原題は「蒼ざめた馬をみよ」Behold the Pale Horseなので、「日曜日には鼠を殺せ」というのはどういう意味だろう、と思って調べたら、以下のブログに出ていました。
http://movie.tatsuru.com/archives/001120.html
(以下引用します)
Richard Braithwaite (1588 - 1673)という人が“Barnabee Journal”というところで引用していたもので、そのさらにオリジナルもどこかにあるのだろうが、それは不明。
こんな戯詩である。
To Banbury came I, O profane one!
Where I saw a Puritane-one
Hanging of his cat on Monday
For killing of a mouse on Sunday.
「不信心なおいらがバンベリーに行った。
そこでおいらは清教徒のやつが
月曜日に猫を吊しているのを見た。
日曜日に鼠を殺したからなんだって」
(たぶん、そんな意味だと思います)
バンベリーがどういうところかは寡聞にして知らないけれど(バンベリー・バンという挽肉入りケーキが名物らしい)、安息日の日曜には猫が鼠を捕っても涜神行為とみなされるほどにストリクトな清教徒の街だったようである。
そこから転じて、「日曜日に鼠を殺した猫は月曜に清教徒に吊される」というのは「諸行無常、盛者必衰」を意味する英語の格言だったのである(嘘です)。
というわけで、映画『蒼ざめた馬を見よ』(Behold the Pale Horse)の原作小説のタイトルKilling a mouse on Sundayは『日曜日には鼠を殺せ』じゃなくて、『日曜日に鼠を殺すと』だったらよかったんですね。
(引用終わり)
なるほど。
それとは違いますが、スペイン市民戦争もの、というのは手探りで知識を得ながらぽつぽつと見た映画をつないでいくような見方になりますね。
オマー・シャリフの神父に対してグレゴリー・ペックが頭から憎悪を見せるのがよくわからなかった。バチカンがフランコ政権を支持したからだ、とは見た後で調べてからわかった。
ルイス・ブニュエルの作品に見られる猛烈なカソリック批判にもつながっているのでしょうね。
ピレネー山脈のシーンは監督フレッド・ジンネマンの遺作になった「氷壁の女」を思わせ、他、それぞれの都市でもロケ効果は見事なもの。
元スペイン人民戦線の闘士が20年後にはギャングと大して変わりなくなって一般人に対する強盗をしたりしながらごろごろして暮らしている痛さ、というのは20年戦って権力側は小揺るぎもしない徒労感、という点では日本の反体制運動でも少しわかるような気もする。ギャングは戦前の日本共産党もしていたが。
シーンによって主役が変わってしまうような構成なので、全体が渾然として盛り上がるというわけにはいかない。サッカーボールの使い方も早朝の町を弾みながら遠ざかっていくカットなど素晴らしいが、若干何の象徴だろうと考えこんでしまう感じ。
子供でも歩いて渡れる川が国境になっていて、歩いてスペインとフランスを行き来するだけで合法非合法が違ってしまうという奇妙さを端的に出す。
(☆☆☆★)