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今もなお活躍する沖縄バスの「730」~日曜日の定期運行も…

2013-07-03 | バス[九州離島・沖縄]

MAKIKYUは4月に初めて足を運んだ沖縄本島、その際には島内を走る多数の路線バスにも乗車し、国内全47都道府県訪問と共に、47都道府県全てでの路線バス乗車も達成できたものでした。

那覇市内を走る沖縄都市モノレール(ゆいレール)を除くと、公共交通機関は専ら路線と言う沖縄において、現在運行している路線バスは、古参車が多い事でも有名ですが、その中でも別格と言える存在が、通称「730(ナナサンマル)」と呼ばれる車両です。

沖縄はアメリカ当地の影響により、日本への返還後も右側通行だった道路通行方式を、1978年7月30日に国内他都道府県と同様の左側通行に改めていますが、その日時を基にした通称が「730」で、通行方式変更により乗降口位置が変わる路線バスは、この時に大量の車両入れ替えが行われています。

バスで「730」と言うと、この時に大量一斉導入された車両の事を示し、バスの使用年数が長く、古参車の多い沖縄においては、今世紀に入ってもまだこの車両が…という状況でしたが、排ガス規制の影響により、大都市圏で車検更新不可となった中古車両の大量導入などにより、次々と現役を退いています。

しかしながら沖縄本島の大手4社中、第一交通産業傘下となった琉球バス交通・那覇バスの2社には、既に730は存在しないものの、沖縄バスと東陽バスでは、動態保存車として各1台が現存しています。

この730動態保存車は、2社共に車両の機能維持を兼ねて、日曜日の特定ダイヤ(主に午前中)に充当され、運行ダイヤは両社それぞれの公式HPにも掲載されています。
(どちらも1台しかない車で、車検などで他車代走の可能性もありますので要注意です)

沖縄バスでは39番(那覇バスターミナル~新原(Miibaru)ビーチ)、東陽バスでは191番(馬天営業所~城間(Gusukuma))で運行しており、新原ビーチと馬天営業所はどちらも南城市(市町村合併前の町村は別になるのですが…)、両系統は運行区間の半分程度は重複しており、時間帯によっては2台の730同士がすれ違う事もあります。

そのため全区間乗車などに拘らず、一部区間のみの乗車でも…というのであれば、日曜日の特定ダイヤに730が充当されれば、双方を乗り比べる事も比較的容易で、この730への乗車も、MAKIKYUがはるばる遠路沖縄まで足を運んだ目的の一つでした。
(その気になれば、2つの730双方で全区間乗車する事も不可能ではないのですが…)

まずMAKIKYUが最初に乗車した730は、沖縄バス39番の方で運行している730でした。

 
こちらは沖縄バスの他車と同じ三菱ふそうの「MP117K」で、形式番号に排ガス規制記号は付きません。
(排ガス規制記号は記号なし・K-・P-・U-・KC-(大型車の場合)の順で、その後KL-やPJ-、LKG-など年式に応じて様々な記号が出ており、最近の規制記号は分類も複雑化しています)

今やまず見かける事がない三菱製モノコック車末期の通称「ブルドッグ」でも、大半は「K-MP118(長さによってその後KやMなどの記号)」で、現在沖縄で廃車が進む昭和末期~平成初頭の古参車でも、沖縄バスで活躍している車両は「P-MP218K」などですので、形式番号に排ガス規制記号が付かない車両は、今や730を除くとボンネットバス以外では国内でどれだけ…という程希少な存在です。
(ちなみに現在大都市圏の特定地域ではU-はおろか、KC-ですら車検継続できず、KL-の地方転出も始まっている状況です)

そんな車両ですので、見るからに今日の路線バスとは大きく異なる古参車ならではの風貌をしており、古参車が多い沖縄において、車齢25年程度の古参車と並んだ場合でも、際立って目立つ存在で、方向幕が小さい事も影響してか、画数の多い文字をカタカナで代用(那覇→那ハなど)しているのも独特です。
(沖縄バスでは一部漢字のカタカナ代用は結構多く、特に親慶原などの「慶」を「ケ」で代用する事は、行先表示に限らず、乗車券類の停留所名押印でもよく見受けられますが、沖縄は立地的に中国にも近く、実際に中国(香港や台湾なども含む)からの観光客も時折見かける状況では、却って分かり難い案内になっているかもしれません)

