prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「1640日の家族」

2022年08月31日 | 映画
フランスの里親制度がシステムとしてしっかり確立されているのがわかる一方、その取り決めから外れたり連絡を疎かにしたりすると、果たすべき義務を果たしていないと厳しく役所の担当に言われるあたり、きちんとしているのも良し悪しだなと思わせる。

特に小さな子供が行きたいところに行きたい、会いたい人に会いたい、会いたくない人には会いたくないと言うのを理屈で説き伏せるのはムリで、難しいものだなとため息が出る。

とは言いながら子供たちは可愛い。ただこれがもっと大きくなったらどうなるのか、また別のドラマができるだろう。





「天使の涙」

2022年08月30日 | 映画
ウォン・カーウァイが大流行りだった当時、どうもああいうぼわっとしたカメラワークと編集は苦手で敬遠していたが、やはり苦手なのを再確認した感じ。
俺には縁のない世界だなあというのが正直なところ。
ただ、音楽センスは全然ズレてない。

とはいえ、香港の位置づけが返還前の1995年当時とはまるで変ってしまった、今では扼殺されつつある自由な感覚、東西とオシャレさと泥臭さが混淆した感じの記録として複雑な気分で見ることにはなる。





「サバカン SABAKAN」

2022年08月28日 | 映画
少年時代の友情(主役の少年ふたりの番家一路と原田琥之佑が良くて、このキャスティングで半ば成功した)を、当人同士でそう思っていいのか気持ちに濃淡があって、大事に思うからこそ、簡単に友だちなどと言ってはいけないというきめの細かさがいい。

少し年上のお姉さん(茅島みずき、18歳なのだが年上感がある)が打ち上げられたジュースの缶のハングルを読めて海の向こうの韓国から来たと言い、行ったことあるの聞かれて「まだ」と答える。
なんでもないやり取りのようだが、このお姉さん、韓国系なのかなとちょっと思った。その彼氏らしい腕っぷしが強くて不良から助けてくれる兄ちゃん(八村倫太郎)もそうなのか、少なくとも恵まれない立場で良い意味でつっぱって生きてきたのかもと思わせる。
恵まれない相手に対する態度に作者の繊細さを見える。

少しラストで余韻を出そうとしてか色々と足し過ぎ。すぱっと少年時代の別れで終わっていいと思うし、せいぜいエンドタイトルのバックくらいに抑えた方が余韻が出たと思う。

尾野真千子と竹原ピストルの両親の組み合わせがいい。
初めて家に招かれた時に襖がすうっと開いて弟妹たちが顔を覗かせるのが可笑しくも可愛い。
いくつかある事故の描写が間接描写なのは演出の方針だろう。




「ミニオンズ フィーバー」

2022年08月27日 | 映画
これまでのミニオンズから時代を遡ってなぜ子供だったグルーをミニオンたちがボスとして仕えるようになったのかを描くビギニングもの。

ちょっと驚くのは1970年代のアイテムの取り入れ方で、音楽はリンダ・ロンシュタット、キッスなどがLPで回っていて、アフロヘアの黒人が跋扈してブルース・リーのドラゴンものが大流行りの頃とあってイエローのジャージを着てカンフーで戦うといった調子。

このところなぜか70年代を舞台にしたのが不思議と続く。「X」「ブラックフォン」といったホラーは携帯がまだないのでサスペンスを醸成しやすいからということもあるだろうが、70年代にも「ペーパームーン」「華麗なるギャツビー」ほか20年代30年代を舞台にしたノスタルジー映画が流行ったもので、こういうのには周期があるのだろうか。

サンフランシスコの坂は有名だけれど、うんと誇張してほとんど崖みたいな急坂にしているのが笑わせる。
毎度ながらミニオンズというキャラクターも常に集団でちょっとづつ違う姿で出てくるというのがキモ可愛い。

夏休みも終わりに近づいてきたせいか子供客が多かったが、よく笑ってた。





「わたしは最悪。」

2022年08月26日 | 映画
偶然にもスタイリッシュな章立て構成の映画が「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」に続いた。こちらはプロローグとエピローグの間に12の章が挟まる構成。

一直線なストーリー構成と違って、各パートによって少しづつ視点や主人公の感情や興味が向かう先が揺れているのが、かなり大事に思える。
念を押すように時間がバックしたり、ふたり以外のすべての人間の動きが止まってしまったりする技法がさりげなく織り込まれる。

