亀井俊介『自由の聖地--日本人のアメリカ』(研究社、1978年)を読んだ。
断捨離前のお別れ読書の一環。
ペリーの来航から太平洋戦争に至る近代日本人のアメリカ観を概観したもの。
「蜜月」、「動揺」、「衝突」の時代を経験しながらも、基本的にアメリカを「自由の聖地」とみる見解が断続的に続いてきたと著者はいう。
ジョセフ彦、福沢諭吉ら幕末のアメリカ経験者、中江兆民、馬場辰猪ら自由民権運動家のアメリカ観、内村鑑三、新渡戸稲造らキリスト者のアメリカ観における、当初の「蜜月」=「自由の聖地」アメリカ賛美から、現実のアメリカにおける拝金主義の横行や人種差別の現実(黒人や中国人差別はやがて日本人にも及ぶ)への幻滅から「動揺」の時代を経て、太平洋戦争期の反米、アメリカとの「衝突」の時代へと変遷の特徴を概観する。
移民を奨励するいわゆる「渡米本」に誘われてカリフォルニアに渡った移民たちが1920年代の排日移民法によってアメリカを追われ、やがて日米戦争に至るところで本書は終わる。
移民のアメリカ観を除けば、基本的に「頂上」の文化人たちのアメリカ観が中心で、亀井のアメリカ文化論のテーマである「裾野」の人たちのアメリカ観はあまり登場しない。
アメリカ在住の社会主義者である片山潜が、アメリカの現状に失望しながらも、日本よりはましな程度には住みやすい国であると書いていたが、たしか鶴見俊輔の『北米体験再考』(岩波新書、1971年)にも、留置場の比較を通して同じような印象が語られていた。
ぼくのアメリカ観も彼らに近い。アメリカに強い好意は持っていないが、日本よりはマシかな、といった程度であった。戦時中に威張っていた日本の軍人よりは、敗戦後にやって来たアメリカ進駐軍の兵隊のほうがまだマシというのは、戦後第一世代の平均的な日本人のアメリカ観だったのではないか。
ぼくが子どもの頃のカルタの字札の中に「強くて優しいマッカーサー」なんていうのがあったらしいが、ぼくにはそこまでの感情はなかった。少し年長の従兄たちは「憎きニミッツ、マッカ―サー」の(手のひら返しの)世代だった。
著者もこの従兄の世代ではないかと思うが、本書は、太平洋戦争前夜の対米決戦論や、戦時中の日本人の反米思想、敗戦後の手のひらを返したような拝米思想にはほとんど触れていない。もはや「自由の聖地」などという幻想で括ることはできなくなったのだろう。
ところで著者が、中国人のことを「シナ人」と表記する場面がたびたび出てくることに、ぼくは違和感を禁じえなかった。“Chinese” のつもりなのだろうが、日本語の「シナ人」は、中国人に対する蔑称としても使われてきた。アメリカ人が日本人を蔑んで “Jap” と呼ぶのと同じである。
1911年の中華民国樹立以前の “Chinese” を「中国人」と呼びたくないのなら、「清国人」でよかったのではないか。
この本を最初に読んだのは、「1981年5月13日(水)10:54 am」と裏表紙に書き込んであったが、1980年代初めのぼくは、こんな呼び方に違和感を感じなかったのだろうか。
この本も、「コンマリ」流でいけば「ときめき」はない。お別れすることにしよう。
2023年2月16日 記