730交通変更に合わせて新車導入された車両ですので、近年の沖縄本島において大半を占める大都市圏中古車などとは異なり、前乗り前降りの沖縄郊外線仕様で導入されていますので、ドアはトップドア(前1箇所のみ)、車内も2人がけの座席が主体の着席重視仕様となっています。

古参車ながらも温暖で高温多湿な沖縄の気候も影響してか、新造時から冷房車として導入されており、この年式では全国的に非冷房車も多かった中で冷房車である事も、動態保存車を除いても今世紀まで活躍できた一因なのでは…と感じます。
(その一方で平成になっても国内ではまだ非冷房車を導入、今でも路線バスとして運用している事業者も存在し、中にはホイールパーク式サイドブレーキを装備した非冷房車も含まれ、MAKIKYUの知人の中にはこの事業者のバスに乗務する事で、夏場は大変な思いをしている者も居ますので、日本と言う国も結構広く多様と感じます)


古参車の割には、導入年次の一般的仕様に比べて上級仕様となっており、一部事業者では平成に入っても床が板張りのバスを導入、今日でも走らせ続けている中で、床もリノリウム張りであるなど、見た目は物凄く古く見える割には、乗ってしまえば見た目は意外と古さを感じないのも、現在動態保存車として活躍する730の大きな特徴です。


とはいえ運転席を見渡すと、ハンドルや計器類、シフトレバーなど至る所で古参車である事を感じ、実際に乗務されていた方から伺った話でも、今日のバス(それでも国内のバスでは古参の部類に入る20年超の車両ですが…)に乗り慣れると、シフトレバーやクラッチの感覚が大きく異なり、仮に毎日担当車として乗務するともなれば「たまったものではない」との事でした。
(MAKIKYUもMP117を運転した事はありませんが、大型2種の所内教習車で、一度だけいすずK-CJM500(730よりは少し新しいですが、それでもモノコック車体でかなりの古参車です)を運転した事がありますが、P-以降のスケルトン車体の車両とは運転感覚が大きく異なり、不慣れな事もあってか、非常に運転し難い車両と感じたものでした)

バスが走り出すと、三菱車故に古参車の割には静粛性に優れていると感じ、スケルトン車体初期の国産他メーカー一部車種などと比べても優秀に思えるものの、サスペンションの関係もあってか、段差などでの上下動が激しく感じられ、この点はエアロスターK(沖縄バスの現行主力車種)などに比べると…と感じたものでした。

また余談ながら現在活躍する動態保存車「沖22か10-64」は、系統・行先表示こそ現在の運行路線(39番)とは異なるものの、TOMYTECのバスコレクションで製品化されたMP117モデル車両の一つにもなっています。

今まで馴染みない遠方を走る車両と言う事で、余り親近感を感じなかった手元にあるモデルも、今回の乗車で随分印象が変わり、模型も実車に馴染みがあるか否かで、印象が随分変わるものと感じたものです。

MAKIKYUは新原ビーチ方の一部区間で乗車し、晴れていれば相当綺麗な光景が見られたであろう新原ビーチも、生憎の天気で…というのは少々残念でしたが、また日曜日に沖縄本島に滞在する機会があり、天気の良い日であれば、那覇から39番を全区間乗り通し、南国ならではの海を眺めに再び新原ビーチへ足を運んでも…と感じたものでした。

この沖縄バス39番は那覇バスターミナルを起終点としており、日曜日の午前中に那覇に滞在する機会があれば、その気になれば那覇市内均一区間内(220円)のみでの乗車も可能です。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も機会がありましたら、是非今日のバスとは異なった雰囲気を持ち、希少な存在となった730の動態保存車に乗車してみては如何でしょうか?