prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「銀色の髪のアギト」

2006年01月31日 | 映画
予備知識なしで見たのだけれど、誰が見てもコレ宮崎アニメだなあと思わせるところバリバリ。

森に侵食されて人類が滅びかけているところは「風の谷のナウシカ」、やたら高いところから飛び降りても平気な主人公がヒロインを助けようと奮闘するのは「未来少年コナン」か「天空の城ラピュタ」、人間の身体から異物が噴出してくるあたりは「もののけ姫」、などなど。
月から植物の蔓が延びてくる壮大なオープニング(ここのKOKIAの歌はいい)は、「ナウシカ」の元ネタの一つであるブライアン・オールディスの「地球の長い午後」みたい。

ただ、そういう元ネタばかり目立つということは、肝腎の作品自体にあまり魅力やオリジナリティがなかったということ。
キャラクターがデザインも性格付けもぱっとしない。
(☆☆★★)

銀色の髪のアギト - Amazon

 


「綴り字のシーズン」

2006年01月28日 | 映画
形の上ではスペリングのコンテストに出場する女の子一家の話だが、パックにあるものは相当に観念的で大きい。帰りで年配の女性客が「こんなに難しい映画だとは思わなかった」と言っていた。

先日読んだ清水義範のエッセイで人類史上最大の発明は何かといった議論があることが紹介されていて、筆者は「文字」と答えていた。人類の文明を支えているのは言葉だが、それを記録する文字がなかったら時間や空間を越えることはできないから、という理由だ。

オープニング、「甘い生活」の冒頭の空飛ぶキリスト像のごとく、大きな「A」の文字がヘリコプターで運ばれてくる。実際言葉=文字=ロゴスはここではほとんど神のように扱われている。

主人公の女の子が言葉のスペルを思い出そうとすると、たとえばその言葉が「子葉」だったら、服の地の草から実際に(CGの)芽が出て伸びてくるという具合に、言葉が実際の物に先立っている、あるいは言葉に実在がついてくる。
district spelling beeと大会の表示にあって、ミツバチの絵まで描かれているので、この場合のbeeとはどういう意味だろうと思って調べると、(競技の)寄り合い、集まりといった意味があるのだそう。ここでも言葉=文字が先にあって、実在のハチが後を追っている構造は一貫している。

リチャード・ギアの父親は古代の神秘主義者の言まで引用して、言葉(ロゴス)を通じて世界の始原=神に向かおうとする。
一方で、母親は万華鏡や顕微鏡を覗いたり光る物を集めたりして、ばらばらになった世界に光をあてて回復させようとするが、途中で力尽きて入院する。

「光あれ。すると光があった」(創世記)と「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神だった」(ヨハネによる福音書)の対立、旧約と新約の対立のごとしだが、ただ言葉を奉じる父親はユダヤ系で、母親は元カソリックという具合に、対応関係はねじれている。

父親に反発した息子がインドのクリシュナ教に傾倒したり、クライマックスのキーワードが「折り紙」ORIGAMIだったりという具合に、東洋志向も入っている。オリガミという言葉が問題として与えられると折り紙の鳥(これもCG)が現実にあるかのようにまざまざと目に見えて現れ、ORIGAMIの文字を指し示すと、少女はその文字を答えるのを拒否する。図式化して言ってしまうと、現代の実在軽視とロゴス過剰批判といったところか。

息子のガールフレンドがチャーリーという男名前で、しかもスペルがchaliというねじれ、その飼い犬の名前がtigerというねじれ。言葉は真実を指し示すわけではないというモチーフは細部にまで及んでいる。さらにtigerというのはエンドタイトルを見ると本当にその犬の名前なのだから、ややこしい。

実際は仏教徒のギアにクリシュナ教徒たちに喧嘩を売らせているのもひねっている。
(☆☆☆★★)



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「沈黙の追撃」

2006年01月27日 | 映画
アメリカ映画にしてはずいぶんチャチだなあと思って調べてみたら、ビデオ用作品でした。カットの数が足りないもので、ワンカットの中でコマをとばして擬似的にカットを割ったように見せるなど、ずいぶんセコい真似をしている。

