prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「地獄へ秒読み」

2011年06月30日 | 映画


1959年のロバート・アルドリッチ監督作。「悪徳」「攻撃」に続くジャック・パランス主演。

第二次大戦後のベルリンで不発弾処理にあたる元ドイツ兵たちの物語。といっても、全員英語を話しているし、英語圏の俳優ばかりなのでニュアンスはゼロ。
それにマルチーヌ・キャロルとのロマンスが絡むが、こちらもヨーロッパ的なニュアンスは出ていない。

全員の報酬をプールしておいて、誰か死んだらそのぶん分け前が増える、というシステムで、実際一人また一人とあるいは爆死しあるいは倒壊した建物の下敷きになって死んでいく。
不発弾処理といってもヘルメットひとつつけるでなし、技能に応じて報酬が増えるわけでもないのだから敗戦国だからとはいえひどい待遇。

「ハート・ロッカー」みたいに処理班の主観に密着した描き方ではなく、克明な客観描写をゆっくりと積み重ねていく「恐怖の報酬」的手法。爆弾の構造が実際にあんなに無骨だったのかと思わせるくらい無愛想な鉄の塊。

全額戦争未亡人のために寄付しようではないかと隊長パランスが言い出すが、副隊長格のジョセフ・チャンドラーが「まず自分のことを考えろ」と叔父から受けた教えを盾に拒絶する。
この二人が協力して不発弾処理にあたるのがクライマックスなのだが、反発しつつ協力するという設定が必ずしも生かされないのは残念。

カラリゼーション版だが、色を落として白黒にして見た。本来の白黒になりきらないのが残念。
(☆☆☆)
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「アグネス」

2011年06月29日 | 映画
男子禁制のはずの修道院で修道女アグネスが妊娠し、生まれた赤ん坊を絞殺するという事件が起きて、精神科医のジェーン・フォンダが探偵役となって真相を探っていく。
明らかに聖母マリアの処女懐胎になぞらえた話で、真相というのもその線を外れないので、非キリスト教徒としてはどうも納得しにくい。聖痕が現れるあたりも、奇跡なのかどうかピンと来なくて、どこかケガしたのかと思ってしまった。

「エクウス」もそうだが、精神科医が探偵役になるというのは精神分析がはやっていた時期の話という感じはする(映画の製作は1985年)。
よくは知らないが、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が1988年に発売されて大ヒットしてから、精神病は手間ひまをかけた精神分析より薬で治すというのが主流になっている上、診断はDSM( 精神障害の診断と統計の手引き)で病態からマニュアル的につけるので、問答を通じて真相に迫っていくといったドラマは今では作りにくいのではないか。

撮影はベルイマン作品で有名なスヴェン・ニクヴィストだが、特にベルイマン的ムードではなし。
監督はノーマン・ジュイソン。映画的テクニックに自信があるらしく逆に舞台劇の映画化を好むところがあるけれど、奇跡といった描くのに特殊なセンスが要る題材だっのであまり冴えず。

主演のメグ・ティリーは「アマデウス」のモーツアルトの妻コンスタンツェ役で撮影に入ったが、子供とサッカーをしていて靭帯を痛めて降板した。同じミロス・フォアマン監督の「恋の掟」で共演したコリン・ファースの間に息子が一人いる。

尼僧たちが凍った池の上でスケートしている姿がペンギンみたいでかわいい。
(☆☆☆)
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「スリ」

2011年06月28日 | 映画
スリ [DVD]
監督 ジョニー・トー
ビデオメーカー

冒頭、小鳥が男一人の部屋に飛び込んでくるあたりで、小鳥の様子ひとつから侵入者を察知するメルヴィル=アラン・ドロンの「サムライ」みたいになるのかと思ったら、文鳥が飛び込んでくるのは幸運のしるしか不幸のしるしかという話になって、あまり関係ない。

犯罪者仲間が集まって他愛もない話題でわいわいやっていたり、女の色香に迷ったりと話があちこちとんでなかなか進まず、ひとつひとつのシーンもどうにもゆるくて、なかなか乗れない。シナリオを作らない手法があまり成功しているとは思えず。

男ひとりで繕い物をしているオープニングなど、「現金に手を出すな」でジャン・ギャバンのギャングがパジャマに着替えて歯を磨いて寝るシーン(そりゃ、ギャングだって歯くらい磨きます)みたいな「味」で見せていく作りだけれど、香港映画的にちょっと味が濃すぎ。

雨の中の集団スリのシーンでやっとエンジンがかかったかと思うと、またすぐゆるくなる。
(☆☆☆)

