prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「TENET テネット」

2020年09月30日 | 映画
おそろしくややこしい映画であることはさんざん言われていることだが、そのわかりにくさのかなりの部分は技術的な問題だと思う。

つまり時間を逆行させる装置というのが具体的にどういう形で、その作用が人に限るのか、人が触れる物なのか、物全般なのか、時間がしている逆行したら人間の意識も逆行して(メメントみたいに)消えたりしないのか、といった疑問がしょっちゅう頭に浮かぶことになる。

時間が逆行して同じ時刻が逆に再現されるところでその場面に出ていた人物の正体がわかるあたり、「現金に体を張れ」以来の時間巻き戻し再生映画のバリエーションであり、音楽でいう鏡像フーガみたいでもある。

よくこういうこと考えるね、と驚き呆れるのと、ん、今のどういうこと?と頭がストップする繰り返しとなる。

ケネス・ブラナーの悪役が好調。




「エリカ38」

2020年09月29日 | 映画
タイトルは60歳過ぎなのを38歳と偽って詐欺を繰り返していた詐欺師の実話をもとにしたからだが、
浅田美代子は1956年なので実年齢も還暦過ぎな一方で今でも可愛く見えるのを生かしたキャスティング、というか、もとからこのキャスティングありきの企画(樹木希林)ということになる。

詐欺師というのは詐欺師に見えていてはおかしいわけで、そうい
う意味でも意外なようで適役。
いかにもなイメージチェンジというわけでもない。

被害者たちが集まって責め立てても平然としてむしろ被害者面するあたり、政治家みたい。

佐伯日菜子がホラーとはまたチガッタ意味でコワい。

エンドタイトルで流れる実際の被害者たちの声が意外とのんきだったり他人事みたいなのが面白い。




9月28日のつぶやき

2020年09月28日 | Weblog

「ファウスト」(ヤン・シュヴァンクマイエル版)

2020年09月27日 | 映画
ヤン・シュヴァンクマイエルの常で実写の中にオブジェクト・アニメが交錯する作り。

ファウストだけでなく、ホムンクルスみたいなイメージが現れたり、奇怪な造物主のようなクリーチャーが現れて、操り人形のような生きものを提示してまわったりする。

生物と無生物の境界がなくなり、造物主と被造物主の区分が判然としなくなった世界。





「糸」

2020年09月26日 | 映画
歌ひとつに二時間の映画が及ばない、なんてことはままあるが、もろに予想が的中した感。

中島みゆきの「糸」をモチーフにして平成30年を男女四人の来し方行く末を縦糸横糸交えて描くわけだが、やたらと時代を前後するのを平成××年という具合にいちいち字幕を出して説明するもので、時の積み重ねがなんだか軽くなってしまっている。
肝腎の歌の使い方も今一つ。

児童虐待、東日本大震災、リーマンショックなど色々な要素を盛り込んでいるのはいいけれど、それが身についている感じがしない。
もっとも平成という時代そのものがいろんなことがあった割になんだか変わりばえしないせいもあるだろうが。
(地下鉄サリン事件も平成なのだが、かなり風化している、というかほとんどないことにされているものね)

日本にアジア人が働きに来るのではなく、日本から働きに行くのを当たり前のように描いているのは、もっと当たり前になるだろう。
風景はきれい。




「キューブリックに愛された男」

2020年09月25日 | 映画
キューブリックに運転手として雇われ、そのうち身の回りの雑事もろもろもしょい込む羽目になったイタリア人エミリオ・ダレッサンドロを描くドキュメンタリー。

キューブリックが車に乗るときには必ずヘルメットをかぶるとか運転手に何キロ以上は出させないとかあることないこと取沙汰さされていたわけだが、キューブリックが電話かけながら運転したもので追突事故を起こしたというエピソードが語られる。
単純にワーカホリックなもので運転に集中できないということか。

キューブリックの秘書兼助監督のレオン・ヴィタリを扱った「キューブリックに魅せられた男」でも気になったが、こうまでとことん人を使う雇い主に会うと家族は大変ではないかと思っていたら案の定。
「魅せられた男」ではヴィタリの妻たちは出てこなかったけれど、ここではエミリオの妻が夫と同じくらいの比重で現れる。
キューブリックはとにかく一週間七日、一日二十四時間電話とメモでエミリオに指示を出してきて、家族との時間がとれないと妻が文句を言ってケンカになっているところにも電話してきて、それだったらエミリオと私の間にホットラインを引けばいいと言い出し、なんと実行してしまう。
天然のエゴイストというか。

