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予告編が良すぎる映画には気をつけないといけない、とかねて思っていたのだが、またひっかかった。
実写を加工してアニメ風に仕立てたのって、昔のロートスコープによる「指輪物語」からモーションキャプチャーによる「ポーラー・エクスプレス」まで、キャラクターは誰だかわかりにくくなるわ表情はぼやけるわで、予告編で映像のインパクトだけで見る分にはいいけれど、ストーリーを追っていく長編となるとたいてい飽きる。これもそう。
声の出演がダニエル・クレイグとかイアン・ホルムといった「豪華版」だといっても、実写のモデルになっている役者とは別なのだから、かなりヘン。かといって「ポーラー・エクスプレス」みたいにトム・ハンクス当人がやっていてもやはりヘンなのだが。
画像が凝っている割に、実写の動きに縛られて大胆な動きや省略ができなくてモタつく。わずかに広場や高速道路の透明な天井の上を人々が歩いているあたりが未来世界風なのが目新しいくらい。
道具立てはフィルムノワール風でも、セリフや小道具など細部が生きないから味気ない。パリが舞台なのに英語版というのもムードを壊す。
(☆☆★★★)
同じチンギス・ハーンを扱った「蒼き狼」が何かと比較されてサカナにされている気がするけれど、これもモンゴル語を使っているとはいえモンゴル人から見たらどのくらい「リアル」なのかな、とは思う。日本人が主役で中国人が副主役で監督がロシア人なのだから。どの程度モンゴル語をマスターしているのかは、日本人が聞いてもわからないし。
浅野忠信の主演ぶりは途中から日本人ということを忘れるくらいだった。
浅野が覚えて行ったモンゴル語のセリフが撮影直前に全部変わって往生したというが、いきなりシーンがとぶとテムジンのまわりにどういうプロセスでかいきなり人が集まっていたりして、けっこう飛躍が多くぎくしゃくしている。シナリオが十分練られていたのかどうか、疑問。
ドラマとすると比較されてネタにされることの方が多い「蒼き狼」の方が整っていたと思う。そのモンゴル独自の風習をベースにしたドラマを日本語でオール日本人キャストでやったからかえって変だったのだが。
戦闘シーンの血しぶきの飛び方がリアル。「プライベート・ライアン」以来の、ひとコマを撮影する間に複数回シャッターを切る技術が使われているみたい。
(☆☆☆)
本ホームページ
goo 映画 - モンゴル
浅野忠信の主演ぶりは途中から日本人ということを忘れるくらいだった。
浅野が覚えて行ったモンゴル語のセリフが撮影直前に全部変わって往生したというが、いきなりシーンがとぶとテムジンのまわりにどういうプロセスでかいきなり人が集まっていたりして、けっこう飛躍が多くぎくしゃくしている。シナリオが十分練られていたのかどうか、疑問。
ドラマとすると比較されてネタにされることの方が多い「蒼き狼」の方が整っていたと思う。そのモンゴル独自の風習をベースにしたドラマを日本語でオール日本人キャストでやったからかえって変だったのだが。
戦闘シーンの血しぶきの飛び方がリアル。「プライベート・ライアン」以来の、ひとコマを撮影する間に複数回シャッターを切る技術が使われているみたい。
(☆☆☆)
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goo 映画 - モンゴル
ディズニーのセルフ・パロディ的一作。
おとぎ話の甘さとご都合主義をからかっていながら、最終的に皮肉混じりながらロマンチズム寄りに着地するのは「シュレック」とも通じるところ。
王子さまのバカっぽさなどかなり笑わせるが、鳥や小動物がドレスを作ってくれる情景を実写でやるとかなりグロくなるあたりはちょっとやりすぎ。ゴキブリをスクリーンで見せられるとゲッとなる。
