prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「夏至」

2009年12月31日 | 映画

監督のトライ・アン・ユンはベトナム系とはいえ実質ヨーロッパのインテリですからね、アジアのエキゾチックな風景と美人姉妹とがもったいぶって美的にブレンドされた映画祭向きの退屈なゲイジュツ映画。

「ノルウェイの森」を映画化する監督、という目で見てしまうわけだが、なんだか納得できる。期待しているわけではない。
(☆☆★★★)


2009年12月に読んだ本

2009年12月30日 | 
prisoner's books2009年12月アイテム数:24
親鸞をよむ (岩波新書)山折 哲雄12月01日{book['rank']
子宮会議洞口 依子12月01日{book['rank']
星への旅 (新潮文庫)吉村 昭12月17日
自閉っ子、こういう風にできてます!ニキリンコ,藤家 寛子12月20日{book['rank']
自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいくニキ リンコ,仲本 博子12月20日{book['rank']
ピアニストが見たピアニスト青柳 いづみこ12月22日
映画的建築/建築的映画五十嵐 太郎12月22日{book['rank']
怖い絵3中野 京子12月22日
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「シャッター」

2009年12月30日 | 映画

日本を舞台にして日本人プロデューサーと監督(一瀬隆重・落合正幸)で、タイのホラー「心霊写真」のアメリカ版をリメークしたというややこしい作り。東洋の西洋に対する目線と恨みをのんで死んだ女の目線が微妙にだぶっている気がする。

「サイコ」の母親の登場シーンを明らかに思わせる後ろ向きの女に近づいていくシーン、本家ではぐるっと横に回転して顔を見せていたのを、がくっと上にのけぞって顔を見せるのが工夫したところ。

奥菜恵のでっかい目がぐりっと動くと相当に気持ち悪い。小柄なところもかえって不気味。こういう怖さは東洋人の持ち味だろう。

クライマックスで西洋人のヒロインがどっかに行ってしまい関わりがなくなってしまうのは困ります。

ブルーレイで見たのだけれど、音響が思い切りメリハリがきいて静かなシーンと低音がどすんどすん響くシーンとのコントラストが強烈。
(☆☆★★★)


「アキレスと亀」

2009年12月29日 | 映画

主人公は絵の才能があるの?ないの?
脈絡なくウォーホルやリキテンスタインほかやたら色んな画家の真似してばかりいたり、かなり古いセンスのアクション・ペインティングにふけったりと、才能あるとは思えないのだけれど。
大森南朋の画商の批判はいちゃもんじみた言い方をしているけれどみんな当たっている。
才能なくて生活態度だけ芸術家というくらいはた迷惑な人もいないだろう。

ラストで「そしてアキレスは亀に追いついた」、と字幕が出るので、あれ、主人公はアキレスの方だったのと思う。亀の方だと思っていた。どうもウサギとカメの話とごっちゃにしていたみたい。

たけしと樋口可南子の夫婦の出番が遅いのにちょっと驚く。尺数の半分くらいは生い立ちを綴るのに費やされていて、別キャスト。
(☆☆☆)

「THE 4TH KIND フォース・カインド」

2009年12月28日 | 映画
見てないけれど、昔の矢追純一の木曜スペシャルUFO特番ってこんな調子だったのではないか。
ひっぱれるだけひっぱっておいて、ものすごく少ないネタをものすごくもったいぶって提出する見世物小屋センス。

記録(?)映像をフィクションと堂々と銘打った映像と絡めることで逆に「作り物ではない」と見せようというとするのと、ドキュメンタリー風の映像に修正やノイズを入れることで「リアル」に見せようという魂胆なのだが、初めのうちはともかく、強引な脈絡のない展開に走って結末らしい結末なしで終わるとなると、もともと画の迫力で見せるわけにはいかない上、ドラマを組み立てるわけにもいかないので、だんだん飽きてシラけてくる。
ラスト、インタビュー風景でカメラが引くと見えてくるもので一種のオチがついたみたいにしているけれど、別にオチにはなっていなくて、「作り物」であることがバレているみたい。
オカルトの「リアリティ」を追求すると、メディア論に近づく。虚実皮膜を縫うことになるからか。

ミラ・ジョヴォヴィッチが化粧気なしにしている(なしに見せている、のだろう。個人的メイクの担当者がエンドタイトルに出る)とはいえやたらと美人なのに対して「本物」の博士が思い切り気持ち悪い。メイク以外に画像処理も加わっているのではないか。

どうでもいいけれど、UFOをユーフォーとは言わず、ユー・エフ・オーと発音しています。
(☆☆★★)


