豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

「卒業写真」と「なごり雪」

2022年03月17日 | テレビ&ポップス
 
 春、3月は別れの季節である。

 ぼくが大学を卒業したのは1974年3月。
 3月25日が卒業式だった。
 翌3月26日、ぼくはゼミの1年下級生(ぼくは1年留年した5年生だった)に頼まれて、大学に卒業証明書を受け取りに行った。
 前の夜から東京にはまさに季節はずれの雪がふり、山手線原宿駅の車窓から眺める明治神宮の森や代々木体育館も雪化粧をしていた。
 心の中で「なごり雪」が流れていた。
 その時に聞いたのは伊勢正三の「なごり雪」(1974年リリース)だったのだが、ぼくの記憶はイルカの「なごり雪」とともにある。イルカ版の「なごり雪」は卒業翌年の1975年10月の発売だから(クラウン・レコード、PANAM ZP-10、600円)、ぼくの記憶には混同がある。

   *   *   *
 
 ぼくは卒業式には出席しなかった。
 そもそも卒業式があったのかどうかも記憶にない。ただ卒業(式)当日の夕方に、ゼミの仲間が大学に集合して、先生も交えて新宿の街に繰り出したことは記憶にある。先生の希望でダンス・ホールに入った。
 フロア係に案内されて席に向かう通路を、先生はタンゴだかジルバだかのステップを踏みながら進んだ! 
 先生は大正13年生まれ、復員後の昭和22年に大学を卒業された方だったから、社交ダンス、ダンス・ホール世代だったのだろう。
 彼女は光沢のある真っ青のドレスだった。

 卒業アルバムなどというものも作らなかった。少なくともぼくの手元にはない。大学側のイニシアティブで作ってくれるような時代ではなかったし、学生側で卒アル製作委員会ができるような時代でもなかった。
 だけど、ハイ・ファイ・セットの「卒業写真」(東芝EMI、ALFA、EXPRESS、ETP-20095、発売年月日不詳、500円)は好きな曲だった。
 「通った道さえ 今はもう 電車から見るだけ ♪ ♪」で思い出すのは大学ではなく、なぜか中学校である。中央線の西荻窪駅と荻窪駅のちょうど真ん中あたり、南側の遠くに天祖神社の欅の木立が見えるのだが、「卒業写真」を聞くと住宅街の中、中学校の隣りにあったあの神社の欅を思い出す。

 先日、高校時代の同級生が4人集まって小さなクラス会をやった。その中の1人が定年後は娘さんの嫁ぎ先のある福岡に引っ越してしまうというので、送別会をかねて集まった。
 最後に会ってから40~50年ぶりの再会だった。
 みんな姿かたちは年齢なりになっていたが、声としゃべり方は昔のままだった。性格も変わっていなかったように思う。

 2022年3月4日 記
 --ウクライナがあんなことになっているのに、のん気に卒業写真でもないだろうと自粛してきたが、あちこちの学校で卒業式が行われた今日、結局投稿することにしてしまった(3月17日)。

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