prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「すばらしい蒸気機関車」

2018年10月31日 | 映画
監督・撮影は高林陽一。
ウィキによると、1960年頃、8ミリを趣味ではなく作品としての映画、自主映画(当時この言葉自体定着はしていなかった)を作ろうとしていたのは高林と大林宣彦と飯村隆彦の三人しかおらず、雑誌「小型映画」の編集長のひきあわせで顔を合わせると意気投合、その縁で本作とATGで撮った商業用劇映画第一作といっていい「本陣殺人事件」でも大林が音楽を担当している。

製作が高林三郎ほか高林姓の名前がスタッフに散見するところを見ると、当時の日本ヘラルド映画(のちヘラルドエース→角川映画に吸収合併)の配給で日劇地下劇場ほかで小規模ととはいえ商業ベースで公開されたが、実質はかなり自主製作というか家内制手工業的な作られ方をしたと思しい。

全編これさまざまな蒸気機関車(SLといわないのが1970年という製作年度を感じさせる)の走る姿をえんえんと撮っていて、そこにポエムのようなナレーションがかぶり、少女が現れて蒸気機関車と対話するなど映像詩のようでもあり、今でいうMTVのようでもある。
完全にSLマニア向けの作りで、当時かなりヒットしたらしい。鉄っちゃんというのは昔からいっぱいいたのだな。

それにしても実にさまざまな蒸気機関車が走る実景は今では望むべくもなく、映像の記録性能の貴重さを感じさせる。
京都(高林監督のホームグラウンド)の甍がずらっと並んでいる向こうを煙が走っていく光景や、背景になる野山や雪景色などさまざまな自然の風景も70年代、おそらくバブル前までのものだろう。

「すばらしい蒸気機関車」 - 映画.com

10月30日(火)のつぶやき

2018年10月31日 | Weblog

「ここは退屈迎えに来て」

2018年10月30日 | 映画
このところ日本映画で地方発の煮詰まった人間関係とそこから出ていきたい息苦しいような心情を描く秀作が続いているわけだが、タイトルと予告編からして地方の映画という感じがする。

終盤で富山ナンバーの車が出てくるのでどこだかわかるけれど(もっと前に出てきているのかもしれないが)、あまり街の個性らしい個性を出さないようにしている感じで、どこにでもあるようなハンバーガー屋やゲームセンターやラブホテルといった背景がまた没個性的。

橋本愛と門脇麦の役名が「私」と「あたし」というのが、違うようで違わない、何かに埋没してしまう感じに対応しているよう。
しかし、その埋没しかけているような中のさざなみのような小さな違いを丹念に写し取ってもいる。

高校で太陽系の太陽みたいに他の生徒たちが集まってくる華やかな存在だったという男子の椎名、というのがちょっと「桐島、部活やめたってよ」の桐島を思わせて、しかし桐島と違って過去でも現在でも姿を現わし、特に現在の姿が逆にその憧れの空虚さを際立たせてしまう。

公共交通機関があまりなく車がなかったらどこにも行けないようで、久しぶりに再会する椎名がラストに出てくる教習所に勤めているのが収まりがいい。

長廻しを多用する演出がある程度まとまった時間を切り出してかなり複雑に行き来する時制のいわばブロックになるわけだけれど、若くて変化が激しい時期であるにも関わらず何者にもなれないままでいる、その変わらなさの方が目立つ。

「ここは退屈迎えに来て」 公式ホームページ

「ここは退屈迎えに来て」 - 映画.com

10月29日(月)のつぶやき

2018年10月30日 | Weblog

「教誨師」

2018年10月29日 | 映画
ほとんど全編、教誨師と六人の死刑囚たちとの対話で成り立っている。内容はたわいもない雑談のようでも背後に死が貼りついているのだが、同時にそれをしばしば忘れてしまうという意味で死刑囚だけにとどまらない射程を持つことになる。