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「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」

2011年06月27日 | 映画
ここで描かれるミュータントたちの孤独は、第一作・二作の監督で今回は製作にまわったブライアン・シンガーがゲイなので、ゲイを示す記号があちこちに埋め込まれているらしいが、よくわからず。一作目のXメンのスーツのデザイン(パーツによって革やメッシュなど使い分け、製作に四ヶ月かかったとか)など、それらしかったけれど。

キャラクターがまだ若くてできあがっていない分、能力やデザインだけでなく、性格が変化・成長するため、原作を知らない者にもとっつきやすくなっている。
超能力者やゲイあるいは人種的マイノリティでなくても、孤独や無理解を感じている人は多いだろうし。

冒頭のプロダクションのタイトルデザインがシンガーの出世作「ユージュアル・サスペクツ」からとったもの。スピルバーグが「アンブリン」を一時期自分の会社の名前とロゴにしていたみたいなものか。

シーンによってちゃんとドイツ語やロシア語を使わせているのは良い。途中から英語にすり替わってしまうということもない。アメリカもソ連もミュータントからすれば何の違いもないわけで。
ミュータントたちが集めてくる「七人の侍」的シーンのテンポよし。良すぎて軽いけれど。

キューバ危機の絡め方はおもしろかったけれど、あんな大騒ぎ起こして噂が全然洩れないってことあるのか。
アメリカ艦隊のキャプテン役でマイケル・アイアンサイドが出ていたが、エンド・タイトルではM Ironsideとイニシャルになっていた。改名したのか。

アメリカの司令部のセットが「博士の異常な愛情」のそれとそっくり。本物の司令部の様子を公開しているとは思えないので、「博士」を真似たのでは。偶発核戦争が起こってしまう映画だったし。
(☆☆☆★★)
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「アジャストメント」

2011年06月25日 | 映画
主人公マット・デイモンの主観に密着していないと成立しない半分以上妄想に思える世界だと思うのだが、そのあたりの方法が曖昧。本当に誰かが運命を操っているという描き方で、その分不安感や悪夢感覚やサスペンスが薄れて、ただ荒唐無稽になった。
フィリップ・K・ディック原案というけれど、現実感覚が崩壊するのではなくてフィクショナルな世界を想像力の足りないくそリアリズムで描いているだけ。

主人公を政治家というなまじっか特別な立場の人間にしたので、入り込みにくい。
闖入者代表が「テオレマ」のテレンス・スタンプという楽屋オチ的キャスティングにはちょっとニヤリとさせられたが。
(☆☆★★★)


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原田眞人監督 公開講座 小津安二郎

2011年06月24日 | 映画
早稲田大学大隈小ホールにて。
講義の内容をノートしてみます。

※ 小津作品というと同じことの繰り返しの代名詞みたいだが、そんなことはなくて特にプライベートな、特に女性との関係が作品に影響しながら進化しているという点で、ベルイマンと同じ。

※ 女性というのはまず母親、なぜ母親を引き取って生涯独身で過ごしたか、家庭の事情、特に兄嫁と母親との対立が背後にある。

※ 日記によく出てくる「築地」とは築地にあった置屋の女性のこと。それから松竹撮影所のそばの食堂の女性もいる。女性関係に関する証言がなかなか出てこないのは、この女性が大物俳優と結婚してその息子も現役の役者なため。

※ 照れ屋で一歩踏み込みきれないのが小津の性格で、女性たちに求婚しなかったのはそのせいだし、最も好んだ小説は「暗夜行路」で志賀直哉とも親交があったのについにモチーフを借りただけの「風の中の雌鳥」しか作らなかった。

※ 小津作品の人物設定は基本的に男女交換可能。「晩春」での父と娘のやりとりは「早春」の母と娘のやりとりに変奏される。そのあたりハワード・ホークスと同じ。

※ 小津がカメラを動かさなくなったのは、アメリカ映画みたいな機材がないところで中途半端なパンや移動をしたくなかったから。なかなか色彩映画に踏み出さなかったのも、カラー技術が満足のいくところまで待っていたから。

※ 戦時中シンガポールで軍属をしながらいかに戦争協力をしないでやりすごすかに腐心して、もっぱらアメリカ映画を見ていた。中でも感心したのは「市民ケーン」。ただしそれでも80点しかつけていない。

※ 「東京暮色」は上野駅の十二番ホームで終わり、「彼岸花」東京駅の十二番ホームで始まる。そういう作品を超えたつながりと対応が見られる。(作品名の記憶は曖昧、別のかもしれない)

