prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「遺書、公開。」

2025年02月07日 | 映画
なじみのない若手俳優が大勢出てくるので、見分けがつくかどうか不安だったが、この点はほぼクリアしていた。
「ベイビーわるきゅーれ」の髙石あかりはおなじみだったが(朝ドラの主役の放映が始まったら日本中でおなじみになるだろう)、それを見越したのかどうか、序列で一番になったのに自殺した子の花瓶が置かれたすぐ後ろの席にピンクの上着を羽織って座っているので目立ちます。

どういうわけかD組の生徒(と担任教師)に序列がつけられ、その全員に女生徒の遺書が配られて、その遺書をそれぞれが朗読していくなんて、なんでそんな手間ヒマと時間かけなくちゃならんのだ(一日では終わらず何日もかかるのですよ)としか言いようがないし、序列のビリとかブービーはどうなっているのか、底辺の方が圧力キツそうだがそのあたりもはっきりせず、スクールカーストの上位の方がキツいという理屈もなんだかよくわからない。

リアリティなんて言い出したら最初から無理矢理なお話なのだが、それを気にさせないワザがあるかといったら、どうも心もとない。
よくある限られた空間にいる集団がひとりづつ殺されていく話のバリエーションと考えていいだろう。

舞台劇みたいにスタティックになってもおかしくない二時間強の長さをかなり細かいカット割で時制や解説的な画像、各人の主観立場を交錯させながら描く語り口は、一応の勢いはある。
教壇から見た教室のモヤッとした画像(に、LINE風のトークがかぶる)は一体なんだろうと思わせて最後にわからせる、と言いたいところだが、これまたなんだかよくわからない。しかも妙なおまけがつく。





「勇敢な市民」

2025年02月06日 | 映画
元ボクシングのチャンピオンの教師が、非正規雇用ゆえに親の権威をかさに着てやりたい放題の生徒をやむを得ず見て見ぬふりをしていたが、堪忍袋の緒が切れてネコのマスクをかぶって試合を挑むというお話。

ネコのマスクって、タイガーマスクのパロディか何かか?原作はマンガらしい。
ボクサーが踵落としするというのも、相当無理矢理で、総合格闘技がごっちゃになった
観客がネコのマスクかぶっているのが女だとわからないというのもマンガっぽい。





「室町無頼」

2025年02月05日 | 映画
体格からいっても堤真一が立役で、大泉洋は本来の万能カードとしてのジョーカー的立ち位置。
アナーキズム的な新作映画が「十一人の賊軍」に続いて出てきたともいえるけれど、集団抗争時代劇の時代だと撮影所というシステムが機能していたから逆にアナーキーになれたともいえるので、今みたいにバラバラになっているとわざわざアナーキーにするまでもない感じ。
だから大泉洋の軽みがふさわしいということか。

ちょっと音楽がマカロニウエスタンっぽい。
京の都が碁盤目状に道が縦横に走っているのは有名だが、その地形を山場で生かした。





「雪の花 ともに在りて」

2025年02月04日 | 映画
小泉堯史というとまず黒澤明の弟子としての印象が強いが、強いて自己主張するのではなく今でもスタッフの一員としてあり、とにかく丁寧な仕事ぶりを彼らから引き出すというか、言われなくても丁寧な仕事をするスタッフの集団に中にいる印象。
日本の美、風景美、建築美、衣装美ほか掛け軸ひとつにも神経が行き届いている。

疱瘡を生で見せずに絵で代用しているのは良くも悪くもグロを避けたということか。

チンピラたちを叩き伏せたり、「赤ひげ」のパロディめいたところがある。世の関節が外れているのだといった「ハムレット」っぽいセリフは「蜘蛛巣城」「乱」といったシェイクスピアの翻案への連想を誘う。

