prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「G.Iジョー 漆黒のスネーク·アイズ」

2021年10月31日 | 映画
洋風ニンジャアクションの進化形といったところ。
物量が凄くて、日本刀も平気で自動車のスチール製のボディを突き抜ける勢い。
アクション監督は「るろうに剣心」シリーズの谷口健二。ハリウッド映画となると物量を使えるのに乗った感じ。

お久しぶりな感じの石田えりが貫禄、平岳大の身体の大きさも生きた。
もともとフィギュアから発展させたシリーズでお話はこれから作っていくわけで、どう展開していくのかよくわからない。

このところ日本ロケがショボかったり日本以外で撮っていたりすることが多い中でこれは過去最大規模らしい。効果をあげているところもあるが、まだまだという感じもする。クールジャパン製作はずいぶん批判されたが、いくらか体制を改める意欲はあるらしいと楽観的に考えたい。




「ロン 僕のポンコツ·ボット」

2021年10月30日 | 映画
メインになるB-potというのは、amazonなどの持ち主の好みをもとにしたオススメ機能とスマホの中毒性とfacebookのトモダチ申請機能とを併せ持っていて、ペットのようにいつでもどこにでもついてまわるガジェット。

それを開発して展開する会社の副CEOのプレゼンはまるっきりジョブス風といった具合に、IT社会の種々相を上手にまとめているわけだが、その中で主人公の少年のところに届いたB-botにバグがあってトラブルを起こすと共に出来合いの“トモダチ”機能とは違う本当の友達になっていく話。

原題はRon`s gone wrong(韻を踏んでるわけね)。

ただfacebook式の友達機能に対する違和感はわかるけれど、ではどういうのを本当の友達というのかというのを定義づけて具体的に示すとなるとかなり難しく、思いやりを示すのと大きなお世話との違いとなるともっと難しく、何だか釈然としない。

クラウドサーバにアクセスするのにわざわさ物理的にサーバに侵入したり、サーバ全体の電源を落としたりするクライマックスはいささか強引。
3DCGアニメを作る人たちがそんなことを心得ていないわけもなく、わかりやすくするための割り切りだろうが、そこまでわかりやすくすることもないのではないか。
悪役が個人データを収集して利用することと株価のことしか頭にないのもちょっと分かりやすすぎ。

昔の「ショート·サーキット」みたいにバグのあるロボットの方がいわば人間味があるといった図式の作りなのだけれど、ヤボを言えばバグっていたら動かないだけではないかな。

キャラクターたちに人種的多様性を配慮しているのが一目で見てとれる。特にインド系が多い印象。




「キャンディマン」

2021年10月29日 | 映画
冒頭の映画会社のロゴの出方が前代未聞で、文字がことごとく左右逆になっている。
さらにタイトルが出るとさすがに文字は正常になるが、バックの林立するニューヨークのビル群が見上げすぎてそっくり反ったそうにほとんど上下逆に見える。
あ、これは何らかの意味で逆転を含む内容になるなと思わせるし、実際それらしくなるが、一筋縄ではいかない。

主人公が売り出し中の現代美術家とそのマネージャーで、壁にかけられた絵や蔵書などから割と裕福なインテリなのが伺われる。
しかし彼が住んでいるのが元スラムから黒人を追い出して再開発して作った高級住宅街で、その彼が先祖帰りのように現在の黒人が住んでいる地域を訪れるという逆行が平行して描かれる。
このあたりの捻り方は「ゲットアウト」のジョーダン・ピールが製作にまわったからでもあるだろう。

画面自体が現代美術的な感触があって、美術展会場の鏡や投射映像を生かした殺し場などすごくモダン。

インテリである主人公がかつての差別され迫害された黒人のシンボルであるキャンディマンになっていく、それをパートナーの女性が立ちすくむように見守る図が決めるラストが見事。

警官が黒人と見るとあたまから犯罪者と決めつけたり、不動産価格と住人の人種とが連動している仕組みなど、かなり日本でもおなじみになってきている。

なんでもないように描いているが、鏡の中にキャンディマンが出没するあたり、昔だったらカメラが鏡に映ってしまうところを上手く合成している。デジタル技術の進歩のたまものだろう。