※ 小津というと役者を型にはめようとする演出と思われがちだがそんなことはなくて、杉村春子は自由にやらせている。できる人は自由にやらせるということ。

※ 「浮草」の宮川一夫の撮影、下河原友雄の美術は、パネルのひとつに至るまでの意匠の凝り方と色彩だけでなく厚みを持たせた照明による格調高い画面は映画史上の傑作。浴衣の柄が役柄に合わせてネガとポジの関係になっていたりする。
ここでの雨の中の激しい罵言のやりとりは、小津の生活から出てきたものと考えていい。大映に出向して撮ったことともに、自分の殻を破ろうとしている。

※ 小津作品に頻出する人物たちが同じ方向を向いているのを欧米への紹介者ドナルド・リチーはtropism(植物が光に向かうように、生物が刺激の方向に向かうこと)と形容した。

※ 「ゴッドファーザー」でマーロン・ブランドが孫と遊びながら死んでいく場面は、明らかに「小早川家の秋」の中村鴈治郎が孫と遊びながら死んでいく場面からきたもの。

※ 「秋刀魚の味」のラスト、娘に嫁に出した後の夜の父親の姿は「晩春」に似ていると見せて、それまで決して入らなかった台所に入っているのに注目。前のシーンで友人がエプロンをつけて出てくるところがある、つまりこれから父は自分で自分の面倒を見るようになるということ。慨嘆ではなくて成長がある。

※ 小津作品によく出てくる葉鶏頭は、山中貞雄が出征する前(そして中国で戦病死する)に小津と会っていた時に庭に生えていたもの。

※ 小津は実際に戦争に行き、人の生き死にに触れてきている。戦争中は戦争に関する映画の企画をいくつか提出していたが、復員後はぴたりと止めている。今の若者が小津の真似をするのとはわけが違って、懐にドスをのんでいる。

これに関してブログ主が連想したこと。
小津がガンで亡くなったのは、中国で従軍中に日本軍の毒ガスを吸ったせいではないかという説あり。
原節子のいわゆる「紀子」三部作の紀子という名前は昭和15年生まれの女性に多い。皇紀2600年に合わせてつけられたもの。(零戦という名も皇紀の下二桁からとられるという軍用機の命名規定による)

大いに勉強になりました。
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「しんぼる」

2011年06月23日 | 映画
みごとに独りよがり。これくらい金かけてわがままに撮れるケースも珍しい。それでいて芸術志向ってわけではないし、考えてみると、コントでのダウンタウンのネタってこういうシュールなのが多くて、そんなに大きく違っているわけではない。

松本人志の「シネマ坊主」は日経エンタテインメントの連載中から愛読していたけれど、これだけ勝手なこと言って自分が撮るとなったらどうなるかというのを恐れずにやりおおせているのはご立派。面白く感じるかどうかは人任せだが。

しんぼるって、男性のしんぼるそのまんまというのには、ちょっと笑った。壁のしんぼるを押すたんびに、要りもしないものが出てくるあたりに寓意を読み取ろうと思えばできるけれど、意味よりぶっとび方を楽しむ。
(☆☆☆)

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「奇跡」

2011年06月22日 | 映画
子供たちにそれぞれ願いがかなうならどんなことがいい、と聞くのが、「ワンダフルライフ」で生涯で一番印象的な想い出を選ぶ、といったのと似た発想。
桜島が爆発する、という破壊的ともいえる望みを言うのが、むしろ子供らしい。
爆発する画がアニメになって動き出したあと、普通の無人の風景や事物のショットが続くのがリアルなまま幻想感を出した。

割と最近鹿児島に行ったので、桜島が見える風景が妙になつかしく見えたりした。
老人と子供が一緒に過ごしている当たり前の光景が、特になつかしがった調子でなく描かれる。

福岡と鹿児島の距離感が必ずしも出ていない。
監督はテレビでケン・ローチ監督の「ケス」で鷹の死体をそれと知らせないで子供に見せ、リアルな反応を引き出した演出に影響を受けたといっていたが、ここではまえだまえだのリアクションの切れ味自体が、二人別々に暮らしていても割りと明るく過ごしている感じに結びついた。
(☆☆☆★★)
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「マイ・バック・ページ」