「赤ひげ」でいうとまず加山雄三が三船敏郎の赤ひげに反抗してから次第に心服していくのがドラマになるのだが、初めから心服しているみたい。

セリフが聞き取りやすいのは黒澤に似なくてよかった。





「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」

2025年02月03日 | 映画
九龍城砦の壮大緻密なセットが目を奪う。
上下方向にも立体的に伸びているのだから、迷路のようというのも足りない。
しかしおそらく実在した建築物なのだから今はない幻想を想像させてやまない。

主人公陳洛軍が城砦で見つけた三人の仲間はとっぴな連想か知らないが三国志を思わせたりする。
気功を操る敵とはいえ一人の敵に四人がかりでよってたかってというのは「プロジェクトA」のクライマックスが敵ひとりに三人がかりだったのと通じて、不思議と卑怯と思わせないのは、それだけ敵が強いせいもあるが、カオスそのものが相手という趣があるからかもしれない。


「嗤う蟲」

2025年02月02日 | 映画
街から村に越してきた夫婦が村人たちに囲い込まれて夫もだんだん洗脳されていき妻が孤立していく、ちょっと「ローズマリーの赤ちゃん」みたいではあるけれど、赤ちゃんがふつうの人間な分、まだしもではあります。
ただ田舎ホラーとなるとアメリカのデカさには及ばない。

ホラーで回想を使うというのはあまりそぐわない気がする。現在進行形で次どうなるかわからないのが怖いという面はあるから。

村で麻を温室で栽培していると思しいのだが、この映画そのものの撮影にあたって大麻取締法にどう対応しているのだろう。




「366日」

2025年01月31日 | 映画
大きくSONYのタイトルが出たかと思うと、ポータブルMD(ミニディスク)プレイヤーのアップになる。もちろんSONY製。MDとは珍しいと思ったら、なんと全編出てくるポータブルプレイヤーはすべてMD方式。MD以外の、ウォークマンとかiPodとかは一切出てこない。
ずいぶん不思議な世界観があったもので、不思議といったらイヤホンで聞いている当の音楽がどんなものなのか、具体的な曲はほぼ出てこない。最後の方でかかるまでとっておいてあったらしい。

カット割りはトレンディドラマ風にふたり並べて離して撮ってから、両者のアップの切り返しの繰り返しが基本。こうも律儀にルールを決めているのも珍しい。

なんだか、赤楚衛二と中島裕翔の顔がほぼ同じに見える。上白石萌歌と上白石萌音と同じくらい同じに見える。髪型くらい変化をつけてもよさそうなもの。

原作は「366日」物語委員会となっている。「鬼滅の刃」の脚本がunforgetableと個人名ではなくグループ名になっていたのを思わせる。

上白石萌歌が赤楚衛二の子供を妊娠してそれを知らせないままでいるのと、赤楚衛二が白血病(とはまたクラシックな)を発病しているのを知らせないのといわばすれ違い状態になっているわけだが、両方ともなぜ知らせないのかよくわからない。
赤楚と上白石の東京の部屋の方が沖縄の部屋の方より広いというのもよくわからない。

玉城ティナという実際の沖縄出身の人を使っておいて沖縄出身なのかどうかよくわからないというのも不思議。





「ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件」

2025年01月30日 | 映画
トニー・レオンとアンディ・ラウの共演作となると、「インファナル・アフェア」以来だろうが、善人顔のトニーが自分では手を下さない悪人で、強面のアンディが刑事という取り合わせ。

1980年代の香港が舞台とあって、株式市場がまだ人海戦術の場立ちでやっているのが見もの。アナログの方が画になりますね。
裁判官をイギリス人がやっているのが香港がイギリス領だった名残で、裁判官もトニーの陰謀で裁く資格自体をなくしてしまうのがイギリスの没落ひいては香港市場の中国本国の興隆による相対的な没落となっている。

イギリスに逃げた囚人が証言をアンディに求められ香港行きの飛行機に乗る前に消されると怯えるあたり、合法的な手続きを踏まなくてはいけない警察と踏まなくていい黒社会との違いを端的に見せる。