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「レリギュラス」

2009年12月27日 | 映画

宗教を信じている人たちのところをまわって、わざわざその拠って立つ根拠の薄弱さ・非科学性・思い込み・矛盾を衝いて笑いのめしてまわるコメディアン、ビル・マーのドキュメンタリー。
進化論を否定している博物館では恐竜に鞍をつけたりしているのが笑うに笑えない。どうも「恐竜100万年」あたりの映画で恐竜と人間が一緒に出てきているのを本気にしているみたい。

ダーウィンの進化論っていうのもキリスト教的立場からえらい攻撃されてきたわけだけれど、ここでは触れていないが一方で適者生存説っていうところが弱者切り捨てに都合よく利用されてもきたのだね。

偽預言者というか、宗教家といわれる連中の強欲・ウソツキ・差別体質・偽善ぶりに見ていてヘキエキした。職業的宗教家でない一般信者も、目の前でうっかり神を否定するとそれこそとって食われそうなのが怖い。何かを信じるのと依存する(=批判力をなくす)のとは切っても切れない関係らしい。
ここではユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教を俎上にあげているわけだけれど、わが日本の仏教や神道の坊主も儲け主義という点では相当なものだぞ。

そのあたりを突っ込むのは痛快でなくもないではないけれど、いちいち執拗に糾弾してまわるというのも大人気ないというか、ファナティックすれすれを通り越している気がする。無神論者は狂信家に行動パターンが似るという(共産主義者を見るといい)が、それに近くて笑いがひきつる感じ。

「2012」

2009年12月26日 | 映画
とにかくやたらスケールはでかくて、「AKARA」ばりに崩壊する都市の破片のひとつひとつまで描かれているのには恐れ入る。クライマックスでエベレストに津波が押し寄せるという発想はすごい。
中国を妙に持ち上げているのかおちょくっているのか、マーケットとしての中国にコナかけているのだろうけれど、一方でチベット問題についてノド元まで何か言いたそうで言っていないから微妙にヘンな感じになっている。

サスペンスの作り方があざといというか、危機に陥る人をいやにあっさり殺すかと思うと生きるか死ぬかやたら引っ張ったりで、はらはらしていいのかイライラするべきなのか、困る。
ジョン・キューザックの息子の名前がノアっていうのはあからさますぎて寓意になっていないが、誰が生き残るかというのを線引きするとヘタするとエリート(選民)主義に傾くことになる、それでは反感を買うのでかなり行き当たりばったりに殺したり殺さなかったりになった感じ。
(☆☆☆★)


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「なくもんか」

2009年12月25日 | 映画
ところで、見ず知らずで育った弟が漫才で人気が出ているということ、どうやって知ったのだろう。戸籍謄本を取り寄せたところで父が離婚してなくて弟がいるのはわかるだろうけれど、今どうしているかまでわかるのか。
冒頭のナレーションで、なぜかすでに相手のことを知っていて説明しているからなんとなく納得してしまっていたけれど、ここでひっかかって困ってしまう。

商店街のセットに「読売新聞」の販売店の看板が見える。もちろん製作委員会に一枚かんでいるからだろうが、こういう他のメディアのケイレツを排除した世界っていうのも不自然なもの。「毎朝新聞」なんて出されるよりはいいけれど。

お笑いコンビを片方の主役に据えるというのは相当に危険で、映画の中の観客は笑っていてもこちらはちっとも笑えない、という恐れがある。
それをカバーするのにすべったところ自体を笑いにもっていっている。あとクライマックス、人気漫才コンビの片方が別人になって登場したら観客怒り出さないとおかしいのを陣内孝之の政治家を先に怒らせてカバーしている。
工夫はしているけれど、ともに十分とは思えない。

「親戚をたらいまわしにされ」なんてナレーションがかかるバックで、誰かがたらいをまわしているのが見える小技が可笑しい。
(☆☆☆)


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「ニュームーン/トワイライト・サーガ」

2009年12月24日 | 映画
冒頭で「ロミオとジュリエット」を引用したりするから、前作に引き続き人間と吸血鬼の悲恋がエスカレートするのかと思うと、途中からイケメン吸血鬼(血を吸われたベニチオ・デル・トロみたいな気もするが)がひっこんでしまい、前作では引き立て役みたいだったインディアン系の男がやたらマッチョになって前面に出てくるが、ストーリーからすると脱線としか思えず、二人の男の対決も次に持ち越しとあって、てんで盛り上がらない。
筋をなぞるだけのテレビスペシャルみたいな作り。

前作だとまだカメラの冷たい色調が美意識を感じさせるところもあったけれど、今回は視覚的にはまことに凡庸。CGの狼や中途半端なワイアーアクションで満足している程度。

レイティングを見るとG(General)指定、つまりディズニー映画なみということ。吸血鬼ものでろくすっぽ血も出さないで済ませようっていうのはムリ。

恋愛ドラマとしてもキレイゴト。「私のために争わないで」なーんてセリフ、言えたら気持ちいいんでしょうねえ、という浅はかな欲求におもねているとしか思えず。

(☆☆★★)


