(追記)
そもそもぼくが仮定法現在に関心を抱くきっかけになったのは、「仮定法現在(原形)は古い英語で用いられていたが、その後、イギリス英語では<should +原形>が用いられるようになったのに対して、アメリカ英語には古い<原形(仮定法現在)>が残って使われている」旨の記述に出会ったからである、と書いた。しかし肝心のその出典を見つけ出すことができなかった。
この発端が気になっていたので、これまでに参照したことのある英文法の本を引っ張り出して斜め読みした。その結果、ぼくが仮定法現在に関心をもった発端ではないかと思われる文章を見つけた。
1つは、安藤貞雄『現代英文法講義』(開拓社、2005年)である。
安藤329頁は、“should”の用法の1つとして、「命令・要求・必要」を表す述語に続く名詞節中で、という場合をあげ、「この環境で『想念のShould を使用するのは<英>では普通で、<米>では古くからの叙想法現在』(「命令の叙想法」(mandative subjunctive)が用いられる(ただし、現在では<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している)」と書いている。
ちなみに安藤は「仮定法」(subjunctive mood)のことを「叙想法」と表記している(363頁)。「仮定法」という呼称を不適当と考え「叙想法」と表記するのだろう。「仮定法」という用語が不適当であることは同感だが、かといって「叙想」という用語もなじめない。
※「仮定法現在・その1」に追記したところだが、田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』(NHK出版、2008年)の「仮想状況」という用語(210頁~)がぼくには一番しっくりくる。
安藤・講義がいう「叙想法現在」は「仮定法現在」のことであるが、米語で使われる「仮定法現在」を、安藤は「古くからの」と書いていたのである。
2つ目は、同じく安藤367頁である。
同頁で安藤は、「叙想法現在」(=仮定法現在)の用法の1つとして、「that 節中で(mandative subjunctive)」という場合をあげ、「広義の命令表現に続くthat 節では、叙想法現在が使用される(命令が実行されるかされないかは不明である、ゆえに叙想法)。これは、古い用法がおもに<米>に残ったもので、<英>でも使用されつつあるが、『想念のshould』を使うほうが普通である」と述べている。
ここでも、やはり「叙想法現在」(=仮定法現在)は「古い用法が米語に残った」ものであると言っている。どの程度「古い」のかについては明記していないが(シェークスピア時代なのか、18、19世紀なのか・・・)、少なくともイギリス英語において仮定法現在が 「should +原形」にとって代わられるよりも以前ということだろう。
3つ目は、わが『モームの例文中心 英文法詳解』(納谷友一・榎本常彌共著、日栄社、1977年)である。
同書で著者は、「仮定法現在は古い用法で、現在では概して直説法現在にとって代わられ、実際の用法は比較的少ない」と書いている。英語と米語の間の異同には触れていないが、仮定法現在は「古い用法」とされている(110~111頁)。
ちなみに同書は、「仮定法現在」は仮定法過去、仮定法過去完了などとの調和上、一般にこのように呼ばれているが、「動詞は原形を用いるので、仮定法原形あるいは原形仮定法というほうが本質に近いかもしれない」と述べている(110頁)。「現在」という呼称が用語として不適当であることは同感である。「仮定法現在」で使われる動詞は「原形」であって「現在形」ではないのだから。前にもそのように書いた(※「仮定法現在・その1」参照)。
現時点での「suasive verb に続くthat 節内の動詞の形」の変遷に関するぼくの私見をまとめておく。
<イギリス英語では> 古い(いつ頃?)イギリス英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ その後の(いつから?)イギリス英語:<should +原形> ⇒ 最近のイギリス英語:<仮定法現在(原形)>も使用?(江川250 頁、安藤330頁、宮川ほか『ロイヤル英文法』旺文社、1996年、256頁など。安藤は、「<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している」とまで書いているが、ぼくが見た最近のイギリス英語文献では確認できなていない)。
<アメリカ英語では> 古い(=ニュー・イングランド植民初期の17世紀頃)アメリカ英語:<仮定法現在(原形)> or <should +原形>(?未確認) ⇒ 独立期前後18~19世紀のアメリカ英語:<should +原形> ⇒ 19世紀後半までのアメリカ英語:<should +原形> ⇒ (20世紀初頭以後のアメリカ英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ 現在のアメリカ英語:仮定法現在(原形)
ということになる。
「古い仮定法現在がアメリカ英語には残った」という説明は、少なくともアメリカ歴代大統領の一般教書を辿った限りでは正しくないように思う。
日本の英文法の本がいずれもこのような説明をしているということは、おそらく彼らが参照した権威ある英米の文法書にそう書いてあるからなのだろう。Biber,Quirk あたりを調べてみればそのあたりを確認できるかもしれないが、その元気はない。
* * *
ちなみに、『モームの例文中心 英文法詳解』では、should の用法の1つである「意向・決定・命令・提案・発議などを表す that-clause に用いられる(should)」の用例として、モームの文章をあげている。
1つは、“Kite”(凧)の中の“After supper he suggested they should go to a movie, but she refused.”というもので、もう1つは、“Moon”(月と6ペンス)の中の“I proposed that we should go and eat ices in the park.”という一文である(90頁)。
20世紀イギリスの作家であるモームが仮定法現在ではなく、suasive verb に続くthat節内で“should”を使うのは当然のことであろう。《英》(イギリス英語)では最近仮定法現在が使われることもあるというが(前出、江川、安藤、ロイヤル英文法など)、晩年のモームも使ったことがあるのだろうか。
2022年3月21日 追記