「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」

2025年01月29日 | 映画
ロイ・コーンが弟子(Apprentice)にあたるドナルド・トランプに勝つための三つのルールを伝授する。つまり1 攻撃、攻撃、攻撃 2 非を絶対に認めるな 3 勝利を主張し続けろ というもの。

負けたと言わなければ負けたことにはならないという屁理屈は確かに「効果」があるといえばあるので、要するに性善説の上にフェア・プレイが行われているという一応の前提・約束事をひっくり返しているわけで、いったん横紙破り、ルール違反をされるとそこから後はなんでもありになってしまう。

今の日本でもしばしば見受けられる、悪目立ちであろうがなんだろうがやったもの勝ち、勝てば総取り、負けたら負けた側も共倒れで、結局そうすると全体とすると目減りして切り捨てられるのは余力のない方ということになる。

トランプの兄の依存症に悩まされるあたりも描かれるのだが、結局共感力不足ゆえに切り捨てて済ませてしまう。

トランプがたびたび資金がショートしたりして経営そのものはおよそ手堅くはないのをはっきり描いている。

後半は背景や調度品が贅沢きわまるものになっていくが、この映画の製作陣はどうやってそれらを用意したのだろう。

この映画はアンチトランプにもトランプ支持層にもおおむね受け入れられているという。
ひとつはトランプが個人的なパーソナリティよりはアメリカ的資本主義的な論理のひとつの行き着く先のモンスター化を示しているからで、教えを引き継いでいるのに受け継いだものを渡そうはしない、





「敵」

2025年01月28日 | 映画
繰り返される悪夢的な場面展開にハイコントラストな白黒画面が効いている。白黒だと抽象化されるので現実なのか夢なのか幻想なのか境目なく行き来できる。

儀介はMac(というちょっとハイブロウ?な機器を使っている)に送られてくるスパム類を初めは捨てているのだが、うっかり?クリックしてしまうと、画面が意味不明の記号の洪水の中に難民移民といった意味が部分的に通じるフレーズが混じる状態になるのがたとえばコンピューターウィルス感染を思わせるし、昨今の難民移民を時には妄想混じりで敵視する傾向を逆に照射しているようでもある。

歳のわりにIT機器に慣れてる感じだが、これから後、Macは電源を落として手書きの文字で遺書をしたためるようになる。
器用に料理をこなしているのは大学の専門が仏文というのと関係しているのか、IHクッキングヒーターを使っているのは老化に伴って炎が服に燃え移らないよう予防するためだろうが、妻の生前からやっていたのかどうか。

ひとりで住むにはやや広すぎる家で、たくさんの蔵書が至る所にあって死んだ後それらの本の整理を心配していたりする。あれが電子書籍だったらややこしいだろうな。





「エストニアの聖なるカンフーマスター」

2025年01月27日 | 映画
タイトルそのまんまの内容。
ぶっとんでいるには違いないが、なんだか素朴手作り感もある。
ただし肝腎のカンフーがショボい。

ポップカルチャーが禁じられたソ連占領下のエストニアを舞台にしていて、バカにでかいラジカセでブラックサバスを聞くのと、出てくる大半が聖職者たちというのがカオス気味。





「ディックス!! ザ・ミュージカル」

2025年01月26日 | 映画
まあお下品な映画。
生き別れになっていた双子が家族が欲しくて両親を復縁させようとするのだが、親に関してはうまくいかなかったものの、目をむくような方法で彼ら自身が家族になってしまう。

トランプ政権が発足して間もないもので結果として挑発する格好になっている。神はホモ(faggot)だと自称するのだから。
主役ふたりが本物の双子かと思ったら、他人(ジョシュ・シャープとアーロン・ジャクソン)だという。

エンドタイトルの半ばメイキングを見ると、下水道ボーイズという二体のクリーチャーの操演する部分をグリーンに塗っていた。

ミュージカルというのは上映時間が長くなりがちなのだが86分とコンパクト。最近の映画の中では一番短い。





「満ち足りた家族」

2025年01月25日 | 映画
弁護士の兄と医者の弟というのは社会的ステータスからいけば最高位同志みたいなもので、実際定期的に会食しているレストランは一目で高級とわかる。