演出もサボりぎみだが、スティーブン・セガールも太ってサボりぎみ。思い出したようにぱんぱんと銃を撃つが、ラスト近くまで身体を使ったアクションは見せない。それも脈絡なく銃を捨てて突然現れた黒人と格闘を演じたかと思うとたちまちやっつけて銃でトドメをさす。手抜きのプロレスみたい。

マインドコントロールで側近に要人を殺させたりするマッド・サイエンティスト(アーネスト・ボーグナインを若くしたようなニック・ブリンブル)というのが悪役なのだが、いつ洗脳して何が人を殺させるキーになっているのかちゃんと描いていないものだから、文字通り話が見えない。帰りに年配の女性客が旦那にわけがわからなくて眠ってしまったとボヤいていた。
クライマックス、オペラハウスで暗殺計画が進行するという「知りすぎていた男」か「ゴッドファーザーPART3」ばりの趣向だが、演出が力量不足もいいところで誰がどこで何やってるのか、わかりゃしない。音楽も全然生かせていないし。

監督はダグラス・ヒコックスの息子のアンソニー・ヒコックス。といっても、どちらもあまり知られてないか。ダグラスの「スカイ・ライダーズ」は、祖母がテレビで見て、「こんなに面白い映画見たことない」とバカに喜んでいた。それほどとは思わなかったけれど。

マツケンサンバの振付師・真島茂樹が試写会のゲストで登場、何の関係があるのかと思ったら、映画の舞台が南米なので南米→サンバ→マツケンサンバという恐るべきこじつけ。アホか。
(☆☆)

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神保町

2006年01月26日 | Weblog
久しぶりに神保町に行く。
いつのまにか、日本工業大学専門学校なんてビルができていて、願書受付中だった。大学なのか、専門学校なのか、どうも両方らしい。
前からあったのだろうが気がつかなかったのが、なぜか猫だらけの刷毛の専門店(写真)。
本はもちろん、中古LP店とか、やはり他にないものがいっぱいある場所です。
曙の手形だの、貴乃花の一代年寄襲名披露のパンフ(「不惜身命」)だのがある店があるのが、今となると可笑しい。
古代エジプトの象形文字・ヒエログリフの解説書兼問題集を置いてある店があるのに、びっくり。




「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」

2006年01月25日 | 映画
原作を読んでいない人間にとっては、話がはしょりすぎてなんだかよくわからない。
視覚効果はいいに決まっているが、演出のセンスが割とリアルで、ファンタジックな飛翔感があまりない。ドラマ部分、舞台が魔法学校でなかったら結構セコい話だぞ。
(☆☆☆)

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「Mr.&Mrs.スミス」

2006年01月24日 | 映画
この二人の属している組織って、よほどのアホウの集まりですね。
まじめに見るタイプの映画でないのはわかるが、こう雑で嘘っぽくてはノレやしない。ほとんど主役二人の掛け合いで、細かい設定や脇のキャラクターがまるでなおざりなので、いいかげんダレる。
二人が実生活でデキているのがはっきりした後で見ることになったわけだが、だからどうってこともない。役者ですからね。実際にデキていようがどうだろうが、それらしく見せることくらいできます。
最近だとMs.を使うのでMrs.という書き方しないと思うのですけどね。ヒッチコックの「スミス夫妻」と同じように平凡な姓代表ということらしく、名前の方もジョンとジェーンと平凡ぶりは徹底している。
(☆☆★★★)

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「ミッシング」

2006年01月23日 | 映画
インディアンに誘拐された娘を取り返しに行く、というとジョン・フォードの「捜索者」だが、白人とインディアンとの板ばさみになるのが追跡するトミー・リー・ジョーンズの方というのがひねっている。インディアンの方も相当に凶悪で悪知恵がまわるキャラクターが混ざっていて、昔の単純な悪役→白人に征服された被害者→エコロジカルな観点から自然とともに生きる人たちときて、白人のように悪い、とぐるっとまわってきたみたい。
総体的にかなり陰惨。アクション・シーンがあちこち視点がとんで整理されていないのは、ロン・ハワードといえども西部劇の伝統からは切れている感じ。
(☆☆☆)

