prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「春との旅」

2010年05月31日 | 映画
孫とここ五年間ずっと面倒みてもらっていた老人が、孫が給食係を勤めていた小学校が廃校になり職を失ったのをきっかけに、世話してもらえる相手を探して兄弟の間を渡り歩く。
「東京物語」か、その元ネタである「明日は来らず」を思わせるような話だが、子供の世代をあたまっから頼らず、自分同様に年をとっているはずの兄弟を巡る、というあたり、本気で面倒みてもらいたがっているのか、とも思える。
やたら偏屈で、自分から話をぶち壊したりいやにあっさり引き下がったりと、あきらめるためか、あるいは今のうちに会って一応けじめをつけておきたくて旅しているような気がしないでもない。

仲代達矢が適度に力が抜けていい感じ。
孫娘役の徳永えりが、背が低くてガニマタでどたどた歩くのが田舎っぽくていい。

望遠で狙った長まわしの多用に、ときどき極端なクロースアップがはさまる映像構成で、芝居はそれぞれ実力全開だが、正直リズムが鈍く、ややかったるいところあり。
淡島千影の旅館の女将をしている姉と話すシーンなど、壁が邪魔して仲代と徳永が全然見えない、という妙な撮り方をしている。
小林薫など引きのサイズだけなので、どこに出ているのかと思う。はっきり見えないから含みがあるというものでもないと思うのだが。
(☆☆☆★)


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春との旅 - goo 映画

「クリント・イーストウッドの真実」

2010年05月30日 | 映画
衛星映画劇場 <字幕スーパー>

チャンネル :BS2
放送日 :2010年 5月28日(金)
放送時間 :午後1:00~午後2:30(90分)
ジャンル :映画>洋画
番組HP:番組ホームページ http://www.nhk.or.jp/bs/genre/movie.html
番組内容
                      <字幕スーパー>
                   <スタンダードサイズ>
                              
                          【出演】
                  クリント・イーストウッド
             (ナレーター)モーガン・フリーマン
                              
  ~2010年 アメリカ ワーナー・ホーム・ビデオ/   
                   ロラック・プロ制作~ 
                              
                              
【プロデューサー】リチャード・シッケル           
【ディレクター】リチャード・シッケル            
【撮影】ジャイク・ゾートマン                
【編集】フェイス・ギンズバーグ               
【原題】THE EASTWOOD FACTOR       

ワーナーの撮影所にある裁判所のファサードのオープンセットの内側が衣装倉庫になっていて、イーストウッド作品で使われた衣装が保管されているというのが面白い。どういうわけか、コロンビア映画のはずの「ザ・シークレット・サービス」の衣装もあった。

ワーナー・ビデオの製作なので、他の会社の作品、特にマカロニ・ウェスタンはほとんど取り上げていない。

撮影所内の録音スタジオが「イーストウッド・サウンド・ステージ」という名前になっているという。ここでイーストウッド作品の音楽の録音もするといい、当人がピアノを弾いて見せる。会社名も「イーストウッド・ブラザース」にしたらどうかと言ったら却下されたと冗談めかして語るが、なんだか冗談に聞こえない。

それにしても不思議なのは、全然別のライターによって書かれたシナリオの役であっても、イーストウッドが演じているとある一貫性が出てくること。そういう役を選んでいるからには違いないだろうが、この手のドキュメンタリーではライターに取材することが皆無なのは気になる。


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「ゼブラーマン -ゼブラシティの逆襲-」

2010年05月29日 | 映画
仲里依紗が目当てで行ったのだけれど、その分に関しては満足。ぶっとんだ役を思い切ったコスチュームとメイクだけでなく発声から動きから浮つかないで作っている。
とんでもない終わり方が話題だけれど、テックス・エイヴリーのカートゥーンでちょっと似たのあったな、とも思った。

しかし、よく商業映画でこれだけ好き勝手やったね。受けるかどうかは微妙、というより振り落としている方がずっと多いはず。
ガダルカナル・タカの片目だけつけまつげをしてダービー・ハットをかぶった扮装は「時計じかけのオレンジ」、遠心装置についたマークは「ウルトラマン」の科学特捜隊のマークだったりする。かといって、オタク向けというわけでもない。

一応未来の話なのに、出てくるテレビがみんなブラウン管式なのだね。
(☆☆☆)


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「9 <ナイン> ~9番目の奇妙な人形~」

2010年05月28日 | 映画
人間が滅びた世界で、9体の人形が世界を支配しているマシンと戦うって話だけれど、なんで世界が滅んだのかとか作り主が人形にこめたものは何なのかといった世界観が案外平凡で、なんだそんなことかと思わせる。

