11月23日(月)は、勤労感謝の日。
この3月で定年退職してしまった身としては、何をどう「感謝」すればよいのか。でも50年近く働いてきて、税金も諸々の社会保険の掛け金も払ってきたので、許してもらおうか。感謝してくれとは言わないが。
中川善之助さんは、国民の祝日法が、「老人の日」の趣旨を「長年にわたり社会に尽くしてきた」がゆえに老人を敬愛するとしたことを、法学セミナーの巻頭言で怒っておられた。そして、ぼくの大学時代の先生は、この中川さんの巻頭言を大変に気に入っておられた。
いずれにせよ、この日は孫たちの学校も休みなので、またぞろ近所の親戚の家に遊びに行き、わずかに残ったミカンをもいできた。
鳥に食われたりして、5、6個しか残っていなかったが、孫たちはみかん狩りを楽しみにしている。
街を行き 子どもの側を通るとき 蜜柑の香せり 冬がまた来る
という国語の教科書に載っていた短歌は島木赤彦だったか。
最近は子どもの側を通ってもみかんの香りはしない。そもそも町にあまり子どもがいないような気もするが。
庭に生ったみかんだが、どういう訳か、他の数十個すべてが黄色く熟しているのに、1個だけまだ緑色のままで、いっこうに熟する気配のない固いのがあった。
植物や果実の成長を見るたびに思うのだが、それぞれの個体は、それぞれ成長の度合いに違いがある。きっと人間も同じだろう。しかし、植物の成長を眺めるようなゆったりした気持ちで人間の成長を見守るのは難しい。
かつて『家栽の人』という漫画があった。あの主人公の家裁の裁判官は理想にすぎると当時は思ったが、この年になって、植物や果実を眺めるようになって、少し考えが変わった。
2020年11月24日 記