prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

7月27日のつぶやき

2019年06月27日 | Weblog

6月26日のつぶやき

2019年06月26日 | Weblog


「ホワイト・ドッグ」

2019年06月25日 | 映画
黒人だけ襲うように訓練、というより調教された白い犬と設定自体が何重にも寓話的で、犬にとっては黒人白人の文化的な区別などあるわけもないのだが、犬の視覚にとっては色はほとんど感じず白と黒だけの世界に見えているはずで、裏を返すと人を肌が黒いか白いかでしか見られない人間とは侮辱的な意味で犬同然ということになる。

そして一番イノセントな存在である犬が結局犠牲になるわけで、シンプルな設定とストーリーで複雑なニュアンスを出した。

ポール・ウィンフィールドが犬が黒人を憎むように仕込むシミュレーションをするシーンは今だったらそこの意味付けの複雑さを飛ばして動物愛護協会のクレームが来そう。

差別主義者の白人を「助ける」ためにウィンフィールドが犬に銃を向けなくてはいけなくなるクライマックスの苦さ。

White Dog - IMDb

ホワイト・ドッグ - 映画.com



6月24日のつぶやき

2019年06月25日 | Weblog


「オクジャ okja」

2019年06月24日 | 映画
Netflix製作の長編劇映画でカンヌで「映画」として出品作として扱うかどうかもめた一篇。
この問題は「ROMA」を経てまだ未解決。

巨大な改造豚のCGは見事だけれど、CGという人工物の極地みたいなもので人間の生き物に対するエゴイズムを描くというのに若干の違和感あり。かといって本物の豚なり動物を使ったら今では虐待と見なされるだろうから痛し痒し。

「オクジャ okja」 - 映画.com

6月23日のつぶやき

2019年06月24日 | Weblog

「パリ、嘘つきな恋」

2019年06月23日 | 映画
身体障害者のふりをして本物の障害者を騙すのだからずいぶんひどい話で、これ日本で扱ったら炎上ものではないか。実際、作中でひっぱたかれるシーンがちゃんと用意してある。

それをさらっと笑わせてに見せるのだから四の五のいってフランス映画のエスプリってえ奴(と書いておいて意味がよくわからないので調べると、まあ「知性、才気、ウィット」ということ)というのは絶えてはいないなと思った。

プール全体の底が上下すると共に水が引いて周囲の床と地続きになる仕掛けというのは初めて見た。その装置としての生かし方も上手い。

障害者役の自然なユーモアと自信をいちいち意識させないで見せるのも進んでいる。
話のしめくくりがありがちなのは残念。

「パリ、嘘つきな恋」 - 映画.com

「パリ、嘘つきな恋」 - 公式サイト

6月22日のつぶやき

2019年06月23日 | Weblog





「バルト・キングダム」

2019年06月22日 | 映画
ラトビア・イギリス合作で英語版。
原題はThe Pagan King(異教徒の王)。Paganというのは語源であるラテン語のpaganusからすでに田舎の山猿といった侮辱的なニュアンスがあるらしい。

13世紀ローマの侵略にさらされたバルト沿岸の小国(というより部族)がいかに抵抗し撃退したかを描く内容だけに、言葉が英語というのはローカルな個性を消しているわけで、マーケットを考えると自ずとそうなるのだろうが残念。
製作スケールはかなり大きいが、戦闘シーンは大群集とまでいかず数十人規模なのがむしろリアル。

戦闘シーンで人体破壊描写があるので子供に見せるのには配慮が必要ですと国立映画アーカイブの上映にあたっての注意書きがあったが、見たところ子供はおらず毎度ながら年配客多し。
歴史劇で人体破壊ということからポール・バーホーベンのFlesh + Bloodばりかと思ったらそれほどでもない。

悪役がとにかく卑怯で臆病で残忍で、伏線の張り方と回収がわかりやすすぎて、と全体とすると大味。
キリスト教を後ろ盾にした侵略主義と偽善性を堂々と描いているのはいい。