ふたりの男の間で揺れているには違いないけれど、もともと男関係だけが
すべてではなく、マジックマッシュルームで見る幻覚のように異様な形で老けることやおそらくその先の死への恐れなども織り込まれる。
それら含めて生きていること自体が不定形なまま揺れている感じ。





「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」

2022年08月25日 | 映画
これまで出てきたキャラクター総ざらえの一種の同窓会映画みたいになっていて、そのせいか恐竜が人間を襲う怖さというのは最も薄い。
後半、つぎつぎと偶然が重なってキャラクターが出会って集まるのはちょっと笑ってしまうくらい。

代わりに遺伝子操作された巨大イナゴが出てくるのだけれど、これ別の話じゃないかなあ。それにイナゴの怖さというのは大きさより圧倒的な数によるもののはずで、なんだかズレてる。

見たのは2D版だったけれど、恐竜が喉の奥まで見えるような真正面のアングルで捉えられたカットと、それを抑えようと手を差し伸べる人間のやはり奥行きを強調したカットが交互に出てくるあたり、3D効果を狙ってたのだろうな。

クリス・プラットがタフなのは毎度だけれど、いくらなんでも氷の張った水に落ちて凍えないってことないでしょ。
人間に何か赤い光を当てるとなぜか恐竜がずうっとつけ狙うようになるのだけれど、あれどういう仕掛けなのかな。あれを操る白い服の女が途中でいなくなってしまうが、続編?にでも出すのか。

見せ場満載でまあ面白くはあったけれど、ツッコミどころも満載という感じ。





「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」

2022年08月23日 | 映画
全部で7章仕立てという構成が169分という相当な長尺をもたせるのにかなり与っている。
つまり単純にいってメリハリがつけやすいのと、基本的には男の視点で一貫させながら各章によって微妙に視点が揺れていて多角的にみられること。
各場面で常に何か裏があるような感じがある。

男が船長という設定が一種象徴的で、航路を見定める判断力指導力を持たなくてはならない職業の一方で、陸に上がって妻に相対するとまるでそれらがマヒしてしまう。
男らしさ誠実さ責任感といったイメージが強く、ハイス・ナバーがそれらのポジティブな面を十分に出しているので、翻弄された(あるいは一人相撲状態になった)時の混乱ぶりが目立つ。

レア・セドゥの一瞬も停滞せずに絶えず変転し続ける魅力が大きく、いわゆる悪女的なイメージにも捉われない。
1920年代のクラシックな衣装・美術の魅力も大きい。
ルイ・ガレルが出てきただけで何か後でやらかしそうな感じで、実際にその通りになる。





「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」

2022年08月22日 | 映画
実はビーチ・ボーイズにはあまり馴染みがなくて、ブライアン・ウィルソンが統合失調症を抱えていたというのも知らなかった。それでも知っている曲はいくつも出てきた。
サーフィンのイメージは流行りだったから入れたということらしい。

インタビューを部屋の中ではなく、自動車を走らせながら、時にあちこちゆかりの場所に寄ったりして行うという方法が面白い。

ブライアンがかかっていた精神科医が妙な支配欲を発揮して、スパゲッティを床に落として食べさせたり、大量の薬を処方したりしたというのが怖い。
中島らもがかかっていた精神科医が有名人が患者というのに妙に張り切って凄い量の薬を処方したもので、一時目がほとんど見えなくなったという話を思い出した。
有名人を抱えていると宣伝になるというのはわかるし、それを支配することで自分が力を持ったような気になるのだろうか。

たばこと酒とドラッグを一度にやめさせられたのは大変だった(依存症の治療は一度に全部やるのが基本だが)というが、一番やめるのが大変だったのがたばこというのは意外だった。個人差もあるのだろうが。





「女神の継承」

2022年08月20日 | 映画
韓国のナ·ホンジン(「チェイサー」「哭声 コクソン 」)が原案・製作, タイのバンジョン・ピサンタナクーンが監督した、タイ・韓国合作のホラー。 
「ベイビー・ブローカー」もだが、韓国はこういう外国の才能と提携するという形の世界進出も進めていると思しい。

