prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「いとはん物語」

2019年10月31日 | 映画

天下の美女である京マチ子をメイクで醜女に仕立てるという思い切った企画で、ヒロインが一種異様にすら感じられるくらい純真無垢なところがほとんど「エレファント・マン」をすら思わせる。

単純に純真というのではなく、一種の防御反応のようにも見えてしまう。

出っ歯にして目を腫れぼったくして眉をばかに太く書いて、とそれほど極端にいじらず京マチ子の面影が残っているメイクなのだが、それではっきり醜女になっているのだから、美醜というのはちょっとしたところで決まってしまうものみたい。

ドイツ産のアグファカラーの色彩がまことにこってりして衣装・装置の力感とともに大映の技術陣の力量を知らせる。

 


10月30日のつぶやき

2019年10月31日 | Weblog




10月23日のつぶやき

2019年10月24日 | Weblog

10月22日のつぶやき

2019年10月23日 | Weblog

「ピンクの豹」

2019年10月22日 | 映画
先日「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」(1968)を見たせいか、クラウディア・カルディナーレのセクシー美女ぶりに目がいく。
これは「8 1/2」「山猫」「ブーベの恋人」にも出演した、まさに大充実の1963年の出演作。
肉体的な意味に限らず本来の贅沢さといった意味のゴージャスなグラマーぶり。見る御馳走といった感じ。

脇役のクルーゾー警部のピーター・セラーズのドタバタぶりが後年と一緒で、オープニングタイトルのリチャード・ウィリアムスのアニメと共にすでにシリーズものとしてはまっている感じ。
この後クルーゾー警部を主役にしたスピンオフ的なシリーズものとして展開していくのだから順序は逆なのだが。

しかしこの手のヨーロッパ観光的な映画減りましたね。実際に行けるのが増えたせいか。



10月21日のつぶやき

2019年10月22日 | 映画
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— KUBRICK.blog.jp (@KubrickBlogjp) October 20, 2019

「真実」

2019年10月21日 | 映画
是枝裕和監督作というと、ドキュメンタリー出身ということや素人や経験の浅い出演者を上手に使うということでリアリズム寄りの人のように(少なくとも自分は)思いがちだったが、ここでは完全に虚実皮膜のあわいを揺れる作りにしている。というか、ドキュメンタリー自体「真実」そのものでは決してないのだが。

まずカトリーヌ・ドヌーヴという現実の大女優とファビエンヌという役がもろに重なるようにしてあること、撮影現場がまたここに後で合成しますよと言わんばかりにグリーンバックが張られていること、劇中劇に現実が反映する、あるいはその逆になる、ドヌーブには実際に早く(25歳で!)交通事故で亡くなった姉のフランソワーズ・ドルレアックがいて、それがファビエンヌの自伝「真実」で出てこない叔母にひっかけているだろうこと、などなど。

ヒッチコックと組む予定があったという小ネタなど、実際に「みじかい夜」というドヌーブ主演の企画があったことにひっかけているわけで、ブロンド好きのヒッチコックらしいなどと連想を誘う。

母親と娘の対立を描くドラマとしては、「秋のソナタ」や「エミリーの未来」などの先行作品の、娘が母親をとことん非難し存在そのものを否定するかのような苛烈な葛藤にはずいぶんと及ばず、良くも悪くも穏やかな地点に着地する。

母娘の親子あるいは女同士の対立の間には男はおよそ入る余地がないというのがこれまではある程度定番だったが、今回は一見だらしがないような娘婿のイーサン・ホークが子供の面倒をみたり、アルコール依存症っぽくて酒飲んだらえらいことになりそうなのがフランスの環境だと楽しんで飲めるので連続飲酒にならないとか、周囲の男たちが割とリラックスしてつかず離れずで関わっている距離感がいい感じ。

アレクセイ・アイギの音楽がちょっとジョルジュ・ドルリューみたい。つまり70年代くらいのフランス映画の感じ。




10月20日のつぶやき

2019年10月21日 | Weblog

「エンテベ空港の7日間」

2019年10月20日 | 映画
まず開巻驚くのは、舞台の上に正装した男女のダンサーがずらりと並んでドミノ倒し式にのけぞる動きが伝えていくのだが、一人だけ反対に床にうつ伏せに倒れる、といういかにもアート的なパフォーマンスから始まることで、一体これがエンテベ救出作戦とどう関係するのだろうと首をひねったら、最後までその関係がよくわからなかった。

冒頭だけでなく、クライマックスの救出作戦そのもののシーンで、このパフォーマンスとカットバックして、一人だけ床に倒れるのはこの作戦で命を落とした人のメタファーだろうかと思うのだが、しかしなんでまたこんなもって回った、ある意味救出作戦のスリルをぶち壊すのに近い表現にするのだろうと最後までわからなかった。

原題は7 Days in Entebbeと直訳で、その通り実録らしく字幕でカウントダウン式に日付が出るのだが、そこにそれ以前の過去のカットバックが入るという構成も疑問。

「エリート・スクワッド」二部作ですさまじくシャープで非情なリアリズム演出を見せたジョセ・パジーリャ監督としてはこれまでとは違う方向性を打ち出したいのかもしれないが、うまくいったとは思えない。