いったん故郷イタリアに戻った夫妻が孫に会いに久しぶりにイギリスに戻って観光を兼ねてキューブリックに会いに行くと、なんだかんだいって二年も足止めをくってしまうというのもすごい。
手放したくない人間は本当に手放さないのだな。

それでも晩年健康が衰えて、それでも「アイズ・ワイド・シャット」をともかく完成させるのもすごい。
ペットたちを可愛がるのはもちろん、そのままだと殺されそうな動物を助けるのも奔走する(というよりエミリオを奔走させる)姿も語られる。





「キューブリックに魅せられた男」

2020年09月24日 | 映画
俳優として「バリー・リンドン」に出演し、その後キューブリックの個人秘書兼助監督、というのを通り越してとにかくキューブリックの映画作りのありとあらゆる面をサポートしたレオン・ヴィタリを追ったドキュメンタリー。
英語だとMiscellaneous(種々雑多な) Crewというらしい。

レオンの最初の結婚で生まれた娘マーシャと、二度目の結婚(のち離婚)で生まれた娘ヴェラ(女優で「ブリムストーン」などに出ている)と息子マックス(短編やCMの監督)とレオンの兄弟姉妹が出てくるが、元妻たちは姿を見せず。
憶測だけれど、キューブリックの世話にかまけてまるっきり家族はほったらかしにしていたからではないか。

とにかくここまで他の人間に献身できるものかと思うような献身ぶり。
キューブリックの生前はもちろんだが、亡くなった後もたとえば「アイズ・ワイド・シャット」の日本語吹き替え版を作った時に来日して、トム・クルーズの声をあてた森川智之に映画の中同様にベッドを用意しその周辺で同じ態勢や動きをつけて収録したという。
「シャイニング」の子役ダニー・ロイドの世話をしている時の姿など優しいお兄さんという感じ。

IMDbで調べても最初の夫人の名前はわからないが、二度目の相手のカースティ・ヴィタリは夫がフランケンシュタイン博士役で主演したTerror of Frankenstein他の衣装を担当している。

このフランケンシュタインは「バリー・リンドン」の二年後なのだが、キューブリックにすでに心酔していたヴィタリはこの現場から役者より裏方にまわり映画作りの技術を学んでいくことになる。
俳優として現場で学び、監督となる道もあったのではとも思うが(実際、そうして監督デビューする俳優は多い)、あまりにキューブリックに心酔し過ぎたのか、自分が監督になる道はとらなかった。

おびただしい量のキューブリックからの呆れるくらい細かい指示のメモ。
そのへんにある神に書き付けたと思しい紙屑みたいなメモが今や一級資料の感。

しかし、下世話な話になるが、ヴィタリはどの程度の報酬を得ていたのだろう。一週間七日、一日24時間勤務だから金銭的報酬だけで済むことでもないが、気にはなる。
キューブリックの死後、自分の息子に経済的援助を得ていたというから、財産が残る額ではないのは確かだろう。




「宇宙でいちばんあかるい屋根」

2020年09月23日 | 映画
タイトルになっている屋根というか屋上の造形がいい(美術・部谷京子)。
夜空が明るすぎるから作ったものだろうが、普段見えないところだから無造作な形をそのまんま剥き出しにしている感じとファンタジックなニュアンスの両方が出ている。

ここに唐突に出没して、屋根を見れば住んでいる人がわかるとのたまう星ばあという一見人間離れした感じのキャラクターをやっているのが桃井かおりなのがどんぴしゃりで、昔やっていたフーテン(死語)みたいな感じを再現し、しかもだんだん人間界に降りてくる感じを出した。
ヒロイン(清原果耶)に振られて意地悪しているかのように見えた同級生の男の子と絡んだ着地が感動的。