あまりホラーとは思えないような邦題だが、代々、女神(守護霊みたいなものか)をいただく祈祷師の一族で、本来なら姉が祈祷師の座を受け継ぐところをどうしても嫌だと拒絶したので妹が受け継いでいたのが、姉の娘が大きくなるとそちらの方に女神あるいはそう見せかけた邪霊が取り憑くようになったらしく、数々の奇行を見せるようになるので、姪を救うべく祈祷師が乗り出すというのが話の骨子。

それをフェイクドキュメンタリーの技法で描き、「エクソシスト」の憑依ものと、土俗的な悪霊とも主語霊ともどちらともつかない霊(タイ語でいうピー)と、キリスト教でいうはっきりした異教の霊=悪霊といった、まことにさまざまなホラー映画の要素を交えて一貫した作品に仕上げた。
最近のホラーはこういうハイブリッド型が多い。

悪霊が取り憑く若い女役のナリルヤ·ゴクモンコルペチが「エクソシスト」より年かさな分セックスの面があからさまに出た。
今風のスタイルのいい割とかわいい女の子がどんどんグロテスクに変貌していって、しかし完全に超自然的な現象が起きるのはほぼクライマックスまでとってある。

終盤のいったん悪霊祓いの儀式の日程が決まりカウントダウンが始まってからが、なまじの希望をちらつかせる分、憑かれた女の凶行のエスカレートがエグい。儀式が始まってからの展開はさらにエぐい。

ドキュメンタリー風の描法でないとありえないような意外な展開を見せる一方、どうしても一種のあえて整理していないムダな場面が混ざるので130分というかなり長い尺になった。

かなり大がかりな取材という設定で何台ものカメラを回しているので、場面構成に窮屈な感じは薄い。

タイの日本に近いアニミズム的な世界観に続いて結構(韓国のように?)キリスト教が浸透しているところを見せる。
日本の「雨月物語」の「吉備津の釜」の磯良そのままの趣向が出てくるのが、文化圏が近いなと思わせる。





「ハイテンション」

2022年08月19日 | 映画
フランス製スプラッターは「地獄の貴婦人」の昔から「屋敷女」などエぐい。
いやどこの国にもエグいスプラッターはあるのだけれど、お国が違うと感覚が違いせいか自分の国のそれよりどぎつく感じるのかもしれない。日本映画の血まみれ描写というのもよく外国ではどぎついと指摘されたりするもの。

殺人鬼が外観はただのおっさんというのが逆に珍しい。印象的な外観とか演技者が怪演してみせるということもない。
ヒロインもボーイッシュなショートカット。

「悪魔のいけにえ」や「スカーフェイス」でも電動ノコギリで人を切り刻む描写はありそうでないのだが、ここでは盛大に血しぶきがとびまくる(それでも刻まれる人体はあまり映らない。描きにくいのだろう)。
実はすごく技巧的な話法を使っていたりするのがおフランス製っぽい。主役二人の容貌もそのためだったのねということ。




「暗殺」

2022年08月18日 | 映画
司馬遼太郎「奇妙なり八郎」の映画化。
何を考えているのかさっぱりわからない策のために策を弄するような策士・清河八郎を丹波哲郎が演じる、というか人を煙に巻く感じが丹波さんそのまんま。

撮影の小林節雄はじめ撮影所が機能していた時代のスタッフワークが素晴らしく、画面の様式美、格好のよさは篠田正治の監督作の中でも「乾いた花」と並んでトップクラス。

武満徹作曲の音楽はプリペアド・ピアノと尺八だけしか使っていないにも関わらず凄い広がりを持つ響きを轟かせる。
この時に尺八の横山勝也と録音技師の奥山重之助と会うわけで、これが武満の純音楽の「ノヴェンバー・ステップス」やミュージック・コンクレート作品につながっていく。
映画音楽の方が前なのだね。
武満はえてして難しいとか言われる現代音楽の書法で書かれた曲も映画の画面につけると普通にきれいな音楽と言われる、余計な先入観なしに聞いてもらえるのが魅力だと言っていた。

「市民ケーン」ばりにさまざまな人間から見た清河の人間像が矛盾しながら組み立てられている構成。
ラストの一人称カメラも、最初の方で道場の立ち合いで清河に打ち据えられた佐々木只三郎(木村功)がかすむ目で清河を見る一人称という形で一種の視覚的伏線になっていたわけ。