ミュージカル・ナンバーは「リトルショップ・オブ・ホラーズ」「美女と野獣」のアラン・メンケン作曲とするとやや物足りなかった。
オープニングの2Dアニメの絵の味気なさにびっくり。3Dばかりやっているうちに絵の描き方を忘れてしまったのか、この絵がずうっと続いたらかなわんぞと思うくらい。
悪い魔女をやっているスーザン・サランドンはエンド・タイトルを見るまで誰だかわからなかった(特殊メイクはリック・ベイカー。最近は、特殊メイクが宣伝に使わなくなりましたね)。出番が短くてすぐCGのドラゴンにバトンタッチしてしまうのはもったいない。
(☆☆☆★)
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goo映画 - 魔法にかけられて
おとぎ話の甘さとご都合主義をからかっていながら、最終的に皮肉混じりながらロマンチズム寄りに着地するのは「シュレック」とも通じるところ。
王子さまのバカっぽさなどかなり笑わせるが、鳥や小動物がドレスを作ってくれる情景を実写でやるとかなりグロくなるあたりはちょっとやりすぎ。ゴキブリをスクリーンで見せられるとゲッとなる。
ミュージカル・ナンバーは「リトルショップ・オブ・ホラーズ」「美女と野獣」のアラン・メンケン作曲とするとやや物足りなかった。
オープニングの2Dアニメの絵の味気なさにびっくり。3Dばかりやっているうちに絵の描き方を忘れてしまったのか、この絵がずうっと続いたらかなわんぞと思うくらい。
悪い魔女をやっているスーザン・サランドンはエンド・タイトルを見るまで誰だかわからなかった(特殊メイクはリック・ベイカー。最近は、特殊メイクが宣伝に使わなくなりましたね)。出番が短くてすぐCGのドラゴンにバトンタッチしてしまうのはもったいない。
(☆☆☆★)
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goo映画 - 魔法にかけられて
そのまま描いたら陰惨きわまる不幸の連続を突拍子もない色彩とポップな画面処理で中和するセンスが勝負。特にミュージカル調音楽処理は凝ったもの。
物語とすると、松子の死後にほとんど交流のなかった甥が、生前松子に関わった人たちに会って生涯を再構成していく「市民ケーン」式の構成で、いわば作り手の好みの場面(甥がわかるはずのない場面も多く含む)をつまんでまとめられるところがセンス勝負作とするとおいしいところなのだけれど、他人にとって松子がどんな存在だったのかはまあわかるが当人にとって自分の人生がどんなものだったのか、という素朴なところで考え直していくとちょっと首を傾げたくなる。
意匠を剥がしてみると、このヒロインは「道」のジェルソミーナなのでしょうね。
ただ、頭が弱いわけではないだろうし、ザンパノに当たる男が複数でしかも悔恨の痛みを笑いで紛らわしているせいか、ちょっと都合よく見える。
(☆☆☆★)
同じ場面を巧みに行きつ戻りつして複眼的な視点の描写を組み合わせていく技法の積み重ねの末に、大きくどんでん返し的に来るラストが強烈。メタ小説的な趣向なので、原作はどうなっているのか読んでみたいところ。脚色はラクロの書簡体の原作を巧みにドラマ化した「危険な関係」でアカデミー脚色賞を受賞したクリストファー・ハンプトン。
内容はまったく違うけれど、ちらちらと異化効果をはさみながらラストでそれまでの展開を俯瞰する視点に大きく飛躍して、人生の残酷さをまざまざと感じさせるあたり、「恋」(ハロルド・ピンター脚本)をちょっと思い出した。イギリスの上流階級の子供と令嬢、下層階級の青年の物語という点も同じだし。
退却するイギリス軍とフランス軍が終結したダンケルクの海岸の、地獄のカーニバルのごとき情景をえんえんたる長まわしの移動で捉えた映像がすごい。どうやって作ったのかと思わせる。
18歳に成長したロモーラ・ガライ(1982年生まれ)が、13歳の時のシーアシャ・ローナン(1994年生まれ)に比べてゴツすぎるのが興ざめ。姉役のキーラ・ナイトレイ(1985年生まれ)より年上なんだぜ。タイプとしても、違いすぎ。