「護られなかった者たちへ」

2021年10月28日 | 映画
東日本大震災大震災による被害による人の住まなくなった住居の増大と、生活保護が必要なのに受けようとしない人と不正受給者との齟齬とをうまくストーリーに絡めた社会派ミステリ。

佐藤健の狂気走ったような目つきがすごい。走って逃げる時の脚の早いこと。
阿部寛のもともと濡れたような目がまた生きた。

ただミステリとすると犯行場面が具体的に出てくるのに犯人の自白といったきっかけがなくて唐突にフラッシュバックされるので、なんでわかったのだろうと思わせる。実際にああいう犯行可能だろうとかという疑問もある。




みちのく伊達政宗歴史館

2021年10月26日 | Weblog

















蝋人形の質も量もすごい。
誰が作ったのかと思わせる。
一階二階共に車椅子の用意があって、てきぱきと乗り換えを介助する。
宮城県立美術館も車椅子の用意があって足が弱い程度(といっても当人には重大だが)の障害者にも使い勝手が良かった。

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「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」

2021年10月24日 | 映画
悪魔に取り憑かれた少年の悪魔祓いの場面から始まり、大人の男が悪魔を自分に移らせるという荒業で少年を救うという映画の「エクソシスト」みたいな展開になる。
その自ら悪魔に憑かれた男が「エクソシスト」のカラス神父のように自殺してなでいたら悪魔が見せた幻覚に惑わされてか人を殺してしまう。

人を殺したのが悪魔が見せた幻覚のせいなら精神耗弱に近い状態になって死刑は免れるという妙に合理的なような話。

本当のところ、映画の立場とすると悪魔や幽霊の存在を疑っているわけではないのだが、再び「エクソシスト」のようにいったん合理的な法曹の理屈にさらされることで絵空事感から離れる効果もある。
ラストで実際の事件関係者の写真や声が出てくるのも実話ものの定番とはいえ、気味が悪い。





「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」

2021年10月23日 | 映画
時代劇に西部劇の和洋折衷どころか、巨大な時計に縄をかけて止めて時間を止めておくという寺山修司ばりの発想や、ギリシャ劇のコロス、マッドマックスからニューヨーク1997までぶちこんだカオス。
一人よがりといえば一人よがりを極めた特異なイメージ宇宙で、それをかなりのカネをかけて実現している。
鈴木清順の「カポネ大いに泣く」の究極のわがままもびっくり。

もっとも救出する女の声で縛りつけられた爆弾の制限時間を延長するという趣向で、肝心な時に声が出ないようになっていてなかなか解除できないという場面など基本的な結構に関わる部分までディテール過剰でボケているのは困る。

ニコラス·ケイジはまあ何というか、こういうのやる人他にいないだろうなあと思う。

敵側の用心棒なのだが無口で強くて漢気あるヤスジロー役のTak(坂口拓)がやたらと格好いい。
女優さんたちがどうもぱっとしない。




「最後の決闘裁判」

2021年10月22日 | 映画
三人の視点から繰り返し描かれる強姦と殺人をめぐるドラマとして「羅生門」を非常に意識したそうだが、誰が殺人犯人なのか全部違うのをいちいち画で見せる「羅生門」に対し、出来事そのものに大きな違いはないので同じことの繰り返しなので(アングルは同じでも微妙に違うテイクを使っているようだが)もう少し省略できないかとは思った。

ただ「羅生門」に対する最近浮上してきた批判として、強姦された女が完全に被害者なのに悪女のように描かれるのはおかしくないかというのがあって、今回時代の推移に従ってこれに対する修正が入った感。

第一のエピソードには描写として抜け気味だと思える箇所かいくつかあって、第二のエピソードで埋める格好になる。
この二度のエピソードの積み重ねで男たちのどちらが正しいと作者が位置付けるわけではないのがわかってくる。

この第三のエピソードが初め強姦場面での感情に違いがあるのかと思ったらまったく関係なくて一方的に女性の意思を無視した行為であることが二度繰り返して描かれて強調される格好になる。

