描かれる範囲をスポーツ番組のクルーにかなり絞っていて、実在の政治家はSONYのテレビのブラウン管を通して描いている。テレビ中継という設定をうまく生かした。まだ国際的テレビ中継に良くも悪くも慣れていない時代色が出ていたと思う。
場面とキャラクターを絞っているだけに、直接警察が押しかけてくるくだりが短いが相当な圧迫感をもつことになった。
オリンピックとテロとのトラウマはミュンヘン以後定着して、最初の北京五輪からはテレビ中継にディレイ(遅延)技術を導入してテロがあっても時間差で切り替え、ごまかし通せるようになったという。
その切り替える技術の萌芽をここで見せている。
先日「あの歌を憶えている」で見たばかりのピーター・サースガードが実在の人物の再現という全然違う役作りのアプローチを見せていた。