豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

仮定法現在(その3)

2022年03月21日 | あれこれ
(追記)
 そもそもぼくが仮定法現在に関心を抱くきっかけになったのは、「仮定法現在(原形)は古い英語で用いられていたが、その後、イギリス英語では<should +原形>が用いられるようになったのに対して、アメリカ英語には古い<原形(仮定法現在)>が残って使われている」旨の記述に出会ったからである、と書いた。しかし肝心のその出典を見つけ出すことができなかった。
 この発端が気になっていたので、これまでに参照したことのある英文法の本を引っ張り出して斜め読みした。その結果、ぼくが仮定法現在に関心をもった発端ではないかと思われる文章を見つけた。      

 1つは、安藤貞雄『現代英文法講義』(開拓社、2005年)である。
 安藤329頁は、“should”の用法の1つとして、「命令・要求・必要」を表す述語に続く名詞節中で、という場合をあげ、「この環境で『想念のShould を使用するのは<英>では普通で、<米>では古くからの叙想法現在』(「命令の叙想法」(mandative subjunctive)が用いられる(ただし、現在では<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している)」と書いている。
 ちなみに安藤は「仮定法」(subjunctive mood)のことを「叙想法」と表記している(363頁)。「仮定法」という呼称を不適当と考え「叙想法」と表記するのだろう。「仮定法」という用語が不適当であることは同感だが、かといって「叙想」という用語もなじめない。
 ※「仮定法現在・その1」に追記したところだが、田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』(NHK出版、2008年)の「仮想状況」という用語(210頁~)がぼくには一番しっくりくる。
 安藤・講義がいう「叙想法現在」は「仮定法現在」のことであるが、米語で使われる「仮定法現在」を、安藤は「古くからの」と書いていたのである。

 2つ目は、同じく安藤367頁である。
 同頁で安藤は、「叙想法現在」(=仮定法現在)の用法の1つとして、「that 節中で(mandative subjunctive)」という場合をあげ、「広義の命令表現に続くthat 節では、叙想法現在が使用される(命令が実行されるかされないかは不明である、ゆえに叙想法)。これは、古い用法がおもに<米>に残ったもので、<英>でも使用されつつあるが、『想念のshould』を使うほうが普通である」と述べている。
 ここでも、やはり「叙想法現在」(=仮定法現在)は「古い用法が米語に残った」ものであると言っている。どの程度「古い」のかについては明記していないが(シェークスピア時代なのか、18、19世紀なのか・・・)、少なくともイギリス英語において仮定法現在が 「should +原形」にとって代わられるよりも以前ということだろう。

 3つ目は、わが『モームの例文中心 英文法詳解』(納谷友一・榎本常彌共著、日栄社、1977年)である。
 同書で著者は、「仮定法現在は古い用法で、現在では概して直説法現在にとって代わられ、実際の用法は比較的少ない」と書いている。英語と米語の間の異同には触れていないが、仮定法現在は「古い用法」とされている(110~111頁)。
 ちなみに同書は、「仮定法現在」は仮定法過去、仮定法過去完了などとの調和上、一般にこのように呼ばれているが、「動詞は原形を用いるので、仮定法原形あるいは原形仮定法というほうが本質に近いかもしれない」と述べている(110頁)。「現在」という呼称が用語として不適当であることは同感である。「仮定法現在」で使われる動詞は「原形」であって「現在形」ではないのだから。前にもそのように書いた(※「仮定法現在・その1」参照)。
 
 現時点での「suasive verb に続くthat 節内の動詞の形」の変遷に関するぼくの私見をまとめておく。
 <イギリス英語では> 古い(いつ頃?)イギリス英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ その後の(いつから?)イギリス英語:<should +原形> ⇒ 最近のイギリス英語:<仮定法現在(原形)>も使用?(江川250 頁、安藤330頁、宮川ほか『ロイヤル英文法』旺文社、1996年、256頁など。安藤は、「<英>でも、<米>の影響によって、叙想法現在の使用が復活している」とまで書いているが、ぼくが見た最近のイギリス英語文献では確認できなていない)。
 <アメリカ英語では> 古い(=ニュー・イングランド植民初期の17世紀頃)アメリカ英語:<仮定法現在(原形)> or <should +原形>(?未確認) ⇒ 独立期前後18~19世紀のアメリカ英語:<should +原形> ⇒ 19世紀後半までのアメリカ英語:<should +原形> ⇒ (20世紀初頭以後のアメリカ英語:<仮定法現在(原形)> ⇒ 現在のアメリカ英語:仮定法現在(原形)
 ということになる。
 「古い仮定法現在がアメリカ英語には残った」という説明は、少なくともアメリカ歴代大統領の一般教書を辿った限りでは正しくないように思う。
 日本の英文法の本がいずれもこのような説明をしているということは、おそらく彼らが参照した権威ある英米の文法書にそう書いてあるからなのだろう。Biber,Quirk あたりを調べてみればそのあたりを確認できるかもしれないが、その元気はない。

