小暮菘華書道作品「雲霞白書」 koguresuuka.blogspot.com/2012/05/blog-p…
by yapoono6 on Twitter
人物表 年齢は1963年当時のもの
山郷里志 1953年生 10歳 小学生
山郷一臣 1910生 53歳 里志の父 山郷家の家長 町会議員
山郷元子 1931生 32歳 里志の実母 一臣の後妻 旧姓・瀬島 中国からの引き揚げ者
山郷博人 1932生 31歳 一臣の長男 里志の異母兄
山郷紀子 1931生 32歳 俊市の妻
山郷理恵 1953生 10歳 俊市・紀子の娘 里志のいとこで、小学校の同級生
山郷拓三※ 1912広島生 一臣の弟 里志の叔父 1935年(226事件の前年・大不況期)にブラジルに渡る。1962ブラジル没
山郷勝利 1937ブラジル生 36歳 里志のいとこ 拓三の息子・一臣の甥
誉田克一 1933生 30歳 小学校社会科教諭
山郷健二※ 1935生 俊一の弟 里志の異母兄 1933年、結核で死去
山郷ふさ※ 1880生 一臣・拓三の母親 1963年、この物語の始まる直前に83歳で逝去
山郷国夫※ 1978生 一臣・拓三の父親 1930年破産 1943年死去
「日本は戦争に勝った」
昭和38年、九州・F県。
山郷里史は、10歳の小学五年生。
山郷家は、祖父の国夫はかなりの地主だったが戦前に連帯保証人になった他人の借金のために没落し、さらに戦時中の昭和18年に亡くなっていた。さらに戦後の農地改革でほとんどの土地を失って、今では父親の一臣(53)が辛うじて町会議員をつとめて面目を保っている。一臣の息子は、前妻の間に生まれた異母兄の博人(31)が、事業を起こそうとして失敗して実家に戻ってくすぶっている。
里史の母は、一臣の後妻の元子(32)。その父親の瀬島直介は元官僚だったが、中国に家族ぐるみで赴任して日本の敗戦のため命からがら帰ってきて以来、やはり所を得ないでくすぶっていたのを、娘を元地主にやることでなんとか面目を保とうとしている。
望んだ結婚ではなかったが、元子は親子ほども年上の夫や姑のふさによく仕え、生まれた一人息子の里史を非常に可愛がっていたが、愚痴をこぼさない代わりにあまり心の中のことを口に出さない習慣が身についていて、息子の里史にもちょっととっつきにくく感じる時があった。
里史は家の中の煮詰まったような空気があまり好きではなかったが、学校にもなじめなかった。担任の社会化教師の誉田が熱心な日教組の活動家で、60年安保闘争にも参加し、今また過激な平和教育に打ち込んでいて、どれだけ戦前の日本がひどかったか、戦争がいかに悲惨であるかを、これでもかこれでもかと教えるもので、内容の陰惨さにちょっと辟易させられる上、里史の家は元地主や中国に赴任していた官僚が棲息しているものだから、誉田にそれほど悪気はなくても結果として家族の悪口を言われることになり、ひそかに里史は反感を抱いていた。
そんな時、里史の叔父の山郷克利(36)がブラジルからやってくる。
克利の父・拓三は、国夫が没落した1930年(昭和五年)に新天地を求めてブラジルに渡って農園経営で成功したが、祖国のことを思いながら四年前(1959年)に亡くなっており、亡き父の果たせなかった望みを果たすべく日本にやってきた、という。克利自身は1937年ブラジル生まれで、日本国籍は父が届け出ていたため取得していたが、日本に来たことは一度もない。日本語は話せるが、しばしば「コロニア」(農園)などの「ブラジル語」が口をついて出る。(正確にはブラジル語ではなくポルトガル語なのだが、日系人はブラジルの言葉だからブラジル語だと頓着なく呼称することが多かった)
言葉だけでなく、身振り手振り、発想などすべてが内地の日本人とは違っていた。
アマゾンのスケールの大きさは、里史に驚異と強い憧れを抱かせた。
だが、困ったことに、亡くなった父親ゆずりの「勝ち組」「信念派」であり、つまり第二次大戦で日本は勝っていると信じたまま、戦後18年を過ごしてきたのだった。
そして、日本に帰ってきた時ちゃんと羽田空港ができていたのを捉えて、「この空港を見なさい。こんな空港を作れる国が、なんで負けたはずがありますか」と言う。決め手は、「天皇陛下はご健在であらせられるか」と問い、「ご健在です」という答えに、「なんでそれで負けたはずがあるのか」と自信たっぷりに断言する。そう言われると、反論もしにくい。