(☆☆☆★★)
本ホームページ
goo映画 - つぐない
内容はまったく違うけれど、ちらちらと異化効果をはさみながらラストでそれまでの展開を俯瞰する視点に大きく飛躍して、人生の残酷さをまざまざと感じさせるあたり、「恋」(ハロルド・ピンター脚本)をちょっと思い出した。イギリスの上流階級の子供と令嬢、下層階級の青年の物語という点も同じだし。
退却するイギリス軍とフランス軍が終結したダンケルクの海岸の、地獄のカーニバルのごとき情景をえんえんたる長まわしの移動で捉えた映像がすごい。どうやって作ったのかと思わせる。
18歳に成長したロモーラ・ガライ(1982年生まれ)が、13歳の時のシーアシャ・ローナン(1994年生まれ)に比べてゴツすぎるのが興ざめ。姉役のキーラ・ナイトレイ(1985年生まれ)より年上なんだぜ。タイプとしても、違いすぎ。
(☆☆☆★★)
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goo映画 - つぐない
ガンマニア夫婦の車のナンバープレートがUZI(ウージー、イスラエル製短機関銃の名)とあるのに笑ってしまう。
巨大ミミズ(?)の形のモデルは「砂の惑星」のサンドウォームなんでしょうかね。
製作費はかなりかかっていそうだけれどB級テイスト、コメディタッチがけっこう巧く、あれこれ手をつくして飽きさせない。
20年近く前の映画をゴールデンタイムでやるとは、テレ東らしい。ケビン・ベーコンがまだアンちゃん風なのもなんか可笑しい。
(☆☆☆★★)
加東大介が南方戦線で兵隊から有志を募って慰問芝居を作った体験記の映画化で、自分自身の役で主演もしている。
伴淳三郎、有島一郎、西村晃、志村喬、渥美清、三木のり平、森繁久彌、といった有名どころばかりでなく、仲間を集めていくシーンなどでちょっとだけ出てくる役者たちが短い出番で腕を見せるのが、昔の日本映画の役者の層の厚さを見せる。
もっとも、せっかくカツラを作る役、舞台装置を作る役など裏方志願の人間も入れているのに、具体的にどう芝居を作っていったのかというプロセスがあまり描かれておらず、いきなりできあがった芝居を見せてもあくまでそれは実際に上演されたであろう芝居の再現にとどまり、あまりにできあがりすぎた舞台なので実際は日本のセットで撮ったのではないかという隙間風が吹く。パラシュートを調達してきて積もった雪に見立てるといった細かい工夫を丁寧に描いてもらわないと、日本から遠く離れた場所で苦心して日本を再現したという感じが出ない。
兵士たちが協力して物を作っていくのを見せることで、戦友同士のつながりも実感をこめて描けただろうに、もったいない。
(☆☆☆)
夫婦・親子・兄弟が争い殺しあって、「ハムレット」か「あわれ彼女は娼婦」みたいにほとんど全員死んでしまうドロドロ劇で、元が舞台劇と聞いて納得。
チャン・イーモウとしては「紅夢」以来の閉鎖空間での八方陰惨なお話で、空間自体は巨大化してほとんど万華鏡の中みたいに豪華絢爛になっているけれども、閉鎖的であることに変わりはない。
ラスト近くの金色の鎧に身を固めた大反乱部隊が、さらに巨大な王の部隊に包囲されて全滅するシーンなど典型。
群集シーンの捌きは撮影監督時代の「大閲兵」以来のうまさだけれど、今の時期見るとオリンピックの開会式のリハーサルみたいに見える。権力が反乱を徹底的に制圧する内容なのだから、気色悪い。
うまいといえば、イーモウ自身は国民党の兵士の息子なので、子供の時は「黒五類」として徹底的に差別されたという、それがこれだけ「出世」したのだから、世渡りうまいね。