冒頭で死刑囚が収容されているのは刑務所ではなく拘置所で、服装も髪型も自由という字幕が出る。実際、六人とも普段着みたいな恰好をしているもので、通常の人間とあまり見分けがつかない。

教誨師はキリスト教のものだし、正面切ったセリフがえんえんと続くあたり、また後半に過去の人物や幻想が入り込んでくるあたりベルイマンを思わせたりするが、宗教色がつかないのはやはり日本製で、生と死の問題を突き詰める苛烈さはやや薄い。

大杉漣の初プロデュース作にしてほぼ遺作になってしまったわけだが、役者とするとこれだけみっちりしたセリフ劇、それも受けの芝居をしなくてはいけないところに魅力を感じたか。

監督の佐向大は死刑囚と刑務官を描いた「休暇」の脚本を担当した人だが、今回の刑務官は黒子のように存在を消しているようでいて対話が荒れたり行き詰まったりするとすうっと立ち上がって面会を終わらせる、そのありようがまた面白い。

玉置玲央の役が明らかに相模原障害者施設殺傷事件の犯人を思わせ、役に立たない人間は死んだ方が社会のためになるといったネット上でも似たようなものをみかける言説をへらへら笑いながら人を見下したような不快な調子で喋る。
本当のところこの程度の幼稚な理屈を論破すること自体は難しくなく、ただそれを認めないのでネットでのケンカは不毛に終わるわけだが、ここでは教誨師が不器用にかなりおたおたしながら反論する。正直、もっと明快に反論できるだろうと思うし、「罪と罰」の手前で終わってしまっているような不満は残る。

「教誨師」 公式ホームページ

「教誨師」 - 映画.com

10月28日(日)のつぶやき その2

2018年10月29日 | Weblog

10月28日(日)のつぶやき その1

2018年10月29日 | Weblog

Animated Spirits アニメーションフェスティバル 現代ヨーロッパ短編集 イタリア文化会館

2018年10月28日 | アニメ
「アイランド」 
おそらく妻に先立たれた男が孤島の切り立った断崖を登る。生死の狭間を行く中、崖に咲く花、空を飛ぶ鳥が生を彩り、「もののけ姫」のシシ神を思わせる大きな角を持つ鹿が自らが産んだ?嬰児の鹿を男の前に置き、くぼみに転落した男を白骨が迎える。
太陽が出て影が光に照らされる部分が海の上を走るのを追うカメラワークが目を奪う。

「イエロー」
青い海の中で黄色い海藻のような触手に絡まれる悪夢を襲われる歌手ヴァイオラ(紫色の意)が見かける黄色いものすべてに恐怖に襲われる。黄色は狂気の色などと言われるが、色そのものがテーマ。ワイングラスがそのまま♪の頭の部分になったりする。

「SOG」
黒づくめで目だけが光る異様な生き物が住む石だらけの地を洪水が襲い、無数の魚が木にひっかかった状態になる。文字通り木に縁って魚を求める図で、生き物たちが魚を恐れた末に木に火を放ち魚が焼かれる残酷さが強烈で、さらに展開するカタストロフが迫力。

「エレクトリシャンズ・デイ」
感電した老電気技師が気が付くと監禁病棟のベッドに横たわっており、電気の点滅とともにまずそうな食事が出されたり、拷問を思わせる悪夢的なイメージが続く。ラトビアの作品とあって何か政治的な匂いを嗅ぎたくなる。

「メルロー」
同時にいくつもの画面が並列して時に互いにキャラクターが行き来する赤塚不二夫がやったような枠組みの解体がなされる。
おこりんぼお婆ちゃんのキャラとその顛末など「赤ずきんちゃん」ばりの残酷さを孕んだギャグセンス。