2011年06月20日 | 映画
原作は十年以上前に読んだ。大きく映画と違うのは一人称で描かれているため接触する自称活動家がただの口先男なのか、それとも本物の活動家なのかなかなか判断できず、そのため物的証拠を要求して、血のついた腕章を預かったことがあとで結果として警察によって証拠隠滅と見做されてしまうのだが、映画ではかなりいいかげんな感じがしながらも活動家であることがはっきり画面で明かされているので、証拠を預かるのがいかにも不用意に見えてしまう。
ニュースソースの秘匿という原則論一点張りで警察の追及をしのごうとするのも、特に今の感覚でいうと甘く見える。

松山ケンイチが最初の方の集会でちょっと追い込まれると、この会は俺が作ったのだとかおよそ幼児的なことを言い出す。どうもこの男自身、自分が何者であるかあまりわかっていないらしい。その空白感にエアポケットみたいに妻夫木聡がすぽっと嵌ったのかと想像する。
この当時すでに左翼運動は退潮期にあったわけで、今と対照的な「熱い時代」というわけではなかったと思うし、キャラクターはむしろ今風の甘えが目立つ。
圧倒的に「強いアメリカ」がほころびてきたところにあってニューシネマの男たちが泣いたのと、もともと男の強さが建前だけみたいな日本とでは一緒になるのかどうか。

新聞社内部で週刊誌より新聞の方がエラく、政治部の方が文化部よりエラいとでもいったヒラエルキーがあるのが今更ながらわかる。
三浦友和がいかにも朝日新聞的(映画では会社名を変えているが)に傲慢な人物をやっていて、「沈まぬ太陽」に続いて大企業の中で腐敗している役が続く。年の割りに重みがつかないのが昔の日本映画で新劇俳優がやったような企業内悪役と違うところ。

「真夜中のカーボーイ」や「ファイブ・イージー・ピーセス」は一種の小道具として使われているけれど、「十九歳の地図」はなぜこれが出てきたのか、よくわからず。
(☆☆☆★)
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「戦場でワルツを」

2011年06月19日 | 映画
主人公が失われた記憶を求めて戦友たちを巡る一種のミステリ仕立てともいえ、「軍旗はためく下で」をちょっと思い出したりした。ただ、その各エピソードが強烈な割りに並列的で謎解き的な趣向は薄い。
どんな技術が使われているのかよくはわからないが、キャラクターが実写から起こされた画のアニメになっていると、個々の独立した人物というより集団としての軍、全員の体験は一人の体験にもなるといったニュアンスが出ている。

主人公の頭にかかっていたモヤが晴れて記憶に蓋をしていた原因が明らかになる、目からウロコが落ちるラストが衝撃的で、このためにアニメにしていたのか、と納得。

若者たちが遊んでいる風景は、昔の「グローイング・アップ」シリーズみたいなムード。あれはイスラエルが舞台で、よく覚えていないが一見ノンキなセックスコメディみたいなようで裏に男の子たちは軍に行かなくてはいけない緊張があったような気がする。
(☆☆☆★★★)


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「地球が静止する日」

2011年06月18日 | 映画
1951年のオリジナルでは核戦争の恐怖だったのが、リメークでは環境破壊という違いはあるにせよ、宇宙から超越的な意思と力を持つ宇宙人がやってきて、人間をいってみれば地球を蝕むガンとして扱い、他の生物たち、あるいは生命体としての地球を救うべく、手術としての破壊活動を始める、とでもいったストーリー。

どうも釈然としないのは、そういう宇宙意思とでもいったものが人間の姿をして現れる、ということ。イメージとしては神の言葉を預かる預言者なのだろうが、結局人間至上主義の裏返しにすぎないのではないか。
アーサー・C・クラークの「幼年期の終り」だと来訪者たちは姿を隠し続け、ついに見ることができたら悪魔の姿をしていた、というのが前半の終わりでクライマックスでなぜそうだったのか理由がわかる。

ここでは宇宙人が操る人間型ロボットが破壊兵器として出てきるのはオリジナルのデザインを踏襲しているが、途中から無数の飛行物体の群れになるのは聖書のイナゴのイメージに思える。

宇宙人がやってきて(自分以外の)人間たちを虫けらのように扱って、その矮小さを暴き出してほしいとでもいった欲望は、他の人間を高みから見下ろす選民意識が裏にはりついている気がするし、実際エコロジストでそういう向きなのはごろごろしている。「神」というコトバを使いにくくなったせいか、代わりに安直に地球意思とかいったコトバを持ち出している、とでもいった。

余談だけれど、UFO目撃談にせよSF映画・小説にせよ、人間以外の知的生命体がもっぱら人間型というのはそうしないと話を進めずらいという技術的な面があるにせよ、個人的には海全体が巨大な知的生命体というスタニスラフ・レムとタルコフスキーの「ソラリス」の洗礼が強烈だったせいか、人間型でない、まったく「意思」が通じない「知的」生命という方にリアリティを感じてしまう。

