prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2009年3月に読んだ本

2009年03月31日 | 
prisoner's books2009年03月アイテム数:14
CD&DVD51で語る西洋音楽史岡田 暁生03月12日{book['rank']
歪んだ正義宮本雅史03月18日{book['rank']
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「マシニスト」

2009年03月31日 | 映画

クリスチャン・ベールの激やせ役作りが見ものであることは確かだが、よく考えてみると不眠症と激やせとは直接の関係はないのね。拒食症ではないのだから。

眠れないでいる主人公のまわりの世界が悪夢のように変容していくあたりの描写が狙いなのだろうが、それ自体はオカルトホラーでもありがちな展開だし、オチもややまたかと思わせる。

工場で工作機械を扱う危険性とか、労働組合のありかたとか、怪我した工員の補償はどうなのかといった書き込みが割とリアルなのはいい。
(☆☆☆)



「NEXT-ネクスト-」

2009年03月30日 | 映画
NEXT [Blu-ray]

ギャガ・コミュニケーションズ

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未来の姿があたかも現実にあった出来事のように描かれた後すぐそれをひっくり返す現実が描かれるのが、映画的な技法として最初は面白く見ていたのだが、「自分の危機と関係ある二分先の未来」が見える、という映画の方で定めたルールが後半になるとそれらしい理由なしにほいほい破られて、明らかに二分先を過ぎている主人公と直接関係ない危機が見えてしまい、しかもそれがまた安直にひっくり返されるのにがっくり。
日本がメダル取った後のオリンピック・ルールじゃあるまいし、自分で作ったルールを自分で変えるなよ。
クライマックスに出てくるニコラス・ケイジの分身の術は何を表現しているつもりなのだろう。さまざまに枝分かれする未来像というつもりなのか、未来がわかるのかわからないのか曖昧な設定の表れとしか思えない。

ピーター・フォークも何しに出てきたのかよくわからないし、バスター・キートンばりの崖から物がなだれをうって転げ落ちてくる下を駆け抜けるアクション・シーンもCG使っているのがミエミエなのであまり迫力ない。

エンド・タイトルが上から下に降りてくる趣向は、知る限り「THX1138」「セブン」に続き三本目。
(☆☆★★★)


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NEXT-ネクスト-@映画生活

「JUNO/ジュノ」

2009年03月29日 | 映画
JUNO/ジュノ <特別編> [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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妊娠についてのドラマであると同時に、アメリカの中産階級と労働者階級とが養子縁組というきっかけで出会うドラマでもある。
もっとも話は図式的な階級対立には向かうわけではなく、メインの七人の登場人物ひとりひとりがなんらかの形で一山越えるのがきめ細かく描かれているのが見もの。
養子を引き取ろうとする夫婦が親になる覚悟を求められて見せる対応が男女で退行するのと成長するのとが対照的で面白い。

どの程度アメリカ一般に通じるのか知らないが、広告を出して養子を求めたり、おなかが大きくなっても高校に通って教師があれこれ言っている形跡がないというのは、日本ではおよそ考えにくい。育てるのはムリ→育てられる人を探す、というロジックが自明で、多分裏にはうかつに中絶できない宗教的圧力もあるのだろう。
(☆☆☆★★)


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JUNO/ジュノ@映画生活

「少年メリケンサック」

2009年03月28日 | 映画
「あんたパンク好きなの? 嫌いなの?」というセリフがあったけれど、作者もパンクが好きで扱っているというより、その「変」さ加減を笑いのネタにしている感じ。
身障者とか寝たきり老人とかを笑いのネタにしているところがあるのだれど、これまた危なさに半歩踏み込んでいるだけで、クレームにあらかじめ対処しているみたい。
中年男の情けなさみたいな「文句が来ない」相手には遠慮していませんものね。

そのあたりの「程のよさ」はパンクらしさとは相容れないものだろうけれど、商業ベースで本当に危ないことはできない、というのが全体の前提(今や常識でもあるだろう)になっていて、クライマックスでテレビジャックするあたりも、あまり突き抜けた感じはしない。
役者はそれぞれよくやっていて、小ネタは笑えたけれど。
(☆☆☆★)


