prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「アンビュランス」

2022年03月31日 | 映画
マイケル⋅ベイ監督と言ったら、マイケル・ベイです。
とにかく誇張した映像表現をどこまで徹底してえんえんと続けられるかという限界に挑み続ける。

トランスフォーマー⋅シリーズとは違ってCGがガッチャンガッチャンいうことはあまりないが、これまでにも増してカーチェイスを追いかける移動撮影がド派手で、特にドローンが縦横無尽に飛び回り、ジャンプした車の下を潜りさえする。
音楽というか音響が耳を弄するばかりだけれど、「トランス」ほど耳障りではなかったのは音自体のせいか再生装置がよくなったのか。

兄弟の強盗が銀行を襲い、追われて負傷した警官と女性の救急救命士を乗せた救急車を奪って警察の包囲網を突破する。
もちろん病院には行けないので、人質になった救命士が揺れる救急車の中の中でえんえんと負傷した警官の救命活動を行い、強盗も凶悪一方ではなく、警官が死んだら確実に終身刑だという理屈もあって救命作業に参加するのが呉越同舟的な面白さ。
あんなに手当てが遅れて大丈夫なのか、とか他の警官を山ほど殺してないか、というツッコミをするのはヤボに思える。

強盗二人組が濃淡の差はあれ結構感情移入の余地を残しているので(昔でいうグッド・バッドマンというのか)、捕まった方がいいのと逃げられるのいいのと、二重のハラハラが味わえる仕掛け。
ベイ映画としては臭い泣かせは割りと少ないので見やすい。

もとは2005年のデンマーク映画で、そのアメリカ版リメイクらしい。「ギルティ」のパターンですね。





「ドリームランド」

2022年03月30日 | 映画
「俺たちに明日はない」(ボニーとクライド)に「天国の日々」を混ぜたみたい。
1930年代の大不況時代の男女のギャングの逃避行で、撮影が見事なのと、それとは裏腹に内容が暴力的なところ。

クライドが性的不能という設定だったのに対して、こちらは男が17歳の少年で、ヒロインに対する引け目や強がりが入ってきていて、アメリカで「大人」になるのに伴う暴力性のようなものが出てきている。

マーゴット・ロビーがプロデュースを兼ねて主演。脚本が気に入ったかららしい。







「THE BATMAN ザ・バットマン」

2022年03月29日 | 映画
雨が降りしきる都会の風景は「ブレードランナー」っぽくもあるがSF的な未来像というよりあれが骨法として持っていたハードボイルドのスタイルをこれも持っている。

殺人事件の謎は主観的に追われると共に、追う者自身の内面がナレーションによって半ば第三者的に描写される。
さらにその上から運命的に関わってくる女性の存在、など。

仮面の下に真実が隠れているのではなく、仮面をつけることで本心を表すパラドックス。

夜の雨の中の、大型車が玉突き式にクラッシュするアクションシーンなど、どれほどの困難が伴ったか見当がつかない。

ウェイン家の出自はかなりケネディ家っぽい。それを狙うリドラーはリー⋅ハーヴェイ・オズワルドということになるか。
彼が捕まるダイナーは明らかに(またもやというべきか)エドワード⋅ホッパーの「ナイトホークス」のそれ。
平然と捕まって、その後に計略が待っているあたりは「セブン」か。
持たざる者、格差の最下層の出というあたりジョーカーともかぶる。

ずいぶんあちこちかなりあからさまに元が見当つくが、寄せ集め風でも全体として大きな絵になっている。3時間の長尺も恐れていたほどだれない。

冒頭からアヴェ⋅マリアが流れて、作中何度も大幅にアレンジを変えて変奏される。ブルースの母親の設定は、セリーナことキャット・ウーマンとその母親の関係ともかぶる。逆説的な聖母というか。





「龍門客棧」(残酷ドラゴン 血斗龍門の宿)

2022年03月28日 | 映画
キン⋅フー(胡金銓)監督の1967年作。
つまり「燃えよドラゴン」Enter The Dragon(1973年)はおろかドラゴンとついた初ブルース⋅リー主演作「ドラゴンへの道」The Way Of The Dragon(1972年)より前の製作。
というか、ブルース⋅リーの香港復帰主演第一作「ドラゴン危機一発」が大ヒットした時、それまで香港の観客動員記録を持っていて破られた映画がこれ。