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「簪」

2009年12月23日 | 映画

温泉地を舞台にしてゆったりとしたタッチでさまざまな人物のスケッチを重ねていく作りで、随所にすばらしい絵画的な画面が見られるが正直かなりかったるい。

足を折った笠智衆のリハビリが今の目で見てやり方が根性主義で乱暴すぎて、これではかえって悪くなるぞと落ち着いて見ていられない。

監督の清水宏は田中絹代とこの映画が作られる十二年前に同棲していたわけね。笠智衆をおんぶして歩くところなど、あまりにも小柄なのでびっくりする。

「イングロリアス・バスターズ」

2009年12月22日 | 映画
ホラ話的展開にちょっとびっくり。これだと第二次大戦の終わり方が変わってしまうことになるのだが、気にしていない。

ナチ映画というのはヘンに格調高いもので、バタバタ人を殺しまくるっていうのは実際にはない。ヨーク軍曹というよりテキサス大学のチャールズ・ホイットマンみたいなノリで鐘楼から射的でもやるようにバタバタ敵を狙撃しまくるというのは、むしろ完全にアメリカ的センス。

カンヌで男優賞を取ったクリストフ・ワルツはフランス語と英語とドイツ語をとりまぜてそのたびに伊達男風、交渉人風、軍人風と多彩に演じ分けていて、そのころころ変わるところがストーリー展開にも反映してくるわけでもあって、トクな役。
昔の第二次大戦ものはうるさいくらい英語以外の言語に黄色で字幕がつく。わざわざアメリカ人が英語以外しゃべらないのをからかうセリフすらある。
また、ドイツ人とイギリス人のちょっとした習慣の違いで正体がばれるというのも昔の戦争映画ではよくやっていた。

えんえんとちょっとどうでもいいようなセリフの応酬が続いたのがいきなり転調して瞬間風速的な暴力沙汰になるペースが独特。退屈しかけたところでいきなり眠気がふっとぶ。

モリコーネをはじめ、デヴィッド・ボウイの「キャット・ピープル」(に乗せてヒロインが復讐にあたって豹のヒゲのようなメイクをする)ほか、音楽センスがもともとなじみのある曲が多いせいもあって楽しめる。

やたら暴力・残酷描写が目立つ。必要もない一方で、露悪趣味でもない。単に好きなだけみたい。

作中のフランス映画特集で映画館の看板に出ている監督の名前はごく一部しか見えないがアンリ・ジョルジュ・クルーゾーだろう。

炎上する映画館でスクリーンが燃え落ちた後もたちこめた煙に呵呵大笑する女のアップが映写されるのが強烈(スモーク・スクリーン)。
「パルプ・フィクション」で時間軸がシャッフルされたもので殺された人間が平気で生きて出てくるあたりとも共通するセンス。死んでも死んでいないみたい。映画の中の人物のように。
(☆☆☆★★)


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「シャッフル」

2009年12月21日 | 映画

サンドラ・ブロック扮する主婦がなぜか一週間にあった出来事をバラバラにシャッフルされて体験することになり、夫の事故死のあとまた生きている姿と対面することになるといった出だしはテンポが悪いがまあまあ、だけれど考えてみるとこれ一週間にあった出来事が全部出揃ってからでないとシャッフルできないのであって、つまり出来事そのものに変化する余地はないわけ。

だから夫が助かるかどうかというサスペンスが効かず、硬直した展開を行きつ戻りつして悪く凝って綴るだけに終わる。だいたい人間の時間というのは必ずしもカレンダー通り区切られるものではないだろ。
その間、生きることのかけがえのなさについて坊主の説教が入ったりするのがまたタイクツ。
アイデア倒れの一編。
(☆☆★★★)

「ゼロの焦点」

2009年12月20日 | 映画
時代設定は1957年で、よく時代色を再現しているので感心していたら、韓国で撮影されていたのでした。昔の日本の風景を韓国で再現するとは、なんだかふさわしいような気がする。セットだからどこだって関係ないというものでもないだろう。

もっとも「パンパン」という言葉にせりふのやりとりの中に注釈を入れるくらい時間が経ってしまっているわけだが、清張作品には高度成長に乗れた者と乗り損ねた者との格差みたいなものがあって、しかも殺されるのは乗り損ねた方。
いい思いをしている側がうしろ暗い過去を知られるのを恐れての犯罪、というのが「砂の器」にも通じるパターンで、バブル期くらいだったら古くさい感じが強かったのだろうが、ぐるっと巡ってまた高度成長前に戻ってしまったような観のある今の日本ではまたリアリティを獲得しなおした観がある。