エンテベ作戦についてはこれまでも「エンテベの勝利」「サンダーボルトGO!」など映画化されていて後者しか見ていないが、イスラエルに肩入れするわけにもいかず、しないわけにもいかずで、背景の政治的状況がややこしすぎて、単純なテロリスト討伐、救出作戦成功万歳映画になりにくいのではないか。

「エンテベの勝利」の時は、とにかく先に作って公開した者勝ちみたいな感じで促成的に製作公開され酷評されて大コケしたのだが、いかにも映画みたいな実話の映画化には案外落とし穴がある。




10月19日のつぶやき

2019年10月20日 | Weblog

「ビッグ・アメリカン」

2019年10月19日 | 映画
原題は「バッファロー・ビルとインディアンたち、あるいはシッティング・ブルの歴史授業」Buffalo Bill and the Indians, or Sitting Bull's History Lesson という長いもの。
ビッグ・アメリカンなどという物々しい邦題とポール・ニューマンの笑顔を見るとかなり誤解する。

冒頭のメインタイトルの出し方からしてエンドタイトル風のローリングタイトルというのが人を食っていて、通常の西部劇が終わったところからこの映画は始まりますよといったロバート・アルトマンの宣言ともとれる。

大幅にお話として作り上げられた西部の伝説を上演する西部ショーの楽屋でスターのエゴや出演者の人気比べ、それぞれ自分の功績を言い立てる作者やマネージャーや宣伝担当たちなどがわしゃわしゃしているアルトマン流の人間模様。

アメリカの開拓の「歴史」というのは多分に西部小説や芝居(さらには映画)といったメディアで作られてきたものであり、それが今に至るも生きているのを如実に示す。
ただ、それがわかる人間にはわかりきったことに見え、わからない人間にはおそらく何のことだかわからないであろうのは弱点。

ロバート・アルトマン得意のズームを多用した不安定なフレーミング。
衣装や装置などバカに立派なのに、そこでやっていることときたら見事にウソばかり。

ポール・ニューマン、バート・ランカスターといった大スターを使ってこれだけ空っぽの俗物キャラばかりというのも徹底している。

カスター将軍を殺す「インディアン」の「酋長」に扮するのが黒人という皮肉。
字幕でPC上の理由で「先住民」とか「首長」と出るとどうも皮肉が薄れる。



「チャトズ・ランド」

2019年10月18日 | 映画
酒場で何もしていないのに先住民だからと侮辱してきた保安官(!)をあっという間にブロンソンが射殺するパンチの利いた出だしが快調で、その知らせを受けたジャック・パランスが軍服を着て討伐隊を組織して追跡を始める。

あとでわかることだが、バランスが着飾るのはカスター将軍の憤死からウンデッド・ニーの虐殺に至る白人側のトラウマを晴らすための戦いの演出で、このトラウマは最近の「荒野の誓い」にもつながってくる。

自分のテリトリーに彼らを誘い込み神出鬼没に現れては消え一人づつ追っ手を返り討ちにしていくブロンソンのキャラクターはランボーみたいで、考えてみるとランボーは先住民の血が入っているという設定だった。

追っているつもりが追われる羽目になって混乱した討伐隊が仲間割れしていく醜さをイギリス人監督マイケル・ウィナーが非情な目で描く。

白人たちが八つ当たり的にブロンソンの妻をレイプしたり、殺した青年の死体をわざわざ焼いたりといった残虐さはかなりはっきりベトナム戦争のアナロジーなのだろうなと思わせる。
製作は1972年、もろにベトナム戦争の最中。

追跡をはぐらかすような展開を迎え、終盤の決闘など抜きで「眼には眼を」を思わせるラストカットのあと、エンドマーク抜きでばさっと画面が黒くなってジ・エンド。
およそ古典的西部劇では考えられないカタルシス抜きの作り。

後半、ブロンソンが半裸になって筋骨隆々たる肉体美を見せるファンサービスぶり。ウィナーとは「狼よさらば」の大ヒットの二年前のコンビ作。




10月17日のつぶやき

2019年10月18日 | Weblog

「レッドムーン」

2019年10月17日 | 映画

原題はThe Stalking Moon(忍び寄る月)。ストーキングという言葉が今とは違う意味で使われている。

先住民にさらわれて息子を産んだ女性とその子をグレゴリー・ペック扮する保安官が「救出」して白人世界に連れ戻そうとするが、その「夫」の先住民サルバヘが妻子を取り戻そうと執拗に追ってくるサスペンス西部劇。

先住民がなぜ白人女をさらうのか、なぜ執拗に取り戻そうとするのか、という要の部分はおそらく微妙な問題や感情が絡んでいてはっきり説明されない。おそらく「捜索者」のジョン・ウェインのさらわれた姪を探し続ける執念と裏表の関係だろう。

公開当時は姿を見せない先住民をベトナム戦争での“ベトコン”のアナロジーと見る向きが多かったらしいが、ベトナム戦争はおろか第二次大戦より前に作られた「肉弾鬼中隊」は姿を見せないアラビア人の狙撃手に執拗に狙われる話だった。連綿と白人が持ち続けている異人種に対する感覚というか。

サルバヘをやっているNathaniel Narciscoという人はこの一作だけの出演、IMDbを見ても経歴も何もわからず。

「レッドムーン」 - 映画.com

The Stalking Moon - IMDb