日本でブルース⋅リー=カンフー映画のブームが来る前にすでに北海道でスプラッシュ公開されていたとのこと。
初公開では単に「血斗龍門の宿」で、ドラゴンとついたのは1974年にカンフー映画ブームにあやかって改めて公開された時ではないか。

山田宏一のインタビューで、キン⋅フーは60年代当時ヒットしていた007シリーズに対抗して、15世紀前半、明の時代の東廠という秘密警察を取り上げることでスパイ合戦のバカバカしさを描いてみたかったとある。

東廠は宦官で皇帝に命じられるままに人を殺すだけの存在で、アナーキストですらなく、多い時には十万人もおり、そのため国中が戦々恐々としており、しまいには明を滅ぼすことにもなったという。

クライマックスで東廠のリーダーの武芸の達人と戦う時、いちおう正義の味方のはずのキャラが相手が宦官なのをさんざん揶揄して精神的に揺さぶりをかけるというのが、一対四だし、なかなかえげつない。

ヒーロー側は一応正当な跡継ぎを守るという動機づけをされているのだが、それがどんな家柄なのか、何より跡継ぎが具体的にどんな人物なのかさっぱりわからない。
ただそういう争奪戦のきっかけになる「お宝」の設定がしてあるだけという作り。不思議なくらい思い切りがいい。

ヒーロー側の一番の達人が顔つきが結構悪役寄りで(扮装も悪の中ボスと似ている)、シンプルな正邪の戦いの図式ではあるのだけれど、前半は悪役たちは明確なのに対してそれに対抗する側がどんな形のチームになるのかなかなかはっきりしないのが、スパイものらしいとも言える。

音楽が明らかにモリコーネのマカロニ⋅ウエスタンのサントラをそのまま使っていたりするのは驚いた。「男たちの挽歌」でピーター⋅ガブリエルの「バーディ」の音楽をまんま使っていたのを思い出した。

アクションシーンの撮り方、編集術がキン⋅フーのスタイルをすでに見せていて、京劇の立ち回りの映画的アレンジといったリズムと様式性を併せ持ったもの。
えんえんと動きっぱなしのカンフーアクションに対して、静と動のメリハリがはっきりしている。

女剣劇を持ち込んでいるのはキン⋅フーらしい。兄と妹なのを兄と弟と周囲がどう見ても女なのがわからなかったり、性的な面を表に出ないようにしている。






「僕が跳びはねる理由」

2022年03月27日 | 映画
自閉症の少年の世界をかなりの程度その主観に映像と音響を接近させるという作りのドキュメンタリー。
ただ実写映像だと認知そのものの性格は観客そのものはわからないので、奇妙な美しさとデフォルメ(ではないのだが、そう見える)の印象の方が先に立つ。
一種のアートフイルムというか。「原作」があるというのもちょっと異例。

マンガの沖田×華の「毎日やらかしてます」などの方が、発達障害者はこういう認知の仕方をしているのですという説明ができるので納得しやすい。
本当に納得できるのかという問題は別として。

映画はどうも説明には不向き。





「ガンパウダー・ミルクシェイク」

2022年03月26日 | 映画
最近よく見かける女性たちが男どもをばったばったと倒していくアクション映画、には違いないのだけれど、女を立てているようで見世物的なキャットファイト、女闘美に接近しがちな中で、かなりそこから離れるように気を遣っている。
端的にいって、みんなあまり綺麗に化粧していない。

母娘関係が二つ(ひとつは疑似的なもの)かぶるようになっていて、他の女たちとのシスターフッド関係と混ぜている。ともに男に入る余地はまったくない。
男どもがこれでもかとブチ殺されるわけだが、子供に対しては頑として暴力を見せたり汚い言葉を使わないようにしている。

ドンパチの中にゆったりした音楽を対位法的に使う技法も今では珍しくないが、笑気ガスを吸ってへらへら笑っている三バカとの戦いや、子供が運転するカーアクションなど趣向に工夫あり。
しめくくりの長いスローモーションの移動撮影などずいぶん手がかかったのではないか。

ミシェール⋅ヨーはさすがに立ち回りとなると本職感が出る。
アラン・パーカーとのコンビで知られるマイケル・セレシンの撮影がスタイリッシュ。





「ウェディング·ハイ」

2022年03月25日 | 映画
結婚式を舞台にしたコメディとなるとロバート·アルトマンの「ウェディング」があったわけだけれど、あれがブラックで風刺的で皮肉な笑いで通したものだから、日本では惨憺たる不入り(初日の第一回の入場者が4人!)になったのを反面教師にしたわけでもないだろうが、基本的に何もかも上手くいくハッピーな線でまとめている。