吉岡秀隆がお父さん役というのは意外と珍しいのではないか。
清原果耶、映像ともに透明感があって綺麗。

偶然にせよ、書道教室が少女にとっての一種の隠れ家的な役割を果たすのは現在も上映中の韓国映画「はちどり」と共通している。
小さな世界を描きながら大きな世界につながるところも(その世界観はまるで違うが)。





「mid90s ミッドナインティーズ」

2020年09月22日 | 映画
兄にいきなり壁に叩きつけられる小学生、というショッキングな出だしから、単純な少年ものとも思春期ものとも違う、両方にまたがった関係を描いているのがユニーク。

A24作品の常としてフォーマットが凝っている。最近、スタンダードサイズ(縦横比が1:1.33)というのは珍しい。16ミリで撮ったからそうなったらしいが。




アンコール開催「永遠のソール・ライター」展

2020年09月21日 | 映画
まずサービス版ほどの大きさの白黒写真がずらっと並ぶ。
三密を避けて客同士距離を置いてくれといっても、そうとうに近づかないとよく見えないくらい小さいので困る。

それから後年再発見されたカラーでデジタル化された大判の写真が並ぶ。
といっても、映っている人の顔をまじまじと見つめる感じではなく、夜目遠目傘のうちといった感じで雪や湿気で曇ったガラス越しに霞んでいたりピントがボケたりしている部分が画面の大半を占めるといった写真が多い。

さらに妹のデボラやパートナーのソームズ・バントリーといった女性たちのポートレイトが続く。
これも遠目だったり、顔が向こうを向いていたり、サングラスをかけていたり、ショールを巻いていたりと、顔をきれいに見せるというのとはおよそ無縁な撮り方。
何か、奥ゆかしいというか。
久しぶりの渋谷だが、すでに混雑は良くも悪くも復活した感。