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少年メリケンサック - goo 映画

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

2009年03月27日 | 映画
死の床にあるヒロイン・デイジーの語りと、その娘に読ませるベンジャミンの手紙が、それぞれナレーションとなって場面を運んでいるのだが、仔細に見ていくと、その内容はそれぞれ互いの知らないはずの場面にまで踏み込んで、つまりいわゆる「信頼できない語り手」を複数からませ、語り手と語られる内容とを合わせ鏡のように反射しあうよう構成されていて、老人の姿で生まれて若くなっていくベンジャミンと、普通に生まれて年とっていくヒロインの、本来一瞬の「すれ違い」を生涯にわたってひきのばしている。
ちょうど二人が人生の折り返し点に来て、見かけの年齢が近くなったあたりでバックがバレエの練習場の鏡張りの部屋になる寓意。

また娘としては自分の知らない母の姿、そして自分自身の姿をベンジャミンや母の話の中で発見していくことになり、自分のことほど自分ではわからない運命の不思議を暗示している。
駅に飾られ続けていた逆方向に回転する時計が正しく動く時計にかえられた時、ニューオーリンズの街の人の多くの運命も尽きたように「あの」ハリケーンが襲来してくるが、その運命は登場人物の誰も知るよしもない。

脚本のエリック・ロスは「フォレスト・ガンプ」と共通するホラ話ニュアンスとアメリカ年代記と、すれ違いロマンスを交錯させた。荒唐無稽な設定を当たり前のように納得させてしまうものすごい映像技術の発揮も共通している。

ニューオーリンズから話を始めてろくすっぽジャズが響かないとは不思議と思っていたら、ヒロインがイサドラ・ダンカンばりに靴を脱いで踊るバックにルイ・アームストロングほかがかかり、音楽を単純に背景に合わせないで作中の別の環境に貼り付けている。

老人の姿で生まれて成長するに従って若くなる、ということはあらかじめ寿命が決まっている決定論的人生観で作られているのか、と思っているとひょっこりエドガー・ケイシーの発言がセリフで引用されたりする。催眠状態でアーカシック・レコードという宇宙のすべての出来事の記録にアクセスして予言を引き出した予言者らしい。ウィキペディアによると「未来のことは確定しているわけではなく、人の意思にかかっているときっぱり言い切っている」ということになっているが。
(☆☆☆★★)


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ベンジャミン・バトン 数奇な人生 - goo 映画

「氷の微笑2」

2009年03月25日 | 映画

ラジー賞狙いで作ったのではないかと疑いたくなる企画だが、それを十五年かけて実現してシャロン・ストーンのギャラとトントンの500万ドル稼いだきりで、しっかりラジー賞のワースト作品・ワースト主演女優・ワースト脚本・ワースト前編・続編の4部門を受賞した。

というわけで、どれだけひどいか期待して見ることになるわけだが、実際のところもとの「氷の微笑」とたいして違わないんだよね、いやこっちがいいのではなく、もとからヒドいということで。
あれは「犯人がわからない」というのを宣伝戦略の要にしたわけだれど、なんでわからないかというと、、彼女が犯人かもしれない、いや彼女がという「仮説」あるいは刑事の思い込みが並んでいるだけで、それを支える根拠がないのだ。対象は違うが、ああもいえるこうもいえるといったマスコミ的政談とやってるレベルは変わらない。

こういう思わせぶりを底が深いようにすりかえて、安手な作りを覆い隠すのに史上最高といわれた莫大な脚本料(300万ドルでしたっけ)を目くらましにした宣伝が成功したわけで、映画の中身よりマーケティングの手口の解説の方が確実におもしろいだろう。

で、今回はコケ脅しとハッタリ、エロと暴力のどれをとっても精力減退気味。シャロン・ストーンは本当のところ「キング・ソロモンの秘宝」(1985)の頃の木曜洋画劇場的な安っぽいヒロインと変わっていないのが透けて見える。

冒頭、酔った逞しい黒人男と同乗している車の中で、暴走しながらオナニーを始めて事故る、というバカとしかいいようのない場面は失笑できるが、あとは笑うのも面倒になる。
ラストでどんでん返しのつもりか、さらに強引に「犯人」を説明的にでっちあげるわけだが、勝手にしてくださいという感じ。