とはいえ、群像劇というよりたくさんの登場人物たちをそれぞれバラバラに描いているものだからかなりとっちらかった印象。招待客それぞれが勝手な芸を披露して良かったねというのは逆に意外な感じもするが、本来滑りそうなところを全部ナレーションで救っている。というかあれで救っていることになるのか。

とあるロシア映画を見て映像業界を目指した元映画青年がテレビの仕事で疲弊しているところに結婚式の祝賀映像の依頼を受けてやたら張り切って作ったというのが、完全に旧ソ連のSF映画「惑星ソラリス」のパクリ。音楽まで一緒なのだから、どういうつもりなのかなあと思う。ギャグなのか? あれ見せられたら、招待客当惑しないか。

どうでもいいけれど、「ソラリス」というのはひどい夫婦喧嘩の末に妻が自殺しているという設定の話。

いったん結婚式がうまくいってから御祝儀泥棒の話が改めて始まるって、すごく長く感じた。




「アンネ・フランクと旅する日記」

2022年03月24日 | 映画
アンネ・フランク博物館に展示してあるオリジナルの日記から文字が抜け出てアンネそっくりだが髪と目の色が違うキャラクターになる。
アンネは日記を人に呼び掛けるようにして書いたわけだが、そのアンネの分身であるイマジナリーフレンドのキティということになる。

そのキティがアンネが隠れ家を出た後のことは知らないという設定は、日記が途切れた後なのだから不思議はないが、意表をつかれる感じ。
普通だったら殺されているわけがないのだから。

ナチスがお馴染みのデザインではなく、「Vフォーベンデッタ」のように様式化された全体主義のイメージになっていて、それに向かうイメージとしての戦士たちが映画の中のクラーク·ゲーブルだったりまことに多彩というのが画一性と多様性というコントラストになる。

図書館には日本語のアンネの日記もある。不思議でないけれど。

セリフは英語で、それもひどく聞き取りやすいニュートラルな英語。
世界性みたいなのに合わせようとするとそうなるのだろうが、非英語圏の人間からすると、ちょっと釈然としない。
なお、アンネではなく、明らかにアンと発音している。

現代の難民問題とナチスの排外主義との結びつきは割りと自然にいっている。残念ながらと言うべきだろうが。





「ドント·ルック·アップ」

2022年03月22日 | 映画
トランプの女版みたいなメリル・ストリープが快演にして怪演。

テレビの司会者の話題ときたら株価のことばかり。カリカチュアのようでわが日本の政策ひとつみてもリアリズムだったりする。

「アルマゲドン」みたいな大スペクタクルにしてアホ感動作にもなる題材を、完全に全方位的におちょくるコメディにしてみせたど根性っぷり。





「おしえて!ドクター・ルース」

2022年03月21日 | 映画
性に対する相談者を扱ったドキュメンタリーだが、アメリカでも日本でもレーティングはG、つまりディズニーと一緒。

エイズに対する偏見との戦い、合意と相手に対する敬意を持つことの大切さ、「ノーマル」なセックスなどないなど、かなりの程度常識になった(しかし頑強に否定する者は未だに少なくない)性意識の啓蒙に尽力というにはあまりにリラックスしたように見える調子で伝えていく。

とっぴな連想だが、日本の映画における淀川長治さんを(すごく身体が小さいところも)思わせたりした。

イスラエルに来た時ドイツ名カローラは危険だとミドルネームのルースを使うようになったというのが、名前と自己同一性との関係の抜き差しならなさを教える。






「悪は存在せず」

2022年03月20日 | 映画
どれも死刑に関わる全四話のオムニバス形式の一編。
第一話はファスベンダーの「R氏はなぜ発狂したか」のような淡々とした日常生活のスケッチを積み重ねて、ラストで唐突な(ようで実は地続きの)暴力が噴出する。

その後も、死刑制度に直接関係なさそうな人たちが意外な形で関わっている様相が変奏され、平和に見える日常と地続きに死刑という殺人が行われている作者の認識が見える。
モハマド・ラスロフ監督はイラン政府ににらまれていたため受賞したベルリン映画祭は欠席のままとなったらしい。
ある意味、人を国は殺していいという特権を表すのが死刑制度だとも言えるわけで、それに疑問を投げかけるのは国家に対する反逆ともとれるわけだろう。







