緊急事態宣言が出ていたのだが、4月27日から29日まで軽井沢に行ってきた。
下は、4月27日、上信自動車道の碓氷峠手前(松井田あたりか)の吊り橋。
昨年の終わりにトイレの交換を業者に依頼したところ、水を止めている冬場には工事はできないので来年(2021年)の春になったら改めて注文してほしい、ただし夏前に工事をするためには5月の連休前に正式に注文してほしい、連休が明けてからの発注になると夏休み前までに工事ができないかもしれないと言われていたため、連休前に出かけた。
と言い訳をしたものの、「不要不急」じゃないかと言われたら、「不要」ではないけど「不急」でないとは言えない。
到着した4月27日正午すぎの軽井沢の気温は、南軽井沢交差点の道路標示によれば10℃。東京に比べるとかなり肌寒かったので終日ダウンのコートを着て過ごした。
同日の夜は満月。黄色い月が落葉松の葉を照らしていた。
下は、軽井沢消防署の火の見やぐら越しに眺めた浅間山。
次は、プリンス・ショッピング モールから眺めた離山、その背後にわずかに浅間山。手前の池のほとりに枝垂れ桜が咲いている。山桜も各所で咲いていた。
4月28日午後2時過ぎ、昼食時を避けて追分そば茶屋に行った。いつもは午後4時閉店なのだが、コロナのせいか午後2時半で閉店だった。
危うく閉店前に滑り込めた。先客が2組いたがいずれもほどなく帰って行ったので、幸運にも店内は私たち2人と店員さんだけとなった。
用事を済ませて、4月29日午前には発地市場経由で帰宅の途に。
途中、上里SAで小休止。連休中とは思えないほど閑散としていて気の毒だったので、入口に看板が出ていたヒレカツ弁当を買って帰る。
家に帰って開けてみると、従業員の手書きのメッセージが入っていた。厳しい状況なのだろう。
以前は、上里の下りのSAにカツサンドを売るコーナーがあったが、そこのカツサンドは亡母の好物だった。
帰京後、きょうまで1週間様子を見たが、幸いコロナには感染していなかったようだ。
* * *
実は、きょう2021年5月4日は、この「豆豆先生の研究室」を開設して5555日目だった(らしい)。
自分で計算したのではないが、goo blog の my page に「開設から5555日」と掲示が出ていた。
もともと「ブログ」などというものの何たるかも知らなかったのだが、息子に勧められ、息子が開設の作業をし、「豆豆先生の研究室」なる名前も、当時ぼくがミスター・ビーンのコントが好きだったので、息子が勝手につけたものである。
ぼくがやったことといえば、「ぼくの気ままなnostalgic journeyです」というサブタイトルを決めたくらいである。
本業が多忙のために途切れがちだったり、中断した時期もあったが、よくぞ15年以上も続いたものだと、我ながら感心する。
この間、176万人をこえる方々が立ち寄ってくれたことも想定外であった。
自分の書いたものが176万人もの人に読んでもらえるなど、紙媒体の世界では直木賞作家の随筆でもなければ考えられないことである。
ちなみに、NHKラジオ第1放送の今朝の番組によれば、5月4日の「きょうの花」はハナミズキだそうだ。
なぜ5月4日の花なのかは紹介していなかったが、1910年代に東京市からアメリカ、ワシントンに桜を贈った返礼にアメリカから贈られたという由来は紹介していた。
花言葉は「公平」だそうで、日米で交換したという来歴から「公平」になったという。日米関係が公平かどうかは疑わしいが、ハナミズキは初夏の日本になじんでいる。
この時期に開花するから「きょうの花」なのだろう。今年の東京は異常気象のせいですでに「花」は落ちてしまった。ハナミズキの花ビラのように見えるのが、実は葉っぱであることも紹介していた。
2021年5月4日 記