山の湖 4

2020年09月20日 | 山の湖
 筏が組みあがった。縄で組み上げたのに加えて二本の鉄棒を両脇に通し、縦六尺、幅三間、水が漏れないように継ぎ目はしっかり泥と粘土とで塞がれている。
 岸に杭も打たれている。
 重しになる石を詰めた袋、漆喰を剥がすための鑿と槌その他、ある道具は使うかどうかわからないものも含めてすべて川岸に集められ、人間もいる者はすべてすぐ働くかどうかに関わらず、やはり川岸に集まった。
 川を堰き止めたあと、急いで滝の上に行って漆喰を剥がし、金を取り出す任に就くのは二人。剥がす漆喰の範囲からして、それ以上いても邪魔になるだけだ。この二人には、次之進と兵馬がそれぞれ名乗り出たので、すんなり決まった。何しろ、下手をしたら筏が決壊し、そのまま堰き止められた大量の水もろとも滝つぼに転落するかもしれない任なのだから、
 あと、ちょうど堰を作るあたりの岩の上に立ち、全体を見渡しながら指揮をとるのが圭ノ介。
 水を堰き止める筏を操るのに必要な人員は、両岸に十二人づつ割り振られた。出川は居場所がなくて、うろうろしている。どこにいればいいかというので、適当なところにいろと命じられて、圭ノ介の立つ岩の下にへばりついた。
 縄が筏の四隅にがっちり結び付けられた。重しもがっちり一辺にくくりつけられる。
 すでに筏の下には、コロになる細い木が三本ばかり入れられている。重しがついていても、さほど力を入れずに動かせるはずだ。
 兵馬と次之進は、それぞれ鑿と槌を持ち、命綱をしっかり腰にくくりつける。
 圭ノ介は、弓と箙とをしょい、扇代わりの大きな葉がついた枝を両手に持った。さすがに顔が上気したように赤くなっている。
「聞こえるかーっ」
 大音声で向こう岸に渡った連中に呼ばわった。
「おうっ」
 と、いう声がばらばらに返ってくる。
「声を合わせろっ」
 さらに大音声で命じたのに対し、
「おうっ」
 今度は呼吸を合わせた返事が返ってきた。
「こちらが」
 と、自分のいる側、川上から見たら右側の筏の引き止め手たちに対して、
「引く時は、こうだ」
 枝を弓手に持ち、頭の上で前から後ろに動かしてみせる。
「わかったか」
「おうっ」
「止めるときは、こう」
 と、斜め上に突き出して
「あちらが」
 今度は左側の引き手に対して呼びかけた。
「引く時は、こうだ」
 馬手の枝を、同じように前から後ろに動かす。
 それに対して、引き手たちは黙って綱を引く形を作って、それに答えた。
 同じ動作が繰り返され、全員にどの指示にどう動けばいいのか、叩き込まれた。
 縄の杭に一回し二回しされた続きが、全員の手に握られる。
「では、いくぞ」
「おうっ」
 腹の底から響く、一段の力の籠った声が返ってくる。
「流せ」
 コロに乗せられた筏が、押されて川に浮かんだ。
 たちまち流れに乗って下流に流される。急いで、全員腰を落として縄をつかむ。
 筏が重しを引きずりながら動いていく。杭に巻きつけられた縄が摩擦できゅるきゅる音を立てる。
 圭ノ介は指示を出さない。今のところ、自然に流れるままに任せているらしい。とはいえ、川の流れはともすれば筏を大きく縦向きに直そうと、周囲で複雑な渦巻きを形作る。
 やおら、圭ノ介が弓手を激しく前後に煽った。川下に向かって右側の引き手たちがいっせいに踏ん張って縄を引く。縦になりかけた筏が再び帆船の帆のように流れに向かって垂直になった。さらにじりじりと流されていくのを杭と人力で制御しつつぴたりと狭まった岩の間に嵌まるように導いていく。
 圭ノ介の両手はせわしなく合図を出し、三十人弱は懸命に今は一体になって、川の流れの力の強さに驚きながらなんとかこれをいなしかわしながら制御しようとする。
 筏にくくりつけられた重しがしばしば川底を摩った。大きな水の塊が膨れ上がって筏にぶつかり、三十人を軽々と引きずる。綱を握った手はこすれて血が滲む。
 なんとか岩場が迫った。
 岩の上に立つ圭ノ介はほとんど天に向かって踊り踊っているようで、物狂いの境地に入ったようだ。
 いよいよ目的の岩場が迫った。次之進が垂直に見るとほぼ直角に削って、筏が嵌まるようにしつらえた岩に、筏ががっとぶつかる。幅もほぼぴったり嵌まる。
 次之進と兵馬が六尺の鉄棒を持って縦六尺ほどの筏を川下から突き上げ立てると、そのまま水の勢いでみるみるたかだかと川の流れに立ちふさがり、そのまま動かなくなった。隙間から水が漏れはするが、流れてくる川の水量ははるかにそれを上回る。水は首尾よく堰き止められ、堰となった筏から下流はたちまち水が涸れ、先ほどまで轟々としていた滝の音がみるみる止んだ。止んでみると、不思議なほどの静けさが別の音のように押し寄せてくる。
