信長がやったとされることの多くは実は美濃の蝮こと斎藤道三の娘である帰蝶=濃姫が裏で糸を引いていたみたいな話で、考えようによってはマクベス夫人みたい。
桶狭間の前に兵たちを演説で鼓舞せよというあたり、子孫に誇る闘いに参加できる云々を含めて「ヘンリー五世」っぽい。ただし長さは全然足りない。
初対面で綾瀬はるかが身体能力の高さを発揮してキムタクの信長をひねり倒し、プロレスでいうインディアン・デスロックみたいな固め技を棒=刀の鞘を併用して決めるのが可笑しかった。
もともと信長は若い時はうつけと言われ、濃姫にはしきりと小わっぱと形容される、つまり良くも悪くも子供っぽいキャラクターとして描かれ、いわゆる信長の天才性、常識に捉われない部分というのはそのチャイルディッシュな面が出たようでもあり、逆に魔王と呼ばれたりする残虐さにもつながってくる。
その子供っぽさを濃姫が包み込むというわけではない、また内助の功というわけでもない描き方をしているわけでもないのがさすがに大作日本映画でもフェミニズム的な面が出てたように思う。
業績を女だからといって無視されている面もある。
それにしてもキムタクも五十歳で、信長が死んだ四十八を過ぎているのを小わっぱ呼ばわりされるのはさすがに強引。
冒頭、カマキリとバッタが絡み合うように交錯する、一見カマキリにバッタがとって食われてしまいそうでそうはならないのが二人の関係の暗示になっているということだろう(必ずしも信長がカマキリではない)。
もともと濃姫はあまり史実が残っていないらしいのでかなり創作を入れられたということらしいが、どうせならラストなど思い切って信長と濃姫が南蛮にまで行くくらいのホラふいて良いと思った。映画なんだから。
桶狭間や長篠など主要な合戦がすべて事後描写というのは珍しい。
信長に対する光秀(宮沢氷魚)の描き方が「ジーザス・クライスト・スーパースター」のユダみたいな愛憎混じりなのが、家康(斎藤工)のしれっとしたふてぶてしさと共に芝居として面白い。
東映70周年記念作とはいえ、東映の顔らしいのが道三の北大路欣也くらいというのは、映画スターの時代ではないのだなと思わせる。
製作のトップについ先日亡くなった手塚治前社長がクレジットされているのが妙な感じ。