キアヌ・リーブスは無表情なところは宇宙人風だが、いつもそうじゃないか、とも思う。
(☆☆☆)


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「赤と白」

2011年06月16日 | 映画
ハンガリーの巨匠、ヤンチョー・ミクローシュ(ハンガリー人は日本同様、姓が前、名が後に来る)による1968年作。日本未公開。アメリカ版 second run社 英語字幕DVDによる。
原題 Csillagosak,Katonak

ヤンチョー作品は「密告の砦」('65)「ハンガリアン狂詩曲」('79)が劇場公開されていて、幸い両方ともスクリーンで見ている。
遠景で捉えられた草原や川のほとりを、多くは隊列を組んだ人間たちが長まわしの撮影の中、複雑なタブローを作りあるいはページェントあるいは自然をバックにしたオペラのように構成される独自のスタイルは、これを含めて一貫している。

何しろロングに引いた画面が続くのでテレビで見るのは辛く、歴史的背景を含めてどういう人間関係でどういう風にストーリーが展開しているのか、というのははっきりいってまったくといっていいくらい、わからない。
それでいて、不思議と退屈しない。というか、退屈しないから安いとはいえ輸入版を買って見たりもしているわけで。

ただし、もともとわからないと言えば、個々のキャラクターより集団と化した人間たちの関係の力学によって動いているといった印象。
それぞれの個人がどこの集団なのかしばしば問いただし歌を歌わせたりするが、本当にそうなのかどうか曖昧で、それがはっきりしたところで全体の動きそのものは魚の群れがどれかの個体が指揮したわけではないのに全体として統一のとれた動きをとるように動く。

誰も全体像をわからないままそれぞれ個々の力関係で離合集散をしているうちに、全体としてはたいていカタストロフに向かっていく政治の力学の絵画化といっていいだろう。
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「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」

2011年06月14日 | 映画
それにしても、ウォール街の連中の報酬の高さにはめまいがする。
これをたとえばいくらづつ配ったら何人に配れるのか、何人が救えるのか、というのが気になってきた。富の偏在もここにきわまれりと言いたいが、もっとひどくなる気もする。

結果としてペテンとしか言いようのない金融商品を「格付け」した連中も、政権が変わっても財務を担当する連中も、もとをただせば同じ穴のムジナ、というのだからたまらない。
「アタマの良さ」がもっぱら人を煙に巻くために使われている。

政・官・財や、司法の間を人材が流動するのはアメリカのいいところ、といわれることが多かったけれど、ある意味互いに牽制すべき業界の間で同じ連中がぐるぐる巡っていた、ということかもしれない。

あきらめないで怒れ、というのはマイケル・ムーアほど強くないが扇動的傾向はあるが、どうもとってつけたような感じがするのは現実があまりにがちがちに隙間なし逃げ場なしになっているからか。怒りより無力感に襲われる人も多いかもしれない。



「ザ・クリーナー」

2011年06月07日 | 映画
クリーナーというから、「ニキータ」とか「アサシン」に出てきた生きている人間を「掃除する」殺し屋のことかと思ったら、人が病院以外で非正常な死をとげた時の後始末をする「特殊清掃人」のことでした。いずれにせよ、犯罪絡みの話にはなるのだが。

監督はバカっ派手な演出で売ったレニー・ハーリンだが「カットスロート・アイランド」でギネスに載るくらいの大赤字を出して懲りたのか、かなり抑えた演出。もっとも柄でないことはするものではなくて、だんだんかったるくなってくる。

辛うじてサミュエル・L・ジャクソンの魅力で見通す。

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「渇き」

2011年06月05日 | 映画
吸血鬼、というのは多分にキリスト教内部から見た異教のイメージであると同時に、一方でパンがキリストの肉にワインが血になる聖餐のイメージともつながってくるのではないか。キリスト教が初期に孕んでいた原始宗教的な体質を外部に投影しているのかも、と思う。

かなり新しく伝来したのにも関わらず韓国にキリスト教はよく根付いているみたいだが、それでも西洋製のに比べて韓国産の吸血鬼というのはわりとさまになっていてしかもキリスト教至上主義な印象が薄い。

これを見るのに一番のフックはソン・ガンホなわけだが、キム・オクビンのアイドル的容姿とぶっとんだ芝居に注目。
(☆☆☆★★)


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