 次之進と兵馬は、この時を逃さず溜まり水を蹴立てて川底にあるでおろう漆喰で固められた痕を探してまわった。
「どこに隠した」
 圭ノ介に訊くと、
「そのあたりだ」
 岩の上からちょうど川の真ん中あたりを示す。
 二人は血眼でそれらしい痕を探す。だが、水流にさらされ洗われているうちに白かったであろう漆喰も褐色に変色し、まわりの岩と見分けがつかない。
「どこだ」
「どこだ」
 水面に顔をすりつけ、それでも足りずに肘の中ほどまで減った水に顔を突っ込んで、川底に鼻をすりつけて二人は探しに探した。
「ここではないか」
 兵馬が叫んだ。
 次之進が水を蹴立てて駆けつける。
「どこだ」
「このあたり」
 手で探ってみるが、感触では区別がつかない。
「えい」
 苛立ちと気合を込めて、次之進は川底に当てた鑿に向けて槌を振り下ろした。すでに、鑿の頭が出るほどに水面は下がっていた。
 が、返ってきた手応えに次之進は、
(これは)
 と、思った。
 さんざん苦労して削っていた川周辺の岩と同じではないか。
「これは違うぞ」
 次之進は急ぎ、断じた。すでに堰の向こうでじりじりと嵩を増しているであろう水の重みと冷たさを、長いこと川の流れに漬かり身体を冷やしながら作業した次之進には、ありありと想像できた。
 次之進はすぐ鑿で少しづつ川底を突付きながら場所を探る方法に切り替えた。
 次第に離れていく次之進を見て兵馬は、
「どうしたんだ。ここだ、ここ」
 と言うが、次之進は耳を貸さない。
 手が空いた他の仲間たちが、わらわらとあるいは岩場を駆け上がり、あるいは堰の上によじ登り伸び上がって二人を見ている。
 さらに全体を岩の上から、圭ノ介が見下ろしている。
「どうした」
「何してる」
 口ぐちに応援とも非難ともつかない声が浴びせられる。
 二人は次第に焦り始めた。
「もたもたしていると、堰がもたんぞ」
「水があふれ出してしまう」
 実際は、それほど水位の上昇は早くはなかった。
 初めは、膝ほどの高さだったのが、今は腰ほどに来ている。
 しかし、それが見えない二人にとっては、今にも山のような大波が堰を破壊して押し寄せているのではないかという恐れに囚われていた。
 恐れは手元をぞんざいにする。
 岩の上から見下ろしている圭ノ介の目は、やおら背の箙から矢をとり、弓につがえて射た。矢は二人の間の岩に当たって弾け、流され去った。兵馬がその当たったあたりを慌てて鑿で穿ちだす。
 次之進は、
(何をするのか)
 と、いささか呆然として立ち上がり、圭ノ介を見上げようとした。
「あった!」
 しかし、すぐ後に続いた兵馬の声に、振り返り、川面を見下ろす。
 と、それまで顔をすりつけて見ていると気づかなかった、楕円の長径を尖らせたような奇妙な紋様がおそらく漆喰で描かれているのに気づいた。水が抜けてみると色は岩とやはりあまり変わらないが、その起伏に一定の規則があるのがわかってくる。どうやら木の葉のようにも見える形をしているらしい。
 しかし、それを確かめる暇などあるわけもなく、次之進は急ぎその紋様を兵馬とともに鑿で突き崩しにかかった。
「あった!」
 まだ金を手にしたわけでもなく漆喰の壁がごぼっと抜けた感触だけで、思わず同じ叫びが次之進の口から出る。
 震える手で強く鑿を握り直し、槌を連打する。面白いように漆喰の床が抜け、中に閉じ込められていた空気が泡になって浮かんでくる。
 二人はそれぞれに自分が開けた穴に手を突っ込んで、一握りにわずかに余るほどの大きさに長く細く成型した金の塊をつかみ出して、掲げて見せた。
 見ていた男たちから、大きな波のようなどよめきが起こった。
「見せてないで、投げろ!」
 圭ノ介の大喝がとんだ。
 次之進は一瞬、どちらの岸に向かって投げればいいのか迷った。が、迷うことはなかった。
 兵馬が投げたところに、わらわらと男たちが争って我が手に金を握り締めようとわれもわれもと飛びつき集まってくる。
 堰の向こうから乗り越えて飛び降りてくる者もいる。
 次之進の胸に、底意地悪いような喜びが湧き上がってきた。
 こちらの岸に投げ、あちらの岸に投げる。さらには調子に乗って、堰を越えて溜まった川の水にまで投げ込んだ。
 たちまち、何人もが溜まり水に飛び込み、懸命に潜水しながら放り込まれた金を探す。かなり泥がたまってきており見通しが悪い。だが、ほとんど鮒のように泥に潜り、見えるはずのない金をどうやったのか手にした者が、活魚のように水面に跳ね上がって咆哮した。
