prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「聖なるイチジクの種」

2025年02月26日 | 映画
夫婦と娘ふたりの四人しかいない家の中で、父親に国から護身用に渡された拳銃が消える。外部に犯人などありえないのだが、妻はともかく娘たちは頑固に否定する。
この頑固さにぶつかりムキになった父親の意識と行動がエスカレートして、それまでのゴ体裁が剥がれ権力側の正体を見せていくのが怖い。

犯人の割り方とその後の展開にミステリ的なひねりを効かせた技巧を使っていて、説明抜きで見ればわかるように作ってあるのが上手い。

娘たちが二人とも母親似だが、俳優には血のつながりはないみたい。姉は直毛で妹は縮れ毛と一目で見分けがつく。

妹の方が世界一版権にうるさい会社のキャラクターをプリントしたシャツを着ているのだが、いいのかな。
脱線するが、竹田青嗣「陽水の快楽」に井上陽水の歌詞が引用されてるのだが、例の©️がついていない。どうなっているのか。

イランという強権体質の国家を他人事のように思えたが、今やアメリカが率先して強権をふるい日本も追随するであろうのが目に見えているのが憂鬱。





「阿修羅のごとく」(Netflix版)

2025年02月25日 | 映画
向田邦子のオリジナルのテレビドラマ版に比べて70年代を表現するのにあたって、ディテールの意識的な再現が細かい。

広瀬すずと同棲しているボクサーの本棚に「風と木の詩」「ローティーンブルース」の単行本が並んでいたり、「あしたのジョー」の単行本を尾野真千子の息子が読んでいるといった具合。
オリジナルの製作時には時代色の再現という意識は働かなかっただろう。

灰皿が至る所に置かれているとか、新聞(宅配の!)の挿絵の絵柄、東京の電話番号の03の後が今みたいに四桁でなく三桁になっているのが芸が細かい。

本木雅弘が浮気相手と間違えて家の電話にかけてしまって浮気がバレるなど、携帯が普及した今ではありそうにない。
四姉妹の名前に綱子・巻子・滝子・咲子と~子とつくのが、昭和だなあと思う。

乾いてヒビが入ったた餅を見て母親のかかとを思いだすって、アカギレ自体がほぼ見られなくなった今では遠くなった感覚だろう。
向田邦子のエッセイでもこういう当時でもやや古い感じのする言葉をよく使っていた。

四人姉妹というのは「若草物語」から「細雪」からキャラクターを取りそろえるのに便利な設定なのか。
是枝裕和監督とすると「海街diary」に続く四姉妹ものだが、広瀬すずだけだぶっている。




「野生の島のロズ」

2025年02月24日 | 映画
今のところ吹き替え版しか見ていないのでもともとロッサムという言葉が使われているのかどうかわからないが、ロボットという言葉を初めに作ったカレル・チャペックの戯曲「ロッサム万能ロボット会社 」Rossumovi univerzální robotiからと考えていいと思う。
もともと「ロボット」の語源は、1920年、劇作家カレル・チャペックがチェコ語の強制労働「ロボータ」と、スロバキア語の労働者「ロボトニーク」を合わせてつくった言葉で、人間の代わりに働かせるという含意がある。
「ロッサム万能ロボット会社 」は青空文庫で読めるが、ここでのロボットは金属の人形というよりけっこうレプリカント寄りだったりする。

綾瀬はるかのちょっと作り物っぽい声が合っていた。
ロボットのデザインが宮崎駿のラピュタと似ているなあと思ったら、まあ誰でもそう思います、監督が意識してそうしたのだそう。

正直、キラリが飛び立って島から出ていく、親離れ子離れするところで終わらせてよかったんじゃないかという気もする。
それだけ家族回帰熱を強くしないといけない想定される観客の事情もあるのか。





「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」

2025年02月23日 | 映画
たしか単にAlmodovar Filmとタイトルには出て、Pedro Almodovar Filmとは出なかったと思う。名前を省略するのはたとえば黒澤作品と一般名詞化するようなものか。

色彩がいつものアルモドバル作品よりは抑え気味。
マーサの娘役がティルダ・スウィントンそっくり。
作家役のジュリアン・ムーアは今まで意識したことなかったけど、左利きなのね、サイン会で左手でペンを持っていた。

アルモドバル初の長編英語作品っていうけれど、短編だがティルダ・スウィントン主演の「ヒューマン・ボイス」は英語でしたね。

末期ガンに侵されたスウィントンが肉親より親しいとも言いにくい関係のムーアに看取りを頼むというのもわからないではない。
ムーアの行為が、どう判断されどう裁かれるのかという点の描き方は、アルモドバルの出身地スペインでは安楽死が認められているけれど、アメリカでは州によって違い、ここで舞台になっているニューヨーク州では非合法になる。そのあたりも齟齬感になったか。





「キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド」

2025年02月22日 | 映画
平岳大が出てることもあって「SHUGUN  将軍」以降の日本像にはなっているとは思うけれど、昔とは違う意味でトンデモな日本像を描いているという気もしますね。
ああも堂々とアメリカにモノ申せる首相って、ホメ殺しって感じ。中国出すわけにもいかないし。

ハリソン・フォードみたいにヒーロー像そのものみたいなアイコンをアカくするというのが相当に当惑させられます。

正直、こちらの記憶が欠落していることを差し引いてもMCUの全体像を把握するのは相当に難しい。端的に言ってこうも配信を含めてシリーズものが並び立っていると時間がないのよ。




「第五胸椎」

2025年02月21日 | 映画
主役がカビ、というのに興味を惹かれて見たのだけれど、まぁワケのわからん映画でした。

生まれてから☓日というタイトルが出るのだけれど、ヤボか知らんがカビに意識があったらそういうカウントの仕方するかな。というか、カビが主役というのも解説がそうなっているだけで、そうなのかどうかなんだかモヤモヤしている。
画面もしばしばモヤモヤしてそれに混ざってドビュッシー「月の光」がシンセで流れたりする。冨田勲?

62分という上映時間はさぞ見辛い代わりに短くしたのかと思ったら、案外普通の作りなのに、逆に拍子抜けした。





「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」

2025年02月20日 | 映画
残されている歴史とは男の戦争の歴史である、といった字幕が最初に出て、では残されていない歴史に想像を広げてみましたという作り。

ヘンリー八世の六人の妻のうちドラマで取り上げられるのは、ヘンリーに斬首刑に処されたのと、のちのエリザベス一世の母親になるので二番目の妻のアン・ブーリン(「1000日のアン」「ブーリン家の姉妹」)が多いと思うが、これは6番目、つまり最後の妻のキャサリン・パーを取り上げている。

困ったのは、脇役でアンという名前のキャラクターが出てきたことで、後で調べたらAnne Askewアン・アスキューというプロテスタントの説教者で作家で詩人だという。実在の、それもかなり重要人物だから仕方ないが、混乱した。

もともとヘンリーがアン・ブーリンと結婚するために離婚を禁じたカソリックから離脱して自ら英国教会の首長の座についたわけで、キャサリン・パーのプロテスタントというのはまた宗派が違っていて、このあたりなじみがないせいもあってどうもややこしい。
会話でプロテスタントの創始者マルティン・ルターの名前がちょっと出てきたりする。

冒頭のタイトルで示されたように、えっ?と思うような展開があるが、案外こんなものだったかもねと思わせる。
キャサリンのアリシア・ヴィキャンデルはジュード・ロウのヘンリーともどももっと臭くなってもよさそうだが、かなり抑え気味の演技。
撮影・美術・衣装もカネかかってますよという感じではない。





「ファーストキス 1ST KISS」

2025年02月19日 | 映画
時間旅行を扱った宮部みゆき「蒲生邸事件」ではどういう風に過去に介入しても結果はさほど変わらないという認識を示していたけれど、これも似たところがあって、なんとか決定的に悲劇的な結末を避けようとするのだが、なかなか変えることができない。

時間がループする映画というのは、コメディ「恋はデジャヴ」、ホラー(「ハッピー・デス・デイ」) SFでは「オール・ユー・ニード・イズ・キル」とあったが、といろいろあるが、どう変わるかを積み重ねて見せるのがふつうだが、喪失感を抱えることになる不安と闘うモチーフでまとめている。

松たか子がや設定では45歳だが、実年齢は47歳。若い時の姿が本当に若く見えるが、デジタルメイクでもしたかどうか、あまり違わないあたりに抑えている。





「誰よりもつよく抱きしめて」

2025年02月18日 | 映画
脚本がイ・ナウォンという韓国名なのにあれと思って調べたら、幼稚園から小学3年まで筑波で過ごしていて、芸大大学院では坂元裕二に師事していたとのこと。

久保史緒里がファン・チャンソンが忘れていったスマートフォンを見つけるのだがそこに女の名前から電話がかかってきて久保がそれに出ちゃうけど、ほとんど初対面の男のところに誰ともしれない女からかかってきた電話に出るかぁ?

三山凌輝が手をやたらと洗うのをはじめ手袋をずっとしていたりビニールで家具を覆ったり、ゴボウやネギを「洗剤で」洗ったりと病名は何と言うのかうろ覚えだがいわゆる強迫神経症的で、他人に接触することができない。
同棲している久保とも接触できず、抱き合うこともキスすることもできない。
それでなんで同棲してるのかと思わないでもないが、そこがドラマなのだろう。

水たまりに三山が手を突っ込んで久保の靴を拾うところでタバコの吸い殻が見えるのが芸が細かい。





「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」

2025年02月17日 | 映画
主演女優のエカ・チャブレイシュビリが実際には舞台で活躍していたプロだというのにアマチュアのリアリティを併せ持っているのが見もの。