そもそもぼくが仮定法現在に関心を抱くきっかけになったのは、「仮定法現在(原形)は古い英語で用いられていたが、その後、イギリス英語では<should +原形>が用いられるようになったのに対して、アメリカ英語には古い<原形(仮定法現在)>が残って使われている」旨の記述に出会ったからである、と書いた。しかし肝心のその出典を見つけ出すことができなかった。
この発端が気になっていたので、これまでに参照したことのある英文法の本を引っ張り出して斜め読みした。その結果、ぼくが仮定法現在に関心をもった発端ではないかと思われる文章を見つけた。
1つは、安藤貞雄『現代英文法講義』(開拓社、2005年)である。
安藤329頁は、“should”の用法の1つとして、「命令・要求・必要」を表す述語に続く名詞節中で、という場合をあげ、「この環境で『想念のShould を使用するのは<英>では普通で、<米>では古くからの叙想法現在』(「命令の叙想法」(mandative subjunctive)が用いられる(ただし、現在では<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している)」と書いている。
ちなみに安藤は「仮定法」(subjunctive mood)のことを「叙想法」と表記している(363頁)。「仮定法」という呼称を不適当と考え「叙想法」と表記するのだろう。「仮定法」という用語が不適当であることは同感だが、かといって「叙想」という用語もなじめない。
※「仮定法現在・その1」に追記したところだが、田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』(NHK出版、2008年)の「仮想状況」という用語(210頁~)がぼくには一番しっくりくる。
安藤・講義がいう「叙想法現在」は「仮定法現在」のことであるが、米語で使われる「仮定法現在」を、安藤は「古くからの」と書いていたのである。
2つ目は、同じく安藤367頁である。
同頁で安藤は、「叙想法現在」(=仮定法現在)の用法の1つとして、「that 節中で(mandative subjunctive)」という場合をあげ、「広義の命令表現に続くthat 節では、叙想法現在が使用される(命令が実行されるかされないかは不明である、ゆえに叙想法)。これは、古い用法がおもに<米>に残ったもので、<英>でも使用されつつあるが、『想念のshould』を使うほうが普通である」と述べている。
ここでも、やはり「叙想法現在」(=仮定法現在)は「古い用法が米語に残った」ものであると言っている。どの程度「古い」のかについては明記していないが(シェークスピア時代なのか、18、19世紀なのか・・・)、少なくともイギリス英語において仮定法現在が 「should +原形」にとって代わられるよりも以前ということだろう。
3つ目は、わが『モームの例文中心 英文法詳解』(納谷友一・榎本常彌共著、日栄社、1977年)である。
同書で著者は、「仮定法現在は古い用法で、現在では概して直説法現在にとって代わられ、実際の用法は比較的少ない」と書いている。英語と米語の間の異同には触れていないが、仮定法現在は「古い用法」とされている(110~111頁)。
ちなみに同書は、「仮定法現在」は仮定法過去、仮定法過去完了などとの調和上、一般にこのように呼ばれているが、「動詞は原形を用いるので、仮定法原形あるいは原形仮定法というほうが本質に近いかもしれない」と述べている(110頁)。「現在」という呼称が用語として不適当であることは同感である。「仮定法現在」で使われる動詞は「原形」であって「現在形」ではないのだから。前にもそのように書いた(※「仮定法現在・その1」参照)。
現時点での「suasive verb に続くthat 節内の動詞の形」の変遷に関するぼくの私見をまとめておく。
<イギリス英語では> 古い(いつ頃?)イギリス英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ その後の(いつから?)イギリス英語:<should +原形> ⇒ 最近のイギリス英語:<仮定法現在(原形)>も使用?(江川250 頁、安藤330頁、宮川ほか『ロイヤル英文法』旺文社、1996年、256頁など。安藤は、「<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している」とまで書いているが、ぼくが見た最近のイギリス英語文献では確認できなていない)。
<アメリカ英語では> 古い(=ニュー・イングランド植民初期の17世紀頃)アメリカ英語:<仮定法現在(原形)> or <should +原形>(?未確認) ⇒ 独立期前後18~19世紀のアメリカ英語:<should +原形> ⇒ 19世紀後半までのアメリカ英語:<should +原形> ⇒ (20世紀初頭以後のアメリカ英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ 現在のアメリカ英語:仮定法現在(原形)
ということになる。
「古い仮定法現在がアメリカ英語には残った」という説明は、少なくともアメリカ歴代大統領の一般教書を辿った限りでは正しくないように思う。
日本の英文法の本がいずれもこのような説明をしているということは、おそらく彼らが参照した権威ある英米の文法書にそう書いてあるからなのだろう。Biber,Quirk あたりを調べてみればそのあたりを確認できるかもしれないが、その元気はない。
* * *
ちなみに、『モームの例文中心 英文法詳解』では、should の用法の1つである「意向・決定・命令・提案・発議などを表す that-clause に用いられる(should)」の用例として、モームの文章をあげている。
1つは、“Kite”(凧)の中の“After supper he suggested they should go to a movie, but she refused.”というもので、もう1つは、“Moon”(月と6ペンス)の中の“I proposed that we should go and eat ices in the park.”という一文である(90頁)。
20世紀イギリスの作家であるモームが仮定法現在ではなく、suasive verb に続くthat節内で“should”を使うのは当然のことであろう。《英》(イギリス英語)では最近仮定法現在が使われることもあるというが(前出、江川、安藤、ロイヤル英文法など)、晩年のモームも使ったことがあるのだろうか。
2022年3月21日 追記