あまり表には出ていないことだが、イーモウが北京電影学院撮影学科にすでに27歳になっていて年齢制限にひっかかっていたにも関わらず入学を許されたのは、文化大革命で下放されていた当時に撮りためていた写真を学院に提出して特別に認められたから、となっているが、それだけではなくて当時の夫人が学院の偉いさんの親戚だったのでコネが使えたから。まあ、中国では当たり前の話ですけど。
立ち回りとしては一対一のが少なくてもっぱら集団同士なのが、「HERO」や「LOVERS」みたいに変にスカしたのを見せられるのより助かる。日本の忍者みたいな黒づくめの暗殺部隊が現れてカマの方を振り回すクサリガマみたいな武器を操るあたりがちょっと面白い。
コン・リーが毒を飲んで汗をだらだら流しているアップがコワい。
(☆☆☆★)
本ホームページ
goo映画 - 王妃の紋章
チャン・イーモウとしては「紅夢」以来の閉鎖空間での八方陰惨なお話で、空間自体は巨大化してほとんど万華鏡の中みたいに豪華絢爛になっているけれども、閉鎖的であることに変わりはない。
ラスト近くの金色の鎧に身を固めた大反乱部隊が、さらに巨大な王の部隊に包囲されて全滅するシーンなど典型。
群集シーンの捌きは撮影監督時代の「大閲兵」以来のうまさだけれど、今の時期見るとオリンピックの開会式のリハーサルみたいに見える。権力が反乱を徹底的に制圧する内容なのだから、気色悪い。
うまいといえば、イーモウ自身は国民党の兵士の息子なので、子供の時は「黒五類」として徹底的に差別されたという、それがこれだけ「出世」したのだから、世渡りうまいね。
あまり表には出ていないことだが、イーモウが北京電影学院撮影学科にすでに27歳になっていて年齢制限にひっかかっていたにも関わらず入学を許されたのは、文化大革命で下放されていた当時に撮りためていた写真を学院に提出して特別に認められたから、となっているが、それだけではなくて当時の夫人が学院の偉いさんの親戚だったのでコネが使えたから。まあ、中国では当たり前の話ですけど。
立ち回りとしては一対一のが少なくてもっぱら集団同士なのが、「HERO」や「LOVERS」みたいに変にスカしたのを見せられるのより助かる。日本の忍者みたいな黒づくめの暗殺部隊が現れてカマの方を振り回すクサリガマみたいな武器を操るあたりがちょっと面白い。
コン・リーが毒を飲んで汗をだらだら流しているアップがコワい。
(☆☆☆★)
本ホームページ
goo映画 - 王妃の紋章
ひどい暴力描写がウリなのだが、ふしぎと絵で描かれた原作の方が痛そうで、映像にすると逆にマンガチックな感じが強く、長々とやっているせいもあって羅列されていると飽きてくる。
(☆☆★★★)
女子高生転落記、というと適当なエロと共に「純愛」とが混ざるのが定番だけれど、その相手がチンピラヤクザというのが約30年前の東映映画らしいところ。
パーティ券を買うのに古本屋で本を売って金を作るとか、「さそり」風のコート姿の姐さんとかスケバン(死語)のファッションとか、風俗的にいちいち時代を感じさせるが、当時としては少しは刺激的だったのかもしれない妊娠とか覚醒剤といった基本は大して変わっておらず、というかお定まりで、どうにもかったるい。
当時とすると「サード」などで見せた森下愛子の脱ぎっぷりの良さに客寄せを期待したのではないか。その点はまあまあなのだけれど、撮り方が妙に遠慮している。
GyaOもDVDでも出ていない珍しいのをよくやったね。
(☆☆★★)
本ホームページ
goo映画 - 十代 恵子の場合
パーティ券を買うのに古本屋で本を売って金を作るとか、「さそり」風のコート姿の姐さんとかスケバン(死語)のファッションとか、風俗的にいちいち時代を感じさせるが、当時としては少しは刺激的だったのかもしれない妊娠とか覚醒剤といった基本は大して変わっておらず、というかお定まりで、どうにもかったるい。
当時とすると「サード」などで見せた森下愛子の脱ぎっぷりの良さに客寄せを期待したのではないか。その点はまあまあなのだけれど、撮り方が妙に遠慮している。
GyaOもDVDでも出ていない珍しいのをよくやったね。
