豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『フォレスト・ガンプ』を見た

2021年08月06日 | 映画

 映画『フォレスト・ガンプ――一期一会』(パラマウント、1995年日本公開、同年アカデミー賞作品賞受賞)を見た。「一期一会」は不要だろう。 

 バス停留所のベンチに座ったトム・ハンクスが隣りに座った人に向かって自分の生い立ちから現在までを回想して語る、朗読劇に画がついているような映画。
 アメリカ映画の文法(そんなものがあるのかどうか分からないが)に従ったいい映画だったと思う。
 障害をもつ子が出てきて、気丈な母親が出てきて、奇跡の回復が出てきて、しかし不治の病いも出てきたり、サクセス物語が出てきたりもする、そして主人公とヒロインとの純愛も出てくるという、典型的なheart-warming映画である。

 足の不自由だった男の子フォレスト・ガンプ(後のトム・ハンクス)がスクール・バスに乗ると、みんなが意地悪をして座席に座らせない。一人だけかわいらしい少女ジェニーが自分の隣りに座らせる。 
 フォレストのジェニーへの愛を縦糸に、フォレストの大学生活、軍隊生活、実業家としての成功など彼の経験が横糸となってストーリーが展開する。
「霧のサンフランシスコ」など1970年代のポップスやニュース映像(ケネディ、ニクソンから毛沢東まで)も登場する。ぼくらには懐かしいシーンである。

 思春期に見ていたら、通学のバスで毎日乗り合わせる武蔵野女子学院の女の子の向うにジェニーを思い浮かべて、声をかけていたかもしれない。

 2021年8月6日 記

ホッブズ『リヴァイアサン(2)』補遺

2021年08月06日 | 本と雑誌
 
 『リヴァイアサン』第2部でもう1つ、追加しておくことがあった。
 イギリスの陪審制についてのホッブズの記述についてである。

 第23章「主権者に仕えて国政を代行する者」と題する章の中に、「陪審制」にかかわると思われる文章がある。角田訳では「あらゆる民事裁判において各臣民は・・・、係争中の問題が起こった土地の人間を裁判官とした。そして、それに対しては異議の申し立てが許されており、それは、十二人の裁判官が異議なく承認されるまで許された。判決を下すのは、この十二人であった。」自分自身の裁判官を戴くのであるから、その判決が最終的なものとされるといった文章が続く(138頁)。

 読みやすい角田訳にしては、「それに対しては」、「それは」といった指示代名詞が何を指しているのか明確でない。
 この部分はイングランドの陪審裁判のことを言っているのだと思うが、ホッブズはなぜか、“jury”という語はいっさい使わない。
 陪審裁判はノルマン制服の後にイングランドに入ってきた制度であり、前にも『少年たちの迷宮』か何かで書いたことだが、その制度趣旨は、「クラッパムの乗合馬車に偶然乗り合わせた12人の地域住民の意見が一致した場合には、彼らの判断、結論は当該地域のコミュニティ・スタンダードとして認められる」というものだと言われる。
 陪審員は12名で構成されるが、陪審員候補者の中には被告側(あるいは訴追側)に対して偏見を持っている者が含まれうるため、被告側は(訴追側も)一定数の陪審員候補者を理由なしに忌避することができる。原文の“exception”(Oxford World Classics, p.162)は「異議」とも訳すことができるが、異議は(裁判官によって)却下されることがあるのに対して、陪審員に対する「忌避」申立ては濫用に及ばないかぎり原則として無条件で認められる。水田訳『リヴァイアサン(2)』(岩波文庫、133頁)では「忌避」と訳している。

 もう1つ、この部分に出てくる“judges”を角田訳、水田訳ともに「裁判官」と訳し、角田訳では“twelve men”も「十二人の裁判官」と訳している。“(were)judged”を、角田訳は「判決を下す」と訳し、水田訳は「裁判される」と訳している。
 しかし陪審員(審理陪審)の任務は事実認定すなわち事実関係の有無に限られ、有罪無罪の「評決」は行うが、「判決」を下すのは(陪審員ではなく)裁判官である。『哲学者と法学徒との対話』をみても、ホッブズは相当な法知識をもっていたことが分かるから、ホッブズは、あえて「陪審(員)」(“jury”“juror”)という言葉を使わなかったと思う。
 したがって、この部分の“judge”を「陪審(員)」とまで訳すのは意訳にすぎるだろうが、「裁判官」と言い切ってしまうことにも疑問がある。“judges”は「判断者」、“(were)judged”は「判断される」くらいにとどめておいたほうがよいのではないか。もし『リヴァイアサン』か他の著書のどこかに、ホッブズが「陪審員」を「裁判官」ないし「裁判官の代行者」と考えていたことを示す文章があるのなら、以上はぼくの不勉強による誤りである。

 全臣民の同意に基づく主権者権力(sovereign power)の行使である司法権の中の、その一部である事実認定を、地域で選ばれた12人の素人に委ねる陪審制度はホッブズの政治理論にとってどのような位置にあるのだろうか。説明しにくいのではないか。トクヴィルはアメリカの陪審制度を民主主義の中核と理解したが、民主政に好意的ではなく、一般人民の愚昧を嘲笑するホッブズが陪審制度に好意的であったとは思えない。
 現役時代だったら、教員控室で出会った同僚の政治思想史研究者や英米法の専門家に気軽に質問できるのだが、今では独り言をいうしかない・・・。

2021年7月28日 記

 ※ 適当なっ写真がなかったので、アメリカ映画だが『12人の怒れる男たち』(ヘンリー・フォンダのではないリメイク版)のカバーを。

軽井沢にやって来た(2021年7月28日)

2021年08月06日 | 軽井沢・千ヶ滝
 7月28日。朝10時すぎに出発して、正午すぎに軽井沢に到着。
コロナ自粛の影響か、オリンピック観戦の影響か、関越道、上信道ともにすいていた。

 軽井沢に近づくと、高速沿いの山の木々の明るい緑が青い夏空に映えていた。その夏空には真っ白な入道雲が湧いている。絵に描いたような夏もようである。
 井上陽水「少年時代」を思う。あの歌は夏の終わりを歌っているけれど・・・。

         

「パンデミック下でのオリンピックは、普通は無しである」という専門家の助言を無視してオリンピックが強行開催されている。
 IOC貴族をはじめオリンピック関係者ばかりを特別扱いしておきながら、なんでわれわれが県境を超えての移動を自粛しなければならないのかという怒りを抑えられないのだが、内心どこか後ろめたい気持ちを感じつつのドライブであった。

       

 来てみれば、軽井沢は、例年に比べればやや人出は少ないようだが、ツルヤも、星のやも、峠のそば茶屋も、かぎもとやも盛況であった。プリンス・ショッピング・モールの人出はやや少なかったか。
 ここ軽井沢では、コロナの脅威はあまり感じられない。

2021年8月4日 記