クルド映画というと、ユルマズ・ギュネイ=シェリフ・ギュレン監督による1982年カンヌ映画祭パルムドール作「路」がある。
刑務所から恩赦を受けた男たちがトルコ各地に散るが、ある男は婚約者がいながらどこに行くにも監視がつくのにうんざりして売春宿に行き、ある男は妻と再会するがやはりどこにいてもついてくる群衆の目を逃れて列車のトイレでセックスしようとしたら見つかって不道徳だとリンチにあった末に殺され、ある男は働く場のない妻が追いつめられた末に売春したところ、不義をはたらいた女は夫の手で殺さないといけないという掟から雪の峠を越させて衰弱死させるよう一族に強いられる。
そこで描かれる女性たちの理不尽なばかりの抑圧された姿は衝撃的だった。
男たち自身が刑務所から一時的に出ているだけという設定からわかるように抑圧され自由を奪われた状態であり、抑圧された者が抑圧するという構造がありありと描かれた。
何よりも監督のユルマズ・ギュネイ自身がトルコで政治犯として刑務所に服役していて(その頃のトルコではクルド語を使っただけで罪になった)、獄につながれたまま映画を監督したというのに驚嘆した。
周囲の囚人たちと相談してシナリオを書き、綿密な演出プランを作り、現場ではギュレンが演出し、そしてギュネイは最後に脱獄してスイスに亡命し仕上げ作業を行った。
クルドというとまずそのイメージがあまりにも強い。というか、まずこの「路」でクルドを知ったのであり、それからだいぶ経って不安定な世界情勢の中でクルドの名を聞く機会が増えていった。
その軸を反転させて女性の側から描いたのがこの映画ともいえる。
やはり抑圧はひどくあからさまに暴力的になってすらいるが、ベクトルが反転して反撃する側にまわっているので行く先が見える。
そしてここに出てくる男たちのなんと軽いことか。実際、彼らは自分の命すら軽んじて自爆攻撃に出て行きすらする。字幕で「自爆兵」と訳されているところでカミカゼ、と呼んでいるのにどきりとした。
闘う女たちの姿、には違いないのだが、相手を撃つ時に画面に出るのは撃たれる相手の姿であるよりは絶叫するヒロインの顔の方であったりする。ISの旗を投げ捨てるところでも相手をやっつける、復讐する快感に堕するのを回避するように周到に演出している。
解放された男の子たちのスローモーション映像の美しさ。
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