マシンに生命を吸い取られて抜け殻になる人形が不気味。三谷幸喜がエッセイで文楽の人形が「死ぬ」と、生きている人間が死んだふりをしているのと違って、本当に命がないモノになってしまう、と書いていたが、それに近い感じ。

人形の造型自体はいいのだけれど、基本的な形にあまりバラエティがないのはどんなものか。
(☆☆☆)


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「パリより愛をこめて」

2010年05月27日 | 映画
フランス映画のはずなのだが、セリフはほとんど英語、ガサツで無神経なのはアメリカ映画以上。

この製作・監督コンビの「96時間」もガサツだったが、父親が娘を助ける話という大義名分があったからなんとかひっかからないで見られたけれど、今回はジョン・トラボルタのアメリカ刑事が大暴れするのに何が目的なのかかなり後になるまでわからない(もったいぶるほどのものではない)から、意味もなくむやみやたらと人を殺す場面が続くことになる。
中国人やアラブ系、アフリカ系が悪役というのもイヤな感じ。

一応正義の側にいるキャラが、盗聴やコカイン吸引などを平気でやるのも問題。
テロリストの描き方もあまりに薄っぺら。

一応バディ(相棒)・ムービーのはずなのだが、トラボルタにひっぱられっぱなしだからドラマの体をなしていない。
「007」まがいのタイトルだけれど、パリらしいテイストがまるでない。

銃をどかどか撃ってワルモノ(何が悪いのか、ちゃんと描いていないが)を殺して車をぶっとばして爆発させればスカッとするわけではないのが、よくわかる。
(☆☆★★★)


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「シークレット・サンシャイン」

2010年05月26日 | 映画

子供を誘拐されて殺された母親が、神に救いを求めようとしていったん救われたつもりになり犯人に会って「許し」を与えようとしたら、犯人の方が先に神にすがって許されましたとなどと言うもので、かえって憤懣の行き場がなくなってしまう。
一種の「神の沈黙」劇で、神父や信者にいとも穏やかに微笑をたたえて神の愛を説かれる腹立たしさ、そんなものが救いになるかという感じがよく出ている。
もっとも、もともと発展性がありえないモチーフで二時間半近いのは長すぎ。

韓国ではキリスト教徒は人口の約三割を占めるというが、ベルイマンやブレッソンやタルコフスキーなどに見られるキリスト教的な作家の突き詰めた表現と、韓国人の激しい気性とは相性がいいのか、不自然な感じがしない。日本のキリシタンものはどこか木に竹を接いだみたいになるのだが。
(☆☆☆★)


「ぐうたらバンザイ! 」

2010年05月25日 | 映画

フィリップ・ノワレ扮する女房の尻に敷かれて一日あくせく働かされていた男が、交通事故で女房が亡くなってから怠け放題に怠ける。
食料の類の買出しは犬に任せて、一日ベッドに寝転んだまま紐でぶらさげたボトルやソーセージで食事を済ませ、やはり紐でぶら下げたチューバをときどき吹くという世にものんきな生活がフランスの田舎の風光明媚な風景をバックに描かれる。
もっとも、さすがに経済的な裏づけは考えていて、働いていた時に地主になっていて遊んで暮らせるという設定なのはリアルでもあるけど、ちと艶消しでもある。主人公があまりに怠けに怠けるので周囲が働けと迫るのだが、今の目で見ると周囲も十分のんきな働きっぷりで、映画自体ものんびりしすぎ。
前半の尻の敷かれ方といい、ラストのくくり方といい、かなり女性恐怖症的。

この映画のチラシを持っているが、「拝啓 遠藤周作センセイ」なんて書き出し。「ぐうたら生活入門」が出たのが1967年で、この映画の公開が1969年(製作は67年)、遠藤周作は今はマジメなカトリック作家の印象か強いと思うけれど、「ぐうたら」といえば遠藤周作という時期だったのだね。
(☆☆☆)


「月に囚われた男」

2010年05月24日 | 映画
ほとんど月面基地のセットひとつに月面の場面がときどき混ざるだけ、役者はほとんどサム・ロックウェルだけ、あとケヴィン・スペイシーが声の出演という安上がりというかシンプルな作り。
その割にシナリオがいろいろ凝っていて飽きさせないが、フィニッシュが決まらない。会社は結局なんであんな手のかかる真似をしたのか。あまり「安上がり」とは思えないのだが。これまでの「担当者」は任期が済んだらどうなっていたのか。何か企業というのは悪いことをするものだというイメージに寄りかかっている気がする。月から資源を掘って持ってくるのがあまりエコとは思えないし。

交信の文句に韓国語が混ざっていたり、壁にハングルが描かれていたりする。これからは韓国がクールってことなのかな?