「白い牛のバラッド」

2022年03月19日 | 映画
死刑制度の最大のアキレス腱である冤罪で死刑を執行してしまったらどうするのか、というモチーフをどんと中心に置く。
そこからの発展させ方、そしてクライマックスが義理の弟と姿を現さない義父の女性に対する冷酷な態度(子供を平気でもぎとっていく)の扱いと相まってすごい盛り上がりを見せる。特に自動車の前面に置いたカメラの長回しの効果。

ヒロインが勤めるのがパック牛乳の製造工場で、娘や招待した男にも牛乳を出す。それが何か人に命のもとを与えているような象徴的なニュアンスを狙っているのだろう。
二回にわたって登場する刑務所の庭の真ん中に白い牛がおり、左右に男女が分かれて群れているというイメージカットがそれを補完する。

日本の裁判制度だと(日本に限らずだろう)被告の妻が担当判事を知らないというシチュエーションはありえないので、イランでの法制度での死刑判決を下すまでのプロセスがどういう風になっているのかと思った。
ややわかるようには描いているのだが、総体としてはわかりにくい。

国が人を冤罪で死刑にしていいのだったら、個人は私刑で仇をうっていいのではないかという論理につながる。
日本で死刑が廃止されないのは仇討ちが復活するかもしれないからだ、という説を昔、星新一のエッセイで読んだことがある。

およそ日本では死刑廃止は論議されないのだが、その理由としては国民の大勢として、
1.冤罪の可能性をあまり考えない
2.国が代理として人を殺した奴は殺すべきという応報感情を満たすのを求める
3.国を対象化して考えず、自己と一体化して考えることが多い
といった理由が考えられる。





「ちょっと思い出しただけ」

2022年03月18日 | 映画
時間が遡っていく構成というのが一見して年号とかを入れていないのでわかりやすくはなくて、初めコロナでマスクをしていたのがとれていったりタクシーの型が古いものになっていったりするのでわからせていく、というか気づくように作ってある。
このところの環境の激変の記録にもなっていて、こんなに生きているうちに環境は変わっていくんだという実感が出る。

誕生日を辿っていくのがバーナード・スレイド作の舞台劇「セイムタイム ネクストイヤー」の逆みたい。

まず関係が終わったところから遡ってくので、後半二人がいちゃいちゃしているのがうざくないというか後でどうなるかわかってしまっているので、ある種の無常観というと大袈裟だが、特に不幸になったというわけでもないのに否応なく変わってしまっているところですでに悲しい感じが重なる。

同じようでちょっと違う日々の習慣の繰り返しというのは、突飛な連想かもしれないがタルコフスキーの「サクリファイス」の初めの方で毎日同じことを繰り返していれば世界は変わる、変わらないわけがないという独白を逆方向から証明したみたい。






劇場でもらったポストカード。


「ゴヤの名画と優しい泥棒」

2022年03月17日 | 映画
このタイトルで公共放送(ここではイギリスBBC)の受信料をめぐる話だとはなかなか思わないと思うぞ。
ユーモラスな泥棒ものかと誤解させるような宣伝するのは日本の公共放送絡みの何か問題でもあるのだろうかというのは邪推であることを望む。

正直、話の展開の仕方があっちに行ったりこっちに行ったりでどこに収まるのかなかなか定まらないので売りにくかった感はある。
しかしBBCは75歳以上はタダになった話なわけだが、年寄がテレビの前から動かないのはどこも一緒みたいね。





「声優夫婦の甘くない生活」

2022年03月13日 | 映画
声優夫婦という邦題はかなり看板に偽りありで、声優に限らず俳優が異郷で生きる大変さ、俳優という仕事が相当に人間性に触れるところを突っ込んだ認識の上に出来ている映画と思える。

レンタルビデオ屋というのがVHSなのは時代のせいか知らないが、見たところケースにも入れておらずテープを剥き出しにして並べているのがなんとも乱暴。

ベッドのなかで妻がリア王のセリフを言うのは、浪々の身になったリア王に夫の姿を重ねてのことだろう。
他に夫がオーディションで「波止場」のマーロン·ブランドのセリフを朗唱する名調子が見事なだけに悲痛。

余談になるが、「ロッキー」の一作目にはかなり「波止場」が入っていると思う。
ブランドの役が元ボクサーというだけでなく、ラブシーンでキスしたらずるずるっと抱き合ったまま床に崩れ落ちるあたりもそっくり。