 あまりの周囲の興奮ぶりに当てられ、兵馬も図に乗ってあちこちに金を撒き散らす
 圭ノ介は怒り、
「あちこちに散らすな。一つにまとめるんだっ」
 と叫ぶが、聞く者はいない。
 その憤激ぶりに逆に煽られ、恐れ知らずになっていた二人はあるたけの金を撒いてしまい、そのうち、ついに詰め込まれていた木の葉型の穴は空っぽになった。
 次之進と兵馬自身は下帯一つなので、自分では手に持った分しか持ちようがない。
 その足元に、矢が跳ねた。
 一同は一気に冷め、立ちすくんだ。
「こ・ち・らに投げるんだ」
 圭ノ介はさらに二の矢を男たちの間を通す。誰にも当たらなかったが、全員が矢が切る風を感じた。
 静まった中さらに、ぎしっと堰がきしむ音が響く。
 いつのまにか、胸ほどの高さに、水が上がっていたのだった。
 男たちはあわてて川から上がろうとする。
 次之進はその様子をじっと見た後、手にした金をさっと圭ノ介とは反対側の岸に投げた。
「拾えっ」
 少し滑る川底に両足を踏ん張り、腹の底から声を出す。
 自分たちに向かって言われた、と思ったのか、男たちは一斉に投げられた餌に向かう犬さながらに走り出した。
 次之進はさらに隠されていた金を次々と同じ側に投げる。
 圭ノ介は走っていく男たちに矢を射掛けた。その一人の背に刺さり、そのまま二三歩走ってどうと倒れたが、誰も省みない。
 野本の里の出の、正吉改め野本正助が、川に突っ伏してそのまま絶命した。数えで十六歳だった。
 圭ノ介が岩を駆け下り、川岸に迫る。
 次之進が身構え、身に寸鉄も帯びてなくても、なんとか一矢報いたいとあたりを見渡し、倒れている正助の背から矢を強引に引き抜いた。鏃にかえしがついていたので、少しちぎれた肉がついてきた。
 兵馬は、次之進と圭ノ介のどちらにつくか迷っている。
 圭ノ介は川岸に立ったまま、やってこない。
「どうしたっ」
 いらだった次之進は叫んだ。
「なぜ来ない」
 圭ノ介は矢を弓につがえた。
 兵馬は、思わず目をつぶる。次之進もつられて身を硬くした。
 圭ノ介が放った矢が、迫ってきたと思うより早く、次之進は兵馬を突きとばし、自らも反対側に飛んだ。
 矢は二人の間を抜けて向かい岸で跳ねた。
 最後の矢を使った圭ノ介は、弓を水溜りになった川に捨てた。
「今は見逃してやる」
「こちらは素手だぞ」
「今は見逃す。二人相手に余計な手間をかけて、やっと金二本では割が合わん」」
「なぜだ」
「このまま、金を持ったまま連中が散って帰らないと思うか」
「むろん」
「どうかな」
「何が言いたい」
「自分で見てみるといい」
 圭ノ介は身を翻して岩に駆け上がった。
「また会おう」
 姿が見えなくなった。
「どういうことだ」
 呟く次之進の足元から、突きとばされて濡れネズミになった兵馬が起き上がった。
「金は」
「これだけ」
 兵馬が両手に握った分だけ見せた。
 ぎしっとまた堰がきしんだ。
「早く逃げよう」
 二人は連れ立って、圭ノ介が消えた川岸に上がった。
 岩の上に登り川面を見下ろすと、兵馬が思わず声を上げた。
 いつのまにか、堰の上限近くまで水が溜まり、澄んでいた川はくろぐろとした沼のような色に変わっていた。しかも沼のようにどんよりと淀んだ感じではなく、いつうねり出し暴れるかわからない得体の知れぬ力がそこかしこに感じられる。
 堰だけでそれら大量の水を支えているのではなく、流れ込んできた泥や木や葉っぱの切れっぱしがいつのまにか堆積し、隙間を埋め、それ自体が水を堰き止めるようになってきていた。それは男たちが塞いだのとは別に、川の流れとうねりが自ら上流の森の土を掘り崩し動かしたものだった。
 水位そのものは五尺程度しか上がっていなかったが、それによって堰から上の風景はまるで別物になっている。
 川岸は完全になくなっていた。川岸どころか、男たちが作業した岩場もすっぽりと水に漬かり、どこにも見えなくなっている。
 次之進と兵馬の二人が、堰と涸れ滝の間で懸命に立ち働いたしばらくの間に、まるで山河ひとつが丸ごと別のものに取り替えられたかのようだった。
 あまりの変わりように、二人はしばらく声もなく水辺にたたずんでいた。
「なんと」
「どうする」
 次之進は森の中にあった宿舎や身の回りのものすべてを置いてあったあたりを急ぎ思い浮かべた。
「いつ堰が壊れるかわからぬ」
「むろんだ」
「急ごう」
 と、森に踏み込み、すぐ立ちすくんだ。目の前に、石で頭を潰された異様な死体が転がっていた。