「2001 年宇宙の旅」のHALにあたる世話役ロボットのガーティが、ピースマークの顔の表示を変えて「感情」を表現するのが洒落ている。

月面の採掘現場では、重力が地球の六分の一なのに合わせて放出される鉱石がゆっくりめに落ちているけれど、月面基地内部では特に配慮はしていない。普通に縄跳びしている。手がかかりすぎるのでしょうね。
(☆☆☆★)


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月に囚われた男 - goo 映画

「猫に裁かれる人たち」

2010年05月23日 | 映画
猫に裁かれる人たち [DVD]

IVC,Ltd.(VC)(D)

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広尾のチェコ共和国大使館内にあるチェコセンターにて上映。
子役で出ているミハイル・ポスピーシル氏がなんとチェコセンター総裁になっていて、センター所長ペトル・ホリー氏が通訳を兼ねる司会のトークイベントに参加。
現在世界遺産になっているテルチの街で、なんと一年がかりで撮影されたとか、撮影中に当時のチェコ大統領が来て、主演の名優ヤン・ヴェリフに叙勲したといった裏話が飛び出す。この映画のあと、カレル・ゼマンの「盗まれた飛行船」にも出ていて、さらにプラハ大学の映画学科を出てドキュメンタリーの演出もしていたという。

サーカスの猫がサングラスを外して見つめると、偽善者は紫とか恋していると赤といった具合に、見られた人間がその本性に合わせた色に染まる特殊効果が見もの。
俳優が紫なり赤なりに顔を塗って色を統一した服を着て、さらにオプティカル処理を加えたらしい。今だったらデジタル処理で割と簡単にできるだろうが、アナログならではの手作り感、何か柔らかい画調が魅力。チェコ映画というと、こういう工芸品的な手間のかかった独特のファンタジーが有名。
もっとも、全体に話の運びがのろのろしていて、見せ場以外はかなりかったるい。

いかにも偽善者そのものの校長が紫に染まってとっちめられる場面がありそうでない。1963年の製作なので、1956年のスターリン批判と1968年のソ連侵攻(プラハの春)の間だから、かなり自由に製作できた時期のはずだが、ちょっと慎重になっている感もあり。
(☆☆☆)


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猫に裁かれる人たち(1963) - goo 映画

「裏切りの闇で眠れ」

2010年05月22日 | 映画

「あるいは裏切りという名の犬」の警察内のキャリアーとノンキャリアーの対立は「県警対組織暴力」みたいだと思ったが、今回もかなりメンタリティが日本の実録ヤクザ映画的。ともにアメリカ製みたいなドライな感じとは違って湿気が多い。
裏切りがやたらと続いてどっちがどっちについているのかよくわからずストーリーがたどりにくいあたりも「仁義なき戦い」的。もっとも、キャラクターがあまり立っていないので、フラストレーションにつながる。

しかし、フランス製ノワールも血なまぐさくなったものですねえ。というか、おフランスって意外と(?)野蛮なのです。だから革命も起こったのだろうし。
(☆☆☆)


「恋の罠」

2010年05月21日 | 映画

R指定で原題が「淫乱書生」だから、どんなエロが出てくるかと思ったら、猥褻な映画ではなく猥褻についての映画という感じでした。

李王朝の謹厳な官吏が取り締まりでエロ本を手にしたところから自分もエロ本にのめりこみ、自分で書くようになったらこれが評判になり、さらに挿絵画家も巻き込んで、といった艶笑譚だけれど、一方で宮廷のやたら息苦しい抑圧的な雰囲気がよく出ているので、のめりこむ心理に説得力がある。
王や王妃ですら、というか、だからこそ一番抑圧されていてそれを下々を振り向ける構造も明確。

抑圧されればされるほど逆に反発し、それが体制に対する反抗と人間性の発露に自然につながってくる展開だが、ただし主人公の作品が人気作家に比べていまいち受けないのを「気取っているから」と版元に言われるのと似た感じがこの映画自体にもあり。

美術・衣装や撮影が贅沢で見ごたえがある。

体位を表現するのに髭面の男を相手にして実演してみせたり、机の上に小さな人間のイメージが現れて人体の構造上ムリだろと思わせる交合図をしてみせるのが可笑しい。

李王朝にも宦官(宮殿の内侍を行う内侍府)がいて、陰険に陰謀を巡らせたりするのが、国全体の上に中国が乗っかっているのをうかがわせる。
(☆☆☆★)