        *   *   *

 ちなみに、『モームの例文中心 英文法詳解』では、should の用法の1つである「意向・決定・命令・提案・発議などを表す that-clause に用いられる(should)」の用例として、モームの文章をあげている。
 1つは、“Kite”(凧)の中の“After supper he suggested they should go to a movie, but she refused.”というもので、もう1つは、“Moon”(月と6ペンス)の中の“I proposed that we should go and eat ices in the park.”という一文である(90頁)。
 20世紀イギリスの作家であるモームが仮定法現在ではなく、suasive verb に続くthat節内で“should”を使うのは当然のことであろう。《英》(イギリス英語)では最近仮定法現在が使われることもあるというが(前出、江川、安藤、ロイヤル英文法など)、晩年のモームも使ったことがあるのだろうか。

 2022年3月21日 追記

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仮定法現在(その2)

2022年03月21日 | あれこれ
(承前)
 と言うのは、実は、ワシントンら独立初期の大統領の一般教書においては、「仮定法現在(原形)」は使われておらず、「should +原形」が使われていることをぼくは発見したのである。これらの動詞(suasive verb:提案・勧告動詞)を that 節で受ける場合は、常に「should +原形」なのである。
 けっして独立初期のアメリカに「古い英語」である「仮定法現在(原形)」が残っていたわけではなく、ワシントンらの一般教書では、当時すでにイギリス英語になっていた「should +原形」が使われていたのである。19世紀中葉のリンカーンに至っても「should+原形」が使われていた。
 アメリカ英語(米語)で、仮定法現在(原形)が、今日のような「should なしの原形(仮定法現在)」になるのは20世紀に入って以後、ぼくが調べた限りではセオドア・ルーズベルト以後のことだったのである。

 網羅的に調べたわけではないので自信はないが、この検証が正しいとしたら、それではなぜアメリカでは20世紀に入った頃になってイギリス英語「should +原形」から離脱して、「仮定法現在(原形)」を使うようになったのか、が次の疑問になる。
 この問いに対するぼくの仮説は、アメリカニズム(Americanism)の影響である。アメリカニズムとは「アメリカ語法(米語特有の発音、語句、つづりなど)」のことである(<ウィズダム英和>“Americanism”の項、69頁)。いつ頃からアメリカ英語は本国のイギリス英語に対する独自性を有するようになったのか。アメリカニズムは<ウィズダム英和>の定義によれば、「発音、語句、つづりなど」とあるが(同頁)、仮定法現在のような文法のアメリカ化も「など」に含まれるのか。         
 
 ぼくの手持ちの資料(辞書、英文法書)の中で唯一アメリカニズムの説明があったのは、Webster’s New World Dictionary of the American Language(2nd College Edition),W. Collins & World Publishing Co., 1976(上の写真)の巻頭の<利用ガイド>中の M. M. Mathews による“Americanisms”というエッセイだけだった。
 同稿によると、17世紀初頭に北米大陸にイギリス人が入植して以来、ニュー・イングランド植民地では英語が使用されていたが、彼らが使う英語は彼らの環境に適応するため、即座に、かつ必然的にイギリス英語から変容を来たすようになった。そして独立以前から、オランダとの取引文書の明確化のためにもアメリカ英語の辞書の必要性が植民地議会で唱えられていた。19世紀初めにジョン・アダムスは「われわれはアメリカ語の辞書をもたなければならない」と記しており、1806年に最初の小さなアメリカ語辞書がノア・ウェブスターによって作られたという(xxxⅲ頁)。

