prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

2006年03月31日 | 映画
オープニングは、ストーリーとすると本筋とは関係ないのだね。ただここで銃を向けられた少女と主人公ヴィゴ・モーテンセンの娘がモンタージュされるのが、ラストで効いてくる。
禍々しい犯罪者とイノセントな少女のコントラストが、とうぜん主人公の裏表にあたるわけだが、どっちが本当でどっちが嘘というのではなく、妻のセリフではないがスイッチを切り替えるように変わる。

展開とすると、暴力の連鎖がやったらやりかえすなどという単純なものではなく、一つ暴力がふるわけると思いがけない、それまで暴力とは無縁のようだったところに飛び火していく展開が面白い。

セックス・シーンはなんと監督のデヴィッド・クローネンバーグ自身が妻を呼んで、俳優たちの前で模範演技に及ぼうとしたというからトンデモない。さすが変態クロちゃん。
「当惑した」とモーテンセンは語っているが、そりゃそうでしょ。

流血場面は短いが、スゴ味たっぷり。
アメリカではなくカナダ大使館が後援。クローネンバーグはカナダ出身で、「デッド・ゾーン」で来日時に、トークショーでこれはアメリカを舞台にしてはいるが非常にカナダ的な作品だと語ったことがある。アメリカのような剥き出しの暴力というより、一種の凍りつくような冷ややかさの裏に貼りついた暴力、というのか。
(☆☆☆★★)



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ヒストリー・オブ・バイオレンス

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「シリアナ」

2006年03月30日 | 映画
「何を」描いているのか、さっぱりわからない。この場合の「何」とは、テーマとか文化的背景という意味ではなくて、描写の具体性そのものだ。

たとえば、砂漠の一本道での暗殺シーンで人工衛星から見ながらアメリカの作戦室の連中が「あと何マイル」とか言っていて、いきなりカットが代わり砂漠の中の車がどーんと爆発する。何が車にぶつかったのか、爆弾なのか光線か何か使ったのか、誰が操作したのか、さっぱりわからない。
これでは、映画の描写として成立していないではないか。

他に、各界の偉いさんたちがそれっぽく陰謀をめぐらしているらしいセリフを言ったりしているのだが、どこにどう手を回しているのか、金を誰に渡し誰を消しているのか、その陰謀の実相がまるでわからない。
余談だが「腐敗は正しい」「腐敗が富を作る」といった繰り返しは「貪欲は正しい」「貪欲は…」と繰り返した「ウォール街」のパクリっぽい。もっともその「ウォール街」のセリフも、アイヴァン・ボウスキーの実際の演説のパクリだが。

「トラフィック」で味をしめたらしいやたら大勢のキャラクターが交錯する作りだが、手を広げすぎて焦点がどこにも合っていない。
支配層の連中が陰謀を巡らしているとか、腐敗しきっているとかは、わかりきったことだ。それが具体的にどうなのか、一向に描けていないのでは意味がない。

「誰」と「どこ」ばかりが豊富で、「何」が抜けた新聞記事みたいだ。
思わせぶりにも、程がある。
(☆☆★★★)

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「ルー・サロメ 善悪の彼岸 ノーカット版」

2006年03月29日 | 映画
ニーチェとパウル・レー、ルー・サロメの男二人と女一人の三位一体などと形容もされているが、男の一人パウル・レーは男色家でもっぱら傍観者の立場をとるので、ちょっと違う気がした。
レーは聖セバスチャン(レーとルーの出会いの場所がセバスチャン通り)の殉教風の立って縛られた形で殺される。レー役のロバート・パウエルは「ナザレのイエス」でキリスト役をしているので、初期キリスト教が持っていたホモ的な要素と、ひねった形でつなげているよう。
セバスチャンのように矢で射られるのに似て切り刻まれるのはニーチェの脳梅毒による幻覚に現れる別人で、レーは溺れ死ぬという調子なのもあくまで外部に置かれた扱いということか。

リリアーナ・カバーニ作品らしく、官能と観念がねじれてつながっている。あちこちで点描されるユダヤ人差別の持つ意味、馬をワーグナーだと思うニーチェのギリシャのディオニソス的志向性など、難しくてどう捕らえていいのかわからないところも多い。ただ感じるだけで通すというのも難しい。

ニーチェに批判されるところとなったやたら禁欲的なルター派キリスト教モラル代表の妹が、ルーが家の中に入ってきたのに嫉妬して鶏の丸焼きをめりめりとむしる異様なシーンがあるが、「イレイザーヘッド」でも鶏の丸焼きがセクシュアルな扱いで出てきたし、「トム・ジョーンズの華麗な冒険」では精力剤扱いだった。

ドミニク・サンダの何考えてるのかわからない冷たい美貌はぴったり。エルランド・ヨセフソンのニーチェは「ノスタルジア」のドメニコの聖なる狂人を逆さまにしたように俗に徹して狂気に至る。

