「アンクル・トムの小屋」のタイトルで覚えた小説が「アンクル・トムズ・ケビン」になっていたのであれと思って調べたら、戦前に出版されたのは1927年と1933年で共に「トムズ・ケビン」でした。
アンクル・トムというと1954年の公民権運動以後では白人におべっかを使う黒人という意味になっているわけで、小児マヒと呼ばれたポリオの男の子に相当手荒く接すること共々,後になってみると無意識に差別的ともとれる扱いをしていることそのものは避けないで描くといったスタンスなのかと、やや戸惑いながら見ていた。
トットちゃんがパンダのぬいぐるみを持っていてエンドタイトルもそれで締めくくられるのだが、今みたいにパンダがポピュラーになったのは1972年の日中国交回復からで、この映画が始まる翌年の1941年に国民党のトップ蒋介石の妻・宋美齢がアメリカにメスのパンダ2頭を送るパンダ外交を展開し、日本の新聞に「珍獣でアメリカのご機嫌取り」という記事も残っているとのこと。
考証的には合わないことになるが、全体の考証の綿密さからしてわざとではないかという気もする。
当時の感覚と今の認識のずれを取り込んでいるというのか。
ずいぶん昭和15年頃の生活にしてはモダンで、パンを貼りつけるようにして焼くトースターなど初めて見た。
学校の隣が朝日新聞の販売店というのが、実名を使っていること共々目を引く。この映画自体の製作委員会にテレビ朝日は参加していたが、朝日新聞はしていない。
校長の小林先生が登場するシーンで、立ち上がった先生の頭が一瞬フレームから上にはみ出る。
トットちゃんの主観に合わせたカメラワークで、その後先生がトットちゃんの目線に降りてくる分、はっきりわかる。
炎上する学校を背にした先生の目の中に炎が燃えて、また作ると言うカットはちょっと狂気がかっていて怖い。
ガスマスクをかぶって遊ぶ子供たちのそばをスローモーションでくぐり抜けるトットちゃんと、片足になったり失明した元兵士と、そして骨壺を抱く母親とがカットバックされる。その前のシーンで「産婦人科」の看板が出ているのが強烈なコントラストを出す。