しょっちゅう、日本がいかに愚かな戦争に突入して負けたかという話を誉田に聞かされている里史にしてみると、勝ち戦の話を聞かされた方が気持ちいいので、学校で誉田に教えられているのはウソだと生徒の間で言い出し、ただでさえ目をつけられてしたのを完全に問題児視されてしまう。
一方、一家を没落させたままにしている一臣や事業に失敗してくすぶっている博人は、克利がブラジルに持っているという「財産」に目をつける。
折から、山郷家の持っている土地を米軍基地拡張のための道路建設の為買い上げられるという噂が流れており、道路公団に買い上げられるよう地元出身の政治家・瀬島に働きかけるのに金が必要だった。それを用立ててくれないかと、と一臣と博人は克利に頼む。
克利は、なぜアメリカが日本にいるのか、と聞く。とっさに博人は「負けたアメリカは日本の属国として日本の防衛にあたっているのだ」と解説する。金ほしさからとはいえ、よくこうももっともらしくこじつけるものだ、と一臣は半ばあきれ半ば感心して息子に同調して、協力を要請するが、さすがに大金が絡むことだけに克利は即答しない。実は、本当に克利が財産家なのかどうかもちょっと怪しいのではないか、と何度も博人の軽はずみな行動に痛い目にあっている妻の紀子は水をさすが、もう一旗あげようと目の色を変えている博人には通じない。
その中、克利は戦後一家が手放した土地を取り戻していた。「先祖から受け継いだ地は大事にしなくてはいけない」と言う。しかし、せいぜい墓を作るくらいしか用立てようのない土地を買ったところで、どうなるものでもないと子供である里史にも思えた。
克利は祖先の墓を建て直して供養しようと主張する。しかし、もう亡くなった人間に金を使ったってしかたないと博人は説得して自分のために金を出させようとする。
一方、頼まれもしないのに誉田は克利のところに「日本が勝った」などという間違った認識を改めさせようと、里史に案内させて押しかけてくる。もちろん里史が間違った認識をもってしまうのを防ぐ狙いもあった。
しかし、克利の父は筋金入りの“勝ち組”であり、臣道連盟のメンバーだったと言う。臣道連盟とは、日本が負けたなどという惰弱な噂を流す輩に天誅を下す組織で、少なくない“負け組”日本人が襲撃されたと、むしろ克利は誇らしげに言う。軍国主義者の生き残りと誉田は怒るが、誉田のいないところでは、克利は次第に「加害者」とばかりいえない勝ち組の姿を見せていく。
つまり、父親が日本に帰らずに早死にしたのは、日本の為に尽くしたいと帰国を焦り、日本が勝ったのだから円が上がると吹き込まれて手持ちのクルゼイロをみんな円に換えてしまったら暴落してしまい、残ったなけなしの金を朝香宮という皇族と名乗る男に寄付したら優先的に日本に帰れるというので寄付したら、もちろんニセモノの皇族でそのまま行方をくらましたりで、結局せっかく営々と重労働に耐えて貯めた財産をすっかりなくしてしまったから、だった。
負け組には、日本が負けて円の価値がなくなっているのを知りながら高いレートで負け組に押し付けた者もいた。移民を守るべき領事館員は、戦争が始まると一斉に日本に逃げ帰り、そのため大本営発表しか情報が入ってこなくなったのだ。
そういった事情を省みず、まだ神州不滅を信じるのか、と誉田はどうしても日本の敗北を認めない克利をバカ扱いしだす。「常識」からすると逆のようだが、克利とするとここで日本の敗北を認めたら父の苦労がムダになってしまう、それに憧れでもあり心の支えでもあった「祖国」が負けた、と認めることはできないのだった。
そうなると、父譲り(?)の勝ち組の血が騒いでか、完全に誉田と喧嘩になってしまい、里史もいくらあまり親しくないとはいえ、身内をバカ呼ばわりされて怒り、誉田に反発する。
この騒ぎで、克利は間違ったことを言う者はたとえ教師であっても戦う姿勢は偉いと里史をますます気にいってしまう。
一方、元子はおかしな伯父さんになついた息子の里史を心配して、おかしな話を吹き込まないよう、克利にぴしりと釘をさし、それまであまり口にしなかった自分の戦争体験を話し、さらに広島や長崎の惨状なども交えて戦争の悲惨さを母親なりに伝えようとする。
すると、それをいつのまにか傍らで聞いていた克利が突然、アメリカはやはり敵だと怒り出し、いくら勝ったからといってアメリカ側が恭順の意思を示さない限り情けをかける必要はないと言い出す。そして、その勢いに乗って一転して一臣と博人に約束しかけていた資金援助を断ってしまう。
びっくりしたのは、博人らで、すっかりそのつもりで瀬島に献金すると言っていたからだ。二人の顔が立たなくなるというだけでなく、それをあてにした瀬島も各方面にばらまく資金がショートしてしまうのだから、それは困ると圧力がかかってくる。