監督のマイケル・ケイトン・ジョーンズって人は「ジャッカルの日」の壮絶劣化リメーク「ジャッカル」をこしらえた人。
(☆☆★)


「秒速5センチメートル」

2009年03月24日 | 映画

遠近感や光の表現豊かに非常に丹念に描かれた背景に詩的なナレーションがかぶさって、心地よくはあるのたけれど、どうも綺麗事という言葉が見ていて頭から離れなくて困る。
下世話な話だれど、雪の夜に若い男女が二人きりで人里はなれた小屋に泊まって、それでどうしたのかというところがまるっきり省略されているというのは理解しにくい。
(☆☆☆)


「不撓不屈」

2009年03月23日 | 映画

飯塚事件という実際の出来事をもとにした高杉良の原作を、日本映画としては珍しく実名で映画化したもの。税理士を主人公にした映画というのも珍しい。

税金の申告での法律解釈論争で飯塚に負けた税務官僚がそれを「恥をかかされた」と恨みに思い、地位を利用していやがらせで脱税を認めろと責め立てる。理不尽だろうがなんだろうが権力に目をつけられたら百年目、逆らったらますますメンツをつぶされたとむきになり税務署のみならず検察まで一丸になって弾圧してきて、顧客も従業員もどんどん逃げていく前半は、星新一の「人民は弱し官吏は強し」を思わせて、国家権力のいやらしさと恐ろしさをまざまざと感じさせる。

あくまで理不尽な圧力に屈しない主人公を支えるのが家族や恩師というのはわかるが、禅師というのはややピンとこない。勝訴したあと、禅の教えに従って賠償金をとらないのは立派といえば立派だが、官吏の横暴に釘をさすという意味でやるべきだったと思う。

社会党の代議士が味方について国会で取り上げて国税局長官をとっちめるあたりは、官吏が強いといっても国会議員の方がもっと強いのだな、と思わせる。これが国民の代表が「官」を抑える図としていつも機能するのだったらいいのだけれど。ちょっとだけ出る、やはり味方につく自民党の一年生代議士が渡辺美智雄というのにびっくり。元税理士で主人公のことを知っていたからだという。映画には出てこないが、これで党に処分を受けそうになったらしい。

竹山洋の脚本・森川時久の演出は、前半を弾圧、後半を支援者たちの一種の人情劇にして、楷書体でメリハリをつけて飽きさせない。
松坂慶子の奥さんがダンナに「美意識のない女」とひどい言われようをしているのだが、戦いに勝ったてころでお祝いにバラの花をあしらった月桂冠を贈るのは、確かにかなりひどいセンス。気持ちは伝わるからいいのだが。
(☆☆☆★)


「マイティ・ハート/愛と絆」

2009年03月21日 | 映画

ジャーナリストの夫がテロリストに誘拐された妻の、いっこうに情報があがってこない焦燥感やロケーションのリアリズムなどは見ごたえあるが、テレビで報道されるところから想像される範囲以上の要素があまりなく、わざわざドラマにする意義があまり感じられないのが残念。マジメ映画がおちいりがちな陥穽にはまったよう。

妻が臨月なのでジャーナリストとしての活動はするのは無理だし、ラストの希望を持たせるようなくくりかたも考えてみるとあまり本質的な解決にはなっていない(「正解」はありえない問題だが)。
(☆☆☆)

「汚れた血」

2009年03月19日 | 映画

作り手に才能があるらしいのはわかるけれど、内容にまるで興味が持てない、というのも困ったもの。というか、画と音はあるけれど、一般的な意味での「内容」らしい内容ってないのだね。
架空の病気が何かのメタファーなのかと考える必要などないだろうけれど、ではなんでそんな設定出したのか、と思う。他の設定も、出したいから出しましたという感じで有機的に結びついていない。なんかいかにも今のフランスらしい、若さが「痩せた」印象にしかまとまっていかない映画。
(☆☆☆)


「フィクサー」

2009年03月18日 | 映画

なんか、表現がもうろうとしているのが陰謀を描くのにふさわしいと勘違いしているみたいなタッチ。ことに前半がもたもたして話がどこに向かおうとしているのか、なかなか見えてこない。