大岡昇平は清張作品を「ひがみ根性の文学」と評したけれど、ひがみ、ねたみ、そねみといったマイナスの感情は「豊か」になっても後ろめたさという形で生き続けるのだろう。

ニコラス・ローグの「赤い影」から抜け出たような赤いコートに身を包んだ犯人のイメージが写る三面鏡の使い方や、ガラスに押し付けられた死人の顔の気味悪さなど、殺し場の演出が存外冴えている。

新聞記者が出てくるのだが、腕章にしっかり「朝日新聞」とある。製作委員会に名を連ねているのだからフシギはないが。

広末涼子がスカーフの巻き方からして50年代の感じを出している。
推理ドラマとすると解決編がちょっとばたばたしてペースが乱れる。

ラストで現在の銀座が出てくるので野村芳太郎版の「八つ墓村」みたいになりはしないかとぞっとしたが、さすがにもっとセンスいい使い方。
(☆☆☆★)



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「わが教え子、ヒトラー」

2009年12月19日 | 映画
エンドタイトルで、ナチやヒットラーについて聞かれた一般市民たちがてんでとんちんかんな答えをする映像が並ぶ。
「ヒットラーなんか知らないよ」というフランス映画が作られたのが1963年で、もう50年近く前だ。日本ではドイツでは立派に戦争を語り継いで戦争責任を果たしているかのごときヨタが信じられていた時期があったが、乱暴に言えばまあ日本と似たりよったりだろう。
 
ヒットラーの虐待された父親に対する憎悪がキーになっていて、それが嵩じたあげく父の父はユダヤ人だなどと口走る。だったらヒットラー自身がユダヤ人ということになるわけで(実際にささやかれている、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」でも出てきた設定ですね)、つまりナチとユダヤ人をある程度相対化している。監督がユダヤ人だからという立場があるから逆にそうできたとも思える。
主人公の息子が父親に対して反抗的なのも同じモチーフにつながっている。
また、ユダヤ人もパレスチナで何をしているのか、虐げられてばかりいるわけではないだろうという認識が一般化したせいもあると思う。

ただし相対化によるヒットラーの喜劇化までは成功しているけれど、一方で全体主義社会と民族差別は相対化しきれるモチーフではなくて、強引に形としては整った結末をつけたという印象もある。

「イングロリアス・バスターズ」もだが、最近あまりヒットラーが似ていない。なじみがなくなったのだろうか、似てなくても通っちゃうみたい。
勝手な想像だが、ナチの魅力というのはかなりの程度制服や武器、行進の形式美にあるわけで、ヒットラーというのはどうもあまり美的に見えない。チョビヒゲはやしたチビで、一番格好悪くて、だから作り手もこだわらなくなっているのではないか。
(☆☆☆★)



「キング・コーン」

2009年12月18日 | 映画

ドキュメンタリーの作り手でいる若者ふたりが自分たちが作ったコーンを一口食べてベエッとなり、「おがくずみたい」とか「チョークみたい」と形容するのがまことにひどい。
どういうコーンだそれはというと、密集しても育ち収穫量がやたらと多く、でんぷん質を高めて直接食べるのではなく加工専門に品種改良かつ遺伝子組み換えされたコーンで、牛などの家畜のエサ用、コーンシロップとして甘味料をはじめポテトを揚げるコーン油に使われ、ジャンクフードはつまりこのコーンを食べているのと一緒というわけ。ベテランの農夫で一エーカーあたり五トンの収穫があるところを、ど素人の大学出たての若者でも四トンはとれてしまうという育てやすいコーンでもある。

若者たちがその甘味料をやはり自分で作ってみて、一口味見して吐き出していた。
もっともそこから作られたジャンクフードは好物なわけだが。

舞台になるアメリカ最大のコーン産地であるアイオワは、考えてみると「フィールド・オブ・ドリームス」の舞台でもある。あれの当初予定されていた日本題名は、「とうもろこし畑のキャッチボール」だった。

本来なら草を食べる動物である牛がコーンばかり食べさせられるためアシドーシス(酸血症)にかかり、それを防ぐためにまた薬を飲ませるといった具合。実験のため胴体に穴をあけて胃の中身を取り出せるようにしてある牛というのは、何度見ても気持ち悪い。

なんでそんなコーンを作っているのかというとまさにアメリカの国策で、とにかく食料を増産し安く供給する。それによって食べ物以外の消費を促進するというわけ。キューバ危機のあと砂糖が入ってこなくなって、代用品の甘味料が必要になったせいもあるらしい。

安価な食料を輸出にまわすことで、他の国を支配下に納める戦略物資にもなるわけ。その結果がまさに今の日本だ。

行き過ぎた経済効率至上主義で、人間を含めた生物の身体がめちゃくちゃになっているのがまざまざとわかる。