豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ ひるの憩い ” & “ あねいもうと ”(NHK)

2020年11月10日 | あれこれ
 
 昨年12月31日に右膝蓋骨(ひざのお皿)を骨折し、入院、手術をした。
 半年後の7月に割れた骨を固定してあった釘を抜く手術の予定だったが、コロナ禍で延期していたが、第2波だか第3波だかが迫ってきたので、意を決して昨日11月9日に、再入院して抜釘(お医者さんや看護師さんたちが「ばってい」と言っていたので、「BATTEI」と打ったら本当に「抜釘」が最初に出てきた)の手術を受けてきた。

 なまじ、医療過誤訴訟の判例などを読んでいるため、たかが抜釘手術といっても、全身麻酔は恐い。麻酔の医者さんは「酔っぱらった時のようなものです」というのだが、こういう比喩による説明が後で問題になったケースはけっこうある。お酒でだって死ぬ人はいる。ベテランの医師は「メリハリの利いた説明を」というが、それが難しい。
 ぼくは、おとなしく「よろしくお願いします」というしかなかった。

             

 無事手術は終了。無事生還できた。最初の釘を打った時より時間も短く(30分程度。前回は1時間半)、麻酔も弱いものだったとかで、1時間半程度で覚醒。さいわい「悪酔い」もしなかった。
 「抜いた釘を欲しいですか」と聞かれたので、記念に貰ってきた。(上の写真)
 よくぞ、こんな釘と針金が11か月間もわが右ひざ頭を縛っていたものだと驚く。
 レントゲン写真で見ると、職場近くの中華料理屋の店頭で見た、木綿糸で縛られた上海蟹の姿煮のようだった。上海蟹(?)のレントゲン写真もアップしようかと思ったが、家人から悪趣味だと言われたので今はやめておく。--と書いたものの、やっぱりアップしてしまった。

                          

 前置きが長くなったが、きょうの昼すぎ、退院前の病室のベッドでNHKラジオ第1放送で“ ひるの憩い ”を聞いた。
 ぼくはこの番組の背景に流れる古関裕而作曲のテーマ曲が好きだ。
 古関の作品で好きな曲はたくさんあるが、中でもぼくは「東京オリンピック行進曲」と「ひるの憩い」が特に好きだ。

 この曲とともに、子どもの頃の昼時の思い出がよみがえってくる。一番の思い出は昭和30年代の夏の思い出である。
 軽井沢から東京へ戻る8月のある日の昼下がりだった。父と祖母と3人で午後1時ころに中軽井沢駅を出る汽車に乗る予定だったのだが、その日は、午前中に松川事件の判決が出る日だった。父がこの判決の結果を聞いてから家を出るというので、すべて戸締りを済ませてから、テラスでNHKラジオの正午のニュースに聞き入った。※
 そしてニュースが終わると、あの“ ひるの憩い ”の音楽が流れ始めた。
 ※ 1959年8月10日の最高裁の差戻し判決か、1961年8月8日の仙台高裁の無罪判決のどちらかだが、1961年のような気がする。

 当時は、手紙を投稿する視聴者には「農事放送通信員」という肩書がついていた。
 奥村チヨの「ガラスの指輪」という曲が今週の歌だったのも、この番組だったはずである。この歌も8月の軽井沢の記憶とともにある。

 そして、きょう11月10日(火)の“ ひるの憩い ”であるが、1曲目に流れたのが、岡崎友紀の「私は忘れない」という曲だった。
 この曲は知らなかったが、岡崎友紀はかつて好きなタレントだった。NHKテレビの“ 姉妹 ”(「あねいもうと」と読んでいた)という夕方の番組で妹役だった。Google で調べると、1968~69年に放映されたらしい。ぼくが予備校生から大学生になったころである。
 姉役の西尾三枝子の恋人が若き日の近藤正臣で、二人が鳥取砂丘でデートしているシーンが印象に残っている。近藤の役名は「麻生君」だった。恰好がよかった。
 原作は北海道が舞台らしいが、テレビ番組の方の舞台は瀬戸内海だったのではなかったか。

 Google で検索すると、このテレビ番組についてのコラムを書いている人に出会った。岩崎俊夫さんという方で、立教大学の先生だったらしい。経歴によると、ぼくと同じ1950年生まれとある。18、9歳のころに日本のどこかで一緒に見ていたのだろう。
 悔しいことに、彼は岡崎友紀と西尾三枝子のツーショットの写真が載ったこの番組のパンフレットまで持っている。岡崎友紀が若くて笑顔が可愛い。50年前である。

 この「姉妹」は畔柳二美という作家の原作で、NHKテレビで放映されていた頃は角川文庫版が出ていた。買って読んだが、テレビ番組ほどには面白いとは思わなかった。女性向けの小説だったような印象がある。この本の表紙をアップしたかったので探したが、見つからなかった。断捨離してしまったのだろうか。
 --と思っていたが、きょう、物置の段ボール箱の中から見つけ出した(冒頭の写真)。角川文庫1865番、昭和34年初版で、昭和43年第7版となっている。帯に「NHKテレビ『あねいもうと』」と書いてあるから、当時のぼくのようなテレビを見て読んでみようという読者を当て込んでの出版だろう。

 本は断捨離してしまったかもしれないが、あの頃の岡崎友紀を「私は忘れない」。


 2020年11月10日 記

 ※ きょう、改めて読み返したが、手術、麻酔、上海蟹、ひるの憩い、古関裕而、松川事件判決、姉妹、岡崎友紀・・・とエピソードが飛躍しすぎである。どうもまだ全身麻酔の影響から完全に覚めないうちに書いたようだ。


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