その後男たちの決闘で勝った方が神の支持を得たことになり、夫が負けたら妻は火炙りになるという中世ならではの理不尽な展開になる。

このあたりから完全に今でもレイプ被害者が晒されるセカンドレイプの問題と通じてくる。
何しろ強姦罪という罪そのものがなくて、夫の財産に対する侵犯罪という位置づけなのだから、妻は夫の所有物以外の何者でもない時代の話。
気持ちや感情の問題というより、もともとヒロインは領土や持参金と同様の交換の対象として位置付けられているのがわかる。

今は違うようで、しかし中世の極端なあり方を通すことでかえって今に通じるモチーフが見えやすくなった。

脚本はマット·デイモン&ベン·アフレックの「グッド·ウィル·ハンティング」のコンビに女性のニコール·ホルフセナーが加わった陣営。

性行の際快感を覚えなければ懐妊しないとか、今聞くと荒唐無稽としか言い様のない主張が裁判でなされるのは中世ならではだが、最近でもセックスの仕方で男女が産み分けられるといった本質的に大差ない誤情報がれっきとした育児情報サイトに載ったりしている。

結果、今に通じる所有物としての女性の扱われ方という現代にも通じるというか今でもなくならない問題が炙り出される。

神だの名誉だのといったコトバが結局はエゴの張り合いに過ぎない本質の上辺を飾るのに使われたかありありとわかる。
決闘場面の残酷さはこれが名誉だなんだという体裁の裏をひんめくった感。

リドリー·スコットとしては監督デビュー作「デュエリスト 決闘者」の頃は屋外屋内ともにフォッグがたちこめたようなテクスチャがかつてないものと注目された一方で、あまりに画として出来すぎていて息苦しく流れり乏しいと批判もされたのだが、長い監督経験を経て緩急自在、リアリズムと画の完成とを共に操ってみせる。




「キャッシュトラック」

2021年10月21日 | 映画
ジェイソン·ステイサム主演ならムチャクチャ強いという期待を焦らす凝った複数視点を使ったガイ·リッチー式の語り口。
強いのはわかっているのだから、もうちょい早めにエンジンをかけてもいい気はする。

他の出演者の役や生かし方のフォローが少々薄手。キャスティングは凝ってる。





「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」

2021年10月20日 | 映画
これだけ禁じ手を盛り込んだ007もなかったのではないか。
強いて言うなら「女王陛下の007」以来ということになるが、ショーン・コネリーが続いた直後にジョージ・レーゼンビーが唐突な代役を任されたこれがベタ酷評されたのに比べると、これまでのダニエル・クレイグの四本の積み重ねがあった締めくくりという形で賛否両論に持ち込んだ格好。

もともと東西冷戦と消費社会のシンボルとしてのジェームズ・ボンドのキャラクターは「スカイフォール」でいったん完全に死んだのだと思う。あそこで使われた水=寒色=死と火=暖色=生を潜るのを境に交代させた色彩設計演出の片鱗をここにも持ち込んでいる。ただしあれだけの掌握力はない。

冒頭の駅の列車の別れのシーンで、車内車外の横移動撮影を交錯させた映像は新鮮。メロドラマでは縦の構図にしがちなのを完全に外した。

クライマックスの島の騒動でロシア日本に加えてアメリカが抗議するという設定だが中国は何も言わないのかな。

脱出とか人質奪還といった大事なところで、あれなんでそうなるのと思わせるすっぽ抜けが目立つ。

ダニエル・クレイグとは「ナイブス・アウト」以来の再共演になるアナ・デ・アルマスがうって変わって思い切りセクシーでアクションでも大活躍。




「ONODA 一万夜を越えて」

2021年10月19日 | 映画
小野田というと、帰国後に発表した手記のゴーストライター津田信による「幻影の英雄」や、NHKアナザーストーリーズ他を先に知ってしまっていたので、かなりの予断を持って見ることになったのは否定できない。

前者では中野学校出のエリート意識の強い、実の兄にさえ傲慢な態度をとる人間であり、後者では帰国のかなり前から日本政府は小野田の存在を知っていたのだが、フィリピン政府側では自国民を殺した人間をそうそう簡単に出国させられるわけもなく、経済援助や技術援助と引き換えに帰国させる手筈を整えたことが描かれていた。