言うとなんだけれど、体形もまるまるとしているし、女優っぽくない。




「TOUCH タッチ」

2025年02月16日 | 映画
なんで日本人キャストが混ざっているのだろうと思ったら、日本でないといけない理由はあるのだね。やや拍子抜けではあったが。
本木雅弘がロンドンにいるという設定は現に当人がロンドン在住なのだからそのまんま。

主演のミコ(美子)役のKōkiって誰だろうと思ったら木村拓哉と工藤静香の娘っていうのでびっくり。知らんのか、と怒られそうだが。
若い時のミコの恋人役のパルミ・コルマウクルは監督バルタザール・コルマウクルの息子だというが、業界っぽくすれた感じではない。

歳取った時のミコをやっているのは、この映画そのもののキャスティングディレクターでもある奈良橋陽子。





「テロ,ライブ」

2025年02月15日 | 映画
リメイク版の「ショウタイム・セブン」の固定カメラで阿部寛のアップとスタジオいっぱいに引いたカットをつないでメリハリを利かせた画面作りに対して、こちらはドキュメンタリー調の手持ちを多用したカメラワーク。
リメイクが夜の七時からのリアルタイムの中継なのに対し、こちらは午前九時からと昼間のできごと。

こちらでは政府の偉いさんが乗り込んでくるし、上役も容赦なく圧力をかけてくる。おしなべて描写が直接的で白昼テロの被害がエスカレートするのに対して「ショウタイム」では夜の闇に沈めて話が重層化する。

阿部寛が相当にしたたかに自分にふりかかった危機を逆手にとってスターキャスターへの返り咲きを果たすのに対し、ハ・ジョンウはかなり良心的に振る舞う。

後半、かなり物理的なアクションシーンが多くなるのも心理劇的なリメイクとは対照的。




「ショウタイムセブン」

2025年02月14日 | 映画
現在進行形でフジテレビが問題になっている時期に公開がかちあうとは予想できなかったろう。

元スターテレビキャスターで、今はラジオのDJでお茶を濁している阿部寛が突然降って湧いたテロ事件を利用してスターキャスターの座に返り咲きを狙うと共に、その前になんで左遷されたのかという興味でも話をつなぐ。
舞台劇式に限られた場所と時間につぎつぎと新しい人物が現れ事件が起こり、そのたびにくるりくるりと新しく話が進展する。

ただ小林信彦が同じテレビ界を扱った「ネットワーク」評で、「わくわくするくらい面白い設定、ツイスト(ひねり)を積み重ねて、最後の一発で嘘くさくなってしまったケースである。惜しい作品だ」と評したほどではないが、器械体操で十分高得点を期待させながらフィニッシュでちょっと不満が出る、みたいな、ちょっとだから大目に見ようというのと、ちょっとだからかえって気になるのと、両方ではある。

製作委員会に参入しているテレビ東京の午後のロードショーでオリジナルの「テロ、ライブ」を放映していて、録画済。これから見る。

後記。
テレ東の番宣で吉田鋼太郎が撮影では10分以上の長回しのカットを監督が試みていたのが大変だと言っていたが、なるほど今はフィルム時代と違ってそういう演出も普通にできるのだな、と思った。





「リアル・ペイン 心の旅」

2025年02月13日 | 映画
祖母の遺言でダークツーリズムに行くことになるまるで性格の違ういとこ同士のふたりの旅を描く。

ポーランドの旅に合わせてか、音楽にショパンを採用しているのが、必ずしも画面自体には合っておらず、適度な違和感と共に一緒に旅しているみたい。





「映画をつくる女性たち」

2025年02月12日 | 映画
東京国際女性映画祭第15回の記念作品。

女性監督第1号は、戦前の坂根田鶴子(さかね・たづこ)で、さかねた・つること読んでいたので気づかなかったことがある。つまり、村上もとかのコミック「龍RON」に「たづ」という女性キャラクターが出てくるのだが、彼女は満州映画協会で監督デビューする設定なのです
貧しい生まれ育ちだったたづを女学校に進学させてくれた恩人であり愛する人でもあった押小路龍を主演に監督作品を作るという、村上もとからしい虚実ないまぜた(もちろん満映理事長の甘粕正彦も大々的に絡む)根も葉もあるウソ。

坂根田鶴子は劇映画の演出は「初姿」一本だけで、満映ではドキュメンタリーを演出していた。
国際女性映画祭が始まった1985年は日本に劇映画の監督はひとりもいなかった。だものだから、羽田澄子監督のドキュメンタリー「AKIKO あるダンサーの肖像」が完成を急がされたという。

もっぱらフィルム時代の製作で、羽田澄子監督が操作しているのがスティーンベック。
おしまいの方で河瀨直美が顔を出すのになんだか複雑な気分になる。

去年から今年にかけて塚原あゆ子監督が「ラストマイル」「グランメゾン・パリ」「ファースト・キス」と立て続けにヒットを飛ばしていて、新しいフェーズに入ったかな、と思わせる。

そういえば、羽田澄子氏はどうしただろうと調べたら、99歳で存命中。1926年1月6日生。