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「韓国・シルミド部隊 国家に葬られた若者たち」

2006年01月22日 | Weblog
BSドキュメンタリーで「韓国・シルミド部隊 国家に葬られた若者たち」を見る。映画は大筋で事実を追っていたが、細かい違いがいろいろあるのがわかる。

ボクサーやトラック運転手など、普通の生活を営んでいる市民を拉致してシルミド部隊の訓練生に仕立てた、というのに驚く。家族は彼らがどうなったのか、30年間まったくわかっていなかったというのだ。
彼らの遺体が埋められている場所は、ただの裏庭みたいなところで、墓石も何もない。それを埋めた元墓守の老人は、ある日いきなり20もの死体を並べられて、これを埋めろと命じられたという。
当然、遺族たちはちゃんと国立墓地に祀るよう要求しているのだが、一方で訓練生の反乱で殺された警備兵の遺族は遺族で、反乱兵と一緒にしないでくれと突っぱねている。

もともと空から潜入するつもりだったので気球からの降下訓練も積んでいた、というところや、ニクソンの東アジア政策の転換で南北の対立を続けることができなくなった経緯などは映画からこぼれていた部分。

シルミド



「キング・コング」

2006年01月21日 | 映画


1933年のRKOで製作されたオリジナルの「キング・コング」のポスターもアップしてみました。ちなみに、1976年のリメークは「キングコング」で、「・」がありません。
時代設定をオリジナルの製作時の大不況時代にしてずいぶん丁寧に考証してみせ、「(オリジナルの主演女優だった)フェイ・レイはRKOの映画に出ています」という楽屋落ちが入る。前のリメークと違って、いかにオリジナルに愛着があるかといういうところを見せているわけ。
ジャック・ブラックの見世物師的監督が「セシル・B・デミルが裸の女を出したか」などと映画会社の重役の前でハッタリをかますが、なーにデミルは時代の制約があるから裸は出さないが、薄物をまとった女を山ほど出してましたよ。

約1時間半のオリジナルに対し、こちらは3時間10分。やはり1時間半の「暗黒街の顔役」が3時間の「スカーフェイス」にリメークされたのと似たケース。それでいて、筋に大きな違いってないのだね。場面場面の書き込みが違うだけで。ピアノ・ソロをオーケストラにアレンジしたようなもので、それだけ元のストーリーの一種神話的なシンプルさが逆にわかる。

オリジナルの映画自体の神話性とともに、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」を持ち込んで、近代社会に対する原始社会の持つ神話性と重ねているよう。原住民の儀式の舞台のセットは「闇の奥」を発想の源にした「地獄の黙示録」のカーツの王国ばりにやたら屍骸だらけ。コングが前二作に比べるとやたら人を殺すのも「王」らしいということか。

船の乗組員に顔に刺青をしたマオリ(ピーター・ジャクソンの出身のニュージーランドの先住民)や東洋人、黒人などの有色人種がかなりいて、概して白人より先に死ぬ。

巨大な猿をNYに連れて行って見世物にする、というのは娯楽の乏しい昔なら成り立ったろうが、げっぷがするほど見世物に取り囲まれている現代だと、いくら出来がよくても印象がぼやけるのは仕方ない。「ジュラシック・パーク」ばりの恐竜や、「インディ・ジョーンズ」シリーズばりのやたらバカでかい虫がぞろぞろ出てくるあたり、スピルバーグの趣味の悪いところを倍増している感じ。あるいはジャクソンの出自の「バッド・テイスト」か。

コングとヒロインが氷が張った池の上で滑って戯れるシーンはよく考えた。
(☆☆☆★)



キング・コング - Amazon