これ、ホラーじゃないぞ、というのが大方の世評で、実際その通り。同じ原田眞人監督「バウンスkoギャル」が女子高生風俗ものではなかったように。
じゃあ何かというと、冗談ではなく一種の日本人論映画なのだね。
日本人の自殺願望を、オープニングの授業で受験に出ないからとオミットされる近松門左衛門の心中ものや、ポスターやビデオで出てくる映画「切腹」といったアイテムで綴り、阿部寛のセリフとして自殺はセックスのエクスタシーを知らない奴の代用行為だと言わせる。
伝染歌を追うことになる編集部の紹介が、あからさまに「地獄の黙示録」経由の「ワルキューレの騎行」をBGMにした戦闘「ごっこ」絡みで、ご丁寧にも携帯の着メロも同じ曲。前半に出てくるAK48(この映画が売り出しに買っていたらしい)のオタクに囲まれたライブの描写も含めて、「生」の実感を持っていない人種として今の日本人が捕らえられる。
ホラーにつきものの「呪い」を生の側からの死への願望の裏返しではなく、死んだ側の「生きたい」願望としてひっくり返していて、クライマックスの歌の使い方もタナトスではなくエロス志向。ホラーとは方向がまるで違う。
リングの貞子にあたる少女を、明らかにオーソン・ウェルズの「上海から来た女」の引用である鏡の間に立たせたり、部分的な時制の繰り返し、室内を蠢く女子高生を実験設備の中のモルモットのように捉える俯瞰ショット、時間の巻き戻し効果など、映画的な実験もいろいろ試みている。
もっとも、理屈は通っていても、それらのディテールをまとめる感情面(恐怖に限らず)のアトラクションが欠けている。
少女たちが松田龍平に率いられて泊まる旅館の大広間が、「KAMIKAZE TAXI」の自己啓発セミナーに使われた旅館の大広間に似ているな、と思ったら、同じロケ地。「チェック、ダブルチェック」というセリフあるいはモットーが、「クライマーズ・ハイ」に先んじて出てくる。
(☆☆☆)
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