「LOVE」
惑星に小さな目がついて集まってくる。その中のひとつでさまざまな生命たちが時に食物連鎖をなしながらしかし微妙にヒラエルキーがねじれたり解体しながら生きている。
馬のような生命が水面に見とれ?顔を水に突っ込んだあげく顔がなくなって頭で二つの身体が連結した姿になる奇怪さ。

「オーマザー!」
母親が息子の手を引いて歩いている、息子が大きくなり母親の背を追い抜く、のを通り越して巨人になったり歳まで追い抜いて老人になってしまったりする。息子がスカートの下に何度押し込んでも出てくるのを繰り返すうちに家まるごとが出てきてしまい、息子はそこから現れた他の女と一緒になっている。しかし母と嫁が本格的に対立すると息子はとっとと逃げてしまう。

「レート・シーズン」
老夫婦が海辺で寝ていると耳にヤドカリが貝の代わりにして入ってしまい、ハサミをカスタネットに見立てて情熱的なフラメンコを演奏すると宿主の老夫婦まで寝たまま踊りだす。

「ザ・フルーツ・オブ・クラウッズ」
穴の中に住んでいる「フサフサくん」がたまに降ってくる果物を食べたり貯蔵したりする、その一人がその果物が来る場所に分け入る。

イタリア文化会館HPより↓

Animated Spiritsは、ヨーロッパの最新短編アニメーションを紹介するフェスティバルです。2015年、ニューヨークのハンガリー文化センター所長を歴任したヴァダース・ズィタ・マラ氏により創設され、以来21ヶ国の86本の作品が上映されてきました。毎年、ベテラン監督のほか、新進気鋭の監督の作品も選定され、優れた最新の短編アニメーションを観る良い機会となっています。
今回はじめてニューヨークを離れ、東京でも開催されることになりました。

プログラム
第1部 18:00-18:45
『アイランド』(監督:ロリー・バーン, アイルランド, 2017, 13分)
『イエロー』(監督:イヴァナ・シェベストヴァ, スロヴァキア, 2017, 7分)
『SOG』(監督:ヨナタン・シュヴェンク, ドイツ, 2017, 10分)
『エレクトリシャンズ・デイ』(監督:ウラジミール・レシチョフ, ラトヴィア, 2017, 9分)
『メルロー』(監督:マルタ・ジェンナーリ、ジュリア・マルティネッリ, イタリア, 2015, 6分)

第2部 19:00-19:45
『LOVE』(監督:レーカ・ブチ, ハンガリー、フランス, 2016, 14分)
『オーマザー!』(監督:パウリナ・ジョルコフスカ, ポーランド, 2017, 12分)
『レート・シーズン』(監督:ダニエラ・ライトナー, オーストリア, 2017, 7分)
『ザ・フルーツ・オブ・クラウッズ』(監督:カテジナ・カルハーンコヴァー, チェコ, 2015, 6分)

上映後パネルトーク(日本語のみ)
木下小夜子(アニメーション作家/プロデューサー, 広島国際アニメーションフェスティバルディレクター)
伊藤有壱(アニメーションディレクター, 東京藝術大学大学院映像研究家アニメーション専攻教授)
イラン・グェン(東京藝術大学グローバルサポートセンター特任准教授)
および「LOVE」の監督レーカ・ブチの挨拶もあり。新千歳空港国際アニメーション映画祭2018にゲストとして出席するついでに寄ったとのこと。

イタリア作品
『メルロー』
animated spirits.jpg

監督:マルタ・ジェンナーリ、ジュリア・マルティネッリ (イタリア)
2Dデジタル・アニメーション、2015年製作、6分
『メルロー』は、青で覆われたおとぎ話のような森で、“おこりん坊ばあちゃん”がワインボトルを失くしてしまう。これをきっかけに巻き起こる登場人物たちのドタバタ劇、そしてギャグ満載のやりとりが段々とクライマックスに向かい、やがて思いもよらない展開を迎えるハメになる。