さらに誉田らが反基地闘争をしているというので、押しかけてきて自分もやらせろという。びっくりしたのは誉田らの方だ。いきなり「軍国主義」の亡霊として敵視していた相手が、自分にはるかに倍する勢いでアメリカと戦わせろというのだから。アメリカとの戦いはもう終わっていると説得しようとするが、無辜の市民に無差別爆撃するとは、「敗戦国」の所業でも許せん、「懲らしめてやる」と、まじめに言い張る。
そのため、運動は内ゲバ状態になって頓挫する。誉田は運動から身を引き、さらに進歩的ポーズまで捨ててしまう。
一方、克利を説得して金を吐き出させるために博人に入れ知恵し、博人はこう言って克利を説得する。
日本は勝った国に対して「寛容」な国である。台湾も韓国も自分の領土とした後は国土を近代化し、アジアをもって一丸となって西洋に対抗すべく多額の資金を注ぎ込んだ。アメリカに勝ったからといって、西洋の帝国主義諸国のように植民地化して搾取したりはしない。あいにくとアメリカには勝ったが、ソ連=ロシアは相変わらず日本と敵対関係にある。ここは昨日の敵は今日の友で、勝ったからにはアメリカとのいきがかりは水に流して手を結び、ロシアと対抗する必要がある。それには、アメリカを援助して日本の国土を防衛させるのが一番だ、という表面的にはもっともらしいが、大前提が完全に転倒した理屈だった。
一応納得したような克利だったが、里史は不快感を覚える。克利の前では日本が勝ったと話を合わせているが、やはり負けていてそれを父親と兄が隠して克利を騙そうとしている、とわかったからだ。かといって、誉田式に強引に説得するわけにもいかない。そんな里史の心配をよそに、克利が金を出させるべく、一臣と博人は 勝手にどんどん工作を進めていく。
つまり、いかに日本が「勝った」かを工作して見せようというわけだ。アメリカ映画や英語塾の興隆を、「敵に勝つためにアメリカ文化を研究したためだ」と言いくるめる。
さらに、さる皇族の行幸が近くあらせられると聞く。ブラジルで父親が騙されたような偽者の宮様ではなく、本物の宮様なのだから、博人と親しく言葉をたまわるところを見せたらさぞ克利も恐懼感激して、いっぺんに信用するだろうと考える。
さらに、里史が理恵と仲がいいのを利用して、離れたくなければ叔父さんに金を吐き出させるよう説得するよう言いつける。
いよいよ、宮様が行幸され、克利は「海外での日本人の活躍に先鞭をつけた」功績を称えられる。一通りの感激の言葉を述べ引き下がる克利。博人は寄付金を克利につのる。
だが、克利は意外に冷静に、あれは偽者だと断言する。博人は決して騙したりはしない、あれは間違いなく宮様だと言い、里史も説得にあたるが、克利は耳を傾けない。
里史が困り果てているのを見かねた誉田までが、日本は民主主義の世の中になったのだから、宮家と庶民が触れ合うこともあると説得にまわる。
克利に「反米」闘争で先んじられてから、すっかり誉田の「進歩派」ぶりが色あせて、おとなしくなっていた。
問い詰める博人に、金はもうないと克利は言う。
なぜないのか。問い詰めても、克利は言わない。結局、克利から金を引き出すのは失敗し、開発計画を誘致するのは頓挫する。
くやしまぎれに博人は、実は克利がブラジルで成功したのは嘘ではないかと言い出し、そうなると、土地を取り戻すのに全部使ってしまったのだろうと。それまで親戚・日本人扱いしていたのが、手のひらを返したようにガイジン扱いしだす。
誘致に失敗した博人は実家にいずらくなり、妻子を連れて出て行くことになり、里史は理恵と別れなくてはいけなくなる。瀬島は金の切れ目が縁の切れ目とさっさと遠ざかっていた。
ろくに別れも言えずに理恵と引き離された里史は、そのとき、初めて別れのつらさを知る。
里史は、克利とも別れを告げる時が来る。
里史は克利がブラジルに戻るものと思っていたが、戻らないと克利は言う。前は、戻るべき祖国があると思っていたが、日本はすでに祖国ではない。かといって、ブラジルがその代わりになるわけでもない。
ではどこに行くのか。
「アメリカだ」
と、克利は答えた。
里史は、またあっけにとられる。しかし、克利は意気軒昂で、日本がこうなったのはアメリカのせいだ、負けるが勝ちならぬ、アメリカに戦争で勝って精神で負けてしまった。これではいけない。改めて「アメリカをこらしめに行く」
と言う。
里史は絶句しながら、しかし親戚中でひとりだけ白い目で見られながら克利を見送るのだった。
【終】