(☆☆★★)
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goo映画 - 十代 恵子の場合
「40回も断られた」末のクライマックスの舞台上のプロポーズで、彼女がイエスと言ってやっとわーっとなるまで観客のリアクションがろくに入っていないというのは「人間の証明」じゃあるまいし、ずいぶんな手落ち。主役二人が吹き替えなしというのはアメリカ映画としてはむしろ当然だけれど、演出はコンサートの観客の反応のライブ感に無頓着。
他に仲の悪い父親との関係がどうなったのか、「刑務所」がどんな意味を持つのか、といった大事なところが曖昧だったりで、なんだかシマらない。
「コップランド」もそうだけれど、この監督(ジェームズ・マンゴールド)、題材選びとキャスティングの段階で安心してしまっているのではないか。
(☆☆☆)
モチーフもキャラクターもいいのだけれど、ラスト近くのサプライズから逆算したみたいな作りがちょっとひっかかる。出だしからの展開のロジックとラストからの逆算とがすれ違い気味で、オープニングの冷徹な盗聴者のキャラクター(この描写は見事)がどこで変化したのか、が抜けてしまい、堅苦しい演出タッチの割に甘さが混じる。ちょっと残念。
封筒のノリを湯気でふやかして開ける専用の道具なんてのが出てくるのがなんだか面白い。
(☆☆☆★★)
原題は‘Movie Movie’で、1978年製作というから、もう30年も前の映画。
監督のスタンリー・ドーネンは1924年生まれで、「雨に唄えば」('52)「略奪された七人の花嫁」('55)などを作っていた全盛期に得意としたミュージカルと、同じ50年代にはやったボクシング映画の再生産を狙って二本立てという趣向にしたものなのだけれど、さらにそれから30年も経つとこれ自体が時代ものになってしまっていて、わかりきった内容なのでテンポを早めたのは良かったけれど、全盛期の活力は当然乏しい。
これだったら、本物の50年代の映画を見た方がいい。この頃はホームビデオがなかったから、昔の映画の再生産ものの意義も違っていたのだろう。
ジャンルはまったく違うが「グラインドハウス」が、過剰なくらい昔のB級映画の「真似」だったのに対して、これは実際に当時の作り手でもあった作者を含めたリバイバル。
(☆☆☆)
本ホームページ
goo映画 - ブルックリン物語
Amazon - ブルックリン物語
監督のスタンリー・ドーネンは1924年生まれで、「雨に唄えば」('52)「略奪された七人の花嫁」('55)などを作っていた全盛期に得意としたミュージカルと、同じ50年代にはやったボクシング映画の再生産を狙って二本立てという趣向にしたものなのだけれど、さらにそれから30年も経つとこれ自体が時代ものになってしまっていて、わかりきった内容なのでテンポを早めたのは良かったけれど、全盛期の活力は当然乏しい。
これだったら、本物の50年代の映画を見た方がいい。この頃はホームビデオがなかったから、昔の映画の再生産ものの意義も違っていたのだろう。
ジャンルはまったく違うが「グラインドハウス」が、過剰なくらい昔のB級映画の「真似」だったのに対して、これは実際に当時の作り手でもあった作者を含めたリバイバル。
(☆☆☆)
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竹内結子が中村獅堂と離婚して(正式に別れる前だが)ハジけた感じになったのが役に良く合った。
脇の人物が根岸吉太郎らしいきっちりした楷書体の描写で、大人の目から見るとおとなしすぎる感じはするけれど、子供の目から見て不安をかきたてられる感じはきっちり出ている。
ケータイもパソコンもない時代(80年代)というのが大して昔でもないのにすごく昔のような感じがする。
今の時代を20年後に回顧したらどういう風に見えるのだろう。
(☆☆☆★)