バルト・キングダム - 映画.com




6月21日のつぶやき

2019年06月22日 | Weblog








「麻薬王」

2019年06月21日 | 映画
韓国版「スカーフェイス」。
もっともかなり暴力描写にしてもキャラクターにしても意外と生ぬるい。韓国の犯罪映画といったらエグさが魅力というところがあるのだが。
「スカーフェイス」というかそれ以前の「暗黒街の顔役」製作時には監督のハワード・ホークスが脚本のベン・ヘクトにボルジア家の兄妹をモチーフにすることを要求し、実際ドラマの副線に巧みに組み込まれてるのだが、そういう脇筋や脇のキャラクターの配置が割とて薄い。

麻薬の取引相手が日本の、主に大阪で堂々と普通の日本語がとびかう。
あんまり当たり前のように描いているので、逆に日本側からのこういう描写をあまり見たことがないのに気づくのにちょっと時間がかかった。

「麻薬王」 - 映画.com

6月20日のつぶやき

2019年06月21日 | Weblog




「さよならくちびる」

2019年06月20日 | 映画
若手女優ふたりが並んでこれだけ終始愛想をふりまかないのはもちろん、感情芝居をしない映画も珍しいのではないか。むっとしたように感情を押し殺すか変な方向に噴出しているかしている裏の感情の動きを常に感じさせる。
歌の扱いがまた歌そのものとして聞かせてそのシーンの感情の盛り上げやコメント的扱いになっていない抑制のきいたもの。

日本全国のライブツアーをマネージャー(というだけではなく、仲間で音楽を続けることについての挫折の先輩でもある)の男と三人で旅するのと平行して過去のデュオの経緯がはさまってくる。
こうやってみると、日本もけっこう広いと思うし、各地に色々なライブハウスがあるものだとも思う。

現在と過去が対照的に扱われるというよりズレながら重ねられているようで、二人の作詞作曲する側とそうでない側ほかのズレがまた丹念に掬い取られる。

「さよならくちびる」 - 公式ホームページ

「さよならくちびる」 - 映画.com

6月19日のつぶやき

2019年06月20日 | Weblog




「長いお別れ」

2019年06月19日 | 映画
30年あまり前に老人問題、特に認知症の老人(当時は老人性痴呆といった)の問題を取り上げた映画が連続したことがあった。
「ふるさと」「花いちもんめ」「人間の約束」、ドキュメンタリーの「痴呆性老人の世界」などなど。

それから一世代巡って変わったところと変わらないところと両方ある。
変わったのは、公的な支援システムがまがりなりにも色々と整ったこと、変わらないのは介護は家族、それももっぱら女性が担うこと。

竹内結子の長女一家はアメリカのカリフォルニアにいて、蒼井優の次女は実家の近くにいて何かあると駆けつける。
子供の頃の成績は次女の方が良かったようだが、自分で選んだのと思うようにならないのと両方
なのかいわゆる正規の就職はしないで不安定な働き方をしている。
ある意味もっとも中途半端な位置に置かれているといえる。

山崎努が自分の家にいるにも関わらず、しきりと「家に帰る」と言い張る。実家に帰るときの列車が
画面上で左から右なのが、そこから今の住居に戻るはずの列車も初め左から右に走っている(それから)。具体的な住処としての家であるよりもっと象徴的・抽象的な還るべきところということだろう。

竹内結子が何年もアメリカに住んで英語がさっぱり話せないというのは、大袈裟な気もするがありそうとも思う。
山崎努の元校長先生の部屋が片付き過ぎているのが気になった。実際に本を読むか使うかする人間だったらもう少し出し入れして散らかるのではないか。

結局、人工呼吸器につなげるのを選択したのかどうなのかはっきりしない。あれは同意書に家族がサインする必要があるのだからきっちり描かないのはどうかと思う。

二年ごとに時間がとぶのに震災やオリンピック(2020年のが東京に決まるのが松原智恵子の奥さんが喜ぶのにイラッとした)などが絡むのが、図式的に思えた。
構成的には遊園地で始まったのだから遊園地のシーンでさっと終わっていいと思うのだが、なかなか終わらない。

「長いお別れ」 - 映画.com

「長いお別れ」 - 公式サイト