大島渚監督によるテレビ・ドキュメンタリー 1時間×2
20世紀アワー 大東亜戦争
68/12/08 前編 脚本・構成=大島渚 協力=白井鉄郎 出演=(N)小松方正、戸浦六宏、清水一郎
68/12/15 後編 脚本・構成=大島渚 協力=白井鉄郎 出演=(N)小松方正、戸浦六宏、清水一郎
冒頭にこう出る。
「このフィルムは、すべて大東亜戦争当時、撮影されたものである
言葉、音、音楽もすべて当時、日本人によって録音されたものである
外国から購入したフィルムも、すべて当時の日本人の言葉でつづった
これは、私たち日本人の体験としての大東亜戦争の記録である」
真珠湾攻撃のあとの「…米英海軍と戦闘状態に入れり」と読む声は聞いていたが、朗読している姿は見たことなかった。けっこうショボいのね。
すべて日本側が撮った映像だと冒頭に断られるのだが、真珠湾の海上から撮ったフィルム、誰が撮ったのだろう。
マレー・シンガポール陥落時の山下奉文・パーシバル会談の映像の実物を見られる。
光量が足りなかったので回転数を落として一コマごとの露光時間を伸ばして撮ったものでコマ落としみたいになり、山下がより居丈高に見え、パーシバルは目をしきりとパチパチさせて落ち着かなく見えるという「効果」が出たと撮ったカメラマンが「自慢」していたというけれど、今にしてみると罪な効果だ。
それにしても、なんで水野晴郎はあんなに山下奉文が好きだったのだろう。体型が似ているだけというだけでもあるまいに。
昭和17年の総選挙のニュースも出てくる。「選挙」もしていたし、戦争末期には政権交代もしていたのに、ちっともブレーキにならなかったわけ。
日本で勝っていた時期というのは、一年もないのだね。
ニミッツが戦果を無限に誇張していると伝えているのだから、大本営発表というのもまあ北朝鮮みたいなもの。
アメリカと一機づつ差し違え主義でやっても少しも日本は差し支えないのであるって物量の差をよくこれだけ忘却できるものだと思う。
#1の終わりごろから退却を「転進」と言い換えるのが目立つようになる。
#2の冒頭からがらっと調子が変わり、「玉砕」の連続になる。
ちょっとだが、死骸がごろっと転がされているところも写る。
学徒出陣の行列の妙に美的な映像(ことに水溜りに写ったカット)。いくらかリーフェンシュタール入ってるか?ただし行進ぶりはまるで訓練を受けていない、素人です。
東南アジア諸国やインドとは日本が西洋の植民地から解放したのだから仲良くして、一方で中国と戦おう、というあたり、今の状況で見るとなんだかイヤな感じ。発想は変わってません。
食料増産といって米や麦はないからカボチャを作れと呼びかけるのではなあ。語るに落ちるというものではないか。
けっこう負けたところの映像も出てくる。というか事実を最低限伝えてはいるので、なんとか大本営発表で言いくるめようとしても事実として負けっぱなしなところをゴマかすのにも限度があり、冷静に見たら負けていることはわかるはずなのだが、そんな余裕があったかどうか。
日本の敗色が濃くなるとだんだんアメリカ側の映像の割合が増え、それに特攻隊の「戦果」(つもりそれだけ日本側が死んだということ)の放送がかぶると、まあもう惨憺たるものです。
「敗者は映像を持たない」とは大島渚の「体験的戦後映像論」で提出された有名なテーゼ(著作集第二巻に所収)だが、それを絵に描いたよう。
タイトルは大東亜戦争だが、実質太平洋戦争。実際のところ、盧溝橋事件あたりで日本は戦争に突入しているのであって、このあたりのすり替え(大島渚でさえその轍を踏んでいるともいえる)が今でも尾を引いている。
真珠湾攻撃ではなく、対中戦争勃発からの戦争メモリアルというのも作られないといけないのではないか。
もっぱらアメリカを相手にした姿だけしか自覚していないから被害者意識に閉じこもれるのだし、特に原爆が戦況の上でも意識の上でも決定打になっていると思える。
大島渚にはテレビ作品がかなり多いし、収穫も多い。映画監督のアルバイトといったレベルではないし、テレビの特性をよく生かしている。のちにテレビにさかんに出演するのも、さまざまな意味で興味があったからなのは確かだろう。
大島渚テレビ作品リスト