ただし両者のバランスは崩してあって、弁護士の兄は死亡事故を起こした運転手をそうとうにアコギな弁論で運転手自身をすら丸め込んでしまい、弟の方にボランティア的に老母の世話を負わせている。
では弟が自己犠牲気味なのを納得しているのかと思うと思わぬところで(実は予想がつく形で)噴出する。
どことなくカインとアベルを思わせるが、もっといびつ。

ふたりの子供たちがもっといびつなのだが、毎度のことながらの韓国の猛烈な学歴社会ぶりとそこからの逸脱との葛藤が背後にある。

製作国を転々と変えてのこれが四度目のリメイクらしいが、前の三回はほぼ未公開。





「サンセット・サンライズ」

2025年01月24日 | 映画
竹原ピストルの居酒屋にたむろしている井上真央をマドンナ扱いして互いに牽制しあっている四人の独身男の設定がコミカルだが、よく考えてみるとかなりシリアス。嫁不足だから空き家の斡旋で地方創生して人を呼び込もうという基本的設定につながってくる。

河原に主なキャラクターが集まってピクニックみたいになるあたりが山田太一ドラマの大団円っぽいが何も解決していないラストみたいで、これで終わるのかと早とちりしたら後がかなり長い。
少なくとも、菅田将暉が東京にいったん戻るのは二度手間。

最初の方で井上真央が空き家にカメラを向けたら小さな子供がふたりファインダーの中を幻影みたいにぱたぱたと駆け抜けていくのだが、何ですか、あれ。
劇中の絵(ちなみに菅田将暉本人が描いたものらしい)に前にはいなかったふたりの子供が描き加えられているところがラスト近くにあるのだが、これもよくわからない。原作読む必要あるのか?

「君よ憤怒の河を渉れ」「リメインズ 美しき勇者たち」「デンデラ」でもクマは鬼門だったが、コミカルな扱いとはいえ実際にクマが全国に出没している現状では造形がちゃっちいのは気になる。

新鮮な魚を食べた菅田が目をまん丸にして美味しがるのが可笑しい。
しかし魚を肴に酒ばかり飲んでいて白いご飯で食べないのはもったいない気もしないではない。

中村雅俊と井上真央がどう見ても父娘なのだが実はというあたり、他の家族が絡まず後の方まで写真も出てこないのでちょっとわかりにくい。

エンドタイトルで俳優たちの名前が一通り出たところで監督・編集の岸善幸の名前がスタッフの中では真っ先に出るのにあれと思う。たいてい監督の名前は最後に出るものだと思っていた。





「港に灯がともる」

2025年01月23日 | 映画
富田望生のヒロインは阪神淡路大震災の被災者で、在日コリアンの帰化問題を抱え、コロナ禍にみまわれ、家庭内の不和にも悩ませられているという具合にドラマチックな要素には事欠かないが、それらをやたらと並べ立てないで順々に後からわからせていく。

まず単なる?不眠症なのか鬱病なのか、とにかく眠れない症状の描写から入り、そこから恢復していって職につき人心地つきある程度余裕が出てから徐々に各モチーフに移る。
いきなりテーマを正面から押し立てないで、いわば小文字で綴っていく。

富田望生が父親の甲本雅裕との口論のあと、風呂場に閉じこもってすりガラスに影も映らない状態が続いてからドアを開けて出てくるまでの、誰も映っていない長い長い間には息がつまった。ずいぶん大胆な演出で、終盤の父親相手の「家族らしい」つまりこまごまとした語り合いが欠けていたと電話で話すやはり長回しの緊迫感と対をなす。

長田区の鉄人28号の巨大なモニュメントが頻繁に写されると思ったら、原作者横山光輝の出身地なのね。