「熱帯魚」

2020年09月19日 | 映画
高校受験を控えているにも関わらず成績の上がらない中学生が、誘拐された小学生を助けようとして自分もつかまってしまう。

ところが深刻な犯罪劇になってもおかしくないのが、誘拐犯が受験を控えているのに悪かったと妹が使っていた参考書や問題集の類を持ってくるという展開になるのだから笑ってしまう。

人形劇風の幻想シーンを入れたり、タイトル通り熱帯魚の原色を生かしたりと、なんともふんわりとした語り口なのが独創的にしてユーモラス。

その裏には台湾の受験競争が熾烈なもので、子供たちに大変なプレッシャーになっているという現実もあるわけだが、映画とすると子供たちの変わった夏休みの日記といった趣がある。




「オフィシャル・シークレット」

2020年09月18日 | 映画
大量破壊兵器などないのにあると言い張って国連の決議なしにイラク戦争に踏み切ったブッシュのアメリカの工作を知ったイギリスの情報機関の翻訳担当の女性職員が、情報をオブザーバー誌にリークした実話をもとにしたポリティカルサスペンス。
大量破壊兵器などなかったのがはっきりした現在からすると、白黒はっきりついているのが娯楽的に有利なのと、にも関わらず結局戦争そのものは避けられなかった苦みが残る。

公務員であるヒロインが、自分は国民に仕えているのであって政府に仕えているのではない、と言い切るセリフが印象的。
自分たち国民が国を形成しているのであって、政府は交換可能な、一時的に統治を任せている存在でしかないという覚悟は、むしろこの今の日本にこそ耳に痛く響く。

裁判になったら、もとより法制度自体が為政者が決めることなのだから敵の土俵に乗ること以外の何者でもなく勝ち目はないはずなのが、政府が国連決議なしに戦争を仕掛けるという違法行為を犯したらどうするのか、という弱味を突く形で公訴自体を取り下げさせる展開は、法治国家の権力はたとえそれが絶対的なものに見えようとも、政府・国は法の下にあるのであり法的公正さを抜きにしては存続しえない原則を示す。

キーナ・ナイトレイが堅い表情の中に微妙な感情表現を見せるほか、英俳優たちがアメリカとは一味違う静かに抑えた厚みのある演技を敷き詰めている。

ヒロインが台湾育ちで日本の広島で英語教師をしていたという尋問で経歴を語るところで、平和記念資料館に行ったかと聞かれて行ったと答えると、では反戦活動家かと問われるあたりぞっとした。
良心に従った行動をとると反政府的な人間であるかのようにレッテルを貼ろうとする性行は、国という権力システムの当然な帰結とも思える。

ヒロインの夫がクルド系トルコ人で、サダム・フセインに迫害されてきたにも関わらず中東人→テロリストの仲間であるかのように疑われるのもおぞましい。

一方で妻に対して、君は本当に戦争を体験したわけではない、というセリフは先進国の安全地帯で平和を語っていられる人間の弱味を突いている。

裁判所で被告が地下から急な階段を上って法廷に上っていく構造は、デヴィッド・リーン監督の1950年作「マデリーン 愛の旅路」でも見たのと同じ。




9月17日のつぶやき

2020年09月17日 | 映画

「ドリームスケープ」

2020年09月16日 | 映画
一種のテレパシーで他人の夢の中に入り込み、その精神ばかりか生命=肉体にも影響を与える能力を使って米大統領を殺そうとする一派と同じ能力でそれを防ごうとする主人公ランディ・クエイドとの戦いを描く。
「スキャナーズ」とか「デッド・ゾーン」とかをちょっと思わせるが、良くも悪くも善悪がはっきりしていてもう少し軽い。

悪い方の超能力者がデヴィッド・パトリック・ケリー。「コマンドー」で最後に殺してやるとシュワルツェネッガーに言われてすぐ殺されちゃった人。エキセントリックな柄が生きている。
その上にいて陰謀をめぐらすのがクリストファー・プラマー。今みると若い(55歳)。

夢に現れる怪物の特撮が立体アニメで表現されているのはいかにもCG登場前(1984年製作)。
セットの歪みかたなど映画版「トワイライトゾーン」のジョー・ダンテ編みたい。
おしなべて夢の表現がアナログなのが今となると味がある。