特に強い印象をのこすのは父親を殺された案内人の現地人が機会があったら小野田を殺してやろうと思っていたとぼそっと呟くくだりだった。

映画でも日本兵たちが牛を殺したり現地人を殺したりするくだりはあるが、視点が日本兵側にあるので、現地人にとっては小野田たちは山賊と変わるところがなかったというところまではわからない。

もとよりこれは小野田の視点に密着した作りであり、それを要求するのはないものねだりに近いが、追及されるジャングルの中でも与えられた命令を守り続ける精神構造の物珍しさに共鳴できないのはもちろん、興味を持つのも難しい。

むしろ自分は時代的によく知らないが小野田が帰国後の日本で歓迎され真の帝国軍人で日本人といった具合に持て囃したらしい精神構造の方が身近だし客観視する必要もあるのではないかと思う。

しかし少し前に発見され日本に戻った横井庄一の方はこういうドラマにはしにくいらしい。
小野田の横井のような一般からの補充兵と一緒にするなといった発言が前述の「幻影の英雄」にある。

イッセー尾形がある種の陰険さと無責任さのシンボルのような日本人像を「沈黙 サイレンス」以来の的確さで描き出す。

外国作家だからこういう日本人の無意識面も踏み込めるのかもしれない。
日本人が作ったらもっと何かしら図式的なものにひっぱられただろう。




「彼女」

2021年10月10日 | 映画
犯罪者二人きりの逃避行はボニー&クライドばりで、ボニーはバイセクシュアルだったという説もあるが、女二人の同性愛者カップルとあってまた一種アナーキーな感じにもなる。

AVの配信でもない通常のドラマでヘアヌードでのラブシーンが家で普通に見られてしまうのは不思議な気分。

廣木隆一監督らしい長回しの多用は劇場用映画とまるで同じ。



「空白」

2021年10月09日 | 映画
配役序列のトップが松坂桃李ではなく古田新太だったのはちょっと意外。
実際、場面は古田から始まって古田で終わるのであり、一番大きくキャラクターが動くのは古田の役ということになるのだろう。

予告編だと娘を交通事故で亡くした父親がモンスタークレーマー化するのかと思っていたら、初めからひどく周囲から持て余されていた人物なのが描かれる。
それがワイドショーのリポーターに興味本位で扱われ、匿名の悪意にさらされていくうちに、その点では実は同じ立場に立った加害者(とは言い切れないのだが)側の松坂桃李と通じ合うところが出てきて、亡くなった娘のことをどの程度知っていたのか、知らなかったことを知っていくのがドラマとしてのポイントになる。

テレビのワイドショーは実際にはまるで見ないのだが、まあ見ていてイライラする。リポーターが古田に振り払われて転ぶところが痛快に思えるくらい。ただしこの後掌を返して古田を悪役扱いにするのだから、また酷い。
松坂の取材映像を切り貼りして伝えようとしたこと(そして現場のリポーターはそう理解したと言明したこと)とはまるで逆の意味にされてしまうあたりも、ありそう。
ただこのネタはワイドショーが引っ張るには少し弱いのではないかとは思った。

交通事故でいったん乗用車に轢かれて倒れたところにトラックに巻き込まれて引きずられ血の跡が道路にずうっと残る描写が生々しい。
実際、交通事故の遺体の損傷というのは戦場カメラマンに言わせると戦場より酷いくらいらしいが、さすがにそれを直接見せはしないものの、古田のセリフでリアルに描写するのが生々しい。

寺島しのぶのスーパーの従業員ののおばさんの良かれと思って余計なことばかりする独特のうっとうしさの描出も印象的。

事故にあう娘が通う中学校の教師たちのことなかれ主義は想像の範囲内だが、校長の発言は責任転嫁を通り越してほとんど犯罪。そこまで普通やるかと思わせて、やや作り話っぽくなった。

舞台になるスーパーでやたらpaypayの表示が目立つ。バーコード決済では一番普及しているからには違いないが、実際ああなのか、タイアップなのか。