豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

お茶の水を歩く(2023年10月30日)

2023年11月06日 | 東京を歩く
 
 10月30日(月)、午後2時から御茶ノ水駅前の眼科病院で定期検診。
 かつての同僚と正午に大学で待ち合わせて、久しぶりにランチ。コロナ前の退職時には1000円だった定食が1230円になっていた。上限を980円に抑えていた新書の値段がこの秋から一斉に1100円になったという話だから、25%のアップは想定の範囲内。
 秋晴れで気持ちがよかったので、徒歩で御茶ノ水駅に向かうことにした。神保町の露店古本市を右手に眺めながら(以前のような人だかりは見られなかった)、靖国通りの神保町交差点を水道橋方面に左折。

     

 途中適当なところで右折したら、知らない道に迷い込んでしまった。
 昭和風のレトロな二階建ての建物があり、何だろうと近づいてみると、「神田猿楽町会」の看板。マンションに挟まれてよくぞ残っている(上の写真)。バブル前までこの界隈には、こんな建物がいくつもあったのだが。
 そのうち、見覚えのある急な階段のある坂道に行き当たる。かつての明治高校校庭横の「男坂」だか「女坂」である。きつそうだけど、これを登れば御茶ノ水駅前に出ることができるので、登ることにする(冒頭の写真)。
 登りきると、懐かしいマロニエだかプラタナスの街路樹の通りに出る。学生時代アテネ・フランセに通った道である。
 左手にかつての文化学院のアーチ形の門が残っていて、「東京BS放送」だったかという表札がかかっていた。覗いてみると、門だけでなく建物も文化学院当時のものが残っているようだ(外観だけかも)。門の脇には、かつてここにあった「文化学院」の歴史を紹介する小さな立札も立っていた(下の写真)。
 アテネに通っていた頃、御茶ノ水駅前交番のすぐ近くに「与謝野」の表札のかかった家があった。文化学院の創設者(?)の1人である与謝野晶子の家だったのではないかと思った。

   
   

 道路の右手には駿台予備校の立派な建物がそびえている。かつて西校舎が建っていたところだろうか。その駿台ビルのワンフロアだけが「弘文堂」となっていた。
 弘文堂は、前に取り上げた J・ギースラー「ハリウッドの弁護士」の版元である。昭和38年当時の弘文堂の住所は「千代田区神田駿河台4の4」となっている。今と同じ場所だろうか。上巻の訳者前書きに、編集者である田村勝夫さんへの謝辞がある。田村さんは出版業界で有名な編集者の1人で、のちにサイマル出版会を起した人である。
 ちなみに「ハリウッドの弁護士(上)」は「フロンティア・ブックス」という弘文堂の新書だが、本文がちょうど200頁で、定価280円だった。

 2時少し前に病院に到着したが、待ち時間は1時間30分以上。「ハリウッドの弁護士」を読んで待とうとしたのだが、睡魔に襲われて、断念。

 2023年11月6日 記

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