マルタ・ジェンナーリ
Marta Gennari
1992年生まれ。2016年、イタリアのトリノにあるイタリア国立映画学校 (CSC) を卒業。本作『メルロー』は卒業制作として作られた。現在、フランスにあるアニメーション・スクール「ラ・プードリエール」で研鑽を積む。

ジュリア・マルティネッリ
Giulia Martinelli
1990年生まれ。トリノやトロントを拠点に活動するイタリア出身のアニメーター兼、絵コンテライター。2016年、イタリアのトリノ市にあるイタリア国立映画学校 (CSC) を卒業。本作『メルロー』は卒業制作として作製された。

〈インフォメーション〉
開催日: 2018 年 10月 26 日
時 間: 18:00
主 催: EUNIC(欧州連合文化機関 東京)、駐日ハンガリー大使館
特別協力: イタリア文化会館
参加国: 駐日アイルランド大使館、イタリア文化会館、オーストリア文化フォーラム東京、スロバキア共和国大使館、チェコセンター、東京ドイツ文化センター、駐日ハンガリー大使館、ポーランド広報文化センター、駐日ラトビア大使館
入 場: 無料
会 場: イタリア文化会館 アニェッリホール

余談だが、隣の席の外国人が「はだしのゲン」を読んでいた。

10月27日(土)のつぶやき

2018年10月28日 | Weblog

「グレイハウンド」

2018年10月27日 | 映画
邦題は英語風だが、スペイン映画でスペイン語原題はZona hostil(敵地)。

アフガニスタンでスペインもアメリカ同様に戦争に参加したわけで、戦いそのものはアメリカ映画のそれと大差ない。

ただ映画の作りとすると女性衛生兵を軸にしているのは一応目新しいが、後半敵中突破ものになって普通のサスペンス・アクションになる。

スペインはイスラムに占領されていた時期が長いのだが、それが特に内容に特に反映しているわけでもなさそう。

グレイハウンド - 映画.com

グレイハウンド(字幕版)

10月26日(金)のつぶやき

2018年10月27日 | Weblog

「遊星からの物体X」

2018年10月26日 | 映画
やはりデカい画面はいい。
丸の内ピカデリーはシネコンではない旧式の集合映画館で画面のデカさと客席の多さを売りにした、日劇は閉館してしまったマリオンでまだ開業している劇場だが、前の席の客の頭がスクリーンにかかる欠点はあるにせよシネコンとは違う魅力がある。

冒頭の白一色が目を刺すような中、ぽつんとヘリコプターが現れる引いた画はシネマスコープサイズ(基本、カーペンター作品はテレビ用のを除いて全部そう)の生かし方として基本だけれどやはり効いている。

クリーチャーはさすがに何度となく見ているので初めて見た時のようにびっくりはしないが(初見では××が口を開けるシーンで足がぴーんと伸びた拍子にはいていたサンダルが脱げて前に飛んで行った)、ダリの絵画もびっくりの造形を楽しむ。

実際にある物体を撮っていることにより表面の仕上げや動きに一種のムラが少し残っているのが今では逆に再現不能。知っていて見ると、マット・ペインティングは割とよく絵だとわかる。

何度見ても正確にどういう順序で「感染」していったのか、よくわからない。それが欠点というより没論理性は疑心暗鬼の心象風景そのものに思える。

火炎放射器がこれだけ活躍する、氷に閉ざされた世界で文字通り氷と炎の同居の感がある映画も珍しいが、よく考えると南極基地に火炎放射器が備え付けられているものなのだろうか。

モリコーネの音楽は冒頭とエンドタイトルのジョン・カーペンターが作曲しているのと区別がつかないシンセサイザーの曲ばかり印象に残っていたが、ちゃんと通常の器楽曲もつけている。
タイトルのロゴからして、今のとは違う。時代ですな。

「遊星からの物体X」 公式ホームページ

「遊星からの物体X」 - 映画.com


10月25日(木)のつぶやき

2018年10月26日 | Weblog