ジョージ・クルーニーがかんだ社会派的作品は、「スリー・キングス」にしても「シリアナ」にしてもまわりくどいというか、何を描いているのかはっきりさせてほしくなることが多いみたい。
(☆☆☆)


「ワーニャ伯父さん」 アントン・チェーホフ作

2009年03月17日 | Weblog
東京ノーヴイ・レパートリーシアターにて。
演出 レオニード・アニシモフ

席数二列で30だけ、文字通り手を伸ばせば届くほど役者に近い。
場面によっては照明がランプひとつになってしまい、ほとんど闇の中に辛うじて人の姿が浮かぶだけになる、映像はもちろん、大劇場でも不可能な陰影豊かな空間で、セリフも普通にしゃべるより小さいくらいの声で、チェーホフらしいひそやかな感情の襞が表現される。

どのキャラクターもだが、人に尽くして結局人生を棒に振ってしまうワーニャと、人に尽くされても別にいちいち感謝もしない教授のキャラクターは特にとてもひとごととは思えないくらい身近な感じがする。


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「新SOS大東京探検隊」

2009年03月16日 | 映画

東京の地下に過去の帝都の痕跡が残っているというのはよく聞く話だが、それをパソコンと携帯で連絡しあって集まった子供たちが発見していく話で、第二次大戦の生き残りの爺さんと学生運動と三億円事件の生き残りとが同列に並んでいる、というのは時間系列からいうとおかしいのだが、子供の目から見たファンタジーとすればありということになるだろう。

もっとも、戦車が暴走して大騒ぎ、というの後半は割とありがちな展開で、実際のJAPAN UNDERGROUNDで見るような現代の東京の地下で行われている出来事の方が奇想天外だったりする。
大友克洋の原作、ということを知らないで見たのだが、「気分はもう戦争」あたりと通じるのか。40分と短いのがいい。

3Dアニメなのだそうだけれど、ほとんど2Dを見ているのと悪い意味でなしに変わらない感覚。変に立体化して気持ち悪くなることがない。
(☆☆☆★)


「チェンジリング」

2009年03月15日 | 映画
「ダーティハリー」シリーズでの警察上層部の官僚主義の描写はまだ劇画かマンガみたいなところがあったが、今回はリアリスティックな調子で怒りを誘う。
警察の判断で一方的に精神病院に強制入院させられるところなど、共産圏の出来事かと思わせる。

事件の解決に関わる刑事のさりげない紹介に始まって、しばらく頼りになるのかならないのかわからない不安定な感じから、ちょっとだけ形式的な「手続き」を離れて子供の話を聞こうとしたところからとんでもない方向に話が向かっていくあたりのスリルは無類。

オープニング間もないアンジェリーナ・ジョリーが息子の手を引いて路面電車を降りるときの手の引き方がさまになっていて、この演技と演出は信用できるなと思わせる。
それにしても、ますますイーストウッド作品は一種倫理的になってきたみたい。
アンジーが夫とどういう事情で別れたのか詳しくはわからないが、夫が「責任」を逃げたからだと息子に教える。無責任という点は警察や市長も同様だろう。

権力の腐敗の一方で、ジョン・マルコヴィッチの牧師や、警察が探してきた子供は別人だと証言するのを引き受ける教師と歯医者といったまともな市民がいるのが救い。

失踪する子供と取替えっ子(チェンジリング)になる子供、それからもう一人事件に大きく関わっていく子供が、それぞれ倫理的に厳しく責められる。子供がこれくらい厳しく扱われる映画も珍しいのではないか。不在の失踪した息子がイノセントでいつづけるなのとコントラストをなしているよう。

マルコヴィッチの牧師はプロテスタントの「長老派」だというが、越智道雄の「ワスプ(WASP)―アメリカン・エリートはどうつくられるか」 (中公新書)によると、アメリカ社会のプロテスタントの中でランクが高い(といっていいのか)順に、監督派、統一キリスト教会、長老派、メソディスト、ルーテル派、パブティストと続くので、つまりどちらかというランクの高い方に属するらしい。

取り替えられた子供が割礼を受けている、ということはユダヤ人であることを示していると考えていいだろう。
(☆☆☆★★★)


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