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20世紀アワー 大東亜戦争
68/12/08 前編 脚本・構成=大島渚 協力=白井鉄郎 出演=(N)小松方正、戸浦六宏、清水一郎
68/12/15 後編 脚本・構成=大島渚 協力=白井鉄郎 出演=(N)小松方正、戸浦六宏、清水一郎
冒頭にこう出る。
「このフィルムは、すべて大東亜戦争当時、撮影されたものである
言葉、音、音楽もすべて当時、日本人によって録音されたものである
外国から購入したフィルムも、すべて当時の日本人の言葉でつづった
これは、私たち日本人の体験としての大東亜戦争の記録である」
真珠湾攻撃のあとの「…米英海軍と戦闘状態に入れり」と読む声は聞いていたが、朗読している姿は見たことなかった。けっこうショボいのね。
すべて日本側が撮った映像だと冒頭に断られるのだが、真珠湾の海上から撮ったフィルム、誰が撮ったのだろう。
マレー・シンガポール陥落時の山下奉文・パーシバル会談の映像の実物を見られる。
光量が足りなかったので回転数を落として一コマごとの露光時間を伸ばして撮ったものでコマ落としみたいになり、山下がより居丈高に見え、パーシバルは目をしきりとパチパチさせて落ち着かなく見えるという「効果」が出たと撮ったカメラマンが「自慢」していたというけれど、今にしてみると罪な効果だ。
それにしても、なんで水野晴郎はあんなに山下奉文が好きだったのだろう。体型が似ているだけというだけでもあるまいに。
昭和17年の総選挙のニュースも出てくる。「選挙」もしていたし、戦争末期には政権交代もしていたのに、ちっともブレーキにならなかったわけ。
日本で勝っていた時期というのは、一年もないのだね。
ニミッツが戦果を無限に誇張していると伝えているのだから、大本営発表というのもまあ北朝鮮みたいなもの。
アメリカと一機づつ差し違え主義でやっても少しも日本は差し支えないのであるって物量の差をよくこれだけ忘却できるものだと思う。
#1の終わりごろから退却を「転進」と言い換えるのが目立つようになる。
#2の冒頭からがらっと調子が変わり、「玉砕」の連続になる。
ちょっとだが、死骸がごろっと転がされているところも写る。
学徒出陣の行列の妙に美的な映像(ことに水溜りに写ったカット)。いくらかリーフェンシュタール入ってるか?ただし行進ぶりはまるで訓練を受けていない、素人です。
東南アジア諸国やインドとは日本が西洋の植民地から解放したのだから仲良くして、一方で中国と戦おう、というあたり、今の状況で見るとなんだかイヤな感じ。発想は変わってません。
食料増産といって米や麦はないからカボチャを作れと呼びかけるのではなあ。語るに落ちるというものではないか。
けっこう負けたところの映像も出てくる。というか事実を最低限伝えてはいるので、なんとか大本営発表で言いくるめようとしても事実として負けっぱなしなところをゴマかすのにも限度があり、冷静に見たら負けていることはわかるはずなのだが、そんな余裕があったかどうか。
日本の敗色が濃くなるとだんだんアメリカ側の映像の割合が増え、それに特攻隊の「戦果」(つもりそれだけ日本側が死んだということ)の放送がかぶると、まあもう惨憺たるものです。
「敗者は映像を持たない」とは大島渚の「体験的戦後映像論」で提出された有名なテーゼ(著作集第二巻に所収)だが、それを絵に描いたよう。
タイトルは大東亜戦争だが、実質太平洋戦争。実際のところ、盧溝橋事件あたりで日本は戦争に突入しているのであって、このあたりのすり替え(大島渚でさえその轍を踏んでいるともいえる)が今でも尾を引いている。
真珠湾攻撃ではなく、対中戦争勃発からの戦争メモリアルというのも作られないといけないのではないか。
もっぱらアメリカを相手にした姿だけしか自覚していないから被害者意識に閉じこもれるのだし、特に原爆が戦況の上でも意識の上でも決定打になっていると思える。
大島渚にはテレビ作品がかなり多いし、収穫も多い。映画監督のアルバイトといったレベルではないし、テレビの特性をよく生かしている。のちにテレビにさかんに出演するのも、さまざまな意味で興味があったからなのは確かだろう。
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