なわけだが、生まれはロンドンで正規の演劇教育を受けローレンス・オリヴィエ賞の受賞経験もあるキャリアの持ち主で、アメリカの黒人俳優とはやや立ち位置の違いを感じさせる。
つまりアメリカ黒人だとどうしても奴隷の子孫という白人の原罪がついてまわるが、アフリカからイギリスに渡ってきた黒人の子孫となると差別はあるにせよもう少しアフリカとの距離が近く、ストレートに感動話を顕揚できるみたい。

直接選挙による大統領制だそうだが実質独裁で、食物を分け与えない政府を集会で批判した老人を大統領の護衛がよってたかって殴る蹴るの暴行を加える場面など、形骸化した選挙による独裁政治を典型的に見せる。

学校が授業料を払わない生徒を教室から締め出すばかりか図書館を利用するのも禁じる官僚的な対応で、それを突破する主人公がそれなりに汚い現実的な手を使うのがリアル。







「悪人伝」

2021年02月18日 | 映画
刑事とヤクザの親分が協力して連続殺人鬼を追う、という基本的なアイデアが抜群で、ここで半分勝ったようなものだが、それ以上どの程度積み上げたかというとやや疑問が残る。

刑事とヤクザが半ばバディになる可笑しさの一方、本当に馴れ合ってしまっては緊張感がなくなってしまうわけで、どこに着地するのにはかなり苦心した様子が見られる。

韓国は死刑制度はあるのだが実際には執行しないという微妙なスタンスをとっていて、連続殺人鬼が逮捕されても事実上死刑にはならないわけで、逮捕しないでブチ殺してしまっては刑事の立場がなくなり、かといって逮捕したらのうのうと生き長らえることになる。

この矛盾を解消する方法というのは正直かなりムリがあって、細かくは言えないが、刑事にそこまでの法的権限はないだろうとは思った。

逮捕から裁判にかけてのフラッシュバックの使い方が説明そのものでまだるっこい。
殺人鬼を追い詰めたところでぴしっと決着をつけるのが本当だったろう。

そういう細かいことを言わないでマ・ドンソクの大暴れを楽しめばいいかというと、刑事の顔も立てないと根本的に成り立たない設定だから困ってしまう。

とはいえ、韓国犯罪ものの常でとにかくワルたちの顔がいい。脇の脇まで一癖ある顔が揃っている。

ドンソクの叩いてもならぬ刺されても死なないタフガイぶりと変な愛嬌を楽しむ分には十分。







「動乱」

2021年02月17日 | 映画
見たつもりになっていて、実は見ていなかった映画のひとつ。

公開当時、日本アカデミー賞は受賞していても(だから?)、批評家筋の評価はぱっとしなかったと思う。
で、失礼ながらあまり期待しないで見たらまず高倉健・吉永小百合主演のスター映画兼歴史メロドラマ大作として一応成立していて、あれこれ言おうとすればできるけれど、この手の大作すら今では作られないせいもあって、意外と見ていられた。
というか、ますます個人の小状況と国や世界の大状況とをクロスさせる作劇は遠ざかっている。
五社英雄の「226」も青年将校たちの家族の絡ませ方がおよそ不細工だった。

5.15から2.26にかけての現代史劇としては単純化しすぎ、には違いないが、今これを見てしたり顔で史実を無視しすぎといったしたり顔の評が散見するのが逆に歴史の連続性が忘れられているのを証明している格好。

製作は先日物故した岡田裕介。
作品歴を見ると本当に吉永小百合が好きなのが一目瞭然で、ここまでわかりやすくなくても良い気がする。
というか、取り巻きが大事にし過ぎてイメージを妙にズレたまま固めた感。

監督は森谷司郎。同じ1980年に師匠の黒澤明が「影武者」を発表している。
ともに志村喬が出ています。
初期は青春ものの小品が多かったのが「日本沈没」の大ヒット以来大作が続いて今一つ骨格が弱いまま早世したのに、なんだか微妙な気分になる。





2月15日のつぶやき

2021年02月16日 | Weblog

「 ベル・カント とらわれのアリア」

2021年02月16日 | 映画
渡辺謙や加瀬亮が出演していることからもペルー日本大使公邸占拠事件をモデルにしているのははっきりしていて、当時のペルー大統領のアルベルト・フジモリのそっくりさんが出てきたりもする。

もっとも外部との交渉や突入作戦の練り上げといったこれまで報道された外からの視点による要素はカットして、監禁している者されている者の間の一種のストックホルムシンドロームというか親密化が細かく描かれている。

有名人であるオペラ歌手のジュリアン・ムーアを女性は先に解放するという基準に反して解放しないで留め置かれるあたりから、ノーブレス・オブリージュ(高い地位にある者の責任)といったモチーフが入っている。

ゲリラはありがちな凶暴で非人間的なテロリストとしてではなく、子供も混ざった抑圧された存在としても描いていて、全体にフォーマルに誰かを悪に仕立ててそれをやっつけることでカタルシスを生む作りを避けている。

実際の特殊部隊はゲリラを鎮圧したあと、女性ゲリラをレイプしたり、殺したゲリラの首を切り落としたという話もあるが、そういう場面は描いていない。





 

「名も無き世界のエンドロール」

2021年02月15日 | 映画
初めのうち何を描こうとしているのかはっきりさせず、時制を交錯させながらパズルを組み立てるように展開して、クライマックスでばたばたっと一気に狙いをわからせるという作り方は相当な腕で必要で、意味がわからないなりに引き付ける摑みや、ひとつひとつのシーンの厚みやコク、演技のリアリティと、細部の充実と全体の構成力が要るわけだが、どれも欠けている。

そして最終的に現れる図というのもあまりぱっとしない。
いうところの「格差社会」でいてもいなくてもいいみたいに扱われている人間の意地と存在証明というには、主役ふたりイケメン過ぎやしませんか。
しかも見分けがつきにくい。