室内シーンもロケセットで撮っているようなアルマンド・ナンヌッツィの撮影、裸とコントラストを成すようなピエロ・トージの肌を覆いまくる衣装。

初公開時は40箇所以上修正されたのが今回は4箇所にとどまったというが、どういう基準で修正したのだろう。ヘアだけならパスするが、性器となるとダメなのか、少女の性器は見えてるのだから男の性器に限って修正しているのかと思ったら見えてるところもある。勃起しているとダメなのか。そのくせ一番ゲッという感じの紐パンツだけの全裸男二人のダンスはもうえんえんと無修正。
一言で言うと、まだ修正なんてやってるのかい。
(☆☆☆★)

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「クラッシュ」

2006年03月21日 | 映画
クラッシュ、という題名は、バラバラになった人間関係を表すだけでなく、時折降る雪のようにそれぞれのキャラクターが多面的にきらきら光っている様子も表しているかのよう。

人種差別の問題が頑として横たわっているのはもちろんなのだが、すでに警察の上司や検事など差別されている側とはいえないアフリカ系もいる一方、新しく(?)敵視されているアラブ系と間違えられたペルシャ人や、中国人なども視野に納めている。
日本だって、本当は多民族間のドラマを作れる状況にあるはずだが。

差別者=悪・差別意識のない人=善という図式を免れて、多彩なキャラクターがそれぞれ善悪の間を揺れ動き、それぞれの意思を超えた意外な展開や結びつきを見せる。シナリオのエネルギーはかなりのもの。こういうのは、役者がノるだろうなと思わせる。
ささやかながら、クリスマスに合わせた奇跡を描いた映画の系譜にも入る。

銃が出てくると<落ち着いて考える>余裕がなくなってしまうな、と改めて思う。
(☆☆☆★★)

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「白バラの祈り ゾフィー・ショル最後の日々」

2006年03月20日 | 映画
前半の取調べ、後半の裁判と、いかにナチスが反対者の意見をひたすら弾圧したかは嫌というほど描かれるのだが、それ以外のこと、ゾフィーの抵抗の拠り所になった根拠とか思想の形成過程とかはさほど描かれない。
ドラマとすると弾圧する側される側ともに終始ほとんど変化することがないわけで、重苦しく単調。

こういう映画を作る意義は認めるけれど、今の日本にいる自分に引き寄せて考えるとっかかりを見出せず。白バラの一員になったつもりになれるわけでもないし、かといってナチスに同化するのはもっと無理で、わかったような「つもり」にしかならないだろう。
(☆☆☆★)

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「オーケストラ・シート」

2006年03月19日 | 映画
お高くとまった環境でリサイタルばかりしているのに飽き飽きしているピアニスト、テレビドラマで成功しているのに内容が低俗だと不満たらたらの女優、収集した美術品のコレクションをことごとく手放す金持ち、などかなり恵まれた境遇にあるくせに満足していないキャラクターがメイン。
贅沢な悩み、には違いないのだけれど、当人にとっては深刻であることは説得力をもって描かれている。

三人をつなぐウェイトレス役のセシル・ドゥ・フランスがコケティッシュ。舞台挨拶で実物を見ると、映画で見るより背が高い感じ。

コンサートと舞台初日とオークションが同時進行するクライマックスは、音楽がブツ切れになるのがちょっとひっかかる。
シドニー・ポラックがアメリカ人映画監督役で登場、スコセッシと間違えられるという楽屋オチ的笑いあり。
フランス映画祭2006にて。
(☆☆☆★)

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「シェイタン」

2006年03月18日 | 映画
途中で出た。
若い男女がつるんで古めかしくてだだっ広い変な人形でいっぱいの屋敷に来て、怪しげな現地の人間やいわく因縁ありげな出来事に遭遇するというホラー映画風としかいいようのない話なのだが、ホラーにするつもりがあるのかないのか、ストーリーの展開も脅しのかけ方もてんでモタモタしていてうんざりする。

代わりに意味のないディスコの場面や裸で泳いだりエッチしそうでしないシーンがやたらだらだらと長い。テレビ番組で吸血鬼映画を流しているシーンなんてあるから、ホラーは意識しているはずなのだが、だったら、エッチしていたら襲われるっていうのが定番なのに、そういうわけでもない。
題名のシェイタンというのは、イスラムの悪魔の名前だとかもったいぶって語られるが、その正体がどんなものか確かめる気にもなれず。第一、何かが襲ってくる感じがまるでない。
これで二時間はつきあいきれず。

ヴァンサン・カッセルが悪い酒を飲みすぎたみたいな頭のおかしい男をやっているのだが、見ている観客から笑いがしばしば漏れる。
ベトナム系、アフリカ系など色々な人種が混ざっているのは、今風。
(フランス映画祭で上映)

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