 しかしぼくが<グーテンベルグ>を検索して一般教書を検討したところでは、仮定法現在に関しては、独立前後のアメリカにおいても当時のイギリス英語と同じく「should +原形」が使用されており、19世紀の間も“should”なしの「仮定法現在(原形)」は用いられていなかった。
 Mathews の論稿からは、アメリカ英語文法がいつ頃、どのような理由によってイギリス英語文法から変化していったのかを知ることはできなかったが、Mathews によると、書き言葉の変容は話し言葉の変容よりも遅れてやってきたというから、話し言葉の世界ではあまり使われない suasive verb を受けたthat 節内の動詞の仮定法現在(原形)への変容も、アメリカ独立からだいぶ時間が経った19世紀末から20世紀初頭に至って生ずることになったのではないだろうか。

 《 アメリカにおける仮定法現在は、古いイギリス英語がアメリカに残ったのではなく、アメリカニズムの影響を受けて20世紀に入ってから使われるようになったのだ! 》

 これが、ぼくの100%オリジナルな思いつきと発見とその方法と推論だが、手元にあった辞書や江川・解説など若干の文法書しか参照しておらず、英文法史の論証手法も全く知らないアマチュアの独断に基づいた考察である。ひょっとしたら、仮定法現在の歴史や英語と米語の間の差異化については、すでに専門家の論稿が発表されているかもしれない。「盗用」などになっていないことを祈るばかりである。むしろぼくの思いつきが「思い違い」「間違い」であるほうがましである。
 大統領の一般教書における変遷だけで「仮定法現在」の変遷一般を論ずるということが不適切であろうことは門外漢のぼくにも分かる。内容にふさわしい表題をつけるとするならば、「アメリカ歴代大統領の一般教書に見る suasive verb を受けた that 節内の動詞の形の変遷に関する一考察(試論)」とでもなるだろう。
 そもそも一般教書にはあまり suasive verb が登場しなかった。ということは、仮定法現在を検討する際の素材として一般教書は適切でなかったのかもしれない。“suasive verb” (提案・勧告動詞)ならば、むしろ議員の議会演説や法案起草委員会議事録などのほうがたくさん見つけられたかもしれない。コーパスとかAI を使えばもっと効率よく簡単に検索できるのかもしれない。
 
 残された最大の課題は、そもそもぼくが仮定法現在に関心を抱くきっかけになった「仮定法現在(原形)は古い英語で用いられていたが、その後イギリス英語では<should +原形>が用いられるようになったのに対して、アメリカ英語には古い<原形(仮定法現在)>が残って使われている」旨の記述の出典を見つけ出せないことである(※「仮定法現在 その3」を参照)。 
 ぼくの営みは風車に向かって突撃して行ったドンキ・ホーテ(スペインではドン・キホーテらしいが、日本ではドンキ・ホーテだろう)のようなものである。ぼくはそれでも構わない。もし仮定法現在への関心が生じなかったら、ワシントンだのジェファーソンだのリンカーンだのの大統領一般教書なるものを読む(眺める)こともなかっただろうから。

 <おまけ1> この “suggest” などの動詞を “suasive verb ” と呼ぶ。ところが、MSの<ワード>で “suasive” と打つと「スペルミス」の赤色の波線が表示される(今この書き込みをしていても出てくる)。<ウィズダム英和>を引いてみると “suasion”(勧告、説得)は載っていたが、“suasive” という単語はない(1879頁)。心配になって<プログレッシブ英和中辞典(第3版)>(小学館、1998年)も引いてみると、ちゃんと “suasion” の形容詞形として “suasive” が載っていたので(1834頁)、ワードに辞書登録しておいた。

 <おまけ2> ちなみに、<ウィズダム英和>の “suasion” の次には “suave”([swa:v]と発音するらしい)という単語が載っていて、「(特に男性が)温和な、(態度、言葉などが)もの柔らかな、丁寧な、上品な」という訳語があてられているのだが、ただし書きとして「!本性は違うかもしれないというニュアンス」という注記がついていた(同頁)。<プログレッシブ英和>のほうにはこの注記がない。
 こんな単語は見たことも使ったこともないが、男のうわべだけの温和さ、上品さを表す単語があるということは、世の中にはその手の男が少なからず存在するということだろう。<ウィズダム英和>の注記を知らずに、他人を褒めるつもりで “You are suave” などと言ってしまったら気まずいことになるだろう。<ウィズダム英和>はコーパスを活用した最初の英和辞典と銘うっているから、コーパスによればそのような文脈、ニュアンスで使われることが多いのだろう。
 蛇足を2本。

 2022年3月21日 記

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