「血と砂(1965)」

2022年08月17日 | 映画
オープニングからデキシーランド・ジャズの「聖者の行進」が軍楽隊によって演奏されるのがまことにリズミカルな編集と共に流される。
岡本喜八は生涯本格的なミュージカル・コメディを作りたがっていながら、ついに本格的なものはできなかったが、それでも随所にそういう嗜好をのぞかせる。

戦争ものでコメディというと、だいたいゲーム的な中に笑いを散りばめるかブラックユーモアに行くかだが、そのどちらでもなく特に若い連中が何の愉しみもなく死地に向かうのを強いられる哀れさ情けなさが泣き笑いが中心になっている。

晩年の「ジャズ大名」でも幕末で尊王攘夷だなんだでドンパチやっているのを尻目にもっぱらジャズに興じている殿様とその取り巻きの姿は、ここから見ると一種の理想郷なのだろう。

伊藤雄之助の「靖国神社にだけは行くなよ、あそこはねぇ、他の神様にいじめられるから、一番良いのはなーんにもなくなっちまうこと」というセリフが凄い。

戦闘シーンの火薬の使い方も相当に盛大。日本の戦争映画は「敵」がはっきりしないというのが佐藤忠男の説だったけれど、これもゲリラたちはもっぱら無機質な群れとして登場する。




「ボイリング・ポイント 沸騰」

2022年08月16日 | 映画
90分にわたって全編ワンカットなのが売りの一作。
アーノルド・ウェスカーの芝居「調理場」は戦場のような調理場の喧騒の描写に労働そのものと捉えて階級社会の労働者階級と中産階級との対立とを描いたわけだが、これも基本的には同じ構造といっていいだろう。

調理場だけでなく、客席とも行き来し、また冒頭はじめときどきレストランの外にも出るのは映画の機能を生かしたものと言える。
また料理そのものはパントマイムで表現されるのに対して本物の料理が供されるのも映画ならでは。

今のロンドンのことだからスタッフに有色人種が少なからず混じるし、グルメ評論家だのSNSをやっている客だの今風の味付けもしている。

あまりの忙しさですっぽ抜けが出たり、ドラッグに頼ったりするあたり、労働が大変という以上の余計な手間ひまと共にストレスが増大しているのに今の時代の相が出た。

カメラ移動が終始少し揺れている(劇場案内で酔うことがあるからご注意くださいとあった)のはリアルな調子を狙ったのだろうが、欲を言うとときどき画が固定でかちっと決まるかドリーで滑らかに移動するところもあったらもっとメリハリが効いたと思う。





「ブッチャー・ボーイ」

2022年08月15日 | 映画
監督ニール・ジョーダン。脚本は原作者パトリック・マッケイブとジョーダンの共作。

アイルランドのとんでもなく悲惨なはずの少年の生活が、彼の空想世界を交錯されることでジョーダンを映画の世界に誘ったジョン・ブアマンの自伝的作品Hope and Glolyのような主演のイーモン・オーウェンズの個性とともに一種ふてぶてしいユーモアを持つ。
こういう幻想が入ってくるタッチというのはやはりアイルランド気質なのだろうか。

映画の中の宇宙人が現実に登場するあたり、大島渚の「少年」の主人公の少年がアンドロメダ星雲から来た宇宙人に託して心情を幼い弟に話したのをちょっと思い出した。




 

「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」

2022年08月14日 | 映画
出所を待ち続ける囚人だから「ゴドーを待ちながら」の「待つ」という行為に親近感を持つかもしれない、という理屈はわかるのだけれど、基本的にボランティアで芝居を教える側の売れない役者エチエンヌの視点にほぼ固定されているので、囚人たちの刑務所で待ち続ける心情、ひいてはそれぞれの犯罪の背景や家族などとのつながりといったものの描写は手薄になっている。
一方で早く出たいという気持ちの方もあるはずで、あんなに警備の薄い状態で巡業して大丈夫かなと思う。
だからラストもやや唐突の感がある。

刑務所長、判事、法務大臣といった要職が全部女性というのはどの程度リアルなのか知らないが、もちろん不自然ではない。

勝手に裏方の囚人がゴドーになってふらふらと舞台に出ていくのは笑った。本当にゴドーが出てきて芝居が壊れた状態というのを取り込む手もあったかもしれない。