「狩人と犬、最後の旅」

2010年05月20日 | 映画

ロッキー山脈の主に冬の過酷な自然の中で、50年以上続けてきた伝統的な狩猟生活を、森の伐採によって終わりに近づいてきたのを感じながらなお続けている狩人の姿を描く。
雪で埋まった野山を犬橇が走る姿を捉えた映像の魅力大。

狩人が適当に間引いているから自然が全体として調和していられると何度も語られるのが、自然は調和がとれているのに人間が調和を乱しているといった自然観と隔絶している。
狩人の奥さんが先住民だったり、一匹の犬にモホークなんて名前つけているから、自然に帰れというのかと思うと違うのね。考えてみると銃という文明の利器を使った段階ですでに後戻りできなくなっているわけだし。

新入りの犬が言うことをきかないために薄くなった氷を踏み抜いて川に落ちて死にかけるから、殺すのかと思ったら見逃すのが甘い。本多勝一の「カナダ・エスキモー」のエスキモーが犬を橇を引かせるためにびしびししごいて、ついていけない犬は殺してしまうといったくだりを思い出すと、かなりヌルくしてある(自然に生きる民族は自然に優しくはないのだね)。映画だからでしょうね。
(☆☆☆★★)


「運命のボタン」

2010年05月19日 | 映画
帰りに年配の女性客二人連れが「悪意に満ちた映画ね」と言っていたが、同感。

フランク・ランジェラ扮する謎の男が持ってきた箱のボタンを押すと100万ドルやるが代わりに誰かが死ぬ、さあどうするという究極の選択の話(原作はリチャード・マシスンの短編)なのだが、これだけでも相当に意地が悪いが、その後の話の膨らませ方がいささか変。

ランジェラは雷にうたれてから特別な能力を持つようになったらしいのだが、その能力を付与したのは神なのか宇宙人なのかはっきりしなくて、トンデモ的な感触ばかりが目立つ。

ランジェラとキャメロン・ディアスがそれぞれ肉体に欠損があるのを共通項にしているというのもなんだか無神経だし、サンタクロースが突然道を通せんぼして現れたので車を停めると、横からトラックがぶつかってくるあたりも悪意まんまん。

さらにクライマックスで主人公夫婦がもう一回究極の選択を迫られるのだが、そこに追い込んでいく詰めが甘いので、むりやり陰惨な選択を迫られるようで気分が悪くなる。
(☆☆★★★)


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「花の生涯  梅蘭芳(メイランファン)」

2010年05月18日 | 映画

梅 蘭芳の周囲の会計士や軍人などお堅い男たちがことごとく狂ってしまう割りに、当人はひどくおとなしく少なくとも普段はカリスマはまったく感じない。
舞台の上では男が女を演じ、女が男を演じて、舞台の上と外とでそれぞれ恋を語るのがおもしろいけれど、もっとおもしろくなりそうなのに途中で先細りする。
全般に構えが立派なわりに、きれいすぎて淡白な感じ。

アメリカ公演でいやにアメリカ人が静かに見ているのが変な感じ。史実ではどうだったのか知らないが、京劇だったら見ればわかるし、単純に興奮拍手喝采になるのが普通だと思うのだが。ニューヨークの客だからスノッブだったのだろうか。
(☆☆☆★)


「ウルフマン」

2010年05月17日 | 映画
ベニチオ・デル・トロの役名がローレンスなので、父親役のアンソニー・ホプキンスの前に出ると、ホプキンスの師匠にあたる世紀のシェークスピア俳優ローレンス・オリヴィエがちらつく。元のロン・チャニーjrのオリジナル版でも同じローレンスなのだから考えすぎではあるのだが。

オリヴィエはホプキンスを自分の後継者にしようと目していたのが、ホプキンスが舞台の世界からかなり安い通俗映画に行ってしまった(キャリアの初期はそうだったのですよ)のでひどくがっかりしたという。デル・トロの役がシェークスピア俳優で「ハムレット」をやっていて、父親もしきりとシェークスピアを暗誦するのが意味深。
放蕩息子の帰還、というモチーフが通底しているが、父の方がアブないのだね。「ハムレット」同様、ねじれたファザコン劇という意味合いがある。

原語でジプシーといっているのが放浪者だったかなんだったか、曖昧な訳をあてていた。その女占い師をやっているのがジェラルディン・チャップリン。まさかと思うような年の取り方だったが、間違いなく当人でした。

「ハウリング」からこっち、狼男の骨格が狼寄りになっていたのが、クラシックの人間に近い骨格に戻っている。

二頭の狼男が格闘するシーン、一頭にだけ服を着せて区別がつくようにしている。当たり前のことなのだが、最近はそれくらいの配慮もないことが多い。

シェリー・ジョンソンの銀残し風撮影が見事。
